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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第4章
27/56

5

  ………………一枚の絵のようだ。


 作品と向き合うハルアを遠目で見守っている時、ロカはよくそう思うことがあった。

 ユラがいない時のハルアは、ほとんど口を利かない。

 真剣な眼差しで、一筆、二筆、色彩を重ねて世界を作っていく。


(粛々と作品を生み出す完璧な人形……みたいだな)


 ロカは芸術家なんて、目指したことなかった。

 そもそも、芸術なんて縁遠い山奥の集落で育った。

 元々、手先は器用な方だったが、それで生計を立てようなんて考えたこともなかった。


(ただ、あそこから出たかっただけなんだけど……)


 ―――きっと、天虚でも雇ってくれるだろうが、一応耳は、隠しておいた方が良い。

『あの方』は、そう言った。

 本当にその通りで、ラトナに連れられて来たロカをハルアは身辺調査の一つもせずにすんなり雇った。

……そして。

ロカは誰にも怪しまれることもなく、今をときめく芸術家ハルアのもとで、唯一の弟子として芸術家修行をしている。

 何の不自由もなかった。

破格の給料も貰っているし、おかげでハルアの仕事場のすぐ傍に、小さな家を借りることもできた。


 …………だから、彼を襲うように『あの方』から指示があった時は、心底驚いたものだった。

……勿論、逡巡はあった。

ロカは暴力が大嫌いだし、ハルアに私怨なんて抱いていない。


だけど、まあ……仕方ないと、どこかで割り切っていた。

 今の生活は『あの方』のお膳立てで成り立っているものだし、ハルアは本当に完璧すぎて、何を考えているのか皆目分からない人だったから、同情心もなかった。

それに、傷をつけるように命じられた訳でもない。少し脅してやれと言われただけだ。


『返せ…』

……その言葉が重要なのだと。

ハルアには通じたのだろうか。その言葉の意味が。


(分からないな……)


 ふうっと特大の溜息を吐いて、ハルアは憂い顔で斜め後ろに座っているロカの方を向く。

 ユラという少女を雇ってから、時折そういう表情を目にすることがあったが、ロカに視線を合わせてきたのは初めてだった。


「あの……何か?」


 一応、言いつけられていた仕事は終わったはずだ。

 ロカは、まだ作品を任せてもらえる程の腕はないので、ハルアの指示を待つしかない。

 ラトナがいれば、ハルアが何を言いたいのか、通訳も頼めそうだが、彼は城から呼び出しがかかっていて、今はいないのだ。


(居場所がないなあ……)


 微妙な間に、ロカは一人動揺していた。


「…………いえ、何でもありません」


 やがて、ハルアはやっと短い答えを返してきたが、なぜかロカから目を逸らそうとしなかった。


(……まさかね。バレているはずもないだろうけど?)


 あの襲撃から、だいぶ時間が経っている。

 ロカでなくとも、芸術家で王子であるハルアには敵が多く、襲撃を受けることはたまにあるらしい。

犯人を捜していたら、きりがないと本人が言っていたのを聞いたことがある。

 だから、きっと大丈夫だ。

 ――でも。


「ロカ君、君は何か私に話さなければならないことってありませんか?」

「………………はい?」


 唐突な質問に、ロカは目を丸くした。

 ほとんど仕事のこと以外話しかけてこないハルアが、ものすごく抽象的なことを尋ねてきた。


 ―――とうとう、すべてを白状する時が来てしまったのか?


「えっ……と?」

「実は、私は気になって気になって、仕事にならないのです」

「…………すいません。俺、まったく心当たりがなくて」


 とりあえず、しらばっくれてみたが、一体、どうしたら良いのだろう。

 ハルアは、ふかふかの椅子から立ち上がった。

 ―――そうして。

 彼らしくないほど、髪を振り乱して、悶えたのだった。


「そうですよ! 私だって、よく分かりませんけど、どうして? どうなったら、頭をぽんという流れになるのですか?」

「…………へっ?」


 全身を硬直させていたロカは、一瞬で脱力した。


「にっこりして、頭をぽんって……要するに、耳をつければいいってことですか? 私はね、あんな顔、まだ一度も見たことがないんですよ!」

「………ハルア様、覗いていたんですか?」


 ロカは首を捻った。

 容姿端麗で、芸術的才能に恵まれ、頭の回転も速く、常に完璧で無駄のない、この国の第二王子。

 そんな主が目を充血させて、ロカを睨んでいる。

 ハルアが言っているのは、昼間のユラとのやりとりのことだろう。

 ……しかし、そんなたいしたことをロカはした記憶はない。

 いや……。


(俺、ハルア様の悪口言ってなかったけ……? それに耳がっ!?)


「あの……」

「ちなみに、あの獣耳はどこで購入したんですか?」

「へっ?」


そうきたか……。


「ユラさんは、獣耳が好みなんでしょうか」


(知らないよ……)


ハルアの激しい剣幕に、ロカは目眩を覚えた。


「もう一度聞きますけど、ハルア様はユラさんと俺の話、聞いていたんですか?」

「いえ、話が聞こえていたら、ここまで苛々していませんって」



 それは、良かったのか、悪かったのか……。


「気になったのなら、入ってくればいいじゃないですか?」

「そんなこと出来るはずがないでしょう。あの空気に私が混じることは不可能でした」

「………………そう……でしょうか?」


 そんなはずはない。

 いつものハルアだったら、にっこり笑顔で嫌味と共に押し入ってくることも可能だったはずだ。


 ――どういうことだろう。


(この人、こんなに面倒な人だったけ?)


「私は巷で人気な美味しそうなケーキとか、タルトとかを見繕って、彼女の気を惹いているのに、あんな顔をしてくれた試しがありません。…………できたら、至近距離で日が暮れるまで眺めていたかった」

「あのー、ユラさんって、雑用係で雇ったんじゃないんですか?」

「そうでも言わないと、警戒して私の家に来てくれないと思ったんですよ」

「そう……でしたか………」


(今の今まで、まったく気づかなかったけど……)


 ハルアの展示会にユラが来た時、ロカも会っていた。

 あの後、再会した時に、ハルアは彼女を雇うと決めたと聞いていたが……。


(ただ、ブタの絵に興味を持ったわけじゃなかったんだな)


「ハルア様は、ユラさんのことが好きだったんですね?」

「違いますよ」

「はっ?」


すぐさま否定された。

じゃあ、何なのか。

ロカの混乱は頂点に達していた。


(なんなの、この人?)


「私がユラさんを? そんなはずないじゃないですか?」

「でも、俺なんかに嫉妬しているじゃないですか?」

「嫉妬? 私が?」


 ハルアも目を丸くしている。

 小首を傾げる彼は、ロカよりはるかに年上のくせに、子供のようにあどけなかった。


「私は、妬いているように見えますか?」

「それ以外に見えませんが?」

「そうですか……」


 あれほど、勝手に熱く捲し立てていたはずなのに、ハルアは押し黙ると、やがて腕を組んで、椅子に座り直した。


「よく分からないんです」

「…………何がです?」

「自分の感情が……」

「ハルア様ご自身の感情ですか?」


 ハルアはようやくロカから目を逸らし、独り言のように呟いた。


「私の母は、私を生んですぐに死んでしまいましてね。ラトナとラトナの親族が後見人にはなってくれていましたが、私は一人王宮で育ちました。王宮は黒い感情が渦巻いていて、気持ちが悪くて……。人の暗い気持ちに敏感になるほどに、自分の感情に疎くなっていったみたいです」

「そうだったんですか……」


 知らなかった。

 てっきり、王宮中の人から愛され、慈しまれて育ったものだと思っていた。

 ハルアと向き合えと言っていたユラの姿が思い浮かぶ。

 誰だって、何かしらの傷を持っているものだと、彼女は言いたかったのかもしれない。

 ロカには不平不満はあったけれど、温かい仲間も両親もいた。


(この人、独りだったんだな……)


「何をやっても、満たされなくて、つまらなくて。でも、私が生きるための支柱となっている物があって……。私はそのためだけに、今日まで生きることが出来たんです。でも、気が付いたら、私にはそれしかなかったんです。だから、いきなりそれが手に入るところに見えてしまった時、どうしていいか分からなくなってしまったようです」

「俺には難し過ぎて、よく分かりませんよ」

「……でしょうね。だから、誰にも話していないのです。今のが私が芸術家をやっている理由ですよ。ただの現実逃避だという話です」

「ハルア様……」


 やっぱり、ユラとの話を聞いていたのではないか?

 ハルアは再び、暗く重たい溜息を吐くと、描いていた絵を下げて、棚から白い画布を画架に設置した。


「……それで、実はその支柱と言うのは、魔物のことなんです」

「魔物?」

「昔、人ではない者と会ったことがありましてね。その出会いが私にとっての生きる支柱になっているのです。この先、芸術をやっていくのなら、最終的に彼らの世界を描きたいと思っています」

「人ではない者の世界ですか……?」


 思わず耳を隠している頭に手をやったが、ハルアはきょとんとしていた。

 ロカの正体を指摘しているわけではないようだった。


「私は、二本角の魔物の絵が描きたいんですよ」 

「そっ、それは?」


 ――『あの方』のことか?

 しかし、ハルアは穏やかな口調でゆっくりと言った。


「ロカ君だったら、どんなふうに描きます。私は想像力が乏しくて、見たものしか絵にできないのです。君の想像力で、もし、二本角の魔物を描くとしたらどうするか、特徴とか言ってみてもらえませんか?」

「……どうして?」

「神殿の壁画に参考にしたいと思ったんですよ。もしも、イラーナ女王を描くのなら、魔物の存在も知っておきたいですからね」

「何だ。そういうことですか……」


(…………焦ったー) 


 ハルアは、壁画のことを考えていたのか……。

 だったら、ロカは弟子だ。


(頑張って協力しよう……)


珍しくハルアが自分に協力を求めてきたことに、得意げになったロカは二本角の魔物について、ぺらぺらと思い当たる特徴を話し始めた。

 もちろん『あの方』の特徴とは異なるふうに、案を出していったつもりだった。

 ……似せられたら困る。

そのつもりで、適当にごまかしていた。


そのはずだったのに……。


(あれ? どうして?)


 ハルアは、なぜか的確に『あの方』に近づけていってしまい……。

 ――そうして。


「げっ……」


 完成してしまった素描は、まさしく『あの方』そのものになってしまった。


(…………何で、こんなことに?)


 ハルアは、人物画を余り描かないのだが、描き出すと、やはり上手い。

 魂が入り込んだかの如く、写実的である。

 困却しているロカを満足げに一瞥したハルアだったが、もっと分からないのは、その作品をすぐさま棚に戻してしまったことだった。


「…………ハルア様、一体、どうしたんですか?」

「いいんですよ……。これは。ただの趣味ですから。魔物はいつか描ければいいのです。今日は参考までに、お前に話を聞いただけですよ」

「はあ?」


 ――まあ、それならそれで、ロカとしては有難い話なのだが……。


「ちなみにロカ君、この絵はユラさんには見せないで下さいね」

「なぜです?」

「…………私はまだ、すべてを終わらせたくないので」

「益々、意味が分からないのですが?」

「はい、私にも自分で自分が分からないのです……。ただ、私があの笑顔を引き出せる日までは、絶対にあの素描を見せられないということだけは譲れないようです」


 怪しい微笑を口元に浮かべるハルアは、やっぱり謎だらけだった。

 ユラがいつもさっぱり分からないとか、変態とか言っている理由が分かるような気がする。

 しかし、ロカは今日初めてハルアの生い立ちも知ったし、彼の人間らしさを学んだように思えた。


(……だって、要するに、ハルア様はユラさんってことなんでしょう?)


 この王子は、恋煩いをしているのだ。

 生まれ育った環境もあるけれど、しょせんは言い訳か、照れ隠しだ。

 それを知ってしまったから、ロカは嬉しくなった。


(この人も、意外に俗っぽいんだな……)


 彼は病むほどに、一人の少女に固執しているらしい。

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