匙は投げられた
その日、ルキは他の小隊員とともに書類作業に追われていた。
「ただいまー。」
別件で動いていた小隊長のヒロアキが入室し、各々が反応を見せる。
「ルキ。」
「ん?」
指名されたルキが顔を上げヒロアキを見る。
「本部からの呼び出し。明日、俺と司令部まで行くよ。」
「軍法会議の付添なら俺じゃなくて基地司令だろ?」
若干面倒くさそうにルキは言った。
「お前自身が軍法会議に掛けられる事は考えないのか?」
ヒロアキがジト目で返す。
「え、俺?・・・なんかやったっけ?」
それに対しルキは眉間にしわを寄せ考え込んだ。
「冗談はさておき、ブートキャンプを出たばかりの新兵が部隊配属前に脱走して捕まったらしい。」
ヒロアキはポケットからメモ帳を取り出し、書かれていることを確認しながら話し始めた。
「それと俺達とどう関係が?」
ルキが眉間のしわをやや緩め怪訝な顔をする。
「まあ、本来なら無関係だけど、国籍が俺達と同じだから軍に留まるよう説得して欲しいとさ。つまるところ、せっかく訓練した兵士をくだらない事で銃殺したくないってとこだろ。」
そう言ってヒロアキはメモ帳から顔を上げた。
「説得ねぇ・・・死ぬのがわかってて脱走したんだから、意思は固いんじゃねぇの?」
ルキは両手を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに寄りかかる。
「まあ、命令だからここでうだうだ言っても仕方ないさぁ。あ、足代は色つけて出すってさ。」
「はいよ。」
そして、二人は再び業務に戻っていった。
翌朝、ヌンソーン基地をそれぞれの愛機で離陸したルキとヒロアキは、数時間かけ司令部のあるスーンサップ基地に移動した。
二人は着陸をするなり手続きもそこそこに、待機していた軍のSUVに乗せられ建ち並ぶ三階建ての四角く白い兵舎の一つに通されると、憲兵によって日当たりの悪い区画にある鉄製のドアの前に案内された。
「こちらです。」
そう言って憲兵が鍵を開ける。
ドアについている金網付きの窓の向こうには、テーブルの上に手錠の掛けられた腕を置き俯くようにして座るクセ毛の脱走兵がいた。
「どうも。」
ヒロアキは憲兵に短く礼を言って中に入っていき、ルキもそれに続く。
「あんたらか、前線で人殺しまくってるっていう日本人は」
ヒロアキとルキが部屋に入るなり、開口一番に脱走兵は言い放った。
「おいヒロアキ、あれは日本のどの地方の挨拶だ?」
脱走兵の態度に対しルキは、バカにするような口調でヒロアキに聞く。
「さあ?もしかしたら日本じゃないんじゃない?」
ヒロアキも同じような口調で、わざとらしく大袈裟に肩をすくめながら答える。
「おい、テメェら喧嘩売ってんのか?」
「なに、いきなり結構な態度を取ってきたもんだから、からかってやっただけさ。」
安っぽく怒り出す脱走兵を見下しながらヒロアキは言った。
「で、何故脱走した?」
「人を殺したくなかっただけさ。・・・俺はね、外国人部隊っつっても兵站か警備に回されると思ってたんだ。それがどうした?蓋を開けりゃ前線で戦えと来た。・・・って、おい、なんだよ?その顔は」
ルキとヒロアキは世にも珍しい生き物を見るような顔をしていた。
「ああ・・・いや、ちょっと失礼・・・」
脱走兵の発言にハッとしたヒロアキは、ルキを連れて壁際に移動する。
「なあルキ、どうする?」
「どうするったって、ありゃ本物のバカだぞ?」
比較的小さめの声で相談を持ちかけてきたヒロアキに、それと同じくらいの声量で返す。
「ああ、うーん・・・まあ、そうだよなぁ・・・」
「あれはもうどうしようもねぇぞ。」
困ったような声を出すヒロアキに、完全に匙を投げたルキ。
「うーん・・・うん、そうだな。バカは死ななきゃ治らないな。よし、上手いこと言って俺達は退場しよう。」
打開策を多少考えるも早々に無理と判断したヒロアキは、勢い良く匙を投げる。
「だな。」
答えが決まり二人は脱走兵に向き直った。
「おい、全部聞こえてるぞ。」
「まあ、そういう事だ。俺達にしてやれることはない!」
呆れ顔で指摘する脱走兵に、ヒロアキはピシャリと言い放つ。
「ああ、人殺しの施しは受けない。」
それに対し、脱走兵は鼻で笑う。
「よし、最後に一発ぶん殴っていいか?」
「落ち着けよ。ルキ。」
薄ら笑いを浮かべながら拳を振り上げるルキをヒロアキが宥める。
「・・・あんたら、人を殺して食う飯は美味いか?」
そして、その様子を見た脱走兵はさらに火に油を注いだ。
「え、美味いけど?そもそも殺しと食事は別じゃん。」
「・・・。」
キョトンとしながら言うヒロアキに、絶句する脱走兵。
確かにヒロアキの言うとおりである。
「そういう事だ。じゃあな、腰抜け野郎。成仏しろよ。」
そして、ルキが吐き捨てるように言うと、ヒロアキとともに部屋を出る。
「やっぱ意思は固かったね。」
憲兵とともに来た道を戻りながら、ヒロアキは苦笑いを浮かべた。
「ああ、昔読んだ漫画にあんなキャラがいたけど、まさかそんなのが実在するとはな。」
ルキが先ほどのやり取りを思い出しながらしみじみと言う。
「まあ、救いようのないバカだったけど、人一人救えなかったのは流石に後味が悪いね。」
「まあな、フライトまで時間があるからその辺を観光して気分転換でもするか。」
「そうな。」
苦笑いでルキが提案し、ヒロアキはそれに乗った。
そして、二人はスーンサップ基地の外に繰り出すのであった。