第二十三話
「ルカ、どうしたの?さっきからずっと上の空だけど、何考えてるの?」
控室の静けさの中で、ひょろりと背の高い男がこちらを覗き込んできた。
長い手足を持て余すように立ちながらも、その表情はどこか柔らかく、
からかうような笑みを浮かべている。
「うーんと……何も」
その男--キリアンは一歩近づき、隣の椅子に腰掛けてルカの顔を覗き込んだ。
そういえば、以前はこの距離感にいちいち心臓が跳ねていた気がする。
けれど今は、あまりに激動の日々が続きすぎて、頭がぼんやりとしていた。
「友達の結婚式で“何も思ってない”って、……普通に問題じゃない?」
今日は新国王カイルとバイオレットの結婚式。
キリアンは新郎の付き添い、ルカは新婦の介添人として、出番を待っているはずなのに
――どうにも現実感が薄い。
朝から着せられた華やかなドレスも、丁寧に整えられた髪も、
すべてがどこか他人事のように感じられてしまう。
「なんだかわからないけど、最近色々とありすぎて……頭が追いついてないのかも」
「仕事、忙しいの?」
「まあね。ありがたいことに」
建築省に戻ってからの毎日は、目が回るほどだった。
劣悪だったかつての空気は一変し、男尊女卑の壁は崩れ、
女性の名前で提出する企画書もしっかり評価してもらえるようになった。
バイオレットと共に温めてきた道路整備計画も、いよいよ本格始動を迎えようとしている。
そのプロジェクトで目が回るほど忙しくしていたの。
それなのに、バイオレットから「結婚する」と聞いた時、ルカは腰を抜かすほど驚いたものだ。
(あんなに忙しかったのに、いつの間に結婚の準備を……?
今日の私のドレスまで完璧に揃えてくれちゃって)
ルカはドレスアップして髪をセットした自分を見ても、
どこか現実味を感じられなくて、胸の奥にぽっかりと空いたような感覚が広がる。
「ルカ。……もしかして、一番大事な友達が結婚するから、寂しいのか?」
「ええっ!?」
キリアンの問いに、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「友達が遠くへ行っちゃうような気分?」
(何? 今、すごく動揺したけど……言われてみれば)
「そう……かも」
ルカは自分でも驚くほど素直に、そんな言葉が零れた。
キリアンは小さく頷き、安心したように息を吐いた。
「やっぱりな。いつものお前はもっと騒がしいし、元気だし、
遠慮なくズバズバ言うのに、今日はずっと暗い顔でぼーっとしてるから」
「それどういうこと?」
「褒めてる褒めてる」
即答されて、思わずむっとする。
けれど、そのやり取りすらどこか懐かしく感じて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
キリアンが優しく寄り添ってくれる感覚が、妙に新鮮で戸惑う。
「バイオレットとずっと一緒に歩んできた人生で、彼女を思ってるからこそ
そんな感じなんだろうけど、何も心配しなくていいのに」
キリアンは隣に並んで、顔を傾けて、ルカを覗き込んだ。
「それにしてもあんた、今日はやけに優しいわね」
半ば無意識にそう口にすると、キリアンは一瞬きょとんとしたあと、吹き出すように笑った。
「俺、いつも優しくない?」
「どうだか。前にキリアンの部屋使わせてもらってた時なんて、
話しかけても適当な返事しかしないし、すぐ寝るし。クールな奴だって思ってたよ」
「……クール、ねえ」
キリアンは困ったように眉を下げ、ぽつりと呟いた。
「まあ、あの時はとにかく、お前のことを気にしないように必死だったんだよ」
「はあ? 私が邪魔だったってこと?」
ムッとして声を尖らせるルカを、キリアンが慌てて制する。
「どう考えても逆でしょ。あの時、ルカのことをまともに直視してたら、
いつ手が出てしまうか分からなくて……毎日、正気を保つのがやっとだったんだよ」
「……ええっ!?」
驚いて顔を見上げると、キリアンは耳まで真っ赤にして視線を逸らしていた。
「お前、無防備にベッドに寝っ転がって手足を出してたり、薄着でくつろいだり……
寝顔までこっちに向けて。
……俺がどれだけ耐えていたか、少しはありがたく思ってよ」
「ちょ、ちょっと待って!? 何の話!?」
「だから、直視してたら理性飛びそうだったって話」
さらりと言われて、ルカの顔が火を吹いたように熱くなった。
心臓がバクバクと暴れ出す。
(どうしよう、今のキリアン……すごく可愛く見える)
「やだ、恥ずかしい! あんた、何言ってるのよ!」
肩まで震わせて叫ぶ彼女を見て、彼はようやく覚悟を決めたよう声を落とした。
「……あの時からずっと好きだったんだ。
会うたびに、どんどん君に惹かれていく。
この前会った時も、僕のことなんて微塵も意識してなさそうだったから……
今日はちゃんと、言葉にしようと思って」
そう言って、キリアンはゆっくりと距離を詰め、ルカの冷え切った手をぎゅっと握りしめた。
彼の体温がじわじわと流れ込んでくる。
「好きだよ、ルカ」
真正面から見つめる彼の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
「ご、ごめん! タイム! タイム!! 一回息をさせて!」
ルカはたまらず横を向いてしゃがみ込み、激しい鼓動を抑えようと胸を叩いた。
「君……本当に鈍感なんだな。それとも、恋愛経験ゼロ?」
「な、なによ、悪い!?」
「いいや。でも、ルカだって僕のこと、嫌いじゃないだろう?」
ふわりと、彼の長い腕が彼女の肩を包み込んだ。
「わあ……っ」
「大丈夫。焦らなくていい」
低く落ち着いた声が、耳元で響く。
「ちゃんと待つから。これからは、ちゃんと伝えていく」
キリアンは腕の力を緩め、ルカの頬にかかった赤い髪をそっと指先で整えた。
「よろしくね。僕のルカ・エルナンド」
その仕草があまりにも自然で、あまりにも優しくて
――ルカの頭は、完全に真っ白になった。
「何だか不思議なご縁だけどさ、バイオレットとカイルが俺たちを繋いでくれたから。
俺は今日の結婚式がすごく嬉しいんだ」
キリアンは控え室の窓から中庭に集まった多くの人たちを見ていた。
(どうしよう、何これ……さっきと全然違う意味で、何も考えられない……)
「もーーー!! 何してくれてんのよ!!」
結局、ルカはそう叫ぶことしかできなかった。
「余計に結婚式のことに集中できなくなったじゃない!」
「いいじゃん。すごい元気戻ってるし」
くすくす笑うキリアンを見て、悔しいのに――
胸の奥に、さっきまでなかった温かさが灯っているのを感じてしまう。
そのことに気づいてしまった自分が、いちばん厄介だった。
「私、バイオレットに何するんだっけ?えーっと」
パニックになるルカの手をひいて、キリアンは歩き出した。
「さあ、行こう。今日も最高の一日にしよう」
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イリーナ王国の歴史に、これほどまでに民衆が沸き立った日はなかった。
新国王カイルの結婚式。
王宮の中庭では今や色とりどりの花々で埋め尽くされている。
特にバラとともに、たくさん咲き誇っていた。
完成したばかりの噴水が太陽の光を浴びて七色の虹を架けていた。
私は自らデザインした純白のドレスに身を包んでいた。
その胸元には、あの日、地下で見つけたアメジストが、誓いの証として輝いている。
鏡の前で、私は真っ白なレースの手袋にゆっくりと指を通した。
詰まることも、激痛に顔をしかめることもない。
かつては、布団の重みすら指に響き、手袋をはめることなど想像もできなかった。
(……すんなりと、入る)
自分の指の形に添って、しなやかに伸びる白い布。
その当たり前のような感覚が、
今の私にとっては、涙が出るほど誇らしく、幸せなことだった。
「バイオレットがデザインしたドレス、最高に素敵!もう準備はいいわね」
振り向くと、花嫁控室にルカが迎えにきてくれていた。
「うん。ルカ、今日ここで付き添ってくれてありがとう」
「私の時は、バイオレットがやるんだからね」
「うん!やりたい!!」
ルカの声に頷き、彼女の手を取って、花嫁控え室を出た。
すると、そこで母と妹のスカーレットが待っていてくれた。
「バイオレット!!」
「お姉さま!!」
「遠いところから大変だったと思うけど、二人にもちゃんと来てもらえてよかった」
真っ白な手袋のまま、私は二人の家族の手を取った。
「あなたの晴れ舞台なんだから当然でしょ」
「お姉さま、私たちのことはもう心配いらなくてよ」
今回の結婚式でこちらへ二人を招いて分かったことがあった。
小さかった妹は、いつの間にか婚約者を携えて、母と家を守ろうと考えて動いてくれていたこと。
もはや仕送りも必要ないくらい、彼女も立派な教育者という仕事を見つけてくれていたこと。
「お姉様の仕送りがあったから、私は学べたの。
お姉様が自分の手を犠牲にして守ってくれた家を、今度は私が守るわ」
妹からの言葉に、思わず涙がこぼれた。
「本当に、スカーレットが頑張ってくれて、頼もしくなってくれて嬉しいわ!
でも、私もできることは全てするからね」
「ありがとう、お姉さま」
三人の大切な人達と共に、王宮のテラスへの階段を登って行った。
四階へ上がると、階段のすぐそばでカイルが待っていた。
ルカと母親と妹はテラスの脇にいる、前の王とキリアンの横へ並んだ。
側へ寄ってきてくれたカイルが、そっと私の手を取った。
「緊張してる?」
「いいえ……。この手が、こんなにたくさんの人と繋がっていると思うと、温かくて」
二人がテラスから姿を現すと、中庭の広場を埋め尽くした国民から地鳴りのような歓声が上がった。
その中には、多くの騎士団達や、王宮の使用人達、
今や良き友人となったシャオンとブルーノの姿もあった。
横で、ルカは鼻をすすっていて、キリアンは彼女の隣で照れくさそうにハンカチを渡していた。
私は、青く澄み渡る空を見上げた。
カイルは歓声に満ちた広場を一度だけ見渡し、それからゆっくりと私の前に跪いた。
ざわめきが、波のように静まり返る。
「――この国の皆さんの前で、もう一度誓わせてほしい」
そう言って彼は、彼女の手を取り上げた。
泥にまみれ、傷つき、それでもすべてを創り上げてきたその手に
――王は、深く、静かに口づける。
「君のこの手が、この国を救った
だから――これからの未来も、どうか僕に預けてほしい」
顔を上げた彼の瞳は、王としてではなく、ただ一人の男として、まっすぐ彼女を見つめていた。
「――愛してる。バイオレット。僕と、共に生きてほしい」
(ルカ、スカーレット、お母様。そしてもう一人の前世のお母様。
私、こんなに美しくて幸せな光景の前に立っています。
この手で、未来を造っていますよ)
風が優しく頬を撫でたのは、遠い世界からの返事のように感じられた。




