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第九話

 その日の夜。私たちは地下室の王子の書斎で地図を広げていた。私は大きめのノートを広げると、目測から導き出したおおよその「空白の空間」を、図面として書き足してみせた。

「なるほど……。地下一階の、この壁の向こう側にも隠された部屋があると?」

「はい、おそらく」

「けれど、図面上では入り口も扉もない。ちょうど水道塔の裏手にあたるから、外側からも死角になっているよね……」

「私の推測では、水道塔か、あるいは滝の裏側を経由して入るのではないかと考えています」


「水道塔に入り口や何かを見たことがないけど、滝の外側を通る、ということかな?だいぶ崖を登らなくてはいけないけれど……?」

「確証はありませんが、滝の方からしか道がないのです……」

普段なら自然と顔を寄せて話していたはずだった。けれど、夕暮れの庭でプロポーズをお断りしてからというもの、部屋には妙に気まずい空気が流れている。私たちはテーブルの端と端に座り、不自然なほど距離を取って話していた。静まり返った夜の地下室で、自分の声が想像以上に響いてしまって、私はふと不安になる。


(ここの声、どれくらい地上にまで漏れてしまうかしら?)

視線を上げると、王子も同じことを気にしているようだった。彼は離れた位置にいるのに、ぐっと姿勢を低くして、密やかな声で囁きかけてきた。

「確かに、一階から三階までこちら側に部屋が続いているから、そのまま地下まで繋がっていてもおかしくないと思う」

「はい。さらに、天守閣の影が落ちる時間にこの一帯が完全に暗くなる……そこが、何かの仕掛けの鍵になっている気がするのです」

「影が落ちる時間……午後一時過ぎ、というところかな」

「はい」

「わかった。じゃあ、明日は議会を早めに切り上げよう。サロンで昼食を取った後、またここへ来よう」


淡々と打ち合わせをこなそうとするものの、やはり距離感がおかしい。

「一緒に行こう」と約束する仲なのに、座っている位置があまりに遠いし、妙な姿勢……。いつも寄り添っていたせいで、たった一メートル離れただけの空間に耐えられなくなって、結局、どちらからともなく可笑しさが込み上げて、私たちは同時に吹き出してしまった。


「……ごめん。声が響くし、ちょっと近づくよ」

「はい。私も、その方が話しやすいです」

私が頷くと、王子は待っていましたとばかりにすぐ隣まで椅子を寄せ、声を潜めて聞いてきた。触れそうな距離にある肩や優しいバラの香りのする髪。いつもこんなにも近くにあって当たり前のように感じてしまっていたなんて。ふと、王子の横顔を覗き見た。


「もし、そこに部屋があったなら、そこに財宝が眠っていると思うかい?」

王子は私の描いた図面を指差した。期待に満ちた彼の瞳を見つめ、私は静かに首を振る。

「いえ、おそらくそこは『通路』に過ぎないと思います。今日、私が東の庭から確認したのは、中央棟の基礎部分でした」

「中央棟の?」

「はい。基礎が結構な高さにあって、壁の部分の建材の差異から見て、明らかに中央棟の真下にも、地下空間が存在しています」


「そんなことまで分かるの……!?」

「はい。ですから、その隠し部屋は中央棟の地下へ繋がるための、重要な経由地なのではないかと……」

「滝の横の部屋から、中央棟へ至る道がある、ということか。……すごい推理だ」

王子は感嘆したように目を丸くし、心底誇らしげにこちらを見た。

「まだ確証はありません。実際に見てみるまでは」

「分かっているよ。明日の昼過ぎ、必ず。――楽しみだね、バイオレット」

「はい。ありがとうございます」

明日の約束を交わし、私たちは名残惜しさを隠すように、それぞれの秘密の通路を通って自室へと戻っていった。


-------


 翌朝。朝食を終えた私は、一度図書室へと向かった。すでにこの王宮で、多くの人目に触れている私の立場を考えると、今後の「宝探し」も、その後の「移送作業」も、想像以上に不利な状況にある。すでに、王や王妃は、建築省の私がここでウロウロしている状況を、「財宝」に繋がる動きだと見抜いているだろう。


(しばらくは、私と王子の行動に注目が集まるはず。……徹底的に『ダミー』行動を混ぜなきゃ)

時には城の別の場所を見て回るふりをしたり、またある時は、のんびり部屋で過ごしているように見せかけたり。私たちの行動が決して怪しまれないよう、あらかじめ様々な動きを用意しておかなければならない。そう思うと、これから先の立ち回りまで、しっかり考えておく必要がある気がした。

 

 私は図書室でわざとらしく童話や小説の本を大量に借り、壁や本棚を調べ、何かが隠されているかのように振る舞った。そして、何度も中庭に出て、土を掘り起こすなど、周囲の視線を攪乱して過ごした。


 そんなことをしているうちに、午前が驚くほど早く過ぎ、気が付けば、王子との約束の時間がもうすぐそこまで迫っていた。昼食時、王子にもこの「カモフラージュ作戦」を共有したかったが、給仕たちの目が気になり、他愛のない世間話で時間を繋ぐしかなかった。食事を終え、私は「もうすぐ一時になってしまう」と思い、急いで自分の部屋へ戻ろうとした。その時だった。


「……ちょっと、こちらへ」

不意に王子が私の手を取り、本来の進路とは真逆の、大階段の下へと力強く引き寄せた。

(えっ、もう時間がないのに、どうしたのかしら?)

早足で進む彼の横に並び、私は王子の耳元へ手を添えて小声で尋ねた。

「王子、反対方向ですが……」

耳から顔を離して彼を見上げると、王子は驚くほど顔を真っ赤にして、険しい表情を浮かべていた。


「……どうしよう、今日は無理かもしれない」

王子はそう言うと、周囲を素早く見渡しながら、再び歩みを進めた。強く握られた手の熱。すぐそばで感じる荒い息遣い。王子のただならぬ様子に、私の心拍数まで跳ね上がっていく。

「どうして……?」

 言い終わるより早く、彼は私の体をふわりと抱き寄せるようにして、玄関ホール横の広間の入り口にある重厚なカーテンの裏へと滑り込ませた。狭い隙間。王子は外の様子を伺いながら、右手で私の口をそっと押さえ、左手で私の肩を抱き寄せた。


(……待って!!これ、ほとんどバックハグされている状態なんですけど?!)

全身が心臓になったかのように、鼓動がうるさくてたまらない。パニックになる私をよそに、王子はさらに顔を近づけ、頬と唇が触れそうな距離まで私の耳元に寄せてきた。熱い吐息が耳をかすめる。

「……静かに。見つかる」

「……!?」

「……ごめん、少し我慢して。王女の側近たちが、俺たちを追っているんだ」


きっと外から見れば――王子の首の傾げ方も、重なり合う影も、耳元にキスを落としているようにしか見えないはずだ。

(勘違いしちゃいけない……隠れてるだけなんだから。でも、近すぎる……!)

王子の腕に、ぐっと力がこもる。いつもの柔らかなエスコートとは違う、必死で強引なその力強さに、胸の奥が締め付けられるようだった。すると、カーテンのすぐ向こうに、男女の二人組が走り寄ってくる気配がした。王子は食堂を出た瞬間から、監視されていることに気づいていたのだ。


「王子たち、どこへ消えたんだ?」

「私は中庭の方を見てくる」

「わかった、俺はキッチンの方を回る」

短いやり取りのあと、二人が二手に分かれて去っていく足音が遠ざかる。それぞれの扉が閉まるのを確認して、ようやく私たちはカーテンから飛び出した。


 二人で小走りになりながら、大広間の階段の大時計の前を通り過ぎる。

「王子、あと十五分です!」

「……間に合うよ。行くよ、バイオレット!」

彼は再び私の手を強く握ると、階段を一気に駆け上がった。そのままの勢いで私の客室へと滑り込み、背後で鍵をかける。私たちは荒い息を整える間もなく棚の奥の隠し扉を開け、魔法の通路から、地下空間へと一気に駆け降りていった。



 中庭を駆け抜け、温室を突き抜けて水道塔の裏手にある滝へと辿り着くと、そこには計算通り、天守閣と中央棟が落とす巨大な影が差していた。

「間に合った……!」

膝に手をつき、肩で息をしながらも、王子は達成感に満ちた笑みを浮かべた。

「やはり、ちょうど滝のあたりまで影が伸びていますね」

私は飛沫を上げる大きな滝の裏側、濡れた岩壁をじっと見つめた。

「あの影の中に、入り口がないかと思うのですが……」

「バイオレット、あれを見て!」


王子の指差す先、激しく流れ落ちる水の幕の向こう側で、岩壁の一箇所から一筋の鋭い光が漏れていた。

「水の奥……やっぱり道がありそうですね!」

足場の悪い岩場を登り、王子が風の魔法で滝の水を割る。すると--轟々と流れていた水の幕がふっと途切れ、その奥に、洞窟のように続く暗い道が現れた。

「やっぱり!」

 私は思わず声を上げた。洞窟の奥を覗くと、その先にはさらに木陰と光が差し込んでいる。

「あの光が差していたんだわ」

「行こう!」


 二人で滝を横切り、洞窟の中へ足を踏み入れる。洞窟の道はゆるやかな坂道になっていて、少し登った先で突然視界が開けた。洞窟を抜けた瞬間、ひんやりした森の空気が頬に触れた。王宮の塀のすぐ裏側とはいえ、鬱蒼とした木々が生い茂っている。

「……ここ、本当に誰も立ち入ったことがなさそうだな」

王子が小さく笑った。

「私たちだけの秘密の場所ですね」

北棟の壁に沿って、周囲より少しだけ地形がくぼんでいる場所があって、そこで影の部分と光の部分がはっきり分かれている。そして、その奥には――確かに、王宮北棟の地下らしき壁が廃墟のようにひっそりと佇んでいる。


「すごい……! 君が言っていた通りだ!」

 王子が驚きと喜びの入り混じった声を上げる。

「やっぱり、こちら側にも部屋がありましたね!!」

 嬉しくてたまらなくなり、思わず二人で手を取り合って笑い合った。弾む心のままに王子へ近寄ってしまった体が、思いのほか密着していることに気づき、私は慌てて視線を逸らして手を引いた。

その壁面に扉はなかったが、高い位置にいくつか窓が並んでいた。

「とりあえず、窓から入ってみよう」


 王子が肩をぶつけて古びた木の窓枠をこじ開け、私たちはそこから室内へと滑り込んだ。

「ここは、ちょうど騎士団事務所の真下にあたるはずです。かなり広いスペースですが……」

「何もない、空っぽの部屋だね。それに、ここから中央棟へ繋がる道は見当たらないな」  王子が灯した火の魔法が、暗い室内を橙色に照らし出す。それでも、厚く積もった埃のせいで視界は悪かった。

「少し掃除しますね」

私は窓をすべて開放し、風の魔法で埃を追い出すと、さらに床に水の魔法をかけて、表面の汚れを洗い流した。すると、床面の奥から、ポチャーンと、水が滴り落ちたような綺麗な音が聞こえてきた。


「水琴窟のような音ですね」

「ええ?」

耳を澄ませると、やはり下から音が聞こえてきた。

「下の階に水が落ちる音がします」

私の言葉を受けた王子はすぐに火の光を床に当てて、不自然なところがないか、探し回る。すると、明らかに周囲の木材とは継ぎ目が異なる、正方形のラインがうっすらと見えた。

「これ……下に続く階段ではないでしょうか」

「えっ?」  

私がその板に体重を乗せ、ググッと力を込めて押すと、床の一部が跳ね上がって扉が開いた。その奥は暗い階段が下に伸びていた。


「――地下二階へも行ける!」

 私たちは、扉や窓が勝手に閉まらないよう、それぞれに風の魔法をかけながら、慎重に階段を降りていった。そして、下の部屋へ入ると、中央棟の直下へ続くような壁際に、重厚な鉄の扉が立ち塞がっていた。

「わあ! やっぱり、ここから先が中央棟なんですね!」

「君の推理通りだ、バイオレット」

 王子は本当に嬉しそうに笑った。

「でも……鍵が閉まっていますね」


 扉には古めかしい、見たこともない鍵がかかっていた。埃を払うと現れたのは、アンティークな金属製のパズルのような形状をしていた。複数の四角いパーツと一本の針が重なり、複雑な幾何学模様を描いている。

「……今日は、一度引き上げよう。この鍵の仕掛けを解く方法を考えて、しっかり作戦を立ててから出直した方がいい」

「そうですね。準備を整えましょう」

私たちは互いに頷き合い、まずは鍵の形状をうっすらとメモに書き留めた。

そして、見つけたばかりの秘密を胸に、洞窟を抜け、滝の裏を通り、来た道を辿って私の客室へと戻っていった。


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