41.出頭命令・中
アルバリーク帝国の中枢が集まるこの帝都中心部――通称、宮廷と呼ばれるそれ――は、敷地がかなり広い。
冗談抜きで広い。
夏の午後、くそ暑くなる時間帯に長い距離を歩かされて、真澄の額には否応なく汗がにじむ。こんなに遠いところを呼び出されたと知っていたら、間違いなく出発前にもっとゴネていただろう。
これは確実に嫌がらせだ。
時間帯も距離も、どう考えてもそうとしか思えない。顔を合わせる前ではあるが、早くも呼び出した相手――宮廷騎士団長とやらにマイナスイメージが付いた。
「もしかしなくても性格悪いんじゃないの、宮廷騎士団長って」
思わず真澄の口から文句が出る。すると、横を歩くアークはからりと笑った。
「お前にしては察しがいいな。そのとおりだ」
「この扱いで気付かない方がどうかしてるわ」
言い捨てながら、真澄は首に直接結んでいたスカーフを抜き取った。
いい加減我慢の限界なのである。
選べるところは屋内を歩くようにしているが、いかんせん贅沢すぎる土地の使い方をしているゆえ、棟と棟の距離が遠い。すなわち炎天下の直射日光にさらされるのだ、それも頻繁に。
しかも目指しているのはこのだだっ広い敷地内の、大外から向かって最内中心部だ。否応なしに移動距離はまあ増える。
配置の都合から導き出される距離に関しては致し方ないこととは思う。守らねばならない帝国の為政者がおわす場所だ、そりゃあ周囲は十重二十重に囲まれていて然るべきだろう。
ただしそれを脅しと共に急に呼び出した挙句時間帯を選ばせないあたり、根性の悪さが滲み出ている。
暑さと苛立ちで血管が切れそうになりながら真澄がスカーフを抜くと、汗の滲んだ首筋に外気が触れて随分と体感が涼しくなった。認証キーという意味で宮廷内を歩くには必須アイテムだが、肌身離さなければ首元だろうがポケットだろうがこの際どこでもいいだろう。
そんな道中、良い機会だとばかりに歩きながらカスミレアズが説明をしてくれる。
敷地が広い理由は、ひとえに国政に関する主要機関のほぼ全てが揃っているかららしい。
国王が政務を司る区画に加え、文官が詰める区画は言わずもがな。当然に軍部の本体も拠点が置かれており、騎士団の第一から第四訓練場だけでもかなりの割合を占有しつつ、魔術士団が居を構える区画もある。
国政と国防を一手に担うとなれば、当然それを補佐する機関も軒を連ねる。それがいわゆる後方支援部門であり、行政側の雑役部も含めるとむしろ最大所帯になるとか。
公的な部分だけでこれなのに、私的な敷地――王族が暮らす区画に始まり、軍部関係者の宿舎棟が連なる区画――まで含めると、もはや東京ドーム何個分に相当するだろうか。
そんな疑問が、呟きに現れた。
「構内馬車とかあってもいいと思う……」
「なんだそれは」
「イメージは公共交通機関みたいなもんよね。決まった時間に決まった道を通る、乗り合い馬車があれば楽なのにって」
「定期便ならばあるぞ」
「嘘でしょそれ早く言ってよなんで使わないのよー……」
暑すぎてもはや切れる気力も湧いてこない。
カスミレアズから出た衝撃の告白に、真澄は思わずうなだれた。
「そりゃカスミちゃんたちは体力あるからいいんだろうけど、こちとら完全なインドア派なんだからもうちょっとさあ」
「すまん。ただ定期便は途中までしか行かない上、あちらこちらに寄って時間がかかる。迂回するより歩いて直進した方が早い」
ちなみにその直進の中には、よそ様所帯の棟を通り抜けるも当然に含まれている。
その件についてもいかがなものかと真澄は思っていたのだが、正論を言って余計に歩かされるのは御免なので、口をつぐむことにした。
そんなこんなでぶつくさ文句を垂れながら歩いていると、次の棟に辿り着いた。
もう幾つ目になるだろうか。
扉が開け放たれたままの大きな正面玄関には人の往来が多い。後方支援部門の人間と、騎士や魔術士が半々の割合だ。これまで通り過ぎてきた棟とは違う雰囲気に、真澄は目を瞬いた。
「ここって食堂かなにか?」
目に飛び込んでくるのは単色ではない。
行き交う騎士の肩章と袖章は緑や赤、黄色など鮮やかだ。それは魔術士も同じで、彼らのまとう仕事着――ローブの左胸に施されている刺繍は、優雅な花や隆盛誇る草木など、名前は知らないが豊かな意匠がそれぞれに見て取れる。
これだけ多様な色と意匠が入り乱れる場所。
きっと、どこかの部門占有ではなく共有棟のはずだ。
ただし、どういう機能を持つかは想像もつかない。ここにきてからというもの、基本的に宿舎棟と後方支援部門の食堂、それに第四訓練場くらいしか足を踏み入れていなかった真澄の知識は残念ながら偏っているのだ。
正面から棟内に入ると、行き交う人間が「おや」と物珍しそうな顔をしつつ、それぞれ目礼を寄越してくる。
魔術士は言わずもがなだが、騎士の方も肩章を見れば第四騎士団の所属ではない。それでも敬意を表してくるあたり、やはりアークとカスミレアズの存在感は大きいようだ。
「ここは補給処だ」
進むべき道を先導しながら、カスミレアズが返してくる。
「補給ってことは、魔術士団の?」
思いがけず、お仲間の仕事場にお邪魔したのか。
感慨深くなりかけた真澄に、しかしカスミレアズが首を横に振った。
「そうではなくて。物理的な装備全般の、と言えば分かるか」
「あ、そっち。盾とか剣とかね、おっけー把握しました」
的確な説明に一度は納得する。が、すぐに真澄には次の疑問が浮かんだ。
「でも魔術士って剣ふり回さないわよね? それともまさかふり回すの?」
他でもない魔力一本槍で戦うはずの彼らに一体どんな装備が必要だというのだろう。
まさかとは言ったが、あながち見当違いではないかもしれない。ここでは予想の斜め四十五度上をいく回答が飛び出してくるのが日常茶飯事ゆえ、まさかの心構えそれ自体が無駄だったりすることも多々あるのだが、まあそこはそれ。
で、どうなのか。
しろうと丸出しの質問だが真澄が窺うと、面倒くさそうな顔一つせずにカスミレアズが答えてくれた。このあたり、クソがつくほどの真面目さであるが同時に大変ありがたい。
「装備のみならず、補給処は全軍の活動に必要とされる物品調達の全てを司っている。制服関係しかり、備品……紙や羽ペンに至るまでしかり。およそ出納に関する事柄は補給処が権限を持っている」
なるほど、つまり財布を握る部門らしい。
であればここは後方支援部門の一つに数えられるのだろう。魔術士団そのものとは一線を画している。
「調達してほしい物品があれば、要求書を提出することになる」
カスミレアズが先を歩く騎士を指差した。背を向けている緑の肩章を持つ彼は、その手に紙の束を抱えている。
それと理解して周囲を見渡せば、棟に入る人間は多少の差はあれど紙を手にしている。一方で手ぶらの人間は棟を去っていくことから、要求書を提出し終えたと見える。
その光景が、真澄の目には新鮮だった。
「怒らせたらまずい相手ね」
思わず頬が緩む。
真澄の反応をどう受け取ったか、カスミレアズは肩を竦めた。
「ないがしろにして良い後方支援部門など一つもない。彼らがいるから、私たちは本分に集中できる」
「それ、直接言ったことある?」
カスミレアズの言葉が止まった。それまで黙って横で聞いていたアークも、興味深そうな視線を向けてくる。
「いや……特に口にしたことはないが」
礼を失したことはないはずだ。ためらいがちにそうカスミレアズが付け加える。
「でしょうね。もったいないから言えばいいのに。きっと喜んでくれると思うけど?」
「……は?」
「支援部門ってさ、支援にすぎないことは他でもない自分たちが一番良く分かってるんだけど、それでも感謝されたら嬉しいもんよ。大事にしてくれる相手には、もっと他にできることがないか真剣に考えるの。逆に横柄なやつには必要最低限しかしないけどね」
懐かしい記憶がよみがえり、真澄は目を細めた。
色々あって最後は身体を壊してドロップアウトを余儀なくされたが、最初に就職した大手は社会人としてのいろはを教えてくれた。僅か三年と少しの間で、沢山の派閥争いや部門間の諍いを見てきた。そこに浮かび上がるのは、最後はいつも人間の気持ちだった。
「まあカスミちゃんなら態度で充分伝わってるだろうけど」
真澄の言い終わりと補給処棟の抜け終わりは同時だった。
夏の日差しがまたしてもまぶたに突き刺さる。眩しさに手でまびさしを作りながら、真澄は生真面目な近衛騎士長を見上げた。
「疲れてる人間にはすごくいい薬になるから、気が向いたら言ってみてよ」
「それは経験談か?」
「んー、どうかな」
曖昧に濁して、真澄は笑った。
そういえば自分たちは、これまでどうやって生きてきたのか、何をしてきたのかさえ互いに知らないのだ。
いつか話す日が来るのだろうか。
それほど長く共に過ごすことになるのか、今はまだ想像もつかなかった。
* * * *
壮麗な宮殿としか形容できない白亜の中央棟に辿り着き、その敷地内に足を踏み入れた途端、空気の密度が変わった。
非戦闘員の真澄にも分かる。
通り過ぎてきた喧騒は遠のき、水を打ったような濃密な静けさが広がっている。まるで水の膜でも張られているかのごとく如実に違う。前庭は盛夏にとりどりの花が咲き誇り、優雅に美しい。それなのに肌に突き刺さるような緊張感があり、真澄の肌が粟立った。
「分かるか?」
顔をしかめた真澄に、アークが訊いてくる。
具体的になにがどうとは言えないが、敵意あふれる空気に真澄はただ頷いた。
「ここから先が宮廷騎士団と宮廷魔術士団の管轄区画になる。アルバリーク帝国の心臓部、国王とそれに連なる王族の居城であり、帝国政務が動く場所でもある」
「だからこんなに、厳重……なの?」
言葉とは裏腹に門番や巡回の騎士は一人もいない。
だが無防備に置かれている綺麗な庭園が、まるで無知の不届き者を誘うようで空恐ろしかった。
「そうだ。武官で常時認証を持つのは各騎士団長と近衛騎士長くらいか。臨時認証を許可されても、あまりに魔力が低いと中てられてまともに歩けない」
「へえそうなんだって言いたいけど、じゃあなんで私は平気なわけ」
「それは俺の認証が有効だからだ」
「ごめん、理解できそうで全然理解できないわ」
「あー……そうか、魔力ゼロのお前に感覚で分かれっつっても無理か」
早々に説明をぶん投げたアークが、ふと足を止めた。
庭園を歩き始めてまだ三分の一ほどだろうか。遠くに見えている入口はまだ遠い。先導役を代わり後ろからついてくるカスミレアズを振り返ると、慣れているのかその顔色は特に変わっていなかった。
目に美しいが居心地の悪いこんな庭園、真澄としてはさっさと抜けたい。
視線で訴えるも、アークは涼しい顔でそれを黙殺した。
「本人の力量に頼らなくてもいい防護壁を築けるかどうかってのが肝なんだが……直接見た方が早い。腰抜かすなよ」
「えっ、ちょっ、待っ」
不穏すぎる台詞を吐くアークを止める暇はなかった。
「……あのあたりか」
とある繁みに目を凝らしたかと思うと、おもむろにアークがそちらに向かって手をかざした。
青白い極光がその掌に広がる。
やがて膨れ上がった光はアークが腕を振ると同時、繁みに向かって鋭く一直線に突き刺さった。そのまま真上に光が走る。切り裂かれた空が、ぱきり、と高い音を立てて割れた。
線に沿ってずれた空。
そのずれは緩慢に大きくなり、半分以上を過ぎたところで叩きつけられたガラスのように空が砕けた。
「っ……!」
悲鳴が出そうになって、真澄はきつく口元を手で覆った。
「サーペント、庭園の守護者だ。ここにはあれの魔力が満ちている」
異形を目の前にしても動じることなくアークが言い放った。
一度は砕けた景色だったが、後ろにあったのは同じ空と庭園だった。違うのは、先ほどの繁みの横に琥珀色の大蛇が陣取っていることである。
近寄ってはこない。
だが縦に切れた瞳孔が、片時も漏らすことなく真澄たちを捉えている。
「覚えておけ。あの琥珀が今の宮廷魔術士団長の色だ」
真澄の額に、暑さとは違う冷や汗が滲んだ。
とてつもない存在感だ。
これを生み出すほどの力の持ち主となれば、アークと比べても遜色ないのだろう。訊かずとも総毛立つ身体の本能で分かった。
威圧感に耐えきれず後ずさった真澄を支えたのは無言のカスミレアズだった。見れば、彼の眉間にも何かをこらえるように皺が寄っている。
この場で涼しい顔をしているのはアーク一人だった。
「通常の認証は極論、『当該区画への立ち入りが適格であること』しか保証しない。不適格者への攻撃起動は回避できるが、それだけだ。適格者に対するあらゆる監視――この庭園ならばサーペントからの圧迫に耐えられるかどうかは、生来持つ魔力の多寡に左右される。カスミレアズだから、不可視を暴いてもこの程度で済んでいる」
神聖騎士ならばまだしも、策を講じない真騎士以下はまず昏倒する代物。
そうアークは言った。物騒なことをさらりと言い過ぎである。
「一般人以下のお前がそれでも無事なのは、俺の認証の中に魔力の防護壁を付加しているからだ」
同じとは言わないまでも、半分程度――カスミレアズ換算で、五人分くらい――の耐性はついている。そんな説明をされてじっとしていられるはずもなく、真澄は身体をはがして引き合いに出された近衛騎士長をまじまじと見た。
しかめっ面の理由はそういうことか。
おそらく真澄が感じているよりよほど、不快感は強いようだ。
「分かった、分かったからもう行きましょうよ。寄ってこられたらたまんないわ」
蛇というだけで遠慮したいのに、それが身の丈を越える巨大さである。本当に勘弁してほしい。
「お前一人なら、まあ、……身体に巻かれただろうがな。俺がいるから心配ない」
アークの魔力が押し返すので、むしろサーペントの方が近寄りたくてもこれ以上は近寄ってこれないらしいのだが、言いたいのはそういうことではないのだ。そして想像力をかき立てる台詞もやめて頂きたい。
だが説明するのも面倒で、さっさとこの場から立ち去るべく真澄は両手でアークを押した。
ここは伏魔殿。
美しい外観とは裏腹に、何が潜んでいるか分からない。




