第十三話:科学者は赤面する
王都郊外の小高い丘の上で牧畜を眺めながら、狩猟祭で優勝するための戦略について、リーガハルとサッハディーリッツェを前に弁舌を振るっていた。
「――という訳だ」
「なるほど、他のチームから見れば反則気味な気もするが、規則上は問題ない。その戦略で行こう。サッハ、いいよな?」
「好きにやってくれよ。俺は今落ち込んでいるんだ。アトロ嬢が参加しない大会なんて……」
失意のサッハディーリッツェをよそに、戦略について俺とリーガハルあーだこうだと言いあっていた。その議論が終わると「もう見るべきところも無いだろう」ということで、俺たちは丘を後にしたのだった。
草原と牧畜だけが見える風景を見続けて「もう見るべきところは無い」というのもおかしな話であるが、その風景こそが最もアルガスト王国らしいものであることもまた、動かしようのない事実である。
時刻は正午をとうに過ぎており、このまま歩いて帰れば王都に到着するのは夕刻になりそうだった。それでも俺たちは「どうせやることもないしな」とか言いつつ、ゆっくりと王都までの道を歩いたのである。俺はこの時思った。憧れのファンタジー世界とは程遠いなと。
俺が憧れた世界はもっとこうワクワクする要素がたくさんあって、不思議に満ちた世界なのだ。しかし現実は泥臭くて人間味あふれる世界だった。それが悪いとも思わないが、やっぱり夢は追いかけるべきだろう。
「よしっ、決めた」
「急にどうしたんだ?」
「いや、こっちの話だ」
翌朝、早い時間にハンターギルドに寄ってオークションの結果を聞いた俺は、その落札金額に多少は驚いたものの、あと二~三日家族と過ごすと言ったリーガハルを残して、サッハディーリッツェと共にギルド出張所へと戻って行った。
理由はもちろん、エーリッツェに会ってリーガハルと話して決めた狩猟祭へ向けての戦略や、エーリッツェ隊との訓練の構想を話し合うためだ。
ちなみに黒竜の落札金額合計は大金貨で三千枚強であり、口座に振り込まれた額は二千枚強だった。しかし、大金に免疫ができている俺が動揺したりすることはない。
王都を出発し、サッハディーリッツェの愛馬を飛ばして出張所に到着したのは正午前。
そのまま、足を折って療養中のエーリッツェのもとへと向かった俺たちは、療養所として使われている木造の建屋へと出向いた。出張所には狩りで怪我をしたハンターのために、主に怪我の治療を行う療養所が設けられている。
療養所に到着するや否や、俺を案内していたサッハディーリッツェが、勢いよくエーリッツェが居るはずの部屋のドアを開け放った。
「…………」
そして俺たちは何も言わずにそっとドアを閉めた。
ちちくりあっていたエリーネとエーリッツェは、しばらくその体勢のまま固まっていたが、褐色の肌の上からでも分かるほどにその顔を真っ赤に上気させていた。そしてそれは、俺とサッハディーリッツェも同じ状態だった。
異世界に渡るという崇高な目的のために研究と鍛練に明け暮れ、色恋沙汰とは無縁の修行僧のような生活を送っていた俺にとって、その光景はあまりにも刺激が強すぎたのだ。
そして、強者にしか興味が無く、奥手なサッハディーリッツェにとっても、それは似たようなもの。なのであるが、俺たち二人がとったそのあとの行動が普通ならば有りえない事だった。後で冷静になって考えればだが。
例えば、咳払いをして「失礼しました。ごゆっくり」などと言ってその場を後にするのならまだ分かるが。
「なぁ、マーサ。お前見かけによらず初心だな。もしかしてアッチの方は未経験か?」
「なっ! 何を言う。おっ、お前こそ顔が赤いじゃないか」
「グッ、余計な事を言うな。それより、続きが気にならないか?」
無言で頷き合った俺とサッハディーリッツェは、真剣かつ血走った目でドアを少しだけそっと開けて覗きを試みるが、エリーネとエーリッツェは既に体を離しており、行為を再開することは無かった。それはエリーネとエーリッツェにしてみれば、考えるまでもなく当然の反応だろう。
いや、よほど肝の座った強者か、見られることに喜びを感じるような者でもない限り、似たような反応というか、行為をすぐに再開することは無いだろう。
しかし、完全に舞い上がって冷静さを失っていた俺とサッハディーリッツェにしてみれば、そのような考えが浮かぶはずもなく、二人が行為を再開しないことに非常にじれったさを感じていた。
俺とサッハディーリッツェは悶々としながらもドアの小さな隙間から血走った瞳を片方だけ覗かせていた。しかしエーリッツェが額に井形を浮かべて近づいてきた。
「サッハディーリッツェ!!」
バタン! と閉められたドアの前で俺とサッハディーリッツェがうろたえている。
「何故気づかれたマーサ? 音は出してないし、気配だって消していたぞ」
「俺にも分からん。魔術を使ったとは思えんし、奴は超能力者か?」
「超能力者とは何だ? 魔術とは関係ないのか? ――」
あまりにもエロエロしい光景に、俺とサッハディーリッツェは頭に血が上り冷静さを失っていた。まともな判断力など吹っ飛んでいたこの状況で、俺たち二人はなぜ覗きがバレたのか分からなかった。
後から聞いた話だが、ドアの向こうでヒソヒソと議論し始めた俺とサッハディーリッツェの声は、耳を澄ましているエリーネとエーリッツェには丸聞こえだったらしい。興奮しすぎてヒソヒソ話のつもりがそうではなかったということだ。
このときあまり怒られなかったのは、俺とサッハディーリッツェのあまりのアホさ加減に毒気を抜かれ、怒るのもアホらしくなったとエーリッツェは懐かしむように言っていた。
「コソコソ話してないで入ってきたらどうだ」
ドアの向こうから聞こえるエーリッツェのその声に俺とサッハディーリッツェは、下らないと思われるかもしれないが俺たちにとっては重要な議論を止め、大人しくエーリッツェのいる部屋に入ったのだった。
「他人の部屋に入るときはノックぐらいしろ。それで、何の用だ?」
「それは俺が話そう――」
冷静さを取り戻した俺は、説明しようと口を開きかけたサッハディーリッツェを遮り、リーガハルと話し合った狩猟祭の事に関しての説明を始めた。
その説明を聞いたエーリッツェは、もろ手を挙げて俺の策に乗ってきたのである。さらに、エーリッツェ自身は怪我のせいで参加できないが、エリーネは生活の事もあるしと言って参加することになった。
これで狩猟祭に参加するエーリッツェ隊のメンバーは、俺を筆頭に、リーガハル、サッハディーリッツェ、エリーネ、そしてヒュッツェの五名が確定したことになる。
作戦では参加枠一杯の十名を想定してある。そのことが気になった俺はエーリッツェに聞いてみることにした。
「枠は十人だよな? 残りはどうするんだ?」
「なに、心配する必要はないさ。狩猟祭に参加したがるハンターは多い。若い隊員に募集を掛ければすぐにでもメンバーは揃うはずだ」
エーリッツェによると、狩猟祭に参加できるのは、一定以上の実力があるとチームリーダーが認めた者に限られるそうだ。
ルール上はハンターギルドに加入している者ならば、五名以上のチームを組めばだれでも狩猟祭に参加できる。しかし、無謀な若手が実力もないのに、若手だけでチームを組んで狩猟祭に参加したとしても、それは自殺行為であり、ギルドに加入した若手はどこかのチームに所属するのが常識だ。
当然エーリッツェ隊にもそういった若手が所属している。そもそも、エーリッツェ隊は中堅上位のチームなので若手の数は多いとのことだった。
話もまとまり暇になった俺は、狩猟祭のリーダーを務める予定のリーガハルが戻るまでは、ギルド出張所ですることも無いので、サッハディーリッツェに三日後に戻るとだけ告げて一旦屋敷に帰ることにした。
本当はエーリッツェ隊との連携もかねて狩りに行きたいが、リーガハルが戻らない限りはチームのまとまりが取れないと言われて、渋々諦めたのがその経緯である。
転移魔法で屋敷に戻った俺は、ゆっくりと風呂を楽しんで溜まっていた疲れと垢を落とした。一か月以上濡れた布で体を拭く程度のことしかしていなかったので、先にボディーソープで入念に体を洗ったにも拘らず、湯船は浮いた垢で悲惨な事になっていた。
その後は今までに仕入れた情報や、現在進行中のとある企みの進捗状況などをアトロに聞いたり、新しい武具を制作したりして時を過ごしたのだった。
ハンターギルド出張所上空に配置している小型探査機でリーガハルを確認した俺は、転移魔法を使って出張所へと戻って来ていた。時刻が夕方だったこともあり、その日はリーガハル、サッハディーリッツェと共にエーリッツェ隊の若手に声をかけて回っただけだった。
その反応は上々で、声をかけた十二名全てが狩猟祭への参加を希望したのである。そのことを療養中のエーリッツェに報告すると「ならば選抜テストでもしようか」ということになり、翌日の午前中に出張所の広場に若手を集めて選抜テストを行うことになった。
そして翌日、広場に集まった十二名の若手ハンターの前には包帯姿のエーリッツェが椅子に座り、俺を含めて他四人のレギュラーメンバーもその横に並んでいる。
「よく集まってくれた。今から狩猟祭に参加するメンバーの選抜テストを行う。選抜方法は一人ずつここにいるマーサと素手で戦ってもらう。知っていると思うが、マーサは黒竜を単独でしとめるほどの強者だ。お前たちがいくら足掻こうが勝てるはずはないが、十分な手加減をしてくれるはずだから安心しろ。そして全力で挑め。合否判断はお前たちの戦いぶりを見て俺が下す。後からの不満は受け付けんからな」
多少誇張が入った紹介だったが、若手たちはエーリッツェの説明にゴクリとつばを飲み込んでいた。
昨夜、リーガハルとエーリッツェ、それに俺の三人で選抜方法を話し合った時に、俺は「俺が若手全員の対戦相手になってやろう」と豪語した。
その時のエーリッツェとリーガハルの反応は「お前ひとりで大丈夫か?」と見事にハモったのであるが、俺の「ハティとじゃれ合う事を考えれば、素手の人間が単独で何をして来ようが俺には何の影響もない」の一言で納得してくれたのだった。
列から一歩前に踏み出した俺が、挑発するように声を張り上げる。エーリッツェたちはその後ろでニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「自信がある奴から前に出ろ! お前ら程度の実力じゃ俺には傷ひとつ付けることは出来ない。よって後で戦う方が有利になることは決して無いからな」
このセリフを聞いていた若手たちの反応は様々だった。
闘志をみなぎらせて無言で拳を握りしめる者。自身があるのかそれとも俺の強さを信じていないのか、指の関節を鳴らしてニヤリと口の端を上げる者。侮辱されたと怒り心頭で俺を睨みつけてくる者。などなど、俺に恐れをなしているものは一人もいない。
しかし現実は厳しいもので、若手ハンターたちには知る由もないが、俺の視覚野に投影されている緑の数字は五百から七百程度でしかなかった。
この戦闘能力値だと防御能力もたかが知れているよな。エーリッツェにも言われたけど怪我させないように寸止めしないとだめか。でもその方が格好よさそうだし。決め台詞も考えといたほうがいいかな……。
などと俺が余計なことを考えている間も、自信はあるようだが踏ん切りがつかないのか、我こそはと名乗り出る若手はいなかった。
「どうした。怖気づいたのか? 俺が怖いのか?」
しかし、このセリフがきっかけとなって、俺が俺がと若手たちは先を競うように俺の前にと詰め寄ったのだった。こうして若手たちの選抜テストが始まったのであるが、勝敗だけで見れば、それは俺の圧勝に終わった。
俺はエーリッツェたちとの打ち合わせ通りに、力とスピードをかなり抑えつつも、魔獣の動きを再現するように、直線的で素早く急所を的確に狙うような攻撃を仕掛けている。
万一、相手に攻撃が当たってしまうと怪我をさせることになるので、全ての攻撃を予定通り寸止めにしていた。当然であるが全員の相手をした後でも傷一つ負っていないし、息も乱してはいない。
若手たちは、その一方的な結果と俺との実力差に愕然としていたようだ。
「でも良かったのか? 自信を無くさなければいいんだが」
「気にするなマーサ。この程度で自信を無くすような奴はハンターとして大成などしない。これは若手が魔獣と向かい合った時の対応力を見定めるためのテストだったんだ。非常に参考になったよ」
こうして選抜テストは終了したわけであるが、俺に圧倒され、無謀な自信をたたき折られたせいで、テストに合格できなかった若手ハンターたちから不満の声が上がることは無かった。
さらに、俺の圧倒的強さ、すなわち狩猟以外での武力がエーリッツェ隊の若手ハンターや、見物していた他のハンター達に知れ渡ることになった。
選抜テストが終わった翌日からは、魔獣に対する集団での連携訓練と、数回にわたる実際の狩猟で、日に日にチームとしての連携が取れるようになっていった。
選抜された若手たちも、チームとの連携がスムーズにとれるようになると、実際に魔獣をしとめることで自信を取り戻していったようだ。
実戦訓練を終えたエーリッツェ隊は二日間の休養をとり、狩猟祭の前日に訓練時と同じくリーガハルを臨時の隊長として、狩猟祭に参加するために王都へと向かったのである。




