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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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66.ひび


 最後の音を静かに止めて、真澄は審査員たちを見た。

 宮廷騎士団長が組んだ手で口元を隠しながら、鋭い視線で真澄を射抜いてくる。真正面から向き合っているが、なにを考えているのかは分からない。

「……結構です」

 割って入るように楽士長が言った。

 それを合図に可視化のおっさんが立ち上がる。手には羊皮紙を持っていて、軍服三人の前になんの気負いもなくトコトコと歩み出た。

「はい、失礼しますね」

 威圧感などどこ吹く風、自由な研究者は丸っこい手を宙にかざす。琥珀色の光が膨れ上がり、三人の騎士たちを包み込んだ。かつて研究機関での勝負と同じように、光はやがて収縮し、文字となって羊皮紙に吸い込まれていった。

 解説は特にない。

 が、おっさんは自席に戻りながらにやにやしている。なんだか妙に嬉しそうだ。宮廷騎士団長がわずかに顔をしかめたのを、真澄は見逃さなかった。

 おっさんが再び座ると同時、楽士長から「続いて自由曲を」という指示が出る。

 真澄は頷き、降ろしていたヴァイオリンを構え直した。


 選んだのはフランスのマスネ作曲、『タイスの瞑想曲』である。


 修道僧と娼婦の主役二人を軸に信仰と愛をテーマにしたオペラ「タイス」に使われており、その甘美な旋律が百年の時を経ても愛されている、優しく完成された穏やかな曲だ。

 随所に現れる長音は情感豊かに歌い上げる。揺れるように進む曲は、美しい娼婦タイスの心を映し出している。

 さほど難しくはない。

 中高生でも弾ける親しみやすい譜面だ。

 けれど真澄にとってはそうではなかった。今でも弾きこなせているかと問われると、素直に頷くことができない。技術的には初めて弾いた時から文句なしに高いレベルで弾けている。だが恩師は真澄の演奏を聴いて、困ったように笑った。

「まだ君には早かったかな」

 そうして真澄は別の曲を弾くように指導された。

 最後までその真意は訊けなかった。再び弾くことを許される前に、恩師が亡くなってしまったからだ。


 彼らにこの曲がどう聴こえるのか。


 今の自分がいかなる評価を受けるのか、試してみたかった。それが選んだ理由だった。


*     *     *     *


 弾き終わりと同時に神聖騎士部門の楽士選考会は終わった。

 特段の評もなにもなく、楽士長から「結果は追って連絡します」と事務的な一言をもらっただけだ。言うが早いか楽士長はさっさと席を立って退室した。その手には可視化のおっさんが色々と書きこんでいた羊皮紙の束が握られていたので、今から最終結果を出すのだろう。真面目も真面目、仕事熱心なことだ。

 実にあっけないものである。

 嫌味の一つくらい飛んでくるかと身構えていたが、拍子抜けしつつ真澄はヴァイオリンを拭き、ケースに戻す。

 がたがたと椅子を引く音が背中に聞こえる。

 騎士たちも仕事が終わって引き上げるのだろう。弓をゆるめながら「こりゃ退室は最後だな」と真澄が考えていると、「お疲れさまでした」と声がかかった。

 振り返ると可視化のおっさんである。

 どこからどう見ても紛うことなき立派なおっさんだが、その目だけは相変わらず少年のようにキラキラと輝いていた。人懐こい笑みに、思わず真澄の頬もゆるむ。

「こちらに来ることもあるんですね」

 カスミレアズからは出向だと聞いていたので、研究機関にこもりっきりだとばかり思っていた。

 わざとそう言って真澄が笑うと、おっさんは破顔した。めっちゃ良い笑顔だ。

「いつもは引きこもってますよ、ええ! 術式開発だけやっていたい! ええそりゃあもう! ただね、選考会には毎年駆り出されてるんですよ。団長から呼び戻されちゃうんです。でも、いやあ今年は役得でした! もう一度あなたの演奏を聴けるだなんて魔術士冥利に尽きるとはこのことですね」

 そんなおっさんの格好はよくよく見れば漆黒の長衣で、宮廷魔術士と同じだった。

 違和感が半端ない。

 いや、確かに高度な魔術を操っているのでどう考えても魔術士なのだが、窓際に座らされてそうな外見からなんとも奇妙な感じである。そして、真澄とそう変わらない身長のせいで、長衣が長衣に見えないというのも一因だ。

 真澄の心の呟きなど露知らず、おっさんは嬉しそうに話を続ける。

「ほらほら、見てください」

 ぽむ。

 おっさんの右肩あたりに、魔珠が浮かんだ。

「いい感じに回復してもらえました」

 うふふふふ、と嬉しそうに笑うおっさんの魔珠はでかい。

 どうにもゆるい喋りとは裏腹に、バレーボールくらいあるだろうか。それは中に満ちる光こそ琥珀色だが、輪郭はカスミレアズやヒンティと同じく白金に輝いている。

「……え、神聖騎士なんですか?」

「いえ違いますよ。私はただの大魔術士です」

 なんだそれ。

 突っ込みたかったがなんとか自制した。「ただの」と「大」が相反する言葉すぎて意味不明だが、これ以上不用意な発言をして怪しまれても面倒だ。まあこのおっさんはそんなことに頓着しなさそうではあるが、念のため。後でカスミレアズに解説してもらえば良いだろう。

 それはさておき、愛想の良いおっさんとあれやこれや近況を互いに話す。

 威圧感ゼロの見た目のお陰でとっつきやすいのだ。

 真澄が星祭りでえらい目に合っていた頃、おっさんは面白い術式を発見して毎日研究機関で寝泊まりしていたらしい。食事も祭りもそっちのけ、「大変に有意義だった」と笑うあたりが実に研究者らしい。

「ところで」

 おっさんがふと首を傾げ、下から真澄をのぞきこむ。

「お疲れなのではありませんか」

 無理はいけませんよ、と続く。心配そうに下げられる眉を目の当たりにして、真澄はあわてて手を振った。

「夏風邪を引いただけです。ずいぶん良くなったので、もうやつれてはないと思うんですけど」

「あ、ええ。顔色は宜しいのですが」

 言いよどんだおっさんに、真澄は目を瞬いた。

 ますます困り顔になったおっさんは、ややあってぽつりと呟いた。

「随分と心細そうな音だったものですから、少しだけ気になりました」

「そ……う、ですか?」

「内緒ですよ」

 おっさんが人差し指を口元に立てる。

「自由曲の回復に、僅かですが幅がありました」

 ちなみに課題曲はそんなことはなかった。付け加えられた事実に、真澄の心臓はわしづかみにされたようだった。

 音程はただの一つも外していない。

 にもかかわらず回復にばらつきが出たということは、好ましいと思うか思わないかが如実に分かれたのだ。真澄は一瞬、呼吸を忘れた。

「初めて聴く曲だったからでしょうね。私は好きでしたけれど」

「……ありがとうございます」

 どうにかお礼は口にできたが、うまく笑えているか自信はなかった。



 それから他愛もないことで談笑していると、「ハイリ」と呼びかける声が上がった。おっさんが振り返る。そこに立っていたのは、腕組みをした宮廷騎士団長だった。

「ん? どうしたの、イアン?」

 思いっきり首を傾けて、おっさんが宮廷騎士団長を見上げる。

 男女差、といっていいほどの身長差だ。

 片や長身のきっちり制服を着こなした眼光鋭い男と、片や丸っこくてふんわり大らかなおっさん。変な笑いがこみ上げるのを必死に噛み殺しながら、なにが始まるのかと真澄は興味津々で二人をうかがった。

「寄っていくのだろう」

 なんと騎士団長が誘いをかけている。

 おっさん相手に。

 この時点で真澄の腹筋が崩壊寸前となった。

「うーん、でも……どうしようかなあ」

 もったいつけるようにおっさんが渋る。おっさんが選べる立場であることに驚愕だ。

 横で驚かれているとは露知らず、おっさんは「帰って研究したいなー」などとのん気なことをのたまっている。そんな自由人を前にして、宮廷騎士団長の眉根が寄った。

「年に一度、それも数時間だ。四の五の言わず来い」

「えー」

「話があるなら終わってからでいい。私は先に戻っている」

 ちら、と真澄に視線を向けて、宮廷騎士団長は靴音高く出ていった。

 扉が完全に閉まるのを待ってから真澄はおっさんに向き直る。

「……どういったご関係で?」

 真澄の聞き間違いでなければ、二人は名前で呼び合っていた。

 どう考えても親しい間柄だ。

 宮廷騎士団と宮廷魔術士団だから、なんらかの付き合いか。だがそんな真澄の予想は次の瞬間ものの見事に裏切られた。

「いとこですよ」

「……は?」

「同い年の」

「は!?」

「イアンの母親が、私からみて伯母にあたりますね」

 こう見えてもスヴェント本家の出なんですー、と。

 多分アルバリークでは驚くべきカミングアウトなのだろうが、血縁関係に詳しくない真澄は、ただひたすら似ても似つかない従兄弟いとこ二人に衝撃を受けていた。


*     *     *     *


 選考会の結果発表は、武楽の両部門合わせて同時に、ということだった。

 それなりに時間がかかるらしく、一週間後になるという。初日にさっさと選考が終わってしまった真澄は、そぞろに浮き立つ宮廷を横目に、自身の練習に時間を費やしていた。

 無論、日中は第四騎士団の相手をしている。

 夜は自室に戻ってから寝るまでずっと、弾きっぱなしだ。腕が疲れて違和感が出ているが、それでもやめられないのは焦燥感にかきたてられるからだった。


 選考会の結果はもはやどうでもいい。

 あの日から自分は何一つ変わっていないのかと思うと、いてもたってもいられなくなる。


 だがどれだけ弾こうと答えは見つからなかった。

 当たり前だ。ここに恩師はいない。それどころか、聴いてくれる人は誰もいない。かといってアークに尋ねるのは違う気がして、真澄は一人でひたすら自分の音に向き合い続けた。

 そんな毎日はあっという間に過ぎ去った。

 そうして選考会の結果発表が翌日に迫った夜のこと。『タイスの瞑想曲』を弾いていた真澄の左腕に、激痛が走った。

「っつ、……!」

 思わず指板から左手を外す。あまりの衝撃に、真澄はその場にしゃがみこんだ。

 右手に握る弓を、そっと床に置く。

 それから辛うじて顎と肩でささえていたヴァイオリンを掴み、これもまた絨毯の上へ。それだけの動きをするのにも、痛みで息が上がっていた。

 どくん、どくん。

 左腕に心臓ができたみたいだ。拍動のたびに痛みが襲ってくる。「もしかして」と「まさかそんなはずは」、相反する二つの気持ちがせめぎ合った。

 深呼吸を繰り返す。

 ややあって痛みが痺れに落ち着いた時、真澄は恐る恐る左手の指を動かした。軽くなら、違和感のような痺れだけで済む。だがヴァイオリンを弾く時の構えを取ると、途端に痛みが走った。

「腱鞘炎……?」

 信じたくない予想が口から滑り出る。

 真澄は絨毯の上に置いたヴァイオリンと弓を掴み、立ち上がった。

 テーブルの上に広げていたケースにヴァイオリンと弓を戻す。譜面台と楽譜はそのままにして、真澄は椅子にかけた。

 夏でも白い、見慣れた自分の腕に視線を落とす。

 確かに根を詰めて毎日弾いていた。けれど、こういう弾き方は初めてではない。むしろ、国際コンクール前の方がもっとシビアだった。

 思い当たる節は一つだけある。

 星祭り会場で「魔の蛇」の男たちに連れ去られる時、乱暴に腕を捻りあげられた。それだけならまだしも、下っ端に圧し掛かられて渾身の力で抗った。あの時すでに腕に激痛が走っていたが、貞操の危機を前に四の五の言っている暇はなかった。

 多分、起点はあそこだ。

 その後になまじ一週間も寝込んでしまったものだから、その間に急性の痛みだけは引いたのだろう。残っていた違和感をそれと気付かず、無意識に腕をかばって、演奏のたび無理な力が入っていたとしか思えない。


 ため息が出る。


 よりにもよってこの時期かと。

 暗澹たる気持ちに真澄が沈んでいると、部屋にノックが響いた。応対に立ち上がる前に扉は開かれ、顔をのぞかせたのはアークだった。

 まだ制服であるところを見るに、部屋で仕事を片付けていたようだ。

「どうしたの」

 椅子に座ったまま真澄が尋ねると、アークは小首を傾げた。

「いや、……休憩中か?」

 そして逆に問うてくる。

 真澄はちらりと時計に目をやり、頷いた。

「休憩っていうか、疲れたからもう寝ようと思ってたところ」

「そうか」

「そっちこそどうしたの。まだ寝る格好じゃないけど」

「急に音が途切れたからどうしたのかと思った」

「ああ、……弦が切れたから換えただけよ」

 笑って真澄が言うと、あからさまにアークがほっとした顔になった。

「最近根を詰めすぎだ。今日はもう寝ろ」

「アークは?」

「俺はまだやることがある」

「はいはい。じゃあ先に寝てるわ」

「おう」

 簡潔な返事を残し、アークは静かに扉を閉めて去っていった。



 それからしばらくの間、真澄は椅子から動けずその場に佇んでいた。

 嘘を吐いた。

 そうでもしないと心の動揺を見透かされそうで怖かった。見透かされたが最後、自分の現実に嫌でも向き合わされそうだった。まともに弾けない――使いものにならない楽士がどんな目で見られるか、想像は悪い方にばかり膨らんでいく。

 その日の夜、真澄は不安を誤魔化したままベッドに入った。

 きっと明日になったら大丈夫、そんな根拠のない励ましを自分にかけて。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 治癒してもらいましょう…どうなんだろ効かないのかな… 真澄さんから何より大事なヴァイオリン取ったら、抜け殻になってしまいそうで勝手に心配…
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