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イシャナは、癖のある弟を心配しているつもりでいた。
子供の頃から、ルフィアは変わっていた。
いつも、ぼうっとしていて、空ばかりを眺めていて、たまに話しかけても、一言、二言、囁く程度に話す程度だった。
(こいつは、言葉が分からないのではないか?)
ルフィアは、本気で頭の病なのではないかと可哀想になった。
だから、ある日、イシャナは意を決して父に相談をした。
――ルフィアは病気なのではないか?
――だったら、医者に診せた方が良いのではないか?
しかし、父はなぜか顔を真っ赤にして、怒鳴った。
――お前には、弟がそのようにしか見えないのか!……と。
おかしな話だ。
なぜ、気にかけてやったのに、自分が叱られなければならないのか……。
ルフィアは、健康上の理由から第二王子としての公務をこなすことは出来ない。
幸い、手先は器用で、絵を描くことが好きだという話だから、何処か静かな場所で、好きなことをして、ひっそり生きた方が良いのではないか……。
しかし、イシャナは長い年月を経て、少しずつ確実に気付いていった。
ルフィアは、イシャナを騙していたのだ。
何もできないふりをして、帝王学、史学、医学の知識、剣術、兵法、様々な知識や武術をあっさりと習得していた……らしい。
おまけに、王子であることを隠して「ハルア」という名の芸術家として、イラーナ国内で高い評価を得ているというではないか。
弟は王位になど興味を持っていない。たまに顔を合わせても、相変わらずイシャナそっちのけで空ばかり見ている。
イシャナの敵ではないはずだ。
…………けれども。
国民がルフィア=ハルアと知ったのなら、人気は更に上昇し、誰もルフィアの発言を無視できなくなるだろう。
神官長の言葉が、日に日に気になっていった。
(…………ルフィアが魔道に堕ちている……と?)
バカバカしいと言えば、その通りだが、確かに、ルフィアは三千年前の女王の資料や宝飾品を収集していた。
女王イラーナと言えば、長い王家の歴史の中で、腫物扱いされている初代女王だ。
魔道を駆使し、魔物を国から遠ざけた。しかし、実際は毒を持って毒を制したにすぎない。彼女自身は、即位してから長く生きていないのだ。
結局、人としての道を踏み外した対価だと、子供の頃に神官長から聞いた。
そもそも、彼女が魔道に堕ちたせいで、魔物が人間界を狙うことになったという話だった。
(ルフィアの奴…………)
もしも、魔道に堕ちてしまったのなら、大変なことだ。
ましてや、この国の第二王子が魔物になど興味を持つなんて……。
ルフィアは変わっている。その可能性は十分にあるだろう。
だから、神殿の壁画を描かせることにした。
あの神殿には、魔物除けを多数配置している。本当に弟が魔道に堕ちていたら、何らかの反応を示すはずなのだ。
「…………王子」
「………えっ?」
「ここじゃよ」
声がした。
白い月と同等の白皙。
金髪の少年が窓枠に座っている。
「誰だ、何なんだ。お前は!?」
「しいいっ」
いかにもこの国の人間ではない民族衣装に身を包んだ子供は、人差し指を口元にあてて、あどけない微笑を浮かべていた。
ここは王宮の中でも、一番警護の行き届いている場所のはずなのに……?
「お前、どうやって……?」
「ほほほっ、そう警戒しなさんな。殿下に耳よりの情報を……と思って、ワシはやって来たんじゃよ。つまり、殿下の敵ではないということじゃ」
「敵ではない? 本当なのか?」
「今のところは……の」
「なにーっ? それは、どういう意味だ?」
「まあまあ、この話を聞けば、ワシの言いたいことも分かるはずじゃ。…………この国の第二王子、ルフィア王子のことでな」
「なっ!?」
…………そうして。
少年は甲高い声のくせして年寄りめいた口調で、イシャナの気にしていた情報を語っていったのだった。




