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陸杜が神妙にうなだれている。そして時々頭をかきむしっては、「むあーっ」だの「うがーっ」だの意味不明な声を上げるのだった。
何故人間は、どうにもならないことやとんでもなく恥ずかしいことに直面した時、意味不明なことを叫びたくなるのだろう。悪魔が思い出させようとする囁きを大声で掻き消すなんて、一時のごまかしでしかないというのに。
信号が赤になり、車を停止させた英俊がチラリと助手席を見ると、視線を感じたのか、陸杜も英俊を見た。
「……ごめんなさい……」
おずおずといった感じで出た言葉に、英俊の切れ長の目が優しげに細められる。
「向こうが先に手を出したんだから、正当防衛」
いつもの陸杜なら「それでも教師か」と言いそうなセリフだ。しかし今は素直に聞いた。
「ずっと喧嘩はやめてたんだけど……あの手の奴に馬鹿にされるとダメみたい……あー恥ずかしいー、思い出したくもない思い出だ!」
英俊が出会った頃の陸杜は、金色の髪をルーズに顔に垂らした少年だった。バンド少年ではなく、明らかに荒れた不良の類。
それは今では消したい思い出なのだそうだ。
信号が青に変わる。
「ほれ、次に着くぞ」
車を発進させながら、英俊が話題を変えた。
「いま出来ることに全力を尽くせ、だ」
その言葉に、陸杜が何かに気付いたように顔を上げる。
「そうでしたね……今回は内容がイマイチ情けないですけど」
いつもの軽口が戻ってきたようだ。
1時間後。二人は学校に程近いホテル「アリスの月」ロビーに居た。
学校の近くであったことで、最後まで敬遠していた場所だ。
「Z……これか……」
神の悪戯とでも言うのか、目指したものはそこにあった。
A4サイズほどの額に手を伸ばす。
美術館ではないので、警報が鳴ったりはしない。
防犯カメラに背を向けて、管理人がやってくる前に再び額を壁に戻し、早足でホテルを後にした。
更に1時間後。陸杜の部屋で、英俊がパソコンのキーを叩いていた。
「あとはここと、ここか?」
地図上に、訪れたホテルをマークする。黄色い印が街中に散らばった。
「場所が場所だけど、制覇したって満足感があるね」
陸杜がお茶を運びつつ言う。トレイの上は紅茶とロールケーキだ。ブランドものの花柄の食器を使っている。
「このケーキさ、母さんが焼いたんだ。自分で先生に持ってくってうるさかったけど、めんどくさいから貰ってきた」
陸杜に似た容貌の小柄な母親を思い出し、英俊は微笑んだ。
「帰りにはちゃんと挨拶しなきゃな」
「別にいいよ……それより、どう?」
簡易テーブルを出し、おやつの載ったトレイをそのまま置いた。モニターの前で腕組みをする英俊の隣へ行く。
「携帯で調べながら回っただけあって、完璧だな。1箇所空いてるだけ」
画面上に散った黄色い点に、一つだけ青い点が混じっていた。
「……ホントだ、よく回ったね」
「その中で……絵が飾ってあったのは」
キーを叩くと、赤い点が現れた。その数、8つ。
「更に、例の特定の絵が置いてあったのは……」
またキーを叩くと赤い点のうちの3つが大きくなった。候補が絞られたというわけだ。その赤い印には数字が重なっている。
(英俊さんも気付いてたのか。あの絵に……)
黄色いパステルカラーが主体の絵。元の絵に色を載せて刷る、所謂リトグラフ(版画)である。
モニターに出された数字は、絵の余白に添えられていたシリアルナンバーだ。
「問題は、だから何だ、ってところだよな。偶然てこともあるし」
英俊が苦笑し、椅子に座ったまま大きく伸びをした。陸杜が同意するように頷く。
「そこは先輩たちに聞かないとさぁ……しかもその絵。俺には誰の絵かさっぱり分からないわ」
「ま、これは資料として。絵については美術の中村先生に聞くよ……と」
内ポケットから携帯電話を取り出す。一定の間隔で起こる振動が着信を伝えていた。左手で携帯の通話ボタンを押して耳へ持っていきながら、右手でPCのマウスを使って画面を閉じる。
「はい、川島です……えっ? はい……はい……分かりました……ありがとうございました」
電話を切り、再び内ポケットに入れて立ち上がった。
「中村先生だった。遠藤たちを見つけたって」
「良かった! ……のかなあ?」
「うん、良くないかもな。学校近くのホテルから出てくるところを補導されたらしいから」
急いで学校へ戻るのかと思ったら、サイドテーブルについて、手を合わせた。
「いただきます……お母さんがせっかく用意してくれたんだから、食べてから学校に戻るわ」
陸杜も向かいへ座る。あきれた顔をしているが。
「……母さん喜ぶよ」
「……旨っ……俺が通ってた頃は食べさせて貰ったこと無かったぞ……」
フォークでロールケーキを豪快に切り取り、かぶりついた英俊が、口をもごもごさせながら誉めた。
「なんかそれ、英俊さんが俺じゃなくて母さんの所に通ってたみたいだな……」
言葉のセンスが今ひとつ無いのは、数学教師だから?
陸杜は前々から、どうも疑わしく思っていたが、最近は確信に変わりつつある。
「大変だったんだからな、お前の進学。今だから言うが、陸杜が学校へ行ってる間にお母さんと進路の相談をしたことも、10回ではきかないんだぞ」
「……本当に通ってたのか……」
脱力感に襲われる。「逢って」たのではなく、単に「会って」くれていたことに期待しておく。
「だけどケーキに関して言えば、ここ最近の母さんの趣味だから、英俊さんが食べたことないのも仕方ないな」
自分もフォークで一口食べる。ふわふわのスポンジに、甘さ控えめのヨーグルトクリームが巻き込んであるロールケーキ。味と食感のアクセントは、クリームに混ぜ込まれた刻んだ黄桃だ。
「最近、って、陸杜が入学してからってことだな。そりゃあさ、ようやくホッとされたんだろうよ。今まで自分は我慢して、おまえの心配して。塾や俺に学費払ってさ」
優しげな顔と声で、痛い所をチクリと突かれる。まさしくその通りだから反論も出来なかった。
(この、熟女趣味めっ!)
心の中でこっそり反抗するのが精一杯だった。完全な濡れ衣で、口に出せばシバかれるに決まってるからだ。
秀俊が学校へ戻った後、陸杜は特に何もする気も起きず、簡易テーブルの上の空の食器もそのままに、ベッドに寝ころんだ。仰向けで、頭の下に両手を敷いてぼんやりと天井を眺めると、最近の出来事が頭に浮かぶ。
高野と遠藤の家出、若しくは駆け落ち。
ホテルに飾られた黄色い絵。
何となく反芻し、
「絵の作者は分からない……」
と呟いたその時。
頭の片隅に仕舞い込まれた映像が引っ掛かった。
「絵……黄色い……白に、緑……?」
絵の記憶に緑色が混じる。ぼんやりした映像をクリアにしていくと、それは右下に固まっていた。
「……絵の余白か」
目を閉じて、そのイメージを拡大していく。
「余白に……緑の、シリアルナンバー……30分の、15、32、48……」
見つけた絵に打たれたこのナンバーはバラバラで、今回の出来事には関係が無さそうだ。あまりにも意味の無い並びだった。
「数字のそばには走り書きのZの文字……サインか……」
結論付けた直後。突然、また違う映像が引っ掛かってきた。車の中から見た、歩道を歩く遠藤と高野の後ろ姿だった。
「俺が見つけてから次に会うまで、だいたい1分……1分で出来ることって何だろ……絵を見るだけ?」
あのホテルにあったのはシリアルナンバー15の黄色い絵。それにZのサイン。額に入れられたほぼA4サイズ。
「額から出して……戻しても数十秒しかかからないが……出す意味も不明だな」
そこへ、遠藤の声が重なった。
『霊を信じますか?』
霊。
「霊に関係ありそうなのは……どっちかって言えば高野さんか? 高野さんちは静成寺。遠藤さんが高野さんに相談でもしに行った可能性は……」
霊と絵。霊と絵。
勢いよく立ち上がる。
自転車を出し、向かった先は静成寺。 日暮れにはまだ2時間ほどあった。確かめたいことを調べる余裕はあるだろう。




