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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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42.出頭命令・後


 庭園の守護者――サーペントと呼ばれた大蛇――は、アークの言葉どおり一定の距離以上を詰めてくることはなかった。そうはいっても野放しにされたわけではない。中央棟に辿り着くまでの間、琥珀の瞳は常に真澄たちを捉えていた。

 やがて美しい花々の佇まいも終わりを迎える。

 くすんだ青灰色の石階段を十段ほど上がると、目の前には金縁の巨大な扉が待ち構えていた。

 ノックもなし、アークが無造作にそれを押し開ける。その大きさとは裏腹に軋む素振りさえ見せず、扉は滑らかに道を譲った。

 呼ばれたような気がして真澄は振り返る。

 琥珀の守護者がゆらりとその長い尾を揺らした。声なき佇まいだ。しばらくを待ってみても、冷たい縦の瞳孔が何を考えているのかは分からなかった。



 そしてその肉声は唐突だった。

「ご挨拶ですね、アークレスターヴ様」

 深く優しい声が、聖堂を思わせる高い天井に響く。

 背中に気を取られながら屋内に足を踏み入れた真澄は、急に静と動が切り替わったことに肩を揺らす。出所を探して視線を彷徨わせると、広い空間の中央、見事な彫像の足元に一人の女性がそっと佇んでいた。

 その身は漆黒の長衣に包まれている。

 印象的なのは肩周り、銀糸に縁取られたローブケープだ。

 さながら聖職者のようだといえばいいか。肩口で切り揃えられた髪が、凛としている。

「不可視の術を暴くなど、我が団への宣戦布告と取られても仕方ありませんよ」

「さて、どうかな。こちらも来たくて来たわけじゃないんでね」

「……」

 口調は気安いが顔は笑っていない。そんなアークの真意を探るように、女性が口を噤んだ。

 一歩も動かないその様は人形を彷彿とさせる。眉一つ動かさず淡々と紡ぐ言葉も、作り物と錯覚する一因だった。ところが美しい彼女は、次に厳しい言葉を言い放った。

「第四騎士団の事情など我が団には関係ないことです」

 血の気が引いたように白い頬は、少しもゆるまない。

「アークレスターヴ様といえど勘案すべきではない。次はないとお考え下さいね」

「ほう。今回は見逃してくれると?」

 空気がビリ、と震えた。

 アークが一歩踏み出す。漆黒の女性は動かない。

 斜め前に立っていたカスミレアズが真澄を振り返り、まるでかばうようにその立ち位置を変えた。真澄がそれ以上先に進むことのないよう、ご丁寧に腕を広げて押し留めようとさえしている。

 その動きを真澄が目で追うと、カスミレアズの腕は微かに青白く輝いていた。

「俺としては今ここで決着をつけても構わないが。いい加減、小競り合いも面倒だ」

 ぶわり。

 アークの青い闘気が膨れ上がり、ほとばしった。やがて宙に形為されたのは青く巨大なわしだった。

「まさか『碧空の鷲』を賭けるのですか?」

「宮廷騎士団が態度を改めないのならば、それも辞さない。良い機会だから言っておこう、我が第四騎士団の翼は二度と折れない。本来対等の立場であることを忘れてもらっては困る」

「……噂は聞いています」

 変わらず淡々とした声ながら、女性の視線が真澄に寄越される。

 目が合った。

 漆黒の長衣とは正反対に彼女の瞳はごく薄い金色だ。髪も同じ。儚さそうな外見にもかかわらず鋭い視線は、真っ直ぐに真澄を射抜いた。

 間に立ちはだかるカスミレアズなど存在しないかのようだ。


 なにを言われるのだろう。

 それとも問われるのだろうか。


 口を閉ざしたままひたすら見据えてくる相手に、真澄は自然と身構えた。

 引くつもりはない。

 何を言われようとも。

 自分は第四騎士団と歩むと決めた。これまでも、そしてこれからもさして選択肢のある人生ではないと分かっている。なればこそ他人の並べた御託を聞いている余裕はない。全てを自分で決める。アークが前を向くなら支えるし、立ち止まるならいつまでも待つ。その膝を折りそうになるのなら肩を貸す、そう心に決めている。

 何を問われようとも。

 自分は後悔しないと誓った。ここで生きていくしかないのなら、ただひたすらに強く在るしかない。

 二度のドロップアウトなど、そう、真っ平ご免だ。

「お前、第四騎士団の過去を知らないのですか」

 無知を憐れむような目で唐突に投げられたのは、試すような言葉だった。

 拍子抜けである。

 真澄にしてみれば些事でしかなく、今さらと鼻で笑うほどどうでもいい。

 むしろ初対面でそれを聞くか、と苛立ちが募る。その上から目線は何を根拠にしているのだろう。先にアークも「本来対等の立場である」と釘を刺していたはずなのに、変わらない不躾さだ。

 目の前の彼女はつまり、今もって第四騎士団長であるアークを軽んじている。敬意を表す必要がない、そう思っているとでも言えばいいか。

 分かりやすく下に見られている。

 一つ一つの要素をつぶさに考えるほど、真澄の頭に血が昇った。

「存じていますが、それがなにか?」

 ぎょっとしたようにカスミレアズが首だけで振り返ってくる。だがそれには構わず真澄は続けた。

「第四騎士団総司令官の専属になると決めたのはわたくしです。誰であろうと、とやかく言われる筋合いなどありません」

 カスミレアズの腕を押し退け、前へと歩む。

「既に終わった過去の話など議論に値しない。わたくしの覚悟を第三者が問うなど越権行為も甚だしい。それはすなわち、我が総司令官を軽んじていると同義です。そうおっしゃるからには第四騎士団の盾は今後一切不要である、当然その覚悟があってのお言葉ですね?」

 アークの隣に肩を並べ、真澄は一息に言い切った。


 これまでの関係など知ったことか。


 相手が魔術士であるくらいしか真澄には分からないし、細かく言えば密な付き合いはなかったかもしれない。が、少なくとも騎士が盾となり魔術士を守る、その大前提は絶対に間違えていない自信がある。

 なればこそ、勘違いも大概にしろと叫びたくなるのだ。

 黒衣の女性はそこで初めて眉を僅かにひそめた。

 アークの圧倒的な闘気を前にしても顔色一つ変えなかった割りに、真澄の啖呵ごときでそんな表情を見せるのもよく分からない。


 さあ、どう出る。

 いるのかいらんのかどっちだ。訊いたからには白黒はっきりつけてもらおう。ていうかなんでもいいから答えろ。


 気炎を上げて真澄がさらに一歩――アークよりも前に踏み出すと、対峙する魔術士は明らかに狼狽して一歩下がった。それがまた真澄の癪に障る。

 先に喧嘩を売ってきた方が及び腰。

 それなら最初から喧嘩なんぞ売ってくるなと、これまた説教してやりたい衝動に駆られるのである。

「人には質問を投げるのにご自分は答えないのですか? 卑怯では?」

「……口を慎みなさい。宮廷魔術士団副長であるこの私に向かって、なんと無礼な」

 非難の目がアークに向けられた。動きに呼応して、薄い金の髪が肩口でさらりと揺れる。

「第四騎士団の姿勢は良く分かりました。士団長には……イェレミアス様には、一言一句違わず報告しておきます」

「宜しくどうぞ」

 応えるアークの声は挑発的だ。

 気付いているであろうに、副長であるという魔術士は今度は眉一つ動かさなかった。

「最後に一つ。アークレスターヴ様の品位も落ちましたね」

「宮廷魔術士団は品位が魔力の補給をしてくれるのか。ならばその品位とやらを大事にするといい、死ぬまでな」

「……次はありませんよ」

 長衣の裾が風もないのにはためいた。

「ちょっと、話はまだ」

 しかし真澄の制止は空振りに終わる。魔術士の姿は忽然と消え、後には天井から差し込む光に照らされる彫刻だけが残った。



 広い空間が途端にしんとなる。

 今ここであの魔術士を探してもきっと無駄足に終わるのだろう。まだ言い足りなかったがそこは諦め、真澄は後ろに向き直った。

「なにあれ」

「……ぶはっ」

 まなじりを吊り上げる真澄に対し、堪えきれずといった態でアークが噴き出した。

「ちょっと笑ってる場合じゃないでしょ」

「初対面の時から薄々感じてはいたが、今確信した。お前の瞬発力は自慢していい」

「なんの話よ?」

「お前も大概気が短いってことだ」

「出会い頭にあんなの出して威嚇する人間よりましだと思うわ」

 未だに宙を悠々と羽ばたいている青い鳥。確か「碧空のわし」と呼ばれていたか、見るからに強そうな風格を醸し出している。

 言われて思い出した態で、アークが鷲に目を転じて頬を緩めた。

「必要なかったな。今となっては、だが」

 アークが掌をかざすと、鷲はそこに吸い込まれるようにかき消えた。

 空中には一筋の残滓も残っていない。鷲が出たり魔珠が出たり、彼らの掌はなんとも不思議な代物だ。

「まさか副長もお前に噛みつかれるとは思ってなかっただろうな」

 くっく、と未だ楽し気に喉が鳴る。

「先に喧嘩売ってきたのはあっちでしょうが。それで被害者面なんて冗談じゃないわ。まだ話も途中だったのに」

「それにしても咄嗟によくあれだけ啖呵切れたもんだ」

「ごめん言い過ぎた?」

「いやむしろ傑作だった」

「だよね私間違ってなかったよね?」

「おう。いいぞ、これからももっとやれ」

 アークが握り拳を突き出してくる。思わず真澄は笑って、同じく拳を作り軽く突き合わせた。

 こつん、と。

 音にもならない小さな衝撃は、それでも胸に大きく響いた。

「退屈しなさそうな職場よ、ほんと」

「……職場、か」

 不敵だったはずのアークの笑みに、少しだけ影が差した。

 痛そうな眼差しに真澄は首を傾げる。だが理由は特に言及されることなく、ただ「頼もしい限りだ」と続けられたアークの言葉でその話は切り上げられた。


*     *     *     *


「ここまで来たからには穏便にとは言いませんが、どうか大破だけはご勘弁を。自重下さい」

 最後の扉に手をかけながらも、まだ言い足りない様子でカスミレアズが釘を刺してきた。わざわざ振り返ってまで、噛んで含めるように、真っ直ぐに総司令官の目を見据えながらの嘆願だ。

 ところが受ける側のアークはとぼけた顔で肩を竦めるに留めている。


 これはあれだ。

 必要とあらばためらわない顔だ。


 同じく導火線の短い真澄にはアークの考えていることが手に取るように分かる。分かるが、カスミレアズに重ねて注意するつもりは毛頭ない。

 対等とは難しい。

 こちらが譲歩しても相手が同じだけ譲歩するとは限らない。なればこそ、主張すべきはきっちりすべきなのだ。どこでも折れてりゃ上手くいく、そうとも言い切れないのが世の常であって、余計な譲歩が結果として無駄な争いを生むことは往々にしてある。

 これ以上言い募っても無駄と悟ったかどうか。それは定かではないが、カスミレアズは次に真澄を見た。

「あなたも口は慎むように」

「黙っとけっていうならそうするけど」

 さっきは注意を受ける前に喧嘩を売られたので、つい反射で買ってしまっただけである。

 口を尖らせて弁明しつつとりあえず真澄はアークを窺う。やられたらやり返せ、それを認めたのは他でもない目の前の総司令官だ。

 ところがアークはここにきて意外な反応をみせた。

「そうだな」

 簡単な同意に思わず真澄は目を瞬く。

 もっとやれと先刻言われたばかりなのに、これいかに。そんな真澄の疑問を汲み取ったか、アークが続けた。

「まずはありのまま、俺たちの置かれている現状を見るといい。どう思ったかは後で聴かせろ」

「……どうせろくでもない結果になるんですね分かります」

「そうっちゃそうだが、通過儀礼だ」

 ここアルバリーク帝国で、第四騎士団総司令官の、専属楽士として生きていくのならば。

 アークが噛んで含めるように言ったので、真澄は大人しく頷いた。



 全員の合意がとれたところでカスミレアズの拳が扉を叩く。

 二回、高らかに。少し待つと中から声がかかり、カスミレアズが硬い表情のままで扉を押し開けた。そのまま進むかと思いきや、彼は扉を押さえるために立ち止まった。

 アークがその横を悠々と通り抜ける。

 目線で促されて、真澄はアークの背に続いた。数歩では終わらない広い部屋だ。天井にはシャンデリアさながら零れんばかりに豪奢な光球が輝いていて、床にはえんじ色の重厚な絨毯が敷かれている。

 部屋の中央で存在感を発揮しているのが、片側十人は掛けられそうなテーブルだ。

 大理石のような美しい石を切り出したものらしい。光沢ある表面には天井からの無数の光と、中央に座する男の顔がくっきりと映っていた。

 存外に若い。

 四十の前後だろうか。肘をつき両手を組み、口元は隠されている。鋭い視線は真っ直ぐアークに向けられており、色々なことを問い質したい気配がひしひしと伝わってくる。

 肩章は黒紫、間違いなく宮廷騎士団長である。

 そして彼の後ろには三人が控えている。肩章の色はそれぞれ異なるが、宮廷騎士団長がその背を預ける相手となれば、彼らが誰なのかは自ずと分かろうものだ。

 立派な石卓の手前、椅子に手が届こうかというところでアークが立ち止まった。

 そして開口一番、

「皆さん雁首揃えて何ごとです。レイテアからの侵攻でもありましたか」

 これだ。

 初めて聞いたアークの丁寧語ながら、声にも内容にも如実にトゲがある。くだらない用事で呼び出されたと百も承知で、そんなことに時間を割いているのかお前たちは、とあからさまに揶揄している。

 アークの先制に奥の一人が苦虫を噛み潰した顔になった。山吹色の肩章、第三騎士団長だ。しかし苛立ちの視線はアーク本人ではなく、一歩後ろに控えているカスミレアズに向けられた。

「エイセル、お前は何一つ説明できていないのか。近衛騎士長がきいて呆れるぞ」

「聞き捨てなりませんね。その説明責任が俺にあるからこそ、わざわざ中央棟まで呼び出したんでしょう。そこでカスミレアズを責めるのはお門違いだ」

 ぴしゃり。

 カスミレアズが反応する前に、アークが遮った。

「互いに忙しい身です。さっさと本題に入ってください」

 遠慮会釈ないアークの物言いに、山吹の騎士団長、その額に青筋が浮かぶ。年の頃はアークより少し上か、噛みつかんばかりの怒気は威圧感に溢れている。今にも剣を引き抜きそうな激昂ながら、しかし彼はそれ以上の言葉を飲み込んだ。

 ただ一人座している宮廷騎士団長が、右手で御したのである。

 殴りつけて黙らせたのではない。一瞥をくれることさえせず、ただ素っ気なく払うような仕草だった。

 一度は解かれたその手を再び組み直してから、宮廷騎士団長がおもむろに口を開く。

「……アーク、お前の身辺が騒がしいと聞いている。その件について、今ここで説明を要求する」

「騒がしいといいますと? 従騎士が入ったので、訓練には力が入っていますが」

「とぼけるな。お前のところの従騎士は最初から高位魔術を使えるのか」

 器物損壊も甚だしい。続いた宮廷騎士団長の言葉は、明らかに真澄争奪戦のドンパチについて指摘していた。

 確かに表向きは近衛騎士長によるそれなりに激しい訓練ということになっているから、争奪戦の実態まではさすがに把握されてはいないだろうが、それでも小言をぶつけたくなる程度に騒がしいらしい。

「訓練場の損壊は第四騎士団の経費で修繕します。何ら問題はないはずです」

「補修費用に全ての経費を注ぎ込むつもりか。既に予算の半分に迫る勢いだぞ」

「割り振られた予算の配賦は各団に一任されているものです。今さらとやかく言われる筋合いはありませんね」

「このままの状態であっても他の騎士団と遜色ない働きができるのならばな」

「笑止。稼働率、生存率いずれも我が団が頭一つ抜けている現状で、」

「楽士なしで同じ結果を出せるのか?」

 ずばりと切りこまれた内容に、アークが間合いを測るように押し黙った。

 一方で、淡々と宮廷騎士団長は考えを述べていく。

 第四騎士団の金の使い方は、今後は楽士を雇う必要がないかのごとく見える。が、これまでの実績は必ず臨時雇いの楽士がいてこそだったはずで、とすれば最近の第四騎士団動向は一体何を考えてのものであるのか。それとも考えなしなのか。もしもそうであれば、騎士団長更迭も辞さない意向である、と。

「いざという時に役に立たない騎士団など穀潰しだと、再三言ってきたはずだ」

「少なくとも私が就任してからの十五年間、任務不履行など一度もない第四騎士団に対しての物言いがそれですか?」

「美しい過去だ。だが私は未来の話をしている」

「ご心配痛み入ります。穀潰しの称号は、実際にそうなった時に頂戴しましょう」

 ゆらり。

 アークの輪郭が青くぼやけた。威嚇というよりはむしろ、抑えきれない激情が漏れ出ている風だ。

「今後も第四騎士団は通常任務に加えて、いかなる緊急動員にも即応します」

「……根拠がその身元不明の楽士か」

 それまでアークを射抜いていた視線が不意に真澄を貫いた。

 美しく高貴なすみれ色の瞳だ。

 深く煌めくその色に嘘は許されないような、洗いざらい吐き出さねばならないような不思議な感覚を抱くが、真澄は口を真一文字に引き結んで無言を通した。

 宮廷騎士団長の後ろに立つ三人からも視線が注がれているのが分かる。一言一句漏らすまい、そんな高圧的な緊張が膨らむが、それでも真澄は何も言わなかった。

 アークとそう約束したからだ。

 約束を違える相手は信頼に値しない。

 居心地の悪い沈黙がどれくらい続いただろう。衣擦れの音さえ憚られる静けさだったが、ただの威圧では真澄は口を割らないと判断したらしく、宮廷騎士団長は再びアークにそのすみれ色を向けた。

「第四騎士団長は専属楽士を得た、そういう理解で間違いないのだな?」

「その話ですか? たかがそれくらいで……いいえ、なんでも。確かに専属契約を交わしましたが、それが何か」

「なぜ報告しなかった」

「……どういう意味ですかね」

 声が不機嫌に低くなった。

 アークの青い闘気は依然として小さく揺らめくばかりだが、部屋の大きな窓がガタガタと音を立てる。ここにいる中で最も年かさ、深緑の肩章――第一騎士団長が、壮年の顔をちらと窓に向けた。

 そして彼は隣にいる真紅の肩章を持つ第二騎士団長の耳元で、何事かを短く告げた。

 若い眉間が寄せられる。その視線が僅か泳ぎ、戸惑いが見え隠れする複雑な表情だった。

「どのあたりが『なぜ』なのか教えて頂けますか。専属楽士をとるつもりがそもそもあったかどうか、あったのならなぜ意思表示をしなかったのか、という意味ですか? それとも額面通り、専属契約を交わしたことそのものの報告がない、それを咎められているのですか?」

 それまで直立不動を守っていたアークの身体が動いた。

 目の前にあった豪奢な椅子の背もたれを引っ掴んだかと思うやいなや、それは宙を舞った。残像を残し飛んだ椅子は、それは派手な音を立てて壁に叩きつけられた。

 木端微塵だ。

 しかしそれも束の間、次は打撃音が響いた。

 今しがた椅子が抜かれ空いた卓に、アークが右手を叩きつけてその身を乗り出している。重厚な石卓が悲鳴を上げて、大きな亀裂が走った。

 後ろに控えている三人の騎士団長の顔がそれぞれに強張る。

 顔色が変わらないのは宮廷騎士団長だけである。卓についている肘に亀裂が迫っているにもかかわらず、まるで動じた様子もない。

「理解しているのなら話は早い。その全てに説明を要求している。場合によっては処分も視野に入れている」

「……好きで楽士なしだったとでも?」

 ばきり、不穏な音を立てて石卓の亀裂が太く広がる。そして激昂は突然だった。

「殉職した部下を目の前にしても同じことが言えるか!?」

 轟音が耳をつんざいた。

 アークの拳が石卓を真っ二つに叩き割っていた。破片があちこちに四散し、騎士団長たちは腕を交差させて急所を守っていた。

 真澄は咄嗟にカスミレアズにかばわれた。

 倒れ込んだ衝撃は感じたが、床に直接叩きつけられたのはカスミレアズだ。当のカスミレアズは痛そうに顔をしかめているものの、油断なく部屋の中央を窺っている。

 そしてアークが吠えた。



「俺が楽士を選り好みしたわけじゃない。

 過去の戦線、魔力さえ補給できれば助かった部下はごまんといた。そんな状態で専属が要らないと言うなら、そいつは上に立つ資格さえないボンクラだろうが。

 意思表示どころか再三の要求を突っぱねたのは宮廷楽士だ。

 俺が責められるいわれはない。

 まして困窮している第四騎士団を放置したのは他でもない宮廷騎士団で、今さらどの面下げて『報告がない』などとほざくつもりだ。恩義どころか義理さえないこの関係でふざけるのも大概にしろ。


 身元不明がどうした。

 出自が傷を癒してくれるのか。血筋が命を救ってくれるのか。相応しいかどうかの面子なんぞ糞くらえだ。

 たかが専属契約ごときで処分すると言ったな。できるものならしてみたらいい。


 レイテア国境の要衝を守っているのは誰だ?

 東西南北、併合した辺境各地を巡回しているのは? 真っ先に魔獣討伐に出向くのは? 戦争で最前線である第一防衛線を築くのは?

 一級指定の危険任務を常に請け負っているのは誰だ?


 全て第四騎士団だろうが!


 処分上等だ、やってみろ。

 帝都に縋りついて役目を果たさない騎士団に、代わりが務まると言うのならな!」



 青い極光が弾けた。

 騎士服のカスミレアズが光に背を向けるように真澄を抱き込む。肩口から見た光景は、コマ送りに感じられるほど克明に鮮やかに焼き付いた。

 碧空の鷲が躍りかかる。

 迎え撃ったのはすみれの獅子だった。

 両者は一瞬もつれ合い、すぐに弾けて四散した。窓ガラスは衝撃に全て割れた。三人の騎士団長たちはそれぞれに腰溜めの姿勢で力を受け流したらしいが、宮廷騎士団長は椅子にかけたまま悠然と腕組みをしている。

 静寂が訪れた。

 カスミレアズが左手に真澄を抱えたままゆっくりと身体を起こす。爆風にあおられて打ったのか、右手は頭を押さえている。

「言いたいことはそれだけか?」

 まったく焦りのない声で宮廷騎士団長が問う。それに対し、襟を正しながらアークが答えた。

「報告ついでに。今年の楽会選考、私の専属も入れさせて頂きます」

「なに?」

「無論、私も武会に出ますが。『武楽会優勝者には望むものが与えられる』、まさかお忘れではありますまい。今の腐りきった楽士とたるんだ騎士を一掃するのも面白そうだ」

 不敵に笑うアークと、驚きをにじませつつ対峙する四人の騎士団長。その対比はあまりにも鮮やかだった。


 浮き彫りになった現状と切られた啖呵。

 それは先の波乱万丈を覚悟させるに充分すぎた。


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