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一話 ようこそ、異世界の果てへ。

 ミステリー小説の巨匠と呼ばれた(うぐいす) 想人(そうと)の代表作となった名著「異世界漂流記 上巻」の表紙をめくり、更に数頁めくる。


 「はじめに」

 

どの著書にも大抵書いてあるお決まりのコーナーだ。そこの冒頭を少しばかり読む。


「もし、彼らが神だと言うのなら、私は神が心底嫌いだ。実に身勝手でありながら、責任の一切を取らず、それをこちらへと押し付けてくる。」




――――――――――――――――






 オラァ!乗り切ったぞ!おっしゃあああ!!!


 金曜日の午後6時、神田孝介は心の中で叫んだ。たった今、孝介は一週間の死闘を乗り越えた。孝介は勇ましい姿でタイムカードに働いた証を刻む。そして、ラスボスにエンカウントする前に「お疲れさまでした」と職場に挨拶をし、今日こそ気分よく帰宅するために颯爽と戦場を後にしようと試みた。

だが、


「神田君、ちょっと。」と呼び止めるのは、上司の西島だ。

孝介は、終わったー、はい終了ー、と心の中でゲームオーバーを宣言すると、「はい。」とだけ返事をして一週間のラスボスこと西島に駆け寄る。

「神田君、ここ書類の不備あるよ。昨日と同じところ。君、先週も言ったよねえ。あのね、新しい子も入ってきたんだし、君ももう、25だっけ?そろそろしっかりしてもらわないと困るよ。お給料貰ってるんでしょ?」とゆったりとした口調で西島は孝介をじわじわと責める。


 孝介は心の中で、うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえとブツブツお経を唱え続けながらも、表面上で「はい、はい。すみません。」と力なく反省の弁を述べる。

完全に孝介が悪いのだ。孝介もそのことは十分分かっている。しかし、せめて金曜の夜くらいは気持ちよく帰宅させてくれないだろうか、というささやかな願望が孝介にはあるのだ。


 程なくして西島の説教は終わり、孝介はモヤモヤした気持ちを晴らすため、趣味の一人カラオケへと向かった。受付を済ませ個室に入ると、曲を入れるわけでもなくマイクを握り叫び始める。

「うるせえんだよクソ島ァ!いつもグチグチ言いやがって、何なんだよ!さっさとくたばれクソジジイ!娘も大して可愛くねえくせによぉ!センキュゥッ!!」

こうして、職場では決して見せない明るさで、職場の愚痴をカラオケボックスにて大声で叫ぶのが孝介のストレスの発散方法なのだ。


 カラオケボックスという独壇場で、思うままに感情をぶつけると、孝介はすっきりした気持ちで帰宅し、風呂でお湯に浸かりながら一人カラオケの続きを済ませ、就寝の準備へと入る。さて、明日から二日間は俺様の時間だぜ、溜まっていたアニメを観て、ネトゲして、酒を飲みながらネットで面白い動画漁って、忙しくなるぞー!と一人でわくわくしながら眠りについた。


 そして土曜日の朝、幸福の時間の始まりを告げる携帯のアラームが鳴り響く。

 孝介は目を覚まし、アラームを止めるべく携帯に手を伸ばす。そして、その瞬間、眠りにつく時のような微睡はなく、まるで気を失ったように、一瞬で孝介の意識が再び途絶えた。


 体に力が入らない、意識を失ってどのくらい経ったのだろうか。一瞬か、数時間か。

 孝介は意識を取り戻し、目を開けるより先に、混沌としている頭で必死に考える。だが、間違いなく違和感があることと今自分がうつ伏せに寝そべっている事は確かであった。

そよ風の心地よさと柔らかい草のようなものが肌をくすぐるむず痒さを感じる。ありえないのだ。何故なら、先ほどまで孝介は自室のベッドの上でアラームを止めようとしていたのだから。


 体に力が戻り始める。そして、うつ伏せのままゆっくりと目を開けると、視界には草が入ってきた。どうやら草原のような場所に寝そべっているようだ。孝介は混乱するしかなかった。何がどうなったのか、全く理解は出来ない。とりあえず、起き上がって周囲を確認する以外に選択肢はなかった。


 何とか力を入れて起き上がると、そこには、爽快な青空に青々と心地よく茂った草原が一面に広がっている。そして、何かから逃げるドレス姿で金髪の、年は16歳程度であろう少女。その後ろには少女を追う3メートルはあろうかという人間のような体をしていながら、頭部はイノシシのような全身に毛の生えた怪物。孝介は「へええ!?」と、情けない悲鳴を上げるのが精いっぱいであった。


 その時、どこからともなく、孝介の耳に声が届いた。

「私は大天使ガブリエル。其方に勇者の力を授けます。コウスケ、この聖剣コールブランドで目の前の怪物を討ち、世界を救う為に旅立ちなさい!」

そう聞こえると、どこからともなく光が集まり、孝介の目の前に何やら神秘的な剣が現れた。

不思議と正義感に駆り立てられた孝介は、大天使ガブリエルだかが聖剣とか呼んでいた剣を手に取り怪物に斬りかかる。


「なんだかよく分かんないけどうおおおおおおお!!」

孝介は剣を振り下ろすと、何の手応えもなく怪物は真っ二つに裂け、叫び声を上げた。

「グアアアッ!貴様、その剣は、伝説のッ!まさか、お前が予言の書にあった伝説の……ッ!」

そう言うと、怪物は息絶えた。


 いつの間にか全然知らない場所にいて、生物学上ありえないような怪物をこの手で倒して、その事実についてもだが、何より、そのような状況下にいながら不思議と冷静でいられる自分に、孝介は「なんだこれ」と小さく声を漏らす。


 すると、今度は背後から「姫様!ご無事ですかな!!」と、老人の狼狽したような声がする。孝介を目に捉えると、少女の執事と思しき老人は「ああ、どこのお方か存じ上げませぬが、姫を救って頂きありがとうございます!このご恩は必ずや……!」と、今にも泣きだしそうに感謝し始めた。

 

 そして、ドレス姿の金髪の少女は孝介に申し訳なさそうにしながら声を掛けた。

「助けて頂きありがとうございます。あの、あなたのお名前は……?」

孝介は「あ、孝介です。神田孝介です。」と、展開の早さについていけず、職場での自己紹介のような口調の名乗りになってしまった。

それを受けて、金髪の少女は顔を赤らめながら、「カンダ、コウスケ……。コウスケ?コウスケが下の名前なの?コウスケ。ふふっ、良い名前ね!」と笑った。


 少し冷静さを取り戻した少女の執事と思しき老人が、孝介の手に持つ剣に気付く。

「ん?……そ、その剣はもしや!!世に伝わる別の世界から転生されし伝説の勇者、コウスケが手にするという聖剣……!そして……今、名をコウスケと申したか!」

ここまで聞いて孝介はある仮説にたどり着いた。


 あれ?俺こういうシチュエーション、漫画とかアニメで見た事ある。

 もしかして俺、異世界来ちゃったとか?俺、この世界救って英雄になっちゃうやつ?


 孝介は漫画やアニメの中でもこの手のジャンルは好きであった為、この妄想に近い仮説にたどり着くまでにそれほど時間は要しなかった。孝介はその仮説を立証するために、伝説の勇者とやらについて詳しく聞こうと口を開く。

「あの、伝」


 と、言いかけた所で、孝介の目の前は再び真っ暗になる。

 先ほどの意識の切断の時とは異なり、何となく取り返しのつかないことになった時のような、まるで失ってはいけないものを失ってしまった時のような喪失感と、どこかへ落ちていくような落下する感覚を味わいながら、意識を失い始めた。


 完全に意識を失う間際、どこからか「こんなに早く放棄されるなんて、冗談にしても笑えないわね。」と、先ほどの少女とは別の女性の声が聞こえた。その声は、まるで見損なった人間に吐き捨てるような言い方であった。それは孝介に対してなのか、他の何者かに対してなのかは定かではないが。


 再び意識を取り戻した孝介が最初に抱いた感覚は、冷たい。次に、硬い、という感覚が飛び込んできた。少なくとも先ほどまで居た場所とは全く違う場所にいる事だけは感じ取っていた。唯一同じであるのは、うつ伏せに寝そべっていることである。孝介は、今自分はアスファルトのようなものの上に寝そべっている事を認識する。


 先ほどよりは幾らかスムーズに体は動きそうだ。目を開き、ゆっくりと体を起こす。目に映ったのは、オフィス街を彷彿とさせるように建ち並ぶ高層ビル。しかし、空は薄暗く、歩行者はおろか、車すら一切見当たらず、何よりここが自室のベッドでないことが元の世界に戻ってきた訳ではないということを物語っている。そして、孝介は大きな道路の、ちょうど交差点の真ん中にいた。


 周囲が薄暗いため、初めは気付かなかったが、よく見ると、およそ20人から30人、先ほどまでの自分と同じように人が気を失っているのか、交差点の真ん中で寝そべっている。どうやら孝介が最初に目を覚ましたようだ。かと言って、孝介には自分から彼らを起こして現状把握に努める勇気など持ち合わせてない。


 まだ目を覚まさないのか、もしかして死んでいるのか、と苛立ちと不安を覚えているうちに、一人、また一人と目を覚まし始める。そして、口々に「ここはどこだ」、「何が起きた」と独り言を始めている所をみると、どうやら、皆孝介と同じような状況下にあるようだ。

それから、約半数が目を覚ました辺りで、疑問符の絶えない独り言以外の声を耳にする。


「えー、異世界へ転移若しくは転生されていた皆さん、おはようございます。」


「ようこそ、異世界の果てへ。」



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