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結局、天境界にモーリスはいなかった。
モーリスに門番はつけているが、その門番からの報告もない。
ずっと雷帝の机仕事をこなしながら、門番が帰って来ないか待っていてたが、待ちくたびれてしまった。一仕事終えた隙に一休みしようと思ったユラだったが、明け方近くに領民に起こされて、眠ることも出来なくなくってしまった。
「ありがとうございます。雷帝。助かりました」
霧の立ち込める山道で、 天虚二体がユラに向かって深々と頭を下げている。
「…………この程度のこと。たいした手間にはならない」
ユラは、強張った顔のまま慇懃に答えた。
何処まで領民と親しげにして良いのか、距離感がつかめないためだった。
――何者かが森の木々を能力で倒してしまい、通行不可能になってしまった。何とかして欲しい。
そんな嘆願を受けて、ユラは急いで着物を身に着け、現場に駆け付けた。
道が通れないのは、緊急事態だ。
天虚には自分の畑を持ち、作物を育てて、自給自足をしている者の方が多い。
誰かが単純に癇癪を起して、勝手に倒木したというのなら、犯人を突き止めなければならないが、まずは、倒れている木々の撤去だろう。
ユラは持参の剣で細かく切り分けて、端に寄せた。
これで通行の邪魔にもならないし、持ち帰って、寒い日に薪にするのにも便利になる。
(誰かの役に立っているし、感謝もされるし、嬉しいこと一杯だわ)
こういう地味な仕事がユラは、好きだった。
喜びの表情を出せないのが辛いくらいだ。
「今日は、本当にありがとうございました。また礼を持って、雷城に伺いますので……」
「そんなものはいい。また何かあったら、気軽に雷城に来なさい」
首の長い天虚は、くるくると首を回してお辞儀して、薄闇の中に消えて行った。
緊張が抜けた途端、ユラの意識が遠のきそうになる。
「……眠い」
でも、まだ今日は始まったばかりなのだ。
これから詰め込んだ仕事をこなし、一息ついてから、ハルアの邸宅に向かう予定にしている。
モーリスの行方は心配ではあったが、門番がユラに何事も伝えに来ないということは、平和だということだ。
生まれて初めて徹夜をして、ハルアの気持ちがようやく分かった。
いつも、彼はこういう状態でユラと話しているのだ。
まあ、対応が淡泊になるのもうなずける。
(…………大丈夫、ハルア様に、危害が及ぶはずがないわ)
合計二体の門番が動いている。
一体はハルア、一体はモーリス。
ユラより頭の回転の速い門番だ。
もしも不測の事態が起こったら、どんな手を使ってでも一体がユラに知らせてくるだろう。
(もちろん、私だって、ハルア様の所には必ず行くけど……)
壁画のことも気になっている。
いや、一番気がかりなのはハルアの暢気な性格だろうか……。
(どうして、あそこまで危機感がないのかしら?)
眠いとか、仕事に追われて訳が分からなくなっているとか……。
小さい頃から王子として、命を狙われていて感覚が麻痺している……とか。
同情の余地はある。
だけど、ユラは苛々していた。
モーリスが本気を出してきたら、ハルアなど簡単に殺されてしまうだろう。
今更ながら、もし本気でモーリスが自分の力を取り戻そうとしてるのなら、手段は二つしかない。
――ハルアの寿命を待って、力を回収しに来るか。
――ハルアを殺して、力を奪うか。
正直、人の気持ちを察知する程度の力に、モーリスが全力を出してくるのだか分からないけれど。
(うーん、益々分からなくなってきた……)
そもそも「人の力を読む」程度の力で、天境界最強の八連衆になることなんて出来るのだろうか?
(…………やっぱり、イライラする)
モーリスに、聞きたいことが明確になってきた。
……それなのに、当の本人と連絡が取れないなんて、こんなに痛ましいことはない。
(あの時、怖がらずに、もっとちゃんとモーリスを問い質しておけばよかったのよ)
ハルアの言うとおり「絆の証」を返したことで、かえって彼を追いつめてしまったのだろうか……。
「…………私のばかっ」
長い髪をそのままに、うなだれていると、背後に温かな気配を感じた。
――この気配は?
「トワ兄さんっ!? どうして」
「ユラ。どうしたんだい? お前がここまで気配を感じないなんて、珍しいじゃないか」
トワもユラと同じような容姿をしている。
見た目も似ているし、顔をつき合せると、本当に自分の分身のようだった。
「まさか、兄さんがこんな朝早くにこんな所に来るなんて。城を出たら、危ないですよ。体は、大丈夫なんですか?」
「うん。平気、今日は気分がいいんだ。それに、こんな時間じゃないと、なかなかユラとも話ができないからね」
「……トワ兄さんと話せるのは、私だって嬉しいですけど。……でも」
心配で眉を寄せるものの、トワは強引にユラの隣に腰を下ろした。
一つの切り株に、二人で肩を寄せ合って座っている。こんなに近いのは、子供の頃以来だ。
「僕の体調は気にしないで。ユラだって怪我しているみたいだし、大丈夫なの? それ?」
そういえば、大木を退ける時に、手の甲を少し切ってしまったのだ。
出血はしているが、掠り傷だ。放っておけば、きっと、すぐに治る。
「ああ、こんなの平気ですって。何て言ったって、私雷帝ですからね!」
「ははっ、頼もしいね。何だかハルアに会ってから、ユラの雰囲気が変わったような感じがするよ」
「まさか……体重のことですか?」
毎日、甘い物ばかり食べているので、横幅が膨れてしまっているのかもしれない。
それとも、心労がたたって太ってしまったのだろうか。
しかし、トワは笑いながら否定した。
「いやいや、違うって。大人になったってことだよ。綺麗になったと思ったんだ」
「……私が……ですが?」
疲れているユラへの気遣いだろうか?
怪訝な顔でトワを見遣ったものの、彼は意味深に頷くばかりだった。
「だって、それ以外、考えられないからさ。ユラは、急に雷帝を継ぐことになって、いつも、逃げたい、辞めたいって、怖がってたでしょ? でも、彼と会ってから、良い意味で、自信がついてきたんだよ。それが外見的な美しさにも繋がってきているんだと思う」
「そんなことありませんよ。自信なんて、泣きたくなるほど何もありません。今だって、どうして良いか分からなくて、沈んでいたんですから」
「でも、ユラは「絆の証」を返すと決断した。それは間違ってないと思ってるでしょ?」
「……それは、その。…………思っています」
そのことに関してのみ、自信を持って肯定することができる。
「絆の証」のようなやり方は嫌だ。
モーリスの件がなかったしても、ユラは今回と同じように返却したはずだ。
……ただ。
返却方法については選ぶべきだったのかもしれないと、今になって後悔はしている。
「そっ、だから「絆の証」を返したことは正解なんだよ。ユラ、もっと自信を持ちなって。迷ったり、悩んだりして、でも、最終的に譲れないことだと決断できたのなら、それが正しい答えなんだと、僕は思うんだ」
「兄さん……」
「…………と、まあ、良いこと言っているようだが、果たして、どうなんじゃろうかのう?」
「…………はっ!?」
子供の場違いな声が割り込んできた。
「誰なの!?」
誰何しながら、慌ててユラは立ち上がって振り返る。―――すると。
「……サクヤ殿」
八連衆の長老サクヤは、堂々と二人の背後に突っ立っていた。




