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「住まわせてやっている」と蔑む義父母へ。家政婦扱いの私が静かに『生活台帳』を開いた日  作者: jnkjnk


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第三話 親族会議と『生活台帳』の開示

法事当日の朝は、目の回るような忙しさで幕を開けた。

初夏の湿った空気がまだ冷たさを残している早朝五時。私はすでにキッチンに立ち、親戚たちに出す茶菓子の準備やお茶のセット、そしてお坊さんへのお布施の確認を行っていた。

昨夜、亮介との会話のあと、ほとんど眠れなかった。けれど不思議と眠気はない。頭の芯が冷たく冴え渡り、体だけが自動人形のように的確に動いている感覚だった。


午前十時。自宅の広い仏間に、喪服に身を包んだ親戚たちが集まり始めた。

本家の伯父である健一郎さんとその奥様、義母の妹夫婦、そして義姉の真由美一家。総勢十八名。

義父の耕造は、ここぞとばかりに家長としての威厳を振りかざし、上座に座ってふんぞり返っている。義母の悦子もまた、新しい黒留袖に身を包み、甲斐甲斐しく客人の相手をしていた――もちろん、口先だけで。


「いやあ、よく来てくれました。どうぞどうぞ、狭いところですが」

「あらお義姉さん、お久しぶりです。元気そうで何よりだわ」


玄関先で挨拶を交わす義父母の横を、私はお茶の入った盆を持ってすり抜ける。

靴を揃え、荷物を預かり、座布団を運び、冷房の温度を調節する。そのすべてを一人でこなす私を見て、本家の伯父様が声をかけてくれた。


「里美さん、精が出るね。あまり無理しないように」

「ありがとうございます。大丈夫です」


私が微笑んで答えると、すかさず義母が横から割って入った。


「あらお義兄さん、そんなに甘やかさないでくださいよ。この子は普段、家でゴロゴロしてるんですから、こういう時くらい働かせないと罰が当たります」


伯父様の眉がピクリと動いたのを私は見逃さなかったが、法要の直前ということもあり、その場は静かに流れた。

お経が読まれている間も、私は末席に座りながら、台所の火の始末や仕出し弁当の到着時間の確認に気を配っていた。

線香の煙が漂う中、義父母の背中を見つめる。

その背中は、自分たちがこの家の「主」であり、絶対的な権力者であると信じて疑わない傲慢さに満ちていた。

(あと数時間よ。その勘違いも)

私は数珠を握りしめ、静かに目を閉じた。祈っていたのは故人の冥福ではなく、これから始まる断罪の儀式の成功だった。


正午を回り、法要が無事に終了すると、場所を隣の続き間の座敷に移して食事会が始まった。

テーブルには、私が手配した『料亭・松風』の特上会席膳がずらりと並んでいる。

蓋を開けた瞬間、親戚たちから「おお」と感嘆の声が上がった。

伊勢海老の黄金焼き、黒毛和牛のしぐれ煮、季節の炊き合わせ。彩り鮮やかで豪華な料理の数々に、場の空気が一気に華やぐ。


「こりゃすごい。耕造さん、奮発したねえ」


親戚の一人がビールを注ぎながら言うと、義父は満更でもない顔で鼻をこすった。


「まあね。親父の七回忌だし、恥ずかしい真似はできんからな。これでも一番いいコースを頼んだんだよ」

「さすがだねえ。やっぱり退職金でローンを完済した余裕がある家は違うな」


その言葉に、義母も扇子で口元を隠しながら高笑いする。


「ほほほ。まあ、うちは息子夫婦と同居してますけど、家計は全部私たちが支えてるようなものですから。若い夫婦はお金がなくて大変でしょう? だから私たちがドーンと構えてやってるんですよ」


嘘だ。

息を吐くように嘘をつく。

私は配膳の手を止めず、心の中で冷笑した。この会席膳、一人前八千円×二十人分。飲み物代を含めて約二十万円。そのすべてが今朝、私の口座から引き落とされたばかりだというのに。


「へえ、里美さんは幸せだねえ。こんな立派な義父母に守ってもらって」


事情を知らない親戚の叔母様が、私に同意を求めてくる。

私は「ええ、本当に」と曖昧に笑って、夫の亮介の隣に腰を下ろした。

亮介は膝の上で拳を握りしめ、顔面蒼白で俯いている。彼は知っているのだ。この豪華な食事が、妻の血と汗の結晶であることを。そして、両親がそれを我が物顔で自慢しているグロテスクさを。


宴もたけなわになり、酒が回ってきた頃、義姉の真由美が大きな声で話し始めた。


「でもさー、うちのお母さんも大変なのよ。ねえお母さん?」

「そうよぉ。里美さんがね、なかなか家事を覚えないものだから。私が手取り足取り教えてるんだけど、まあ不器用で。それに、やっぱり食費がかさむのよねえ。大人一人増えるだけで、家計への負担がすごくて」


義母は大げさにため息をついて見せた。


「同居させてやってるんだから、少しは感謝してほしいんだけどね。光熱費だってバカにならないし。里美さんは一日中家にいてパソコンばかり見てるから、電気代がすごいのよ」


親戚たちの視線が、一斉に私に集まる。

「居候」「金食い虫」「感謝知らず」。そんなレッテルが貼られていくのが肌で感じられた。

本家の伯父様が、不愉快そうに箸を置いた。


「おい、耕造、悦子さん。酒の席とはいえ、嫁の悪口はその辺にしておけ。里美さんがよく働いているのは見れば分かる」

「あらお義兄さん、これは悪口じゃなくて事実なんです。私たちも苦労してるって話を聞いて欲しくて」

「そうそう。里美さん、この料理だって自分じゃ絶対払えないでしょ? お父さんに感謝しなさいよ」


真由美が追撃する。

その瞬間、隣で震えていた亮介が「……う」と呻くような声を漏らした。

私はテーブルの下で彼の手をそっと握り、制した。

(まだよ。亮介さん、まだ動かないで)

彼が爆発して感情的に怒鳴っても、ただの親子喧嘩として処理されてしまう。それでは意味がない。

もっと冷徹に、もっと客観的に、逃げ場のない事実として突きつけなければならない。


私はゆっくりと立ち上がった。

場の空気が少し揺らぐ。

私は部屋の隅に置いてあった通勤用の鞄から、一冊の分厚いA4ファイルを取り出した。黒い表紙の、何てことのない事務用ファイルだ。

けれど、その中身はこの場の誰よりも重い。


「お義父さん、お義母さん。そしてお義姉さん」


私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていて、よく通った。

ざわめきが静まり、全員が私を見る。


「先ほどから、私がこの家に『住まわせてもらっている』、そして『経済的に依存している』というお話が出ていますが……少し、認識の齟齬があるようですので、訂正させていただいてもよろしいでしょうか」

「はあ? 何よ急に。あーあ、酔っ払った? 里美さんお酒飲めないのに」


真由美が馬鹿にしたように笑う。義母も不快そうに眉をひそめた。


「里美さん、親戚の皆さんの前で恥ずかしいわよ。座りなさい」

「いいえ、座りません。……伯父様、少しお時間をいただけますか?」


私は真っ直ぐに本家の伯父様を見つめた。伯父様は私の目にある決意を読み取ったのか、重々しく頷いた。


「……話してみなさい」


許可を得た私は、ファイルをテーブルの中央、義父の目の前に置いた。

バサリ、という音が、静まり返った座敷に響く。


「これは、私がこの家に嫁いでからの二年間、すべての家計の収支を記録した『生活台帳』です」


私は表紙を開いた。

最初に出てくるのは、サマリー(総括)のグラフだ。

赤色が「義父母の負担額」、青色が「牧村里美の負担額」。

一目で分かる。円グラフの八割以上が青色で占められていることが。


「な、なんだこれは……」


義父が老眼鏡をかけ直し、グラフを覗き込む。


「ご覧の通りです。この二年間、食費、光熱費、通信費、固定資産税、そして家の修繕積立金。そのすべてにおいて、私の負担額が八割を超えています。具体的にお話ししますと、お義父さんたちが負担しているのは、月々わずか三万円の食費補助のみです」


親戚たちから「えっ」と驚きの声が漏れる。


「そんな馬鹿な! わしは退職金を……!」

「退職金は、お義母さんの借金返済と、以前のリフォームローンの残債で消えましたよね? その明細も、次のページに添付してあります」


私は容赦なくページをめくる。

銀行の入出金記録のコピー。義母のカードローンの完済証明書。

義母の顔色が土気色に変わっていく。


「ちょ、ちょっとやめてよ! 何よこれ、プライバシーの侵害じゃない!」

「家族間で『住まわせてやっている』と恩を着せるなら、その根拠となる数字も共有すべきですよね。……次をご覧ください。これは光熱費の推移です」


さらにページをめくる。

電気、ガス、水道の領収書が綺麗にファイリングされている。引き落とし口座の名義はすべて『マキムラ サトミ』。


「『私が家にいてパソコンを使っているから電気代が高い』とおっしゃいましたが、私の仕事部屋には個別の電気メーターを設置して計測しています。家全体の電気代のうち、私の業務使用分はわずか5%。残りの95%は、一日中つけっぱなしのリビングのエアコンとテレビ、そしてお義姉さんが週末に来て使う洗濯乾燥機とお風呂によるものです」

「な……」


真由美が口をパクパクさせている。


「そして、本日の法事の費用です」


私は最新のページを開いた。

そこには、今朝の日付が入った四十二万八千円の領収書が貼られている。宛名は私だ。


「このお料理、引き出物、お花代。すべて私が支払いました。お義母さんには『嫁が出すのが当然だ』と言われましたので。……つまり、皆様が今召し上がっているこのお食事は、義父母からの振る舞いではなく、私個人からの提供ということになります」


シーンと、座敷が凍りついたように静まり返った。

箸を動かしている人はもう誰もいない。

親戚たちは、驚愕と軽蔑の入り混じった目で義父母を見ている。

「立派な家計」を自慢していた義父の顔は真っ赤になり、義母は震えながら下を向いている。


「で、でもっ! 家賃よ! 家賃はどうなってるの! ここに住む権利はタダじゃないでしょ!」


義母が最後の悪あがきのように叫んだ。


「ええ、計算しました。この地域の同条件の物件の家賃相場と、私が提供した家事労働の対価を」


私は最後のページを開いた。

そこには、『家事労働対価算出表』があった。

家事代行サービスの平均時給をベースに、私が担ってきた家事時間を掛け合わせた金額。

そこから、想定される家賃を差し引いた「差引残高」。


「家賃を差し引いても、お義父さんたちは私に対して、二年間で約四百万円の『未払い労働賃金』がある計算になります。つまり、私がタダで住ませてもらっているのではなく、私が皆様を『養って差し上げていた』というのが、数字上の事実です」


決定的な一言だった。

「養って差し上げていた」。

その言葉の重みが、義父母のプライドを粉々に砕いた。


バン! とテーブルを叩く音がした。

本家の伯父様だ。鬼のような形相で立ち上がっている。


「耕造! 悦子! ……これはどういうことだ!」


雷のような怒声が響き渡った。

義父が「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げる。


「わしらに『老後は安泰だ』『嫁ができて楽になった』と自慢しておきながら、実態は嫁さんに寄生して生きとったのか! しかも、法事の金まで出させて、それを自分の手柄にするとは……恥を知れ! 牧村家の恥晒しが!」

「ち、違うんだ兄さん、これは何かの間違いで……」

「何が間違いだ! この領収書が嘘だと言うのか!」


伯父様は私のファイルを掴み、義父の顔の前に突きつけた。

もう言い逃れはできない。数字は嘘をつかないからだ。


「真由美ちゃんもだ! いい歳をして実家にパラサイトして、弟の嫁さんをいびり倒して……恥ずかしくないのかね!」


飛び火した真由美も、「だって……」と言葉を詰まらせて縮こまる。


私は静かに息を吐き、ストンと椅子に座り直した。

隣を見ると、亮介が涙目で私を見ていた。

彼は震える声で、しかしはっきりと口を開いた。


「……伯父さんの言う通りです。俺も、情けないことに見て見ぬふりをしていました。母さんたちの言い分を鵜呑みにして、里美に全部押し付けて……。この記録は、全部本当です」


夫の証言が、最後のダメ押しとなった。

親戚中から注がれる冷ややかな視線。

「信じられない」「最低だわ」「あれだけ威張っておいて」というヒソヒソ話が、四方八方から聞こえてくる。


義母は顔を覆って泣き出し、義父は魂が抜けたように呆然としている。

真由美は子供たちの陰に隠れるようにして気配を消していた。


私はテーブルの上の『生活台帳』をゆっくりと閉じた。

黒いファイルが、まるで死刑執行書のようにも、あるいは私への解放許可証のようにも見えた。

胸の中にあった重い鉛のような塊が、すうっと溶けていくのを感じる。

これが「ざまぁ」という感情なのだろうか。いや、そんな下世話な興奮ではない。

もっと静かで、透き通るような納得感。

積み上げてきた事実が、正しく評価されたという安堵感。


「お義父さん、お義母さん」


私は泣き崩れる義母と、固まっている義父に優しく、しかし冷酷に告げた。


「この台帳は、差し上げます。今後の生活の参考にしてくださいね」


法事の席は、完全にお通夜のような雰囲気になってしまった。

けれど、私の心はこれ以上ないほど晴れやかだった。

窓の外では、いつの間にか雨が上がり、雲の切れ間から強い日差しが差し込んでいる。

夏が来る。

私にとっての、本当の自由な夏が。


私は冷めたお茶を一口飲み、その苦味さえも美味しく感じた。

さあ、あとは仕上げだ。

この家との関係を、物理的にも清算する時が来たのだ。

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