第七話 『王女の憂鬱』
――俺は時々、夢を見る。
目の前にある二つの影は、最愛の人と見知らぬ誰か。
血溜まりに沈む彼らの瞳は、既に光を湛えてはいない。
静寂たる祭壇に響き渡るは、司祭が床を叩く音のみ。
奴は徐に二人へとその手を翳すと、突如詠唱を始める。
二人を包む、光の奔流。
その光は優しく、そして何よりも残酷だった。
新たに吹き込まれる、生命の息吹。
それを最後まで見届けた俺は、己が碧眼に憎悪を宿し、
黒く燃え盛る炎にその身を委ね、自らの意識と別れを告げる――。
*
「っ――。また、あの夢か……」
窓から入り込む爽やかな風が頬を撫でる。
無法者たちの奏でる喧噪は、酷く耳障りの悪い不協和音。
しかし今この時だけは、あの悪夢を忘れさせてくれる〝天使の囁き〟であると、そんな錯覚を覚えるほど、俺の心は騒めいていた。
「ようやく、お目覚めか」
朦朧とした意識のまま声のした方に視線を向けると、そこには一人の男が椅子に腰掛けていた。
「酷く魘されていたようだが、何か悪い夢でも見てたのか?」
そう言いながら水の入ったコップを手渡してくる、男の名前はアレフ。どうやら本名ではないようで、既に以前の名前は焼却済みらしい。詳しくは知らないが、とある人物から授かった名前だと、懐かしそうに語っていたのをよく覚えている。
そんな彼の目には、薄っすらと隈が出来ていた。
(まーた無茶しやがって……)
どうやら昨日から一睡もしていないようで、机の上には魔術や錬金術関連の書物が中途半端に置かれていた。
確かにこの国で無防備に眠るのはリスクが高い。
とは言え、まともな宿屋であればある程度のセキュリティは保証されているため、そこまで神経質になる必要はないと考えていたのだが、この男は大概に心配性である。
「ありがとよ。……ぷはっ、生き返るな」
俺は軽く礼を言うとコップを受け取り、キンキンに冷えた水を流し込む。
カラカラに乾き切った喉が、急激に潤されていく感覚。それを犇々と実感しながら、部屋の壁に設置された木製の時計に視線を向けた。
〝6時7分〟
どうやら、こいつなりに配慮してくれたらしい。
まあ後三分遅ければ、コップの水は顔全体で飲む羽目になっていたことだろうが。
「準備が整ったら出発するぞ。登録が終わり次第、この国を出る」
*
『オーラヘイム帝国』「オーラビア城」――庭園。
「蛮族の城」の庭園は、食虫植物で埋め尽くされている――、などということは無く、それなりに風情のある花々や、人工池が配置されていた。
俺たちが何故こんな場所に居るのかというと、一度傭兵としての登録を済ませる必要があるからである。
登録といってもギルド証を提示した上で「私は決して裏切りません」という内容の誓約書にサインを書くだけの簡単なもので、もしその誓約を違えるようなことがあれば、国の威信にかけて粛清を行うという一種の脅迫行為でもある。
ただ実際の所、敗戦国にそんな悠長な事をしている余裕はないので、寝返った挙句その国が敗北するという稀有な展開を迎えない限り、粛清が行われることはない。
そのため、誓約書自体に裏切りを抑制する効果は、余り見込まれていないのだ。
では、何を以って裏切り行為の抑制を行っているのか。
その答えが、俺たちの眼前に広がっていた――。
「「――――」」
やけに広い庭園にびっしりと並ぶ、帝国の兵士たち。
彼らの纏う武具は全て、帝国最新鋭の一級品で統一されている。
また、その後方には漆黒の頭身を湛えた、大型殺戮兵器「魔大砲」が所狭しと列を為しており、その威容は俺たちに恐怖心を植え付けるには十分過ぎるほどであった。
「はぇー、おっかねぇ……」
呆然としていたのも束の間、アインが少し顔を強張らせながら呟いた。
俺たち傭兵をここへ呼び出したのは十中八九、この光景を見せることが目的だろう。こんな末恐ろしい戦力を目にして、裏切ろうなんて奴は現れないという算段である。
この世界において、武器や兵器というモノの価値は非常に高い。それは人間の能力が常に変化するのに対し、モノのスペックは不変であるからだ。
そのため、多少能力や技術に差があったとしても、武具の性能によって勝敗が分かれるということも珍しくない。そしてそれ故に、製造に携わる研究者や武具職人は非常に重宝され、国のお抱えとなっているケースが多く見られるのだ。
「まあ、味方なら心強い限りだろ」
だが、今回俺たちはその恩恵に授かる側の人間だ。故に躊躇うことなく誓約書へとサインを殴り書くと、物騒極まりない庭園を後にした。
「よしっ、これ以上この国に居る必要はないな。さっさとお暇しようぜ‼」
帝城からの帰路、何処かそわそわした様子のアインが話し掛けてくる。
俺たちの今後の予定は大きく分けて二つ。王国への遠征と、暗殺の遂行だ。
『オーラヘイム帝国』から『リヴァリエ王国』への道のりは『風切馬』に跨って六日といったところ。帝国の軍勢は明朝出陣する模様で、俺たちは先んじてこの国を出る。
雇われの傭兵といっても、特に指示がない限り自由な行動が許されており、今回に限っては宣戦布告まで出されているので、勝手に王城へ突撃していっても文句は言われない。
そもそも無秩序極まる傭兵たちを統率するということは、流石の帝国でも不可能であり、ならいっそ自由に動いてもらった方が戦果を期待できるというものだ。
とは言え、敵陣の中へ少数で突っ込むような馬鹿は俺たち含め、数えるほどしかいないだろうが。
「ああ、分かってる」
俺たちは厩で預けていた『風切馬』を受け取ると、すぐに検問所を抜け、王国への旅路を進み始めた。
*
――?視点――
『リヴァリエ王国』「レビィアルス城」――玉座の間。
絢爛豪華な玉座に腰を掛け、傲岸不遜な態度で臣下たちを見下ろすのは――。
『リヴァリエ王国』第二十一代国王「レイアス・ディア・リヴァリエ」その人である。
レイアスは先代国王が病死してから約二ヶ月、新たに王位を勝ち取った新国王だ。
しかし、長期に渡り国王の崩御は隠蔽されていたため、彼の即位を知るものは現時点で城外には存在しない。
『皆の者、心して聴け。此度の戦、大義は我らにある。敵は強大、されど醜穢な蛮族の末裔に過ぎぬ。我らが崇高な信念の下に結束せし時、必ずや勝利の女神は微笑むだろう‼』
(相変わらず、口上だけは立派ですね)
美しく整えられた黒髪に、燃えるような柘榴石色の紅眼。
純白に光る軍服と瑠璃色のマントを纏った義兄を眺めながら、彼女は一人思案する。
(戦力差は歴然、すぐにでも降伏声明を出すべきですが……)
率直に言うと、レイアスは王の器ではなかった。
第一王子という肩書きと、達者な口を利用して王位継承権を獲得したに過ぎず、全く以って実の伴っていない愚王である。
彼はその高過ぎるプライドから、今まさに王国の民を危機に陥れようとしていた。
『お待ちください陛下‼ 現在の兵力では帝国は疎か、周辺諸国にも太刀打ちできません。どうか、どうか考え直しては頂けないでしょうか‼』
すると突如、レイアスの演説を遮るようにして、玉座の前に跪いていた一人の男が声を上げた。
(不味いですね……)
『貴様、ギーメル派閥の者か? 負け犬は負け犬らしく、惨めに這い蹲っておれば良いものを……。おい、そこのお前。そいつを始末しておけ』
レイアスは道端のゴミでも見るかのような冷たい瞳で男を一瞥した後、己が臣下に殺害の命を下した。
このままでは男の命は無い。そう悟った彼女は重い足取りで一歩踏み出し――。
「お待ちください義兄上――、いえ、国王陛下‼ 今は少しでも戦力を削るべきではありません。彼の処罰は、戦役と領地の没収を以って下すべきかと」
屈辱と悔恨に心を支配されながらも、そう進言した。
『ギーメルか……。愚かな犬畜生にはちゃんと首輪をしておけよ? それとお前の仕事は魔術の研究だけだと言ったはずだ。努々そのことを忘れるな』
興が削がれたとでも言わんばかりに視線を外したレイアスは、側近からワインの入ったグラスを受け取ると、それを呷り始める。
(っ……)
彼女改め、第一王女「ギーメル・ディア・リヴァリエ」は、第一王子「レイアス・ディア・リヴァリエ」との王位継承権を賭けた政争に敗北した。
始めのうちは、病死した先代国王の意思を継ぐものとして支持を集めたのだが、ギーメルが養子であり国王の実子でないこと、レイアスが巧みな話術で第二、第三王子を取り込んだことなどが災いし、結果政争に敗れることとなったのである。
先代が如何に偉大な国王だったとしても、所詮は過去の偉人であり、表面上は見栄えのするレイアスが担がれたのも必定であったと言えるだろう。
「承知しております陛下。寛大なる御配慮、感謝致します」
ギーメルはそう返すに留めると一歩下がり、元居た位置へと戻る。
その時の彼女の瞳は、憔悴と絶望の色に染まり切っていた。
(お義父様なら、どうなさったのでしょうか……)