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泥水売りの聖女様は、今日もソファから動かない  作者: 希羽


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第四話:拠点

 洞窟から街への帰り道、アルスは道中ずっと考え込むような表情で、時折、私の腰にある砕けた短剣の柄を見つめていた。


「凜さん、やはりあの短剣……実は伝説級の遺物アーティファクトだったのではないでしょうか。魔力ゼロの人間があの規模の光を放つなど、通常では考えられません」

「……そんな幸運、本当にあるんでしょうか。たまたま購入した安物が、実は聖剣でしたなんて」


 私は努めて冷静に返したが、内心では別の可能性がよぎっていた。


(……あの時、確かに何かが弾ける感覚があった。まさか、私の特殊スキル? 『幸運』とか……? いや、そんなはずないか)


 考えるだけ無駄だ。今は根拠がない。私はその思考を一旦、脳の奥へ押しやった。


 ◇◇◇


 街に戻ると、アルスが手際よく事後処理を進めてくれた。バルカスとミラの件は彼が「適切に」報告してくれたようで、私は一切の追求を受けなかった。有能な仲間を持って助かったと、私は素直に感謝した。


 だが、問題はギルドの査定窓口で起きた。


「……申し訳ございません。このレベルのSランク魔石となると、当支部では即時の換金は不可能です」


 責任者らしき男性が、冷や汗を流しながら頭を下げている。

 目の前には、ヒュドラが残した、拳ほどもある漆黒の魔石。


「払えない、ということ?」

「い、いえ! 決して払わないわけでは……ただ、金額が五万Gを超えておりまして。本部の承認を待つと、一ヶ月はかかってしまいます」


 一ヶ月。そんなに待っていたら、私のスローライフ計画が停滞してしまう。手元の資金が滞るのは、何よりも避けたい事態だ。


 すると、アルスが、穏やかな声で助け舟を出してくれた。


「それなら、換金できない分、現金の代わりに『資産』で受け取ることはできませんか?」

「資産、ですか?」


 アルスは私に向き直り、少し真面目な顔をした。


「凜さん。記憶喪失で帰る場所もないのであれば、まずは拠点を確保すべきかと。この街は治安も良いですし、空き家を譲り受けておけば、不要になった際に売ることもできます。どうですか?」


 ……悪くない。一ヶ月もあの宿屋で待ち続けるよりは、まずは自分専用の城を構えるべきだろう。


「……私の条件は一つ。『今すぐ、まともに住める場所』を確保すること」

「わかりました。交渉は私に任せてください」


 アルスはギルドの責任者に微笑みかけ、いくつかの書類を指差した。


「……街の北西に、しばらく放置されている『旧魔導具師の工房』がありますね。あそこはギルドの所有物件のはずだ。あそこの土地建物すべての譲渡、それから即時支払える分だけの現金を、今回の魔石の対価に。……それで手を打ちましょう」


 ◇◇◇


 三十分後。私はアルスに伴われ、街の外れにある新居の前に立っていた。


 ……そこは、蜘蛛の巣と埃、そして呪いの噂で誰も近寄らない、ボロボロの廃屋だった。


「……アルスさん。私の『まともな場所』という定義、あなたと共有できていなかったかしら?」

「すみません、ここが一番条件が良くて……。魔力の淀みが酷くて誰も買えない物件だったので、格安で手に入ったんです。構造はしっかりしていますから、整えれば良い場所になりますよ」


 私は深い溜息をつき、錆びついた扉を押し開けた。カビ臭い空気。散乱するゴミ。……絶望的な衛生環境ね。


「まずは掃除か」


 私が思わず肩を落とすと、アルスが申し訳なさそうに、でも頼もしく言った。


「住みやすいように掃除しておくから、凜さんは買い出しにでも行ってきてください。……はい、これ。残りの魔石代の一部です。生活に必要なものを揃えてきてください」


 彼はそう言って、ずっしりと重い金貨の袋を手渡してくれた。

 独りで市場を歩きながら、私は売られている品々を眺めた。けれど、市場を歩けば歩くほど、私の気分は沈んでいった。


 売られている石鹸は油の匂いがきつくて、タオルは肌触りが悪い。ランプの明かりも、なんだかチカチカして落ち着かない。


(……この世界、もっと心地いいものはないのかしら)


 そんな時だった。

 埃っぽい匂いの中に、ふっと、懐かしくて深い香りが混じった。


 力強くて、どこかスパイシーな、あの焙煎の匂い。


(……これ、もしかしてコーヒー?)


 香りの元は、雑貨屋の隅に置かれた、誰も見向きもしない茶褐色の豆だった。

 私は吸い寄せられるようにその豆を手に取った。異世界に来て初めて、私の心が「これなら、やっていけるかも」と小さく跳ねた気がした。


 ◇◇◇


 買い込んだ荷物を持って、私は新居へと戻った。


 正直、期待はしていなかった。あのゴミ屋敷が、たった数時間でまともになるとは思えなかったから。

 溜息をつき、角を曲がって家の建つ通りに入った、その時だった。


「……えっ?」


 私は思わず足を止めた。

 そこにあるのは、記憶の中の廃屋ではなかった。

 ツタは綺麗に取り除かれ、黒ずんでいた壁は塗り直されたように白く、屋根も崩れかけていたのが整っている。まるで古いけれど手入れの行き届いた洋館。


 「場所、間違えた?」と周囲を確認するが、間違いない。


 唖然としながらも、私は家の扉を開けた。

 扉を開けた瞬間、カビ臭さも、蜘蛛の巣も、どこかへ消えていた。床は磨き上げられ、窓からは柔らかな光が差し込んでいる。清潔で、静かな空間。


 外観だけでなく、内観も完璧だった。


「おかえりなさい。思ったより早かったですね」


 奥から、フードを脱いだアルスが現れる。


 窓からの光を背に受ける彼は、言葉を失うほど綺麗だった。整った顔立ちはどこか浮世離れしていて、少し困ったように微笑むアルス。


「……アルス、さん?」

「凛さんのために、頑張って綺麗にしておきましたよ」

「嘘……!? これ、本当にあなたが一人で……? ありがとうございます、本当に!!」


 家が綺麗になった驚きと、彼の素顔のダブル衝撃に、私は感謝を伝えるのが精一杯だった。もっと聞きたいことは山ほどあったが、彼は小さく頷くと、マントを整えた。


「喜んでもらえて良かったです。では、僕は少し急ぎの用事があるので、これで失礼します。明日、また様子を見に来ますね」

「あ、ええ。また明日」


 彼はそのまま、流れるような所作で家を出ていってしまった。


 静かになった家の中で、私はぽつんと立ち尽くす。

 ……一体、彼は何者なのだろう。

 ふと、卓也のことを思い出す。彼も十分に有能で、整った顔立ちをしていたけれど、アルスが放つあの底の知れない空気感とは決定的に何かが違っていた。


 比較すればするほど、アルスの異質さが浮き彫りになる。けれど、数秒後には私は小さく頭を振って、その思考を打ち切った。


(……まあ、考えても無駄ね。情報が少なすぎるわ)


 今はそれよりも、目の前の現実だ。


 私は、買ってきた豆を一つ摘まみ、光にかざした。


 あんな恐ろしいダンジョンなんて、二度と御免だ。死ぬほど怖い思いをして、泥だらけになって……そんなの、私の望む暮らしじゃない。


 私は、自分らしく、穏やかに、美味しいものに囲まれて暮らしたい。


(……なら、この豆で、何かできるかもしれない)


 この街には、安らぎを求める冒険者がたくさんいる。もし、この豆で美味しいコーヒーを淹れることができたら。


(テイクアウトのコーヒー屋さん……。うん、いいかも)


 私は、綺麗になったばかりのキッチンに立ち、買ってきた豆を丁寧に広げた。


 誰のためでもなく、まずは自分のために、最高の一杯を淹れるところから始めよう。

 私の、本当のスローライフを作るために。

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