71 アイミュラー3 ハーピーの意地
結果は、やる前から解っていた。
名無しのハーピーが、竜王バハムートに敵うはずがないと。
ブレスの一息、翼の羽ばたき、爪の一薙ぎ。
そのどれもがハーピーには致命傷になり得る。
それを証拠に、ハーピーの身体は毬のように床をはね、あっというまにボロ雑巾のような肢体に変わった。
ハーピーは人語を解すが、喋る事はできない。
『キ、キ……』と小さな声をあげながら、必死にこちらを睨み付けている。
何を喋っているのかは解らないが、その瞳は鮮烈に語っていた。
主の事を守るのだ、と。
『記憶を受け継いではいないはずなのに、健気な事よ……』
バハムートの呟きが、妙に耳に残った。
ハーピーは既に折れたその翼を無理矢理広げ、こちらに向かってこようとする。
その傷だらけの肩を、そっと、契約主である皇帝陛下が止めた。
「やめろ、ロクセラ。これ以上は無意味だ」
『キ! キ!』
何を言っているんだと言うかのように、ハーピーは首を振って抗議する。
「ハーピーであるお前に、バハムートをどうこうする事はできない。私もお前以外に召喚できるヤツはいない。ここで終わりだ」
『キー!』
ハーピーではバハムートに敵わない。
それは解りきった事だ。
だが、諦めるのが早すぎではないか?
『時間稼ぎか?』
私の頭の中の疑問に答えるように、バハムートの声が重苦しく響く。
『ぬしに戯言を吹き込んだのはハネアリだろう。言われたか? 時間を稼げば、アーゼラなる者を蘇らせる事ができると』
その言葉でハーピーがバハムートを睨み付ける。
皇帝陛下は反応してないように見えたが、一瞬、ちらりと自分の手元に視線をずらした。
そこには、中指にはまる大粒のエメラルド。
そのエメラルドの指輪が、何だというのか。
皇帝陛下が、そのエメラルドを指で一撫でする。
それだけで解ってしまった。
あのエメラルドの指輪は、亡きアーゼラ妃にまつわるものなのだと。
それほどまでに、今の一撫でからは押さえきれないほどの愛と狂おしいほどの慕情が溢れていた。
バハムートも察したのだろう。
『本当に、人間という生き物は……』
ハーピーはボロボロになった姿で羽を広げ、なおもバハムートを威嚇する。
その爪からは血が溢れ出、羽はすでに飛ぶ事などできぬほど。
肌は切り傷と擦り傷だらけで、汚れていない場所など1つもない。
そんな姿になってまで主を庇っているのに、とうの主はエメラルドを見つめ続け、ハーピーをちらりとも見もしない。
なぜ、そのようになってまでつくすのか。
私が言えた義理ではない。
なのに、無性に怒りと悲しみがわき上がってくるのだ。
『本当に、愚かな人間よ……フェニックスに十何年も前に亡くなった人間を生き返らせる事など出来はしない。まして、既に転生している魂など……』
……何?
既に転生している魂?
聞き捨てならない言葉が発せられた。
皇帝陛下にとってもそうだったのか、目を見開いている。
「バハムート、それはどういう事だ? 既に転生している魂とは。それではまるで……」
それではまるでアーゼラ妃が。
『言葉の通りだ。アーゼラなるものの魂は既に転生し、この世に生まれ落ちている。とっくの昔にな。ぬしらも既に目にしているであろう?』
しかも、私の知っている者だと?
しかし、誰だ!?私の知り合いで十数歳の者など……
1人混乱する私を横にしながら、バハムートの視線はハーピーのロクセラに注がれていた。
……まさか……
「……皇帝陛下、そこのハーピーと契約したのは何年前ですか?」
私以上にかたまり混乱しているであろう陛下は、唇を震わせながら答える。
「約……10年前だ。アーゼラが没して、4年後……ハーピーから契約を申し出てきた……」
転生するのに約4年。
ずいぶん早いように感じるが、そんなものなのか?
視線で、バハムートに疑問を投げかける。
『4年……ふむ。自然死ではないな。サイクルが短すぎる。となると……』
アーゼラ妃の生まれ変わりであると明言された、ハーピーことロクセラ。
彼女はなおも、主を守ろうと威嚇を続けていた。
彼女にとって、自分がアーゼラ妃の生まれ変わりであるという事実は、それほど重要ではないように見えた。
彼女にとって重要なのは、自身の主を守る。その1点につきるのであろう。
バハムートは、そんな彼女により強い視線を向ける。
何かを探っているのか、微動だにしない。
次に動いたのは数秒後。
『やはり、あやつか……』という重苦しい呟きとともにだった。
『虚飾なる国の皇帝よ。ぬしの妃であるアーゼラは病死などではない。殺されたのだ』
「!……んな、はずは……あれは病死だと判断された。ユニコーンの治療も薬も何も効かず……」
それは嘘ではないであろう。
幼かった私はよく覚えてはいないが、皇太子妃が重篤だと国中の主だった召喚師や医師、薬師が動員されたはずだ。
だが病状が良くなる事はなく、アーゼラ妃は息を引き取った。
『原因を究明できなかったのも仕方あるまい。太古の術だからな。それでも、あの男になら解ったはずだが』
あの男。
なんて事ない言葉のはずなのに、何故か私の胸を強く抉りとる。
きっとそれは、この時点で私が犯人の正体を予想していたからであろう。
あの女。太古の術。あの男。
あぁ、それならば私の父は……私と母上だけではなく、友まで切り捨てていたのか……
告げられた真実は、よほど重かったのであろう。
皇帝陛下はガクリと膝を落とし、ハーピーはそんな主のそばに寄り添っている。
こちらに威嚇をしている場合ではないという風に。
もう、皇帝陛下に何かをする気力もないであろう。
私はズタボロで転がされているクリストファー殿下へ近寄った。
幾重にもついた傷。
血は大分前に固まったらしく、真新しい傷や血は見えない。
消耗しているようだが、命の危険はないようだ。
……良かった。
致命的な傷を負っていたら、バハムートと隷属契約を結んでいる私になす術はなかった。
「殿下、クリストファー殿下。ご無事ですか? カミュ=バルモルトです。殿下」
体を揺すり、頬を軽くペチペチと叩く。
……不敬だろうか。まあ良い。
「……っぅ……」
!
「殿下、しっかりしてください! 殿下!」
「…………カミュ、か……?」
か細い声。
だが、目はしっかりとしている。
大丈夫だ、もう心配はいらない。
「はい、カミュ=バルモルトです」
名を告げた瞬間、このボロボロの身体のどこにそんな力が。と驚くほど力強く、私の袖を握りしめてきた。
「大丈夫です、もう心配はありません。私、カミュ=バルモルトはバハムートと意思の疎通に成功しております」
懸案事項であったバハムートとの契約、意志疎通の事を伝えれば、満身創痍な殿下も少しは安心できると思っての事だった。
だが、そんな事はどうでも良いとばかりに、その口は別の名を紡ぐ。
「ローゼリアを……ローゼリア……」
「ご安心ください。さらわれてしまいましたが、必ず救いだします」
妹であるローゼリアの身の上が、よほど心配なのだろうと思った。
だが、違ったのだ。
「ローゼリアを……止めてくれ!」
「止める? ローゼリアを? どういう事ですか、殿下」
「誰も、気がつかなかった……ローゼリアの素質に……あいつは、それを利用して……」
ローゼリアの素質?
あいつ?利用?
次から次へと、わけの解らぬ単語が出てくる。
正直、私はテンパっていた。
だから、痛みへの対処に初動が遅れた。
「ぐあぁっ!」
『カミュ!!』
外部ではない、身体の内側からの痛み。
心臓をわしづかみにされたようか、全身を切り裂かれたような痛みが襲い、私は情けなくも膝をつく。
「な……ぜ……」
内側からの痛みという事は、あの闇とやらが何か悪さをしたのだろう。
だがバドが楔となり、バハムートが表に出てこられるようになった今、闇はバハムートによっておさえられているのではなかったのか?
痛みと混乱と衝撃の中、私とバハムートはそれに気がつくのが遅れた。
反応できたのは、ハーピーだけだった。
『キィィッ!』
甲高い焦りの声の後に続いたのは、ザシュッという肉を貫く刃の音。
慌てて振り返れば、赤黒い刃が腹を貫通したハーピーがそこにはいた。
『キ……キ……』
弱々しい声をあげ、それでも両手を広げ主を守ろうと立ちふさがる。
後ろにいる陛下は血しぶきこそ浴びたものの、刃でのケガはない模様。
腰をおろし膝をついた姿勢で、貫かれた自分の召喚獣を見上げていた。
「本当に、お前というやつは……」
その声音と視線には、少しの優しさが混ざっているような気がした。
瞬間。陛下とハーピーを若草色の光が包み込む。
あれは……
「専属契約の光?」
『キ……?』
光に包まれ表情は見えないが、戸惑った声が聞こえてくる。
それもそうだ。
名無しのハーピーと専属契約を結ぼうとする召喚師など、ゼロに等しいのだから。
「その傷はすでに致命傷だ。そして、私にその傷を治してやれるほどの魔力はない。ここで終わりだ。この契約は、お前が死ぬまでの短い一時だけだ」
『キィ』
それで十分だと言うように、ハーピーことロクセラは笑顔を見せた。
ハーピーの手足の先から、魔力が光の粒となって消えていく。
誇るが良い。ハーピー、ロクセラよ。
お主は見事主を守りきり、一時とはいえ専属契約をするにいたったのだ。
『キ……』
もう立っているのも辛いのか、ハーピーがその膝をおる。
「今まで、大義であった……」
陛下がハーピーに労いの言葉を投げ、その手が頬に伸ばされる。
忠義をつくし、その命を散らす召喚獣にとって幸せな最期になるはずだったのに。
ザン
『……キ……?』
赤黒い刃が、主の首をはねた。
首がゴロゴロと転がる。
命が絶たれた証拠に、ハーピーを包み込んでいた専属契約はプツリと切れた。
『……キ……?』
突然の事に思考が追い付かないのだろう。
ハーピーは不思議にキ、キ。と繰り返す。
もう指先が消えた手で転がった首を抱え、キ、キ。と声をかけ続ける。
瞬間。ハーピーの顔がいっそうひしゃげ、天を仰ぎみた。
瞬間。赤黒い刃はハーピーの首をも両断した。
ハーピーの首は転がることなく。
首も身体も、光の粒となって霧散した。
ハーピーという支えがなくなった陛下の首だけが、むなしく床をごろりと転がった。
私はそれを、ただ呆然と見ていた。
陛下は嫌いだ。
ハーピーも、私の影に攻撃を加え、そのせいで痛みにのたうちまわるはめになったから、正直好きではない。
だが、消え逝く召喚獣と召喚師の別れを踏みにじるほどではなかった。
そこは、召喚師として汚してはならない矜持だ。
それを、あの女は……!
「アリーチェーー!!」





