第16話 おじいちゃん
翌朝、私たちは佐々木幸太郎の家を訪ねた。
上郷の山裾に、その家はあった。
古い農家だった。茅葺きではないが、築七十年は超えていそうな木造の家屋だ。庭の隅に小さな桑の木が数本、きちんと手入れされて並んでいた。
弥子ちゃんが玄関の前に立ち、声をかけた。
「幸太郎さん。弥子です。話を聞きたいというお客様をお連れしました」
しばらくして、引き戸が開いた。
七十代後半だろうか。背筋の伸びた、痩せた老人が立っていた。
日焼けした顔に深い皺。目が鋭かった。
いかにも気難しい頑固な、話の通じなさそうな老人、といったイメージを私は抱いた。
老人は弥子ちゃんを見た。それから私たちを見た。
「おじいちちゃん、だ」
「……………………………」
「おじいちゃん」
「…………………………………………………………幸太郎おじいちゃん」
「上がれ」
彼へのイメージが若干変化した。
◇
私たちは囲炉裏のある座敷に通された。
五月だというのに、山裾の朝はまだ肌寒かった。囲炉裏には火が入っていた。
私たちが腰を下ろすと、幸太郎氏は向かいに座った。
栗下刑事は少し離れた場所に、黙って腰を下ろした。聞くだけだという約束通り、手帳を出すそぶりも見せない。
もしかしたらこっそりとポケットの下で録音しているのかもしれないが、そんなふうに機会に詳しいようにも見えないし、仮にしていたところで……まあ咎める理由も無いだろう。
幸太郎氏はしばらく私たちをじっと見ていた。
それから弥子ちゃんを見た。
「……東京の人間か」
「はい。GWを利用して遠野に来られています。取材、だと」
弥子ちゃんが説明する。幸太郎氏は鼻を鳴らした。
「ふん。ただの観光、ただの記事の取材っていった感じじゃなさそうだがな。
何より……」
視線で栗下刑事を指す。
「前に来た警察官だ」
そうだ、栗下刑事は一度話を聞きに来たが追い返されたと言っていた。
このことに関して弥子ちゃんは……。
「ああ、あれは勝手について来たストーカーです」
想定の斜め上の返しをした。
「そうか。おい弥子、納屋から鉈持ってこい」
「はい」
「いやちょっと待て!?」
栗下刑事は悲鳴のような声を上げた。
そりゃ上げるか。
「冗談だ」
「冗談です」
二人は顔色を変えずに言う。
……。
この老人、私達が思っていたより変な人なのかもしれない。
「まあ、話を戻すが。お前、何か危険な事に首を突っ込んでるのか」
「……わかりません。危険なのか、それともただの偶然なのか。だから、確証が欲しいんです」
「連続変死事件、だったか」
幸太郎氏は息を吐く。
「そこまで知っているんですか」
「ああ、そこのストーカーから聞いた」
「だからストーカーじゃねよ爺さん」
「冗談だと言ってるだろう」
私の問いに彼は答えて言った。
「今の時代は医学の発達で昔より少なくなったけどな、それでも人は簡単に死ぬものだ。
病気、飢餓、事故……いちいち騒いでたらきりがねぇよ。
人が死ねば哀しい、残念だ。そして、良くも悪くもそこで終わりだ、終わりにするべきなんだよ。
やれ科学だやれ知る権利だ解明だ、そして呪いだ祟りだと、騒ぎ立てて犯人捜しして何になるってんだ」
幸太郎氏は言う。それは古い時代に生きた人間らしい、シビアな言葉だった。
栗下刑事はそれに対して反論したそうだったが、黙っていた。口を出さない、といった約束を守っているのだろう。
その代わりとばかりに、桐也が口を開いた。
「原因が見つかれば、対処できます。それが人為的なものでも、霊的な、超常現象的なものでも」
「……」
幸太郎氏は桐也を見た。
桐也は続ける。
「物事には全て因果律というものがあります。結果とは原因があるからこそ生じるもの。
“何もしていないのに壊れた”なんてことはないように、全てに原点があるのです。
それが呪いだろうと、そうでなかろうと」
「あんたは、呪いを信じてるのか」
幸太郎氏の問いに、
「いいえ。呪いや祟りは“在る”というのを“知って”います」
そう、よどみなく答えた。
「だからこそ、因果関係を調べたい。今回起きている連続変死事件が、何によるものなのかを。
それが解れば、あるいは――これ以上の被害を食い止められるかもしれない」
「……くだらん。正義感か」
「いいえ。知ってしまった故の、義務感や責任感……ですかね。それもありますが、自己防衛でもあります」
「自己防衛……?」
「ええ。現時点では推測、憶測の域を出ませんが。変死事件の犠牲者たちは、みんな遠野に関わっていた。そう、関わっていたんですよ。
つまり――今の俺達もまた、遠野に、この事件に関わってしまっている」
……。
それ、は。
考えていなかった事実だった。いや、考えようとしていなかった。。
つまり。
「俺達もまた、呪われるかもしれない。これが呪いであるとしたなら。
呪いには、感染呪詛というものがある。
聞いただけ、見ただけ、触れただけで感染してしまう、伝染病のような呪い。
つまり今回の場合、最悪のケースは……。
遠野に関わった者が次々と変死する呪い、というケースもある」
その言葉に、
「馬鹿馬鹿しい」
幸太郎氏は吐き捨てた。私も同感である。
いや――馬鹿馬鹿しい話であって欲しい。
「でもそれなら、なぜ私たちは生きているんですか?」
弥子ちゃんが言う。確かにそうだ。
「遠野に生きる人間には抗体がある、という考え方もある。
被害者は全員、遠野在住ではない、あるいは遠野の新参者だから。
まあここまでいくと呪い祟りというより新種の病原菌といったほうが説得力があるかもだけど。
それにあくまで最悪のケースです。
実際にはもっと条件があると思う。それを調べて突き止めないと、対策も対処も出来やしない。
そのために、話を聞きに来たんです」
「……つまり、自分が助かるためにか」
「はい。俺はこの先生に無理やり引きずり込まれた被害者ですので」
桐也はずけずけと言う。幸太郎氏の視線が私を刺し貫いた。
だけど、私は努めて平静に……その視線を受け止める。
しばらくして、幸太郎氏は深く息を吐き、佇まいを直した。
「……ここに来たって事は、オシラガ様の話か」
問いかけではなく、確認だった。
「はい」と私は答えた。「語り部の方に。そして博物館で、佐々木健之助さんの記録を」
幸太郎氏は黙った。
火が、静かに燃えていた。
「その記録に残っていることは、本当ですか」
私は聞いた。
幸太郎氏はしばらく間を置いた。
「……本当だ」
老人は短く言った。
「あの話に出てくる佐々木健之助は、俺の祖父だ。俺は孫に当たる」
彼の視線は、追憶の彼方を見ているようだった。
「祖父はな、最後の最後まであの話のことを悔いていた。
俺が初めてオシラガ様の話を聞いたと言った時、こう言ったよ。
俺は守れなかった、と。
祖父の涙を見たのはあの時だけだった」
「守れなかった……?」
それはどういうことだろう。
あの話は、祐介とまゆはマヨイガで結ばれて幸せにくらしましたどんどはれ、で終わる。
主人公とヒロインに酷い事をした村人たちは手痛いしっぺ返しをくらい、そして二人は別の世界で幸せになる。
ハッピーエンドに近い異種婚姻譚と言ってもいいものだ。
「守れなかったとは……ご家族ですか」
私は聞く。
自分だけを残して滅びた――死に絶えた佐々木家。
家族を、一族の者たちを守れなかった、自分だけ生き残った。自分だけが祐介とまゆに優しくしたから、独りだけ抜け駆けのように。
それを、悔いていたのだろうか。
ふと、遠野物語のザシキワラシの話を思い出す。
遠野の長者である山口家から、ザシキワラシが立ち去った。そしたら、そこの娘ひとりを除いた全員が一夜で死に絶えたという。
そして一人だけ残された娘は、孤独なままに死んだという。
怪異に見舞われて一人だけ生き残った孤独と恐怖と後悔はいかばかりのものか。
「さてな。死んだ者の気持ちは、わからん。ただ祖父は悔いていた、それだけだ」
しばらく、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が響いた。
「あの、幸太郎……おじいちゃんん」
弥子ちゃんが口を開いた。
「私も、聞いていいですか。小烏瀬家と佐々木家の縁について」
幸太郎氏は弥子ちゃんを見た。長い間、見ていた。
「……ただの仕事仲間だった間柄だ。養蚕の仕事を、弥子ちゃんの家――小烏瀬家が下請けで引き受けていた。その縁だ」
「それだけ……ですか」
「そうだ。祖父健之助と、そして小烏瀬の家の者。あの後たった生き残った二人だ、そりゃ面倒も見るってもんだろう、人情ってもんがあるなら当然の話だ」
それだけの当たり前の話だ。そう老人は言った。
だけど……。
「ん?」
そこで、香里がふと気づいたように声を上げる。
「あれあれ? それっておかしくないっすか?」
「おかしいって?」
私は香里に聞く。香里は言った。
「だって、記録でも物語でもこうありましたよね、佐々木家の人たちみんな死んだって……」
……。
それ、は。
「えっとちょっと待ってください。ほら、レコーダーに記録残ってます」
香里はICレコーダーの再生ボタンを押した。
伝承園での老婆の語りが流れて来る。
『――佐々木家の者たちも、そこで働いてた者たちもみんな妙な死に方したって聞ぐ』
……確かに、これは。
そこで働いてた者たちも……そう確かに語り部の老婆は言っていた。
「博物館の前沢さんも――」
『当主以下の家族、そして従業員や下請けの業者が相次いで変死したとあります』
レコーダーから響く取材時の録音音声。
「確かに。死んだのは佐々木家だけでなま、そこで働いていた人たちもだと――」
その時だった。
幸太郎氏が立ち上がり、言った。
「……帰ってくれ」
突然の言葉に、香里が「え」と声を上げた。
「幸太郎さん」と私は言った。
「帰ってくれ」
老人は繰り返した。声は静かだったが、揺るぎがなかった。
「俺は、知らん。これ以上は話せん」
「でも――」
「帰ってくれ」
三度目だった。
桐也が私の腕に触れた。首を横に振った。
――ここまでのようだった。
◇
玄関を出ると、五月の風が吹いていた。
春風のはずが妙に寒いのは、東北だからだろうか。それとも――。
誰も喋らなかった。
弥子ちゃんだけが、玄関の前に少し留まっていた。振り返って、閉じた引き戸を見ていた。
帰り道、栗下刑事が私の隣に来た。
「頑固な老人だな」
「そうですね」
「だが」
栗下は山の方を見た。
「話す気はある。そういう目をしていた。ただ、まだ決めかねている」
「そう見えましたか」
「長年人を見てきた勘だ。信用してくれ」
私は頷いた。
「俺にもそう見えました。なら後は根気ですね。取材の鉄則です」
「捜査の鉄則でもある。あの爺さんは何かを知ってる――それが直接関係してるのかどうかは知らんがな」
「……はい」
私はそう言いながら、しかしひとつの事に引っかかっていた。
幸太郎老人の事ではない。いや、それもある。あるが――
“遠野に関わった者が次々と変死する呪い、というケースもある”
桐也の言葉。その何気ない一言。
話を円滑に進めるための言葉だろう。そうに違いない。
だけどもし――本当にもし、そうだったとしたら――?
「……」
私は知らず知らずのうちに、自分の顔に触れていた。
まだ、曲がっては――いない。




