第6話 経過報告 01
調査記録 経過報告 2026/4/■■ 羽賀桐也 依頼人:■■■■■
オカルトライターの先生から相談を受け、調査協力を受諾。依頼ではない。彼は仕事を没にされて現在は無職と言っても過言ではないので、あくまで個人的な協力ということにしておく。
受諾のち、私は長野は安曇野の師匠、如月真丈の元へと行く。新宿から安曇野まで特急電車でおおよそ三時間ほど。
師匠の自宅兼道場で私は経緯を話す。
師匠は私がこの件に首を突っ込んだ事に疑問をいだいていた。
殺人事件に我々は関わるものではない。確かにその通りである。我々の技術は、テレビや小説に書かれるような、警察に協力して犯人を見つける……というようなものではないからだ。
我々の行う技術……天法道術は、物質的な証拠があるわけではない。仮に術で犯人がわかった、となった所で「証拠不十分」「物的証拠とみなさず」としかならない。
物質世界、現実社会で効力があるのはあくまでも現実的なものだけである。
しかし、今回の……顔が曲がって死ぬという連続不審死事件、これが自然的な事故や病気、あるいは人間によるトリックでないとしたらどうだろうか。
我々の間、拝み屋、術師の間では周知の事実であるが、所謂オカルト的――心霊現象、怪異と呼ばれるものは確実に存在する。
怪異は、人の心から生まれる。
神も魔も、その延長線上にある。
断わっておくが、神仏はいない。いや――宗教者が語る、人の上位に存在する人を創り出したもう神、は存在しない。
しかし、人々が神や仏、魔でないかと呼ぶ自然の力、人の力は実在する。
それは現代社会では認知されず、物的証拠もないものだが。
そういった人の心が引き起こす怪異現象に相対し、解決するのが我々の仕事だ。
そして――この今回の「顔が曲がる死」は、それではないかと私は思った。
現時点では推測でしかないが、そのような気配を感じる。
顔が曲がる。
これは、いくつかの民話、民間伝承に記されている。
たとえば、富山県に伝わる立山杉の伝承だ。
源平の時代に平保昌が酒呑童子退治の際に使用した兜が特定の場所に埋められた際、その上に生えた立山杉に登ると、祟りで痙攣し顔が引きつって曲がってしまうという話がある。
その他にも各地に顔が曲がるという祟り、呪いの話がある。
東北に広く信仰されるオシラサマにまつわる伝承もそうだ。オシラサマを祀らない、あるいは二足四足の獣の肉を捧げる、食べるとした場合、顔が曲がってしまうという言い伝えだ。
確かに顔が曲がるというのは様々病気で説明がつく。
その病気を発症したがゆえに、わかりやすいその以上な症状から、神の祟りだ、呪いだと伝わるのだろう。
しかし、その病気の原因が呪い祟りである、という事もまた事実としてケースはあるのだ。
つまり、人が……呪術者が関わっている可能性を見るのか、と師匠は問うた。
現時点ではわかりません、と私は答える。
判断を下すには情報が不足している。故に、調査が必要だろう。
三人の被害者たちの状況、背景、共通点を洗わねばならないだろう。警察でも何でもない一介の拝み屋には荷が重いかもしれないが。
さて、現時点での整理。
被害者三名。厚楽良子、斉藤義彦、山村パターソン。
共通点として確認できているのは以下の通り。
一、全員、顔の変形による神経系の壊死で死亡。
二、全員、何らかの形で遠野と関わりがある。
三、全員の死体の傍らに、白い糸ないし白い蛾の目撃情報がある。
これらはインターネットで手に入る情報だ。そう考えると信憑性は低い。ゴシップだからだ。
だが、第三、いや死体の時間経過の状況から第一犠牲者の可能性も高い山村パターソンの死体を最初に発見したのが先生とその連れの夕海香里であることは、有力な裏付けとなる。
山村パターソンの死において、二人の証言から上記三項の全てが、少なくとも山村パターソンにおいては確認されていた。
先生が、山村パターソンの死体の傍らにあったオシラサマ人形を確認。そして取材でその人形の話をしていた。
顔が曲がる、オシラサマ。あまりにも明確な繋がりすぎて逆に意図を感じてしまうのは、考え過ぎだろうか。
そして白い糸、白い蛾。
白い蛾――蚕。
これもまた、遠野、オシラサマと密接な関りがあると言える。
やはり遠野――民話と伝説、妖怪の地。
そこに全ての答えがあると考えるのは早計だろうか。
糸。養蚕。
丁度安曇野にも養蚕センターはあったので、事前知識を得るためにも行ってみるのもよいかもしれない。
最後に、個人的な所感を記す。
先生はオカルトライターだ。書くことが仕事だ。
この件に関わることで、彼が何を書こうとしているのか。
それが正しい動機かどうかは、わからない。
しかし彼が「関わったからには引き返せない」と言った時の顔は、嘘をついている顔ではなかった。
それで十分だと、私は判断した。
警察でも何でもない一介の拝み屋には荷が重い。
しかし。
荷が重くとも、運ばなければならない荷というものは、ある。
以上、経過報告とする。
次の報告は、遠野より。




