第十四話
午前中、私はあらゆる文献をひっくり返して調べ物に没頭していた。王子への提案をまとめるつもりだったが、時間はいくらあっても足りない。昼食の席で合流した際、周囲の目を避けながら「夕方に改めて」とだけ伝える。すべての文献確認を終えたのち、私は午後四時、地下室へと向かった。
すでに王子はテーブルに着き、紅茶と焼き菓子を用意して待っていてくれた。
「待たせてしまって申し訳ありません」
「僕も仕事をしていたから大丈夫だよ」
私は椅子に座るなり、机いっぱいに図面を広げた。
「実は――黄金の移動についてですが、魔法で約一七〇〇度まで加熱し、液体化させたものを、耐熱パイプを通して一気に移送する方法が取れると考えています」
「……液体にして移動させるのか。そんな方法があったとは、効率的だ」
「はい。宝石類だけは手作業で運ぶしかありませんが、先代が残したあの金の石柱も、おそらくは上部から鋳造のように流し込まれたものだと推測しました」
「そう言われてみれば、確かに……そんな形だ」
王子はゆっくりと頷く。
「現代の魔法と素材技術であれば、百年前よりもはるかに精密で強固な構造の中に封入できるはずです」
「ということは、下の階へ移すのが前提なのかな?」
「いいえ」
私は首を振った。
「風の魔法で管内の流れを制御すれば、上方への移送も可能です」
王子は小さく息を吐く。
「……上にも。場所は一ヶ所にまとめた方が管理はしやすいと思うけれど」
「はい。一ヶ所の方が効率的ですが、必要であれば複数箇所への分散も可能です」
「……となると、問題はどこに隠すか、だな」
王子が腕を組む。
けれどその時、私の中ではすでに答えが定まっていた。
「――王子。答えは、もう出ています」
「え?」
「昨日、王子ご自身がおっしゃっていた案の中に」
私はノートを開き、ペンを走らせる。
「“玄関ホールの装飾”です。そこに、黄金を隠しましょう」
王子の顔から、一瞬で余裕が消えた。
「……それは、さすがに危険だし、無理なのでは?構造的にも不安があるし、見つかれば簡単に奪われてしまう」
心配そうに眉を寄せる王子に、私は調べてきた補強案を次々と提示した。
「単に隠すのではありません。装飾柱やレリーフの『核』となる部分に黄金を流し込むのです」
ペン先で簡単な構造を描いて、それをなぞりながら説明を続ける。
「黄金の通路となる部分には黒鉛製のパイプを用い、外側を大理石や石材、あるいはブロンズで完全に被覆します。外見からは、内部が純金であることはまず分かりませんし、削り出すことや、傷つけて折って盗るだけでも一苦労です」
「確かに」
王子の表情が図解を見ながら、少しずつ表情を変えた。
「それに、人は“宝は暗く人目につかない場所に隠されるもの”と無意識に考えます。だからこそ――最も明るく、最も人目に触れる場所は、逆に最大の死角になります」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……一番目立つ場所を、最大の死角にする、というわけか。確かにその構造なら盗み出すのは不可能に近い。……でも、建物の構造自体に影響はないのかな?」
彼の慎重な問いかけに、私は頷いた。
「大広間を視察した時、梁や柱の装飾があまりに繊細すぎて、そこで金を出し入れしたら、建物自体が崩れそうだと思いました。だからこそ、いいのです」
「ええ……?」
「『不可能に見える』こと自体が、最高のカモフラージュになります。大広間と現在の玄関ホールの大きな違いは、玄関ホールはすでに出来上がったものだということです。基盤が極めて強固で、耐震性も十分にあります。
「そのすでにある、枠組みの内部で、高い天井を活かした新たな装飾や、柱の肉付けをすればいいということか」
王子は私の話を聞きながら、頭の中で計画を組み立てているようだった。
「百年後の方が、装飾のある空間としてそれを見て過ごした時、まさかその中にあるとは思わないでしょう。それでも改装工事の歴代の記録をきちんと調べたら、すでにこの中央棟は構造がしっかりしていて、装飾のある梁や柱がなくても、構造に問題がないと気づくと思うのです」
「もう、百年後の謎解きのことまで考えてる」
王子はしばらく黙り込んだまま考え込み――やがて、小さく笑った。
「……君は、本当にとんでもないことを思いつくな。構造的な懸念はクリアか。……でも、少し考えさせてほしい。物理的な距離を考えると、金の移動はさらに難しくなるのではないだろうか?」
王子の鋭い指摘に、私は淀みなく答えた。
「地下〇階から地上へ送り出す“ポンプ”のような仕組みを、魔法で安定させることができれば問題ありません。先に表面の装飾を建築省へ依頼しておいて、後から円柱の内部をくり抜いて、金を流し込むことも可能です」
「もし可能なら……二箇所に分散したいな。玄関ホールだけでなく、その下か、他にも」
「はい。それも考えましょう。大量にありますので」
私の説明を一つひとつ咀嚼するように、王子は深く頷いた。
「計画は行けそうだね。……でも、決定的に人手が足りないな」
「はい。ですので、建築省で最も腕の立つ、私の親友を作業に呼びたいと考えています」
その言葉に、王子が一瞬だけ片方の眉を上げた。
「……まさか、あの者たちではないよね?」
「あの者、とは……? 私が呼びたいのはルカ・エルナンデスです。学生時代からの無二の親友で、最も信頼できる、そして最高水準の技術を持つ職人ですわ」
私の真っ直ぐな瞳を見て、王子は「ああ」と憑き物が落ちたように表情を緩めた。
「……よかった、あの子のことか。彼女なら以前、君と一緒にいるところを見かけたことがあるよ。それに、彼女のご実家はこの街でも古くから有名な建築会社だよね」
「よくご存知ですね」
王子がそこまで把握していたことに驚いた。
「近いうちに連れてきてくれるかな? 厳格な誓約を交わそう。それに、僕とキリアンも手順を学んで、実際の施工に参加させてほしいんだ」
「了解いたしました、王子」
「しばらくは準備期間が必要だね。必要な資材、工期、建築省への依頼」
「はい。特に玄関ホールは詳細な図面を引く時間が必要です。恐れ入りますが、この地下スペースをしばらくお借りしても?」
「もちろん。君の好きなように使ってね」
「ありがとうございます。それから、施工のシミュレーションと実験をルカと行いたいので、一週間ほど、城下にある彼女の実家の工房へ通う許可をいただけますか?」
「ああ、構わないよ」
テーブルの上には、書き込みの増えたメモや図面が、まるで未来の地図のように散乱していた。それらの上に、新しい美しい宮殿がはっきりと立ち上がって現れているような空想をして、二人で晴れやかに微笑み合った。
「……これで、主な改修場所は図書館、玄関ホール、中庭と新設する回廊、というわけだね」
「ええ。王宮の姿が、また新しく生まれ変わりますね」
王子を見上げると、彼はふわりと、私の背中に手を伸ばしてきた。
「……長い間、百年の誓約が、僕にとって本当に重くて苦しい課題だった。けれど君のおかげで、今はそれが一番の楽しみになったよ」
耳元で響く穏やかな声に、胸の奥が激しく波打つ。
「バイオレット・ローズ。俺の前に現れてくれて、ありがとう」
王子はそう囁くと、私の手をそっと掬い上げ、指先に柔らかな口付けを落とした。
彼がにっこりと微笑み、何事もなかったかのようにテーブルの書類を片付け始めた後も、私は立ち尽くしたままだった。つい先ほどまで、計算や構造、魔導ポンプの仕組みで埋め尽くされていたはずの頭が、一瞬で真っ白になる。指先に残る熱の余韻のせいで、身体中の血が騒ぎ、熱くなっていくのが分かった。呆然と彼の背中を見つめていた私は、数秒遅れて、慌てて自分も書類の整理へと手を伸ばした。
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翌朝。建築省へ向かう直前のルカを捕まえ、仕事帰りに王宮へ立ち寄るよう、密かに伝えた。そして夕食が終わり、王宮が夜の帳に包まれる頃。彼女は特徴的な、赤い髪を隠すようにベールをかぶり、私の客室へと姿を現した。
「もーーーーー!!!どれだけ心配したと思ってるの!?連絡くらいしてよ!!」
扉が閉まるなり、堰を切ったように怒声が飛ぶ。
「本当にごめん!色々立て込んでて……!その上、謝るついでにお願いしたいことまであって……!」
「わー……嫌な予感しかしないんだけど?」
呆れたように目を丸くしながらも、ルカはどこか楽しそうだった。
「今、建築省の仕事は忙しいの?」
「全然。それどころか、実を言うと私もバイオレットに次いで、明後日から休暇を言い渡されたのよ」
ルカは不服そうな表情で、腕を組み、片方の眉を上げた。
「えっ、休暇?」
「ええ。シャオンとブルーノの奴ら、建設省から女を排除しようとしてるのかしら……。本当にどういうつもりなんだか」
二人の傲慢な顔が脳裏に浮かんだが、今の私にとっては願ってもない好機だった。
「……ルカ、その後はどうするつもりだったの?」
「うちは実家が建築屋だし、父さんの手伝いでもしようか迷っていたけれど」
「――ちょうどよかった。私と一緒に『仕事』しない?」
私が断片的に王室内の建築の仕事だと切り出すと、ルカの表情がぱっと明るくなる。
「何それ。面白そうな匂いがする」
「かなり危ない橋、渡ることになるけど、ルカなら絶対に秘密厳守で信頼できると思って」
「危険や秘密厳守なんて、職人の基本中の基本。こっちにしても、渡りに船だわ」
彼女は目を輝かせて、即答してくれた。さすが、学生時代からの親友は、あっという間に話がまとまる。
王子のクローゼットをノックして、三人で地下へと降りていった。キリアンも合流し、地下の書斎で改めて四人の自己紹介を済ませる。ルカがこの極秘計画に命を懸ける「誓約の儀式」を終えると、私たちはランプの柔らかな光の下で大きな図面を広げた。こうして、計画は“個人”から“四人チーム”へと変わった。
「……手順はすべて把握したわ。私の実家の方も今は手が空いているし、三週間あれば必要な資材も企画案も揃う。私の方で着工計画と、中央棟玄関ホールの装飾、それから安全性を担保する具体的な企画を出すね」
ルカは膨大な図案を瞬時に読み解き、淀みない口調で計画を提示した。
「さすがね、話が早いわ。ルカ、お父様の工房でいくつか実験させてもらえるかしら?」
「もちろん。バイオレットは具体的な計測と設計実験、それから移動用パイプの設計図をお願い。中央棟地下の主柱の設計図も並行して進めて」
「僕たちの具体的な仕事の割り振りも、君たちに任せるよ。この国の魔道技術は一通り習得しているつもりだ。どんな無理難題でも大丈夫だから」
王子の頼もしい言葉に、私たちは互いの顔を見合わせ、それぞれの役割を深く刻み込んだ。その横で、いつになく仕事モードで、視線や話口調が鋭いキリアンもスムーズに話を切り出した。
「二人の準備期間中、俺と王子は他の場所の修復計画やデザイン案を議会へ提出し、正式な書類として固めておく。それらをすべて建築省へ依頼する形で話を進める」
「黄金を狙う人たちの気持ちが、そちらの『表の工事』へ向いてくれるといいのだけれど」
ルカの懸念に、キリアンが不敵な笑みを浮かべて応える。
「施工箇所をわざと分散させるし、多くの人の動線も複雑に制限される。あちこちで派手に槌音が響いていれば、地下の密かな作業など誰も気づかないさ」
私たちはただの工期だけでなく、人々の心理や権力争いの動向までをも計算に入れ、完璧な立ち回り方を練り上げていった。
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そこからの日々は怒涛の勢いで過ぎていった。私たちはそれぞれの持ち場で、寝る間も惜しんで牙を研いだ。
私とルカが影で施工計画準備を進める間、カイル王子の見事な采配が王宮を動かした。彼は建設省を直々に訪れ、王宮大改修の目玉となる国家プロジェクトを提示したのだ。もっとも華やかな『中央中庭の噴水広場』、観光の要となる『東の中庭のパティオ回廊』、そして国の叡智の象徴『王宮科学図書館』――。これら栄誉ある施工を、シャオンとブルーノたちに一任するという提案だった。玄関ホールの一部装飾と、水道塔の管理整備(という名の更なるダミー)だけは、専門性の高さを理由に「エルナンデス工房」へ特命発注することを認めさせた。そこで私とルカが働くことも、自然な流れとして承諾させたのだ。
「建築省側は『国家をあげた一大建設プロジェクトの方を自分たちへ任せていただけるなんて!』と、大いに湧いていたよ 」
後から王子が報告に来てくれた。
「王子の見事な采配でしたよ。シャオンもブルーノも、建設省のお役人さんがら、自分たちが主役だと信じて疑わず、大喜びしてましたから」
キリアンの報告にも、私は胸を撫でおろした。
あらゆる建設は危険を伴う。素材集めから着工、仕上げに至るまで、余計な勢力争いや邪推を排除し、安全に遂行すること。それが何よりも優先されるべきだった。
「装飾は――平和と安らぎ、それから人々の豊かさを象徴するものにしたい」
王子がそう語っていた通り、装飾案は、草木模様、星、鳥――自然のモチーフに、精緻な幾何学を織り交ぜるイメージで、デザインが展開されていくらしい。それは単なる美しさではなく、この国の未来そのものを祈るような象徴だった。それは、この国の輝かしい未来を願う祈りのようでもあり――その裏で進む「黄金の亡命」を隠すための、最高に贅沢な目隠しでもあった。
けれどその裏で、誰かの思惑もまた、同じように動き出していることを――この時の私は、まだ知らなかった。
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一ヶ月後。あらゆる下準備が整った、着工前夜。私と王子は久しぶりに、私の客室で人目を避けて落ち合った。
「王子、明日からはいよいよ本番ですね。どうぞよろしくお願いいたします」
背筋を伸ばして挨拶した私に、王子はどこか所在なさげな視線を向けた。
「……準備期間に少し会えなかっただけなのに。前髪、少し伸びたかな? なんだか、ちょっと寂しかったよ」
そう言うなり、彼は不意に私の目の前に立って、顔を覗き込んできた。
「あ、明日からは、こちらにルカも合流しますから」
久しぶりに、彼の美しい顔が近づいてきたので、焦ってしまう。
「わかってるよ。でも、寝る時は隣の客室に帰るだろうし……たまに、こうして会いに来てもいいかな?」
「あの……以前、勝手に覗きに来たりはしないと仰っていませんでしたか?」
「うん。だから――ちゃんとバイオレットの許可が欲しいと思って」
王子は、首を傾げながら、逃げ場を塞ぐように距離を詰めてくる。
「長い前髪も可愛いね」
するりと伸びてきた熱い指先が、私の前髪を分けて、頬に一瞬だけ触れて落ちる。
「……触りたいな」
「もう、触れていらっしゃいますけど……」
「もっと自由に、さわりたいな」
いたずらっ子のように微笑み、至近距離で私の瞳を覗き込む。その熱い眼差しに、心臓の音がうるさいほど高鳴った。
「明日からはまた、忙しくなるし、簡単に近づけなくなるから……」
私が一歩、距離を取ろうとした瞬間。
「今日だけは、許して」
拒む間もなく、力強い腕が伸びてきて、私は彼の体温の中にすっぽりと閉じ込められてしまった。彼から微かに漂う汗の熱気と、高貴な薔薇の匂い。そして、耳元で響く、強く、大きな心臓の音。それが、彼のものなのか、私のものなのか――もう分からない。
「あの、カイル王子……っ」
「カイル、だけでいいんだけどな。そう呼んでくれないかな?」
自分の身体の熱が、彼の体温に抗えず、一気に上昇してしまう。
「そんなわけにはいきません」
そう言いながらも、彼の腕から離れることができない。
少し遅れて、私は言葉を絞り出した。
「……王子。きっと、素晴らしい宮殿にしましょう。黄金の場所も、あなたの理想も、すべて」
「うん。期待しているよ、僕の優秀なバイオレット・ローズ」
腕の中で響く彼の鼓動を感じながら、私は明日に迫った「真の工事」への決意を、静かに、けれど熱く固めていた。




