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静成寺。閑静な街に佇む、そこそこ立派な寺だ。ここは新興住宅地だから、家々が立つ前のその昔は、寺の名の通り静かな自然環境にあったのだろう。
夕方に自転車を走らせること約10分。陸杜は静成寺に到着した。門をくぐるとすぐ駐車場。車が5〜6台ほど停められるスペースには、今、真ん中に白い車が1台あるだけだ。その車の前を通り過ぎ、壁寄りに自転車をとめる。
二番目の門を歩いてくぐると、歩道のように石畳が敷いてあった。その両側はさざれ石を配した枯山水。入ってすぐ左には梵鐘、正面へ行けば本堂。正面に突き当たって左へ折れれば、墓地へ辿り着くようだ。
陸杜は墓地の方向へ歩いていった。陽が沈みかけたこの時間の墓地はあまり気分の良いものでは無かったが、
(寺の墓地はしっかり供養されてるから、事故現場よりよほど安全……)
そう自分に言い聞かせ、墓地の片隅、本堂の壁に近い通路を進む。怪談話はあまり得意では無い。
墓地と本堂の間には狭い竹藪があり、両者を隔てていた。
(これなら墓地での話し声が本堂へ届かない……ちょっとした緩衝地帯だな)
竹藪と墓地の境界を歩いていく。
すると、一カ所だけ、落ち葉の乱れているところが見えた。竹藪から通路側に落ち葉が散っている。
少し早足で近付き、竹藪のほうを見ると、地面を踏みしめた跡が奥へと続いている。
それを辿り、薄暗い藪の中に入っていく。本堂にほど近い辺りに、地面を掘り返してまた埋めたような跡を発見した。
墓地を振り返る。
竹藪に隔てられているから、これくらいの時間から夜は、墓参りに訪れた人に見つからない。
「……死体とか出てこないよな……」
さすがにいきなり掘り返すのは躊躇われた。
「何かを埋めたとして……」
しゃがみ込んで、落ち葉を除け、土を手に採ってみる。落ち葉のせいかあまり乾いておらず、地面を探ってみとも固くはない。粘土質の土が混じっていることもないから、あまり深く掘り返しては無いようだ。
「その時、本堂に誰か居たのなら。物音だけではイタチか何か……がこんな所に出るかは分からないけど……まず動物だと思うだろう……幽霊だと、少なくとも人だと思ったからには姿を見たか、或いは……」
平屋の本堂の壁を見渡す。
墓地側には窓が一つも無い。つまり墓地の様子を見ることは出来ないのだ。
「話し声を聞いたか……」
「どうぞ、中村先生」
通路を隔てて隣の席に、コーヒーカップをひとつ置いた。
「すまないね、川島先生」
どういたしまして、と微笑んで、自分の分のカップを持って椅子に座る。近くに他の教師が居ないことを確かめて、小声で話し掛けた。
「あいつらの件、お疲れ様でした」
中村が顔を上げて、軽く頭を下げる。
「嘘は良くないけど……ホテルでと言うより、コンビニで見つけたと言うほうが、場も収まるっけ……それに」
ペンを置き、書類をまとめて机の隅に置く。書類には、ペンでメモが書き込まれており、秀俊はそれをぼんやりと眺めコーヒーを飲みながら、次の言葉を待った。
「うちの部員らっけね」
秀俊の息が一瞬止まった。コーヒーを塊で飲んだようだ。食べ物が食道を無理に押し広げた後のように、喉の下の辺りがズキズキと痛んだ。
「そう……でしたっけ?」
中村は気にせずコーヒーをひとくち飲んだ。
「そうらい。高野幸恵は美術部員だったんだよ。美大に行きたがってたし、俺もそのつもりで推薦の準備をしてたら……ご両親が、娘を東京にやる気はねぇ、って……」
顔をしかめたのは当時を思い出したのか、コーヒーが苦かったのか。
「それは知りませんでした。では家出の理由は、そんな両親への反抗なんでしょうか?」
「いいや、それは無いな。両親の気持ちを本人も納得しての、琴川大進学だったから……おそらく遠藤が東京へ行く日が近付くにつれて、自分の進路を見つめ直した末の、どうしようも無い焦りみたいなものかと思うんだがな……」
中村はそっと溜め息をつく。
ベテランともなると生徒のちょっとした動きや性格から、気持ちが読み取れるものらしい。秀俊も塾講師としての経験が長いから、生徒の表情から理解度や指導のアプローチの仕方が分かることもあるが、それは授業でのこと。中村の域にはまだまだだと思った。
その時、ふと中村の手元を見ていて黄色いものが目に入った。
透明なデスクマットの下に挟まれた、黄色い絵だ。黄色い絵などありふれているが、あれは見たことのあるタッチだ。
そう、あのホテルで見た絵に似ている。
「中村先生?」
「ん?」
「その絵、素敵ですね。誰の絵ですか?」
唐突ではあるが、相手を不信がらせない雰囲気が秀俊にはあった。ふと好奇心が湧いた、そんな感じである。
返ってきたのは意外な言葉だった。
「これか? 俺んだが」
誇らしいというより照れくさいといった表情で、中村は答えたのだった。
秀俊は平静な振りでコーヒーを飲み干すのが精一杯だった。
「で? なんで中村先生の書いた絵のサインが“Z”なの?」
陸杜がPCの画面を見ながら言った。右手にマウス、左手に携帯を握りしめている。聞こえてくるのは秀俊の声。
『悪い、流石に聞けなかった……ペンネームとか?』
「まぁ僕も土を掘り返せなかったから、秀俊さんを責められないけど……」
『いや、大丈夫だよ、明日掘っちゃえ』
「気楽に言わないで下さい、犬や猫の墓かもしれないじゃないですか!」
ホラーも嫌いだがスプラッタも罰当たりなことも嫌いな陸杜だった。
「思ったんだけど、高野さん、本堂に居た時に、墓地の竹藪からの話し声を聞いたんじゃないかなって。幽霊の正体って、墓地からの話し声じゃないのかな」
考えを言ってみる。するとすぐに返事があった。
『だったら尚更、そんな所で何を話してたのか、そこを掘らないと話にならないだろう。証明するには、いくつかの定理が必要なんだから』
話し声に笑みが含まれている。
(面白がってるな……)
返事をせずに黙ってやった。せめてもの反抗だ。
『……しょうがない奴だな。じゃあ明日俺も行くから、案内してくれよ』
秀俊が平然と言った。
「なんでそんな平気なんです?」
『ん、出てくるのは違うものだからさ』