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「……ちょっと! 駄目でしょう!!」
ユラは叫ぶと同時に、矢を放った少年の目の前に着地した。
「な、何だよ?」
強がりながらも、腰を抜かしている少年の前で、ユラはこれみよがしに眼鏡をはずす。
人には非ざる黄金の瞳で、自分を取り巻き始めた子供たちを睨みつけた。
「私は…………君たちが言っていた「天境王」エンラの後継者ユラ。現在の雷帝と言った方が分かりやすい? 私は君たちに聞きたいことがあって、ここに来たんです。速やかに「あの方」について話す権限のある誰かを呼んできなさい!」
「雷帝って?」
「う、嘘だろ? 何で雷帝がここに?」
「物分かりが悪い子ですね。雷撃をくらわなければ、分からないのですか?」
「ひっ!」
殺気を殺して静かに問えば、彼らは一目散に逃げて行ってしまった。
「あっ、ちょっと?」
(何やっているのよ……)
――失敗した。
呼んで来いではなく、こちらから行くと言い張れば良かったのだ。
リエルのことを診て欲しかったが、恫喝しておいて、追いかけるのも気が引けた。
呆然としていると、ユラの背後から無駄に爽やかなハルアの声が飛んできた。
「ああ、ユラさん。こちらは大丈夫ですよ。リエル君は脳震盪を起こしただけのようですから」
振り返ると、ハルアが意識のないリエルを抱いて立っていた。
ユラは目を丸くした。
「脳震盪って……。そんなこと、ハルア様に分かるのですか?」
「ええ。芸術を志すのなら、人体の構造くらいは勉強しとかないといけませんからね」
「冗談ではなく?」
「どこをどうしたら、冗談になるんです?」
「すいません」
なにやらさらっと言ってくれるが、人体の構造を学ぶということが、途方もないことだということは、ユラにも分かっていた。
冗談でなかったら、多分この人は天才なのだ。
「ちなみに、ラトナが彼らを追いかけてくれました。ここで待っていても、後手に回ることはないでしょう」
そして、ラトナとは以心伝心で、連携ができる仲のようだ。
二人の関係が羨ましいくらいだった。
「ユラさん、ここには気を失っている彼もいることですし、少し休みませんか?」
「馬車で十分休みましたよ?」
「普段運動をしないので、私が疲れたんです」
「そういうことですか……」
とても疲れたふうには見えないが、まあ、確かに先刻ひょいひょい矢を避けていたのは、彼にとって激しい運動に値するはずだ。
それに、ラトナが追いかけたのなら、ユラは用無しである。
あの天虚たちには、特別な力はないようだった。
「…………ラトナ様を、待ちますか」
ユラは先程までの威勢はどこへやら、消沈した面持ちでハルアのもとにとぼとぼと歩いて行った。
こちらが沈んでいくほどに、ハルアの声は明るい。
「もう一息ですねえ。仕掛けてみると、あっという間というか、もっと泳がせておけばよかったかもしれませんね?」
「それもどうかと思いますけど……?」
「まあ、そうですね。確かに、早々に彼らの狙いが分かれば私も対処の仕様もありますし、ロカ君に対しても、無駄に警戒せず済みますから、これはこれで良かったのでしょうね」
ハルアはリエルを横にすると、その隣で、大木の幹にもたれるように座った。
疲れてしまった。そうかもしれない。
だけど、ハルアは画帳と鉛筆を手に持っている。こんな時でも画材を手放さないのは、芸術家としての執念なのだろうか……。
命が狙われているくせに、まるで他人事だ。
そのことが、ユラはとても気になった。
「どうしてハルア様は、殺されかけたのに、他人事のように冷静なんですか?」
「冷静でも、他人事のように話しているつもりも、ないのですけど?」
「そうは見えないんですけど?」
「そうですか。まあ、そうですね。生きているという感覚が、作品を作っている時くらいしか、得られなくなってしまったのは事実ですね」
「じゃあ、ずっと好きな絵を描き続けなければいけませんね?」
「それは、嫌ですね」
「はっ?」
ユラの目はその時、多分本当に点になっていたに違いない。
「私、芸術活動好きじゃないんですよね。むしろ芸術家なんてやっているのは、苦痛に近い」
「えーっと?」
どうしよう。
…………もう、何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
王子も嫁ぎたくないからイヤで、芸術家も苦痛って?
(私、この人の絵、本当に好きなんだけどな。描くのが苦痛とか言われちゃったよ)
憧れの芸術家から絵を描くことが嫌いだと、さらりと告白されてしまったのだ。
かける言葉がなくなって、黙り込んでいると、彼の視線だけを感じて体がかゆくなった。
「あの、ハルア様、何ですか? 私の顔に何かついているんですか?」
「いえ……。ちょっと、貴方に見惚れていただけで、他意はありませんから、気にしないでください」
――いや、そういうのを他意と言うのではないのか?
ユラは困惑しながら、彼の隣からやや距離を置いた。
しかし、なぜかそういう時だけ気が利くハルアは、自分の外套を地面に敷いて、ユラに座るように手招きした。
「どうぞ」
「座れませんよ。そんな高そうな服の上になんか」
「安物なら良いんですか。そういうわけではないでしょう。私が良いと言っているんです」
「……はあ」
ユラはおずおずと服の端っこに座った。
変な感じだ。良く知らない人と、真っ青な空の下、森の中で並んで座っているのだ。
まるで、人間の男女のように……。
「実は、七日も君に会えなかったので、私は君のことを何千と思い、考えていたんです」
「…………とても、気持ち悪いですね」
ちょっと距離が近づいた途端、すぐこれだ。
今の熱視線は、気持ち悪い類のものだったらしい。
「……いえ、これは真面目な話なんですが」
「ハルア様の真面目……ですか?」
「君の能力のことですよ」
………………瞬間、ユラは心臓を射抜かれたような気がした。
「君は何度もその場の感情で、能力を使おうとしていましたね。でも、結果的に一度も使いませんでした。さきほどの父上との謁見も、会いたくないと騒いでいたのに、力を使ってまで逃げようとしなかった。今もまた、雷撃を一発撃てば、すぐに彼らは大人しくなったはずなのに、あえて使わなかった。――どうしてなんですか?」
「…………どうしてって」
指摘されるまでもない。
彼の言う通りだった。
ユラが雷撃の一発で威嚇でもすれば、リエルも怖い思いをせずに済んだのだ。
元人間が雷帝と名乗りたくないという奢りと、自らの力に対する恐怖がユラの行動を大幅に制限している。
でも、そんなこと自分の口からは告白できなかった。
「もしかして、ハルアさま?」
「すいません、少しばかり君を試してしまいました」
「………………さ、最低ですね」
「有難うございます」
全速力で逃げたい、または全力で破壊したい衝動をユラは我慢した。
彼はユラの何を知ってしまったのだろう。
それだけが気になった。
「君、本当に可愛いですね」
「雷撃を落としてもいいですか!?」
「ええ、お願いします。私はずっとそれを待っているのです」
「…………やっぱり、やめておきます」
変態の期待に応えるわけにはいかない。
「私は、話したいけど話せない葛藤している君の表情を、ほほえましく感じるのですよ」
駄目だ。
歯止めが怪しくなってきた。
今なら何も考えず、雷撃も打てるような気がしてきた。
頭を抱えるユラに、ハルアは今まで一番驚いた口調で、当たり前のことを告げた。
「…………君、女の子なんですね」
「はっ?」
「………………女の子……なんですよ」
「あの、それ、そんなに連呼して言うことですか?」
(私のことを、何だと思っているんだろう。この人?)
人ではないにしろ、こんな寒々しい格好をしていたら、さすがに男には見えないはずだ。
しかし、ハルアは今初めて知ったかのように、白皙を真っ赤にして照れながら喋るのだ。
「……すいません。魔物とか「雷帝」とか、そういうものの前に、君は一人の女性で、女の子なんだって、分かっていまたけど、今、改めて痛感していたところなんです」
「いや、あの…………?」
しかし、それは油断だった。
ハルアの言わんとしたいことは、他にあったのだ。
「君は心の優しい女の子で……。だから、恐れている。その能力で、誰かを傷つけしまうことを。力の制御を上手くする自信がないから、使いたくないのでしょう。まいったな」
本当に、まいったな……はこっちの台詞だった。
ぐうの音も出ないほど、完膚なきまでに言い当てられてしまった。
――自分の力が怖い……。
そんなこと、トワにだって相談できない。
この能力を受け継いだ時から抱えている、ユラ最大の悩みであった。




