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第79.75話 天国の味

 拝啓、天国のおとっつぁん、おっかさん。

 あちしはもうすぐ、死ぬかもしれません。


「はい、あーん」

「あ、あーん……」


 こそばゆい恥ずかしさで頬が真っ赤になるのを感じつつ、あちしは大きく口を開けます。

 フォークに突き刺して差し出されたそれを、ぱくりと一口。


 その途端、口の中がとろけました。


「んんんっ……!」


 あっまああああぁぁぁーい!

 やわらかああぁぁぁぁーい!!


 まったくこいつは天国の味ってやつです!

 幸福感が体中に広がって、思わず口元が笑みの形に緩んでしまいました。

 砂糖と卵と牛乳と、あとはバターに小麦粉くらいしか使ってないのに、何かやばい薬でも入ってるんじゃないかと思うくらい、脳味噌がとろっとろのふわっふわにとろけちまいます。


「ティエナ、ほっぺたにクリームついてる」

「んっ……!?」


 あまりの甘さに呆然とするあちしの口元に、アヅマの旦那が手を伸ばして親指でクリームを拭い取りました。

 そして、その指を自分の、く、口元、にっ……!?


「……うん、クリームもうまくできてるな」


 しかもしかもあまつさえ、あちしが一口食べたのと同じフォークで、クリームでデコレーションされたそれを一口切り分けて、自分の口へと……ちょいと待って、それは世に言う間接……っ!


 ぱくり。


 ふぎゃあああっ!? な、何なんですか何なんですか、今日はあちしを恥ずかし殺す気ですかい、アヅマの旦那ぁっ!?

 

「分量通りに作ったんだけど、ちょっと甘すぎるかな…… ティエナはどうだ?」

「ふぇ? え、ああ、へい、何と言いやすか、もう、あふれだす気持ちが言葉にならねぇってなもんで……!」

「ああ、うん。まあ、美味しいのはわかった。

 甘いものなんて久しぶりだったから、過敏になってるだけかな。レシピに下手に手を加えるのも良くないし、本番もこのままで行くか」


 胸はドキドキ、頭はクラクラ。

 あちしが人事不省に陥っている間に、旦那は手際よくお茶の用意をします。


「それじゃ、二人でお茶にしようか。

 これ、日持ちはしないんで余りは持って帰ろうと思うんだけど…… ティエナ、どれくらい食べられる?」

「旦那と一緒ならいくらでもっ!」


 意気込むあちしに苦笑して、旦那はそれを四つに切り分けました。

 そのうちフォークを入れて欠けた部分のある一切れをさらに半分にして、自分の皿へ。

 直角の扇形に切れた部分を、あちしの皿へ。

 甘酸っぱい赤い木の実が上に乗った、白いクリームのお菓子……ショートケーキ、という名のそれが、暖かい湯気を立てるお茶と共に差し出されます。


 ただ、旦那の皿のそれよりずっと大きいその大きさを見て、意地汚い女と思われやしなかったかと、あちしはますます頬を赤くするのでした。




 事態を説明するためには、ちょいとばかり時間を遡りやす。


 今日のあちしは午前の市に霊薬を持ち込んで、好調に売りさばききった後は屋台の料理で昼食を済ませ、工房へと戻って参りやした。


 近頃は旦那のおかげであちしの霊薬も評判がよくなっておりまして、初級の霊薬だけでなく、様々な種類の霊薬を置かせて頂いています。

 探索士といっても悩みは探索中の怪我だけとは限らねぇってもんで、痛み止めやら強壮剤やら、変わったところではダイエットに効く霊薬なんかが意外といい売れ行きでして……っと、話が脱線しちまいましたね。


 ともかく、午後は特に用事もなかったもんで、霊薬の調合でもしておこうかと思っていたところ、旦那がやって来たんでさあ。

 薬学を教える日でもねぇってのにどうしたものかと驚いたんですが、話を聞いてみると、うちで料理を作らせて欲しいって言いなさる。


 何でも、クロードの兄さんに頼んで料理の本を手にいれたらしいんですが、それを作るのにあちしの工房にある遠心分離機が必要とのこと。

 調合の時に素材の成分を抽出するために使う手回しのやつなんですが、そんなもんを料理に使うなんて驚きです。

 生クリーム、とかいうのを作るのに必要ってんですが、まったく料理の世界もなかなかに奇々怪々なもんですね。


 ところで、ここであちしははっと気付いたんですが。

 個人的な用で来たんで、今日の旦那はお一人きり。

 いつもはクロードの兄さんやユズお嬢さんが一緒だったりするんですが、今日はこの工房であちしと二人っきりってえことになるんです。


 先だってはやんわりと袖にされたあちしですが、あの時はこれから死ぬかもしれねえって戦いに赴く前で、あちしも無理を言ったってのもありますし、それに何よりはっきりと拒絶されたってわけじゃあありません。

 ここはひとつ、料理もできる女ってところをアピールしてやろうじゃありやせんか!


 ……と思ったんですが、旦那はろくに料理しないあちしよりも断然に手際が良く、むしろあちしの方が旦那の手際に見とれる有様でした。




「はふ…… お茶が美味しい……」


 結局、四半ホールのケーキをぺろりと平らげちまいまして、さらに一切れ、二切れと……まあ、あちし一人で半ホールを食べてしまいました。

 ああ、お腹が苦しい。でも幸せ。


 大体、このお茶との組み合わせがいけない。

 お茶の苦味がケーキの甘味を、ケーキの甘味がお茶の苦味を引き立てて、手が止まらないったらありゃしませんや。

 旦那の前ではしたない、とは思いつつも、この甘さに抗える女なんていやしませんよ、ほんと。


 さて、その旦那はというと、ケーキ作りに使った道具や食器を洗って片付けてくれています。

 ありがたいやら申し訳ないやら、これでいいのかと悩ましいやら。


 ふと見ると、旦那が持ってきた本がテーブルの隅にありました。

 タイトルは『家庭で作れる宮廷料理』。

 なるほど、あんな甘くてふわふわでとろけるような、幸せそのものが形になったようなものを食べるのは、やっぱり偉い人なんですね。


 手にとって、ぱらぱらとページをめくってみます。

 ……ええと、まず卵を用意して、腹をかっさばいた鶏に入れます。

 次にその鶏を、腹をかっさばいた羊に入れます。

 さらにその羊を、腹をかっさばいた豚に入れます。

 そしてその豚を、腹をかっさばいた牛に入れます。

 これに鉄の杭を通して丸焼きにすること半日、卵を取り出して食べます。

 後は全部捨てます。


 ……はあ、なんでしょうかね、偉い人ってのは考えることがおかしくなるんですかねえ。普通に茹で玉子にすればいいのに。

 そもそも、これは家庭で作れるんでしょうか?

 まったく、料理の世界も奇々怪々なもんでさあ。


 小首を傾げながら、さらにぱらぱらとページをめくると、お菓子のコーナーが半分以上を占めていることがわかります。

 その中に、今日食べたケーキの作り方も書いてありました。

 ……うへえ、改めて文章にすると、行程ひとつひとつがやたらと細かくて複雑で、気が遠くなっちまいますね。

 分量も秤を使ってきっちりと量りましたし……まるで薬の調合みたいで、そういう意味じゃあ慣れっこで苦にならねぇですが。


 あれ、でも材料に「生クリーム」とは書かれてますが、肝心の生クリームの作り方は書かれてませんね。

 てえことは、アヅマの旦那はこの本とは関係なく生クリームの作り方を知ってたってことになりますが、そんなのどこで知ったんでしょう?

 遠心分離機を使うとか、かなり特殊だと思うんですが……


「何か他に食べたいものでもあったか?」

「へっ? ああいや、もうお腹いっぱいでさあ、にへへ」


 ちょうど旦那が戻ってきたので、あちしは笑って誤魔化して本を閉じました。

 

「そうか。でもケーキの他にも作ってみたいのは色々あるし、また作りに来てもいいかな?」

「うぇっ? そ、そりゃあ勿論、大歓迎でさあ!」


 なんとなんと、旦那とお茶の時間の約束をゲット!

 しかも、一回や二回だけじゃなく、さらにお手製の美味しいお菓子つき! こいつあいろんな意味で胸が高まっちまいますね!


「なんなら、毎日でもいいくらいで!」

「いや、毎日はちょっとな……」

「……あ、そ、そうですよね、旦那にだって探索士の仕事がありやすし……」

「それもそうなんだけど…… 毎日は流石に、その。……太るよ?」

「えっ」


 なん……ですと……?


「ケーキだって、作るときに大量に砂糖を使ってるのを見ただろう? 他の材料も主に脂質と糖分だし……」


 そ、そういえば、山のような砂糖を用意してあったような……

 いつの間にか消えちまってたんですっかり忘れちまってましたが、あれの半分が、今、あちしのお腹に入ってるってわけで……?


「まあ、ティエナはスタイルいいから、少しくらい肉付きが良くなってもいいかもしれない、けど」

「えっ、あ、ええ、直に見られちまいましたし、ねえ」


 おっと。

 こいつはお互いに失言した感ですね。

 お互いに顔を赤くして、そっと視線をそらしました。


 旦那は、ふっくらしてた方が好きなんでしょうか?

 旦那が見たいっていうんなら、恥ずかしいですけど一肌脱いでも……


 ……なあぁぁんて言えるわけありゃしねぇってんでさあ!

 そんな誘惑ができたら苦労なんざしやせんよ!?

 っていうか、それは何処の痴女さんのお言葉で!?

 いくらあちしでも、好き好んで裸を見られてぇわけじゃあありませんや!

 あ、でも、せめてサングラスだけでも着けさせてもらえればなんとかっ……!?

 

 いやいやいやいや、落ち着けあちし。

 そもそも、あちしの裸なんて旦那が見たいって言うかどうかってぇ問題もありやして……いや、だから裸を見せたいってわけじゃ……ないわけでもねぇといえばねぇんですが……


「と、とにかく、毎日は流石に無理だけど。また料理作りに来るよ。ここ、計量器具もオーブンも遠心分離機もあるしな!」

「え、ええ、薬草の乾燥と加熱以外に使われて、オーブンも本望ってもんでさあ!」


 まあ、調合なんて最悪、鍋さえありゃあ出来ねぇこたあねえんですが、道具や手間を惜しまねぇのがおっかさんの教えで、効果の高い霊薬作りの秘訣でして。


 ……思えば、おかげさんでこうしてアヅマの旦那と出会えて、旦那もうちに来てくれるようになったわけですよ。

 設備費用でカツカツになって、キノコ肉だけでしのいだあの日々は無駄じゃなかった……!


 ただ、ケーキはすっごく美味しいんですが、作るために用意した砂糖の山を思うと……お、お腹のお肉が怖い。

 ダイエットに効く霊薬、自分のために調合しとかなきゃいけませんねえ……




 その後は、とりとめもない、明日になれば忘れているような何でもないおしゃべりに華を咲かせて、夕刻には旦那は帰っていきました。

 それはごく普通の、ありふれた、特筆するようなこともない一日だったかもしれませんが、あちしにとってはふわふわと魂が浮きあがっちまうような幸せな日でした。


 そして、これがとても大切な一日だったことを……今のあちしが知っているわけもなく、無邪気に旦那との未来を夢見ていたのです。

次回予告

 三日月輝く迷宮の奥で、ついにユートはクレセントベアと激突する。

 尋常ではない膂力に裏打ちされた単純な強さを目の当たりにする。

 次回、第80話「ぅゎ、くまっょぃ」

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