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BAD Brains

―――日本国、首都 東京

―――元帥官邸、通称、漆黒邸


東京の空を遮るようにそびえるその建造物は、官邸というよりも、攻撃的要塞そのものだった。

日本政治の中枢にして軍事力の頂点。

外壁のすべては、光を一切反射しない特殊な魔導複合合金の「黒色」で統一されている。

装飾や流線型といった軟弱な合理性を一切排除したそのフォルムは、極厚の装甲板を幾重にも噛み合わせた、まさに巨大な黒鉄の要塞そのものであった。城壁のように強固な垂直のラインで構成されたその外観は、いかなる打撃をも跳ね返し、逆に敵を粉砕せんとする圧倒的な質量感と、質実剛健な武威を放っていた。

近代科学の防空システムと、世救(ぜく)が施した超高密度の防護魔導陣が幾重にも張り巡らされたその黒き城塞は、そこが存在するだけで周囲の気温を数度下げているかのような、冷徹な威圧感で首都を支配していた。


重厚な黒鉄の門衛を抜け、一歩邸内へと足を踏み入れた者がまず息を呑むのは、その足元に広がる光景である。


エントランスから果てしなく続く廊下には、網膜を刺すような、禍々しい「緋色の絨毯」が隙間なく敷き詰められていた。

それは単なる赤ではない。異世界人の身体から流れる、ドス黒く淀んだ「血」そのものを表現した色彩だった。


この官邸の基本コンセプトは【異世界人の血を踏みにじる】こと。

救世の命によって設えられたその絨毯は、軍靴で踏みしめるたびに、まるで犠牲となった異世界人の怨嗟の声が吸い込まれていくかのような錯覚を覚えさせる。この官邸を歩くすべての者は、意識せずとも、救世の絶対的な復讐心を踏み締めながら進むことを強制されるのだ。


全三階建ての構造を持つの二階。

そこは国家の最高軍事機密と、対異世界戦略のすべてが決定される中枢階層である。

その最奥に位置する「元帥執務室」の前へとたどり着いた者は、その扉の前に立ち尽くし、冷や汗を流すことになる。


高さ四メートルに及ぶ漆黒の両開きの扉。

なんの彫刻も施されていない頑丈なだけのその扉は、外からの侵入者を阻むと言うよりも、内側から溢れ出る怒気を封じ込めるために存在しているのではないかと思えるほどの重々しさを感じさせる。

そして、触れずとも内側から漏れ出る圧倒的な魔力の残滓によって、空気そのものをガタガタと震えているようだ。

重厚な扉が、音もなく左右へと開く。

一歩中に足を踏み入れた瞬間、来訪者は正面の壁に掲げられた巨大な絵画に、文字通り息を呑み、ぎょっとすることになる。


執務室の正面奥、壁一面を占めるその絵画のモチーフは、凄惨極まる一幅の地獄絵図だった。


―――地獄の業火に半身を焼かれながら、罪人に鉄槌を下す鬼


画面の半分を占める、天を突くような朱色の炎。その中で、己の肉体をも焼き焦がしながら、慈悲を乞う罪人たちの頭を巨大な金棒で容赦なく叩き潰す鬼の姿。その鬼の形相は、激しい怒りではなく、どこか冷徹な「義務」を遂行しているかのような無表情さであり、それがかえって見る者の背筋を凍らせた。


そして、その禍々しい絵画の真手前。

まるで絵画の中の鬼の影が具現化したかのように、黒漆の石を削り出して作られた巨大な机が置かれている。


「――入れ」


低く、抑揚のない声が室内に響く。


机の向こう側、深く沈み込むような黒革の椅子に腰掛けていたのは、日本国家元帥・世救勇だった。

仕立ての良い漆黒の軍服に身を包んだ彼は、肘掛けに肘を乗せ、胸の前で手を組んでいる。

その髪の毛は漂白されたように白いが、その容姿は思いの外若い。国家元首と言うよりかは駆け出しの社会人のような爽やかな印象を与えるその容姿は淡麗だ。

ニコリとでも微笑みを浮かべれば、大抵の異性は悪い気がしないだろう。しかし、彼が笑顔になる時、その表情を目撃したものは皆、背筋を凍らせることになる。

首筋には異世界人による人体実験の痕跡である傷跡がのぞいていた。その傷跡は傷跡と言うよりは少数民族に伝わる伝統的なタトゥーのような規則性を持っており、齢58の彼が異常なほどに若く見える原因の一つでもあった。

最近、研究が活発な刻印魔術の分野も、彼の傷跡にヒントを得て研究が本格化したとも言われているが、定かではない。



彼の油断を知らない鋭い眼光が、机越しにこちらを真っ直ぐに捉える。


背後の絵画に描かれた「鬼」と、目の前に座る「元帥」の姿が、来訪者の脳内で完全に重なり合う。この男は、己の身がどれほど憎悪の炎に焼かれようとも、異世界の侵略者を滅ぼすまで、決してその鉄槌を止めることはないのだと――その空間のすべてが雄弁に物語っていた。



重厚なおどろおどろしい漆黒の門扉が、音もなく左右へと開く。


禍々しい緋色の絨毯を踏み締め、元帥執務室へと入ってきたのは、並列世界渉外庁の職員百地 三蔵(ももち さんぞう)だった。軍服に身を包んだ厳めしい将官たちとは異なり、どこか飄々とした、掴みどころのない空気を纏った男である。


だが、正面奥に掲げられた鬼の巨大な絵画と、その手前、黒漆の石机に鎮座する国家元帥・世救勇の冷徹な睥睨を前にして、彼の背筋もわずかに強張った。


「元帥、先日の件について、ゼムドヴァールの動向が判明いたしましたのでご報告に上がりました~」


職員は一礼し、手元の電子端末を展開する。ホログラムの画面が、薄暗い室内に青白い光を落とした。


「先日起きた、正体不明の侵入者による次元境界データセンター内徳臣開発管理区画への襲撃および破壊工作。現場に残された魔力の波形パターン、および暗号化された術式コードの解析を完了しました。――間違いありません。DARGのネットワークを狙ったあのテロ行為の裏には、やはり異世界勢力『ゼムドヴァール』の影があります。奴ら、本気で魔力資源の枯渇を我々地球人の魔力で賄う気のようですな~。阿呆ですな。」


報告を聞く救世の表情には、微塵の動揺もなかった。ただ、その昏い瞳の奥で、絶対的な殺意の焔が静かに揺れる。


カタ、と椅子が鳴る。救世がゆっくりと腰を上げた。 それだけで、執務室内の空気圧が跳ね上がり、壁の装甲板が軋むような物理的な威圧感が部屋を満たす。首筋に刻まれた人体実験の傷痕が、一瞬、禍々しく明滅した。


「ゼムドヴァールを滅ぼす時が来た」


世救の声は地鳴りのように低く、そして絶対的だった。


「ただちに全軍へ動員令を。私が直々に奴らの世界へ赴き、その根源ごと消滅させる」


宣戦布告、そして国家元首みずからの出陣宣言。現代の神とも言える彼の規格外の魔力をもってすれば、一つの世界を焦土に変えることなど造作もない。


しかし、その圧倒的な覇気を正面から受けながらも、百地は慌てて両手を振り、救世の前に一歩踏み出した。


「世救さん! 落ち着いてくださいってば~!」


百地の額から冷や汗が流れる。彼は必死に声を張り上げ、激昂する魔力の嵐を遮るように言葉を紡いだ。


「あなたが出れば、確かにすべてが終わっちまうでしょう。でも、それでいいんですか? まだ失いたくないんでしょう?」


「……何だと」


救世の視線が、ナイフのような鋭さで百地を射抜く。 「まだ失いたくないもの」――それが、辛うじて形を保っているこの現代日本という世界なのか、あるいは彼の胸の奥底に辛うじて残された人間性の破片なのか。職員のその言葉は、暴走しかけた世救の破壊衝動に、冷水を浴びせるだけの確かな重みを持っていた。


数秒の沈黙の後、室内の異常な空間の歪みが、徐々に収束していく。 救世は再び黒革の椅子へと深く腰掛け、胸の前で手を組んだ。


「……代替案を出せ」


「ふぅっ…それではこちらをご覧ください。」


百地は密かに安堵の息を漏らし、ホログラムの画面を切り替える。


「我々が今すべきは、全面戦争による殲滅ではありません。まずは奴らの出鼻を挫くことです。元帥の直轄部隊から選び抜いた少数精鋭による、ゼムドヴァール領内への局所的な浸透作戦を提案します。……大元を叩く前に、まずはゼムドヴァールの中枢に釘を刺してやりゃななりませんなー」


少しおどけたような、しかし確かな戦術的意図を含んだ職員の言葉に、世救は目を細めた。 しばしの熟考の後、世救は短く告げた。


「……許可する。人選と作戦立案は一任する。確実に喉元に針を穿て」


「御意に~。すぐに手配いたします」


百地は一礼し、展開していたホログラムを消去した。 重苦しい軍務の話が一段落したことで、部屋を支配していた緊張感がわずかに弛緩する。


職員はふと、防弾ガラスで固められた元帥執務室の巨大な窓へと視線を向けた。 外は、どんよりとした分厚い雲が東京の空を覆い、今にも激しい雨が降り出しそうな、重苦しい天候だった。


その景色を見つめながら、職員はふっと遠い目をして、独り言のように呟いた。


「しかし、あの日もこんな天気でしたなー。思い出しますねー……」


「……何の話だ」


「いえね、私が初めてあなたと……『世救 勇(ぜく いさみ)』という男と出会った、あの日のことです。政府の地下施設にあなたがボロボロの体で搬送された、あの日のことを、ふと考えてしまいましてね」


職員の言葉を引き金に、救世の脳裏に、生々しい記憶が蘇り始める。


あれは、世救勇がこの世界へと帰還し、後に君臨することとなる覇道の始まりの瞬間だった。 激しい雨の匂い、地下室の無機質な消毒液の臭気。そして、背後に置き去りにしてきた、あの狂気の光景が、世救の意識を過去へと引きずり込んでいく――。




 

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