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最後の晩餐は、ケイティが仕事を休んで沢山のご馳走を作った。

今度こそ本当に、最大限の御礼の気持ちを込めて、洋食屋の主人から作り方を教わった香ばしくてジュワっと肉汁が溢れるハンバーグや貝の旨味が効いたスープ、スモークした魚のサラダに揚げ物や、庭で採れたばかりの野菜に特製のディップ、いつものパン屋で買った高い値段の方の硬いパンにニンニクとバターを塗りこんで焼いたり、アンの為にとたっぷりジャムを載せてやったり。


「ケーキも焼いてみたの」

さぁ、どうぞ食べてください、とケイティが気恥ずかし気に言った。

三人がキラキラした目で食卓を見て、大きな声で乾杯して食事が始まる。

「始めは疑ったりしてしまったけど、ネロは本当に元気になって…本当に本当に感謝しています」

改めて涙目で頭を下げるケイティに、みんな複雑な気持ちでブンブンと頭を振った。

「ケイティはレンにそこまで感謝しなくても良いんだよ。それよりアイデンがケイティに謝るのがほんとなんだから!」

「だってよ?アイデン。ママに謝る?」

ネロが黒い靄に向かって尋ねた。

「うっ…ママ、今は大丈夫かな」

いつ巨大な恐ろしい蛇が顔を出すのではないかとビクついて断るケイティの背中を、おかしそうにレンブラントが撫でる。

「ケイティ、アイデンはネロと一体だ。生涯の付き合いになる。早く慣れた方が良い」

「はぁ。もっと可愛い顔にならないのかしら」

夢に出てきそう、と真面目に眉をしかめるのでネロもケタケタと笑った。

「今度はお化粧して出てくるって言ってるよ」

「お化粧なんて出来るの」

「余計に怖そうな気もするなぁ」

レンブラントの言葉にケイティが確かにと笑顔を見せる。


大人の二人が密やかに笑い合う様子に、何百年、何千年と生きてきたかのような十歳のネロは目を細める。

「今日は最後の夜だよ!アン、僕の部屋で一緒に遊びまくって寝よう」

「んふ!賛成!!」

「ほどほどにね。ネロは明日から学校なんだから」

「はぁい!」


四人は暮らしたひと月と少しの日々を振り返り、楽しかった思い出を語った。アンが作った異国の珍妙な料理に始まってアイデンの凶悪顔やネロの修行の日々、レンブラントが美しいと病院で噂になっていることなど、話は尽きない。

「父さんもアンもずーっと居ればいいのに!」

「お前はどの道、俺たちと繋がっているんだからどこに居ようが変わりはない」

「まぁね」

あっけらかんとした息子の様子に、ケイティは初めて理解する。お別れというのにネロから全くしんみりさが感じられず、少し不思議だったのだ。

「繋がっているって、離れても話が出来るの?」

「出来るよ!弱い魔物は意思疎通が難しいけど、強ければ強いほどお話しやすい」

「ふぅ~ん」

「だけどぉ、装置に入ったらレンもアンもお話出来なくなるからね?」

「装置?何それ」

アンがジャムの付いたパンを頬張りながらネロの質問に答える。

「元から、僕は装置のパーツなの。ず~っと昔に、レンが親友との願いを叶える為に僕達九人のパーツと装置のからくりを作ったんだ。もう完成なんだよ。ね」

レンブラントがケイティの横で得意げな顔で頷いた。

「そうだ!もうネイフンが体力の付いた状態になれば装置を動かせる。まぁ、もう少しかかるだろうけどな」

「なんかカッコいい!!つまり皆で一つの装置を動かすんだね!?」

「そう言われると確かにカッコいい気がしてくるな」

満更でもない顔でレンブラントがアンを見遣る。

「装置に入ったら寝ちゃうんだ。だからお話は出来ないんだよ?」

「うんうん!!わかった!!」

まったくわかっていないネロの無邪気な様子に、レンブラントもホッとして食事を続けた。



食後にワインを飲みながら、アンとネロが二階でバタバタと遊びまわる音を音楽にして大人の二人は大きなソファで寛いだ。

「デザートのケーキまで本当にうまかった!!」

「良かったです」

「ケイティは料理が上手だな。何度も食べさせてもらったけど、どれも美味しかった」

「レンブラントさんのカレーも相当美味しかったですよ。レシピ通りに作って、私も同じように仕上がるかしら」

「きっと俺より上手だよ。心配?」

「だってあんなに沢山のスパイス間違えそうで」

レンブラントはケイティの細い手を取り、手の甲に口付ける。

「これで君は二度と料理を失敗しなくなる」

「……本当に?」

「ああ。魔法をかけておいた」

「ふふふ」


信じていないケイティが愉快そうに笑う。

「レンブラントさんと出会えて、良かった!」

「料理を失敗しなくなったから?」

「違います!もちろん一番はネロのことだけど…あなたが来てから私、笑うことが多かったな、って。ネロと二人の時も笑っていなかったわけじゃないけれど。レンブラントさんとアンのおかげで、すごく昔の…小さい頃の自分を思い出しました」

友達と木登りをして、駆けっこをして、裕福な家ではなかったけれど、多くの兄弟姉妹と毎日遊んだ小さな自分は案外と身軽で明るく快活だったのだ。そんなことも忘れてしまうくらいに、十六歳から人生が変わってしまった。

「急に、身体が軽くなったみたいな気持ちになれたんです」


本当は、大好きだとレンブラントに言えたら良かった。

この気持ちがどういうものなのか、ケイティ自身にもよくわからないけれど、ネロと同じように、このまま傍にずーっと居て欲しいと心から思う。送り迎えをしてほしいとか、ご飯を作って待っていてくれとか、そういうのではなく。

だけど、授かった覚えのない子を宿すなど、自分は変で気持ちが悪い。これから離れると分かっている相手にこの気持ちを伝えても困らせるだけだ。それに尽きた。

だからケイティは言える限りの感謝を述べる。


「ありがとう、レンブラントさん。あなたに会えて人生が変わった。ネロを産めたことに後悔なんて勿論一ミリもなかったけど、やっぱりどこかで自分の人生が中断していて、このままネロを失くしてしまったらどうしようって、そればっかり考えていた時期もあった。自分はどうでも良かった。だけど、あなたがネロを治してくれて、あんな総菜パンひとつにこんな家や、食事や、送迎や…何より私とたくさん話をしてくれた。男の人と手を繋いで歩くなんて経験が、自分の身に起こるなんて思いもしていなかった。なんでもまだ、これからなのかもしれない、って思えた。本当に、本当に私は運が良かった」

「………」


四百年近く生きてきて、こんなに感謝されたのは初めてだった。レンブラントは戸惑い、受け止めきれない眩しい気持ちに瞳を瞬かせる。


「ケイティ…」

「はい?」

「アンに」

「アン?」

「うん…アンにするみたいに、抱きしめて、頬にキスをしてくれないか」


こちらを見ずに俯き加減で言うレンブラントは、小さな子供のように見えた。

ケイティは両手を伸ばして、ネロにそうするように、レンブラントの頭を胸の中に抱き寄せる。レンブラントは温かい腕に包まれて、群青の瞳を閉じた。ケイティはレンブラントの髪を撫でてやる。


しばらく二人はじっとした後、ケイティが男の頬に唇を落とした。


「ケイティ」

そのままレンブラントが身を起こし、折れてしまいそうなケイティのうなじを包む。

二人は群青の瞳の中にいる自分を、淡いグレイの瞳の中にいる自分を見つける。


ゆっくりと互いに顔を寄せて、目を瞑ると静かに唇同士が触れた。


すぐに離れてレンブラントがケイティの顔を覗き込んだ。グレイの瞳は穏やかな色をしていたので、レンブラントはホッとして温かくて可愛い人をギュッと抱き込む。


胸の中に抱いていたはずが、広い胸に抱かれている。

少し気恥ずかしい気持ちを誤魔化すように、ケイティの指が目の前の鎖骨をなぞる。


どちらからともなく再び口付けては見つめ合い、また口付けて目を瞑る。掠める様な口付けを繰り返しているうち、それぞれの胸に生まれて初めて抱く気持ちが溢れてくる。


「ケイティはこの世で一番、可愛いな」

「ふふ。この世で一番が好きですね」

「本当のことだ…俺は…永遠に君とネロの幸せを一番に願う」

「ありがとう」


離したくないなぁ、とレンブラントはこっそり思う。

ケイティはずっと腕の中に入っていたいと思ったけれど、気が付かないふりをする。


ふたりはそのまま深い眠りに落ちていった。



****


病院の医師や看護師から『元気がないね』と言われる日々がしばらく続いたが、息子は快活に学校へ行って大勢の友達を作っていたし、レンブラントが残した家や食糧庫のおかげで随分と楽になったまま生活は余力を残していた。

かつて教会から借りた金も返済を終え、前途は洋々であるかに見えた。


しかし、ある日洋食屋の主人から突然解雇を言い渡された。

「済まない、ケイティ!!本当に…だけどやっぱり、何回計算しても、もう来月から人件費が出せなくなるんだ」

この所、度重なる税金の値上がりで、みな財布の紐がきつくなり、ランチタイムも半分の客入りだったのだ。いつかこんな日が来るんじゃないかとケイティは予感していた。

「予想はしていました。逆に、今月まで雇ってくださったことに感謝しています。きっと私を雇っていたから、かなり売り上げが減っていたのではないですか?」

「ケイティは長い付き合いなんだ…ネロのこともあったし。だけどもうすっかり良くなったと言うし…だからと言ってこちらの事情ばかりを押し付けるのも違うのは分かっているんだが」

申し訳なさそうに俯く主人の背を撫でて、奥さんがケイティを涙目で見る。

「もう一つの仕事の方は大丈夫かしら」

「ご心配ありがとうございます!そちらはクビになってませんし、大丈夫です!ネロも心配が要らないので、何とかなると思います」

明るく言って、受け入れるしかなかった。


常連達は別れを惜しんでくれたし、ひとまずは予定通りに月末までの仕事を勤め上げ、最後にサムから小さな白い花束を貰って店を出る。


「ケイティ、ケイティも来週のデモ集会に参加するんだろう?」

「はい、病院はデモの中心機関なので、従業員は全員参加です」


サムが横を歩きながら尋ねてくる。

囁かれていた医療費の値上げ話は実際の所もっと上がることが分かり、医師会全体が王都に向かって抗議活動のデモ行進をすることになっていた。

「始めは病院だけだったが、どうも商工会も参加する流れになってきた。医療費は病院だけの話じゃない。他にも有志が増えてきてる。俺も工場から参加するんだ」

「まぁ、そうなのですね…すごい人数になりそうですね」

「ああ。その日は恐らく国中から王都へ人が集まる。もう皆生活に疲れ切っているんだ。大きな声じゃ言えないが、デモ活動の方針はだんだん反政府運動に傾いていっているよ。王制をやめろという声が大きくなっていっているんだ」

「この間、病院でもチラシを渡されました。マウリッツを辞めさせろと書いたチラシ」

「しー!静かに…どこに人の目があるかわからない」

慌てたようにサムが人差し指を立てる。

「もう皆、誰かが不平等な扱いを受けるのにも我慢できないんだ。独立する州は好きにさせたらいい」

「それはそう、私もそう思います。デモ自体に異論はありません」

二人ともが頷き合った。

イグリアスでは長らく同じ一族が王制を敷いていて、小さな反発はこれまでもあったが、大抵は大きな火種にならなかった。それは偏に不平等な条約を押し付けられている多くの州が存在していたからだ。『あそこに比べればマシだ』と言うのは役人達の常套句だった。だけどもう、それ自体皆嫌気がさしているのだ。求めているのはそういうことじゃない。


「だけど、ケイティはなるべく行かない方が良い」

「なぜですか?」

「ネロがいるだろう?家で一人になる。行進は王都までを予定しているけど、あんなの絶対に何かの回答が得られるまで座り込みをするよ」

「座り込み?いつまで?そういうものなのですか?」

「今回は切羽詰まっている。ただのデモンストレーションじゃないと知らしめたい空気が強いから。ただ大声を出して帰ったんじゃ、大人数が出向く意味が無い」


なるほど、そういわれるとそうか。

「う~ん…ですが、私の働き先はもう病院だけになりましたから。ネロには事情をよく話しておきますし、今の状況だと私もますます失業の確率があがります。だから、今回は参加しないと、って思っているんです」

「そうか…わかった。念の為、会社の名前を教えておくよ。向こうで何か困ったら、探してくれ」

「サムさん!どうもありがとうございます」

サムはその場で会社の名前を書いた紙を手帳から破り、ケイティの手の中に押し込んだ。

「もう少し…もう少し世情が落ち着いたら、二人で食事をしないか?あ、返事は今じゃなくていい!また、君の病院へ行くから」


びっくりしているケイティに少し笑いかけて、ひょろりと背の高い男は去っていく。


「見~ちゃった!」

「きゃあ」

後ろから現れたネロが突然声をかけてくる。

「へー、ママが人からモテてるね」

「どういう意味よ」


本人には見えていないけど、ケイティの周囲には大体遠巻きに見つめている小さな魔物がうようよいるのだ。もちろん最早相当な大物だって近寄れないのだが。


「今日までお勤めご苦労様!!ありがとうママ」

「ネロ」

労ってくれる息子に感動して、頭を撫でる。

「ネロも送迎ありがとう」

「ん。父さんの代わりだからね」

「ふふ」



あの夜、最初で最後に口付けた美しい男を思い出してケイティは微笑む。

ネロの登校初日でレンブラントとアンが帰って行った朝、どうしてもさよならが言えなかった。子供みたいに淋しくて、それぞれと軽くハグをした後に、またねと軽やかに別れることしか出来なかった。

「レンブラントさんは元気?」

「元気そうだよ。この間、夢の中でアンと遊んでたら父さんも来た」

「なぁに、それ!そんなことしてるの、あなたたち」

「ひひ。良いでしょ?でもアイデンとイーサンも一緒」

「…まぁタノシソウ…」

「父さんが気にしてた。常連客がママにどんな花束を贈ろうかずっと考えてるのが気に入らないって」

二人でケイティの手の中にある花束を見て笑う。

「綺麗だったっておしえてあげて」

「家じゅう花だらけになるよ」


話している間、ごく自然にネロがケイティの腕を引いて公園に入ると、もう家の中だった。

「うわ!もう凄腕ね」

「自然でしょ?こういうのは多分、世間知らずの父さんより僕の方が上手」

「じゃあ、凄いついでにお願いなんだけど…来週のデモ行進の日、もしかすると王都で座り込みというのがあるかもしれないから、そうなったら帰って来れないかもしれないの。ネロ、一人で家にいられるかしら?」

「おやすいごようだよ。アイデンもいるし、一人じゃないから」

何千年もの記憶を持つのだ、既に中身も十歳ではない。ネロはなんてことなさそうに返事をする。


「だけどママ…気を付けて」

「何を?」

「ここの所、人の悪い気が王都に向かって集まっていってる。そういう悪い場所に行くと、悪いことが起こりやすい」

窓の外から見える王都の方角には黒い靄が引き寄せられるように集まっているのが見て取れた。人々の黒い気持ちが靄を呼び、その矛先は王城へと向かっている。

「そうなの?」

息子は人じゃない部分があるというので、何か感じる所があるのだろう。窓から空を眺める顔は表情の抜け落ちたような、どこか知らない顔に見えた。ケイティは納得して、心得たと返事をする。


ネロはその声に振り返る。母にはレンブラントが施した馬鹿みたいに大袈裟な何層もの護りが付いているので、悪い気が集まって魔物が呼び寄せられていても何ら問題はない。悪意があってケイティを害そうとする何かがあれば、いち早く反応して護られるのだから。

だけどこの所、異様に渦を巻く王都の方角に向けた空はアイデンでさえ尻込みしていた。ネロも心は惹かれない。母にこのタイミングで行ってほしくはなかった。


「何かあったら、僕を呼んでね」

「サムさんと言いネロと言い、私の周りは心配性ね」


肩をすくめ、ケイティが返す。


それから翌週になってデモ行進の日が訪れ、ケイティは夜が明けきらぬ中、王都に向けて出発した。



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