40.出頭命令・前
フィーネ(終わり)。
最後の音符を書き終えて、真澄は右手で走らせていた羽ペンを止めた。ずっと左手に構えていたヴァイオリンを下ろす。指を確認しながらの記譜作業は、慣れない動きでかなり肩が凝った。
ふう、と息をつく。
すると様子を見たか、背中から声がかかった。
「一段落か?」
「セルジュさま……と、皆さま。すみません、お構いもせず」
振り返った真澄は慌てて頭を下げる。
二日前の騒動から一転、新調された広い応接ソファには、セルジュを始めとする指南役七名が勢ぞろいして寛いでいた。彼らの前にはそれぞれ湯呑みがあり、テーブル真ん中に置かれた茶菓子をめいめいが好きに取っている。
まさに勝手知ったる他人の部屋。
どうせ扉は開け放していて「ご自由にお入りください」方式なので問題はないが、一体いつから集まっていたのだろう。集中していて真澄はまったく気付いていなかった。
「気にしなくていい。あなたの仕事より優先されるべきことなどない」
鷹揚にセルジュが手を振る。
真澄はヴァイオリンをケースに入れてから、彼の傍に置いているやかんに近寄った。中には冷やした茶が入っている。疲労回復に良いとされている薬草を煮出したもので、味は香ばしく、汗をかく夏にぴったりの飲み物だ。
自分のカップを持ちつつ真澄が手を伸ばすと、セルジュが注いでくれた。
筆頭指南役に酌をさせるなどぜいたくすぎる。新入りの従騎士が見れば卒倒しそうな光景だが、真澄はありがたく好意を受け取った。
「ありがとうございます。いつ頃からここに?」
「もう小一時間ほどになるか」
ぶっ。
盛大に真澄は茶を噴いた。
「声をかけてください! 全然気付かなかった……背中を向けっぱなしですみません、大変失礼しました」
「なにも問題ない。むしろ邪魔をするまいと思って気配は消していたよ」
「ですからそういうのが力の無駄遣いだと……」
ただでさえ集中すると周囲に気が回らなくなるのに、この達人たちが気配を消したらそりゃあ気付くわけがない。
がっくり脱力しつつ、真澄は開けられたソファの一角に腰かけて、茶会の輪に入った。よくよく見れば、隅の一人掛けソファに泰然とかけているアークがいる。
休憩を兼ねて本を読みながら、指南役たちの会話に耳を傾けているのだろう。
第四騎士団あるあるの光景だ。
現役は総司令官を前にしようものなら直立不動になるが、慣れている指南役たちは現役総司令官を置物扱いで茶飲み話に花を咲かせている。
「それにしても、とうとう訓練場が二つか。セルジュさんの不祥事が発端とはいえ、隔世の感だな」
「総司令官とその専属楽士に、近衛騎士長。どれも規格外とくれば、むしろ順当では?」
「楽士を雇うために経費という経費を切り詰めた時代が懐かしいな」
出た。
茶菓子を口に放り込みながら、真澄は興味津々で耳をそばだてた。
なんせ彼らの昔ばなしは面白い。訓練合間の休憩時間、かつて「白き二十の獅子」と謳われた彼らは、便利になったこと、融通が利くようになったことなどを嬉しそうに語り合うのだが、そこに必ず駄目すぎた昔の惨状が思い出話として話題に上がるのだ。
何度「それで良かったのか」と突っ込みそうになったことか。
まさに今話題に上がった経費という経費とやらも、どうせ「そんなとこまで!?」と言いたくなるような大事なものまで切り詰めたに違いないのだ、この御仁たちは。
本当に、不遇を知る世代は同時に忍耐強すぎていけない。
そんな真澄の内心をよそに、指南役たちは懐かしさに目を細めて話を続ける。
「裏紙で決裁書類を上げたヤツもいたな」
「……正直あれには参りました。『どちらが正か分からん』と上から説教された挙句に殴られたんですよ。切り詰めろと言うからそうしたのに、理不尽極まりない」
「一月分を切り詰めても、楽士は三日も来てくれなかったしな」
「今なら分かる、あれは暴利だった」
毒づいた指南役の一人が眩しそうに真澄を見た。
返事としてとりあえず真澄は肩を竦めておく。他所の騎士団は知らないが、少なくとも以前の第四騎士団と比べればかなり環境は改善されているのは紛うことなき事実だからだ。
そもそも普通の楽士は騎士団の訓練場になど来ない、らしい。
彼らは別の棟に仕事場が置かれていて、単発契約という名の騎士団要請がない限り、訓練場くんだりまで足を運ぶことなど絶対にない。一方で真澄は常に訓練場の横の事務所に控えて、研究をしつつ回復をかけてやっている。おかげで騎士たちはガス欠を気にせず好きなだけぶっ放せるという寸法だ。
これまでは月に何日と魔術を使う訓練日を決めて、その時だけ金を払って宮廷楽士に来てもらっていたとか。節約節約、また節約。涙ぐましい努力だ。それが毎日できるとなって、うっぷんをはらすかのごとく否応なく訓練に力が入っているのである。
真澄としては、役に立てているのなら本望だ。
逆にここまで厚遇されて申し訳なくなる。衣食住を保証されてかつ好きなことをできているのだから、真澄の側には文句を言う余地などどこにもない。
「お役に立てて、」
光栄です。
続けようとした言葉はしかし、けたたましいノックに遮られた。
* * * *
血相変えて部屋に飛び込んできたのはカスミレアズだった。
あまりの勢いにすわ何事かと全員の視線が入口に集まる。近衛騎士長は一礼で敬意を表しながらも、靴音高く部屋に入ってきた。
「皆様お寛ぎ中のところ申し訳ございません、急ぎでして」
肩で息をしつつ先任への礼を忘れないあたり、やはりこの近衛騎士長は真面目だ。
「それは構わないが、どうした? お前がそれほど慌てるなど珍しい」
最年長のセルジュが落ち着かせるようにゆっくりと問う。
カスミレアズは一瞬なにかを言いかけたが、口を閉ざした。全速力で走ってきたのだろう、乱れている息を整えるように二度三度と深呼吸を重ねる。そのまま最奥に座るアークへと視線が向けられると、ただならぬ雰囲気を感じ取ったか、アークは手元に開きっぱなしだった本を閉じて横に置いた。
「……俺に用事らしいな?」
「はい。不味いことになりました」
カスミレアズが下げていた右手を胸あたりに掲げる。
握り締められているのは、一巻きの羊皮紙だった。結び紐は黒に近い重厚な紫だ。
「宮廷騎士団長より出頭命令です」
「放っておけ。こっちは忙しい」
間髪入れず総司令官が一刀両断である。ところが近衛騎士長が食い下がった。これは珍しい光景だ。
「ことがアーク様だけであれば、私もそう致します」
ん?
切迫した声に、アークだけではなくその場にいる全員――指南役と真澄までも、首を捻った。
総司令官の他に放ってはおけない重要な人物ときたら、指南役筆頭のセルジュだろうか。彼の人はつい先日、大事故を起こした張本人でもある。全員が同じことを考えたようで、否応なくセルジュに視線が集まった。
そして心当たりのありすぎるセルジュ本人も、「私か?」と自身を指差している。
しかしカスミレアズは首を横に振った。
「セルジュ様ではありません。マスミ殿です」
「は? 私? ……なんで?」
いきなりの指名に真澄は素っ頓狂な声しか出なかった。
「身元不明の楽士を専属にした件について、説明を求めるとのことです」
真澄の頭を飛び越えて、カスミレアズがアークに言った。
一気にアークの目が眇められ、部屋の体感温度が急激に下がる。どう見てもご機嫌斜め、不興を買ってしまったらしい。まさに今、この瞬間に。
苦虫を噛み潰した顔のアークが「ああ?」と低く唸る。腹を空かせたライオンのような殺気がほとばしった。
「他の専属にも訊いて回ってるのかそれ、と言っておけ」
カスミレアズが一瞬言葉に詰まる。が、近衛騎士長は尚も食い下がった。
「身元不明の、という点でごり押しされるかと」
「根拠に乏しい。帝国典範に謳われていないものを、なぜ説明義務がある」
「出頭しない――つまり必要性を説明できないのであれば、他の決裁案件についても同様と見なす、そうです」
盛大に舌打ちが響いた。
「……第二訓練場の建設を認めない、ね。成程そうきたか。汚ねえ手を使いやがって」
「そうでもしなければ、絶対に呼び出しには応じないと先方も理解しているからでしょう」
「本っ当に面倒くせえな……」
アークが腕組をしつつ、背もたれに身体を沈めた。心底嫌そうな、辟易した様子である。
それで、どうするのだろう。
不穏な空気の中で真澄が様子を窺っていると、アークと目が合った。そのまま数秒が経過する。やがて意を決したようにアークがカスミレアズに向き直った。
「そうとなればさっさと片付けるか」
「では今から参りますか?」
「ああ。四の五の言うようならその時に考える」
「言いがかりをつけられるのは確実でしょうが、……どうか穏便にお願い致します」
巻き込むわけには。
言いよどみながら近衛騎士長の視線が思いっきり真澄に注がれる。明らかに残念なフラグが立っていそうなその目、本当にやめて頂きたい。
しかし真澄が口を挟む余地もなく、アークがふん、と鼻を鳴らす。
「それは相手の出方次第だ」
アークの性格を考えれば分かりきっていたことだが、それにしてもなんと血気盛んな回答か。
対するカスミレアズは沈痛な表情を隠しもしない。
「……やはり私も参ります。万一に備えて」
「いっそ殴り合いで決めた方が早いんだがな」
「どうか穏便に。これ以上覚えが悪くなるのは」
「生まれてこの方評判が良かったことなんざ一度もないぞ。今さら怖いものなんぞあるか」
さっさと立ち上がったアークの周りで、指南役たちが一斉に噴き出した。一人顔をくもらせるカスミレアズとはまったく対照的だ。
そして彼らは若い二人をやんやとはやし立てる。
「総司令官の言うとおりだな。地に堕ちた評判はこれ以上堕ちようがない」
それとも地面にでもめり込むのか?
最年長のセルジュが悪乗りしたのを皮切りに、勝手気ままな台詞が乱れ飛ぶ。
「心配したところで無駄だぞカスミレアズ」
「まったくだ。どうせ第四騎士団は前任時代から目の敵にされていたんだから」
「あっはは、言うこときかない騎士団で有名でしたもんねえ」
「元々それなのに、今になって更に血の気が多いですし?」
「そりゃ説教の一つもしたくなるわな」
「したところでどうせ聞きゃしねえのにな」
口々に勝手なことを言っている生きる伝説たちは、かくも自由なのである。
人生の諸先輩方からありがたいのか投げっぱなしなのかよく分からない励ましをもらいつつ、アークが真澄を振り返る。行くぞ、と声をかけながら指の骨をバキバキと鳴らすのはやめてほしい。どんだけ臨戦態勢だ。
ともかく呼び出されたというのならば致し方ない、真澄も渋々腰を上げる。
そのままひょいと視線を上げると、アークと目があった。
「ったく。挨拶に出向くつもりが先手を打たれたな」
「ていうかなに、あんた問題児扱いなわけ?」
思わずこぼれ落ちた真澄の疑問に、カスミレアズは遠い目になっているし、指南役たちは手を叩いて沸いている。ちなみに問われた張本人のアークはまったく意に介していない様子で肩を竦めた。
「俺は仕事に手を抜いたことは一度もない」
胸を張っているが、質問の答えにはなっていない。
「ふうん。言いがかりをつけるやつはどこにでもいるってことね」
真澄があっさり擁護してみせると、アークは一瞬だけ眉を上げた。
が、すぐに口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。
「カスミレアズよりよほど肝が据わってるな。さすが俺の専属だ」
「褒められてんのそれ? 問題児として仲間認定されただけな気がするけど」
「どうあれお前に一切の手出しはさせないから安心しろ」
「よろしくどうぞ、信用してるわ」
やると決めたら会話は早かった。
真澄には今さら何にためらう理由もないのだ。乗りかかった船はとっくの昔に出航している。それこそ彼らと一緒にヴェストーファを出ると決めた時から。
そして指南役たちが面白半分に拍手喝采を送る中、アークとカスミレアズ、真澄の三人で呼び出しに応じることとなった。
目指すは宮廷騎士団のまします中央棟である。
さて、待ち受けるのは鬼か蛇か。




