第73.5話 スケアクロウのマリアベル
兄は昔から何でもできた。
私はというと子供の頃から小難しいことは嫌いで、考えるということが苦手だったから、わからないことがあると何でも聞きに行ったものだ。
その度に、兄は私に正しい答えを教えてくれた。
まあ、その教えてくれたことの大半は、覚えていられなかったが。
ただ、ひとつだけ覚えたことがある。
兄はいつでも正しい。
兄に聞けば何でもわかった。
兄が言ったことは全てその通りになった。
兄が言う通りにすれば、私でも何でもうまくできた。
たぶん父も、兄に聞けば商売に失敗などしなかった。
きっと母も、兄に任せれば身体を壊して病に倒れることもなかった。
兄は、私たちがまだ幼かったせいだと言う。
仕方なかったのだという。
ならば、きっとその通りなのだと思う。
いきなり家を出なければならないと言われても、私にはどこにいけばいいのかわからなかったので、兄の言う通り二人で探索士になった。
私は身体を動かすことだけは得意で、背丈ばかりは大きかったから、兄の前に出て兄を守りたかったのだが、実際は兄が前に出て私を守り、私が槍で敵を攻撃することになる。
これが一番いいんだ、と兄は言った。
果たして、兄の言う通りだった。
一度、強引に前に出たことがあったが、その時は私が怪我をしてしまい、逆に兄に助けられてしまった。
やはり、兄はいつでも正しいのである。
私達がそれなりの年齢になったある時、私達は所属していたパーティから抜けることになった。
探索士を始めた頃はまだ幼かった私達二人は、既にあったパーティに身を寄せたのだが、どうも兄はそこでの扱いに不満を持っていた……らしい。
私は、兄と一緒にいられれば何でもよかったし、何か言われても無視していたので、何も感じてはいなかったのだが。
「お前、うちのパーティに残れよ」
兄が少し席を外した時に、パーティのリーダーにそう言われた。
はて、奴はどんな顔をした男だったか。全く覚えていないが、嫌な笑い方をする口元だけが印象に残っている。
「兄がそう言うなら、そうする」
「あいつのことなんて見限れよ。ガキが二人でどうするってんだ。俺達の方につけば、いい思いもさせてやれるぜ」
「いいも悪いも知らない。兄についていくだけだ」
「ついていっても先はねぇぞ。お前はそこそこ役に立つから、お前だけはこっちに入れてやるってんだ」
「……兄がいないなら、行く必要がない」
「ちっ、いいからお前はこっちに──」
「──さて。私の妹に何の用か」
その時、兄が戻ってきた。
男は一つ舌打ちをすると、ぼそりと小さくつぶやいて、そそくさとどこかに行ってしまった。
「マリア。大丈夫か? 変なことを言われなかったか?」
「変も何も、最初から最後まで訳のわからんことしか言われなかった。あれは頭がおかしいのではないか?」
「そうだな。身の丈に合わぬ成果を得て慢心しているのだ。
今まで若輩と侮られて道理に合わぬ扱いをされたこともあったことだし、手を切るにはもういい頃合いだな」
「ふむ。……そういえば兄よ、奴は何という名だったかな」
私がそう聞くと、何故か兄は苦笑した。
先の長い奴等ではないから覚えておく必要はない、と言われたので、そうか、と頷いて気にしないことにする。
奴が最後につぶやいた「かかし頭め」という意味のわからなかった言葉も、一緒に忘れることにした。
兄はパーティを抜ける前に周到に準備しており、その翌日から私達はもう既に新しい仲間達と共に迷宮に潜っていた。
とはいえ、私のやることは変わらない。兄の後ろをついていって、槍を振るうだけだ。
探索は順調だったと思う。
新しい仲間との連携もうまくいっていたし、迷宮もどんどん攻略して先へ先へと進んでいった。
宿もいいところに移ったし、装備もいいものになった。
まあ、兄がリーダーなのだから当然だ。
前のパーティでは……どうだったか? 昔のことなどどうでもよかったので、すっかり忘れて覚えていなかったな。
兄が言うには、不当な扱いだったらしい。
私にわかるのは、ご飯が美味しくなったな、くらいのことだ。
武器を普通の槍からハルバードに変えたのもこの頃だ。
それから、何ヵ月か過ぎた頃。
あの頃は、今とは存在する迷宮が違った。大きな蜘蛛がたくさん出てくる森の迷宮で、何度めかのボス蜘蛛を倒した帰りのことだったか。
「てめぇ、ガルシアぁ…… 見つけたぞ、てめぇ!」
血走った目をした三人の男達が私達の前に飛び出してきた。
装備も薄汚れ、木の葉や蜘蛛の糸がくっついている。
あまりに尋常ではない様子に、私や仲間達は武器を構えたが、兄は腕をあげてそれを制止した。
「久しいな。こんな場所まで来て、一体何の用だ?」
「しらばっくれんじゃねぇぞ、てめえ!
てめえが俺達に何かしたのはわかってんだ!」
「何か。何かとは?」
「てめえらが抜けてから、こっちは散々だ! 勝てたはずの魔物に勝てねえ、金はいつの間にかなくなってるし、新しく入れた二人も魔物にやられちまった!
てめえが何かしたんじゃなきゃ、こんなことになるわけねえだろうが! 拾ってやった恩も忘れやがって!」
「愚かしい。反論が三つはあるが、それを言うのも愚かしい。
……ひとつ聞こう。パーティは六人、二人が死んでここに三人。もう一人はどうした?」
「……さっき、蜘蛛にやられちまったよ、畜生!」
「無様。だが貴様ではその程度か」
「……てめえぇっ!」
男達は逆上して襲いかかってきたが、相手が人間と言うのもあって戸惑っていた。
だが兄だけは冷静に、ぽつりとつぶやく。
「マリア。──やれ」
「死ねえぇぇっ!」
三人の男達が兄に殺到する。
私は兄の背後からするりと踏み出して、右から来る男に向けてハルバードを突き出した。
穂先が胸を貫く。手首を返して槍を捻りながら引き抜く。
心臓を貫いた手応えがあった。即死だ。
兄は、残る二人の攻撃を剣と盾で難なく受け止めていた。
巧みに勢いを反らされ、体勢を崩す左の男に、振り向き様にハルバードを降り下ろす。
頭を赤く弾けさせて、二人めも倒れた。やはり即死だ。
残る一人は、その間に兄の剣に斬られていた。
思えば人を殺すのは私も兄も初めてだが、案外大したことはない。死体や返り血がすぐには消えないのが面倒なくらいだ。
「弱いな。兄よ、こいつらはかかしか何かか?」
「うむ。己も道理も弁えなかったかかしだな」
言いながら、兄は倒れた男の服で剣についた血を拭っていた。
なるほど、そうすればいいのか。私も真似をして死体の服でハルバードの血を拭う。
「ちく、しょうが…… 許さねぇ、ぞ……」
「生きていたか。やはりマリアのようにはいかんな」
兄が斬った男が、掠れるような声でうめく。
とはいえ、明らかに致命傷で放っておいても直に死ぬだろうと思えた。
「くそ、全部、てめえのせい、だ……」
「……愚かしい。愚かしいが、答えてやろう。
ひとつ、私は既に抜けたパーティに嫌がらせをするほど暇ではない。
ふたつ、貴様には恩など無い。拾われた義理もパーティの一員として十分返しただろう。
みっつ、魔物に勝てんのも金がなくなるのも、貴様のリスクと金銭の管理が甘いだけだ。
よっつ、全ては貴様の弱さと愚かさが招いた結果である。
愚物め。反論が四つに増えたぞ」
「なん、だと、この……!」
「まったく、貴様には長年苦労ばかりさせられたが……
それもここまでだ。名残惜しくも何ともないが」
そう言って、兄は倒れた男に剣を突き刺した。
男は微かに断末魔の呻きをあげて、動かなくなった。
「兄よ、こいつらはどうする?」
「捨て置け。死体は蜘蛛どもか迷宮が食らい尽くすだろう。
迷宮で人を襲うような奴らだ。返り討ちにしたところで罪には問われんし、わざわざ殺したと言う意味もない。いいな?」
最後に仲間の方を振り向いて兄が言うと、他の仲間達も強張った顔でこくこくとうなずいた。
奴等は身に付けているものもありふれた装備ばかりで、手をつける意味もない。野ざらしのまま死体を置いて帰ることにする。
「ところで兄よ、さっきの奴等は兄の知り合いだったのか?」
「……覚えていないか」
「うむ。私は知らない顔だった」
「気にするな。もう覚えておく価値もない」
「そうか」
そう言ったきり、二度と奴等の話などすることはなかった。
それからは、まあ……一言で言うならば、特に何もなかった。
何度か仲間が抜けたり増えたり、いつの間にか三日月党などと呼ばれるようになったりしたものの、兄がいて、その後をついていくだけであることには何も変わりない。
そんな生活が一年続き、五年続き、十年、二十年と続いて。
ある時、レリックという男がパーティに入った。
それ以前に仲間だった剣士の男が、兄に世話を見てやってくれ、と頼んで押し付けて来た奴だ。
強いのは一目でわかったが、どこか危ういというか、危険というか、一歩間違えただけでころっと死にそうな奴だな、と思った。
おそらく、そいつもそう思って兄に預けることにしたに違いない。
まあ、兄に任せておけば間違いなどないのだ。
「なあ、姐さん。オレと戦り合おうぜ」
たまたま兄が用事で席を外した、ある休みの日に、ちょっと散歩にでも出掛けよう、という感じで奴にそう声をかけられた。
ちらりと見ると、腰の剣に手をかけている。
「兄がやれと言ったならな」
「なんだァ、別にいいじゃねェか。むしろ旦那がいねーから言ってんだよ」
「そうか。なら、やらん」
「ちぇっ、つまーんねェーの! 姐さんはいっつも旦那旦那だ、忠犬っぷりにも程があるぜ。
……いや、忠犬ってのも違ェな、なんつーか……かかし頭?」
「ふむ……」
何故か、そう聞いた途端に昔のことを思い出した。
珍しいこともあるものだ。昔のことなんてほとんど思い出さないのに。
「……昔、そう言われたことがあったな」
「マジかよ!? 姐さんにンなこと言うなんて命知らず過ぎだろ!」
自分のことは見事に棚にあげてレリックがげらげらと品なく笑う。
「そいつ、どうなったんだ? まさか殺しちまったとか?」
「知らん。誰に言われたのかも覚えていない」
そもそも、何故このことに限って思い出したのやら。
少しだけ不思議に思ったが、気にしないことにした。兄に聞くほどのことでもない。
レリックはその後も何くれとなく雑談をしていったが、私が気の無い返事ばかりしていたせいだろう、そのうちどこかへ行ってしまった。
思えば、私の人生というものは常に兄と共にあった。
兄は私を……特に家を出て探索士になってからは……必要としてくれたし、私も兄がいれば他に必要なものはなかったから、それで良かったのだが。
それに、兄の言う通りにしていれば心配などいらないのだ。
私にとって最大の幸運は、優秀な兄がいたことである。
だが、私にとって最大の不運は、その兄が優秀すぎたことである。
いや、兄が悪いのではない。
悪いのは、兄に頼ってばかりの私だ。
私がただの商家の娘で、いずれどこかに嫁ぐなら、兄のかわりに夫に全てを委ねて、聞き分けのいいつまらない女として一生を過ごすこともできただろう。
だが、探索士としてこの歳までずるずると来てしまった今となっては、もはや生き方を改めることもできない。
一体どこから間違ったのか。
蜘蛛の迷宮であの男達を殺した時か。
前のパーティを抜けた時か。
探索士になった時か。
兄の後をついて回るようになった時か。
私が生まれた時か。
あるいは私より先に兄が生まれた時か。
私は、空っぽ頭のマリアベル。
私の罪は、自分で考えることを放棄し、自分の人生を自分以外の誰かに任せてしまったことである。
兄だとて、悩みも間違えもする人間だというのに。
次回予告
ザイードを味方に引き入れ、ついに決戦の幕が上がる。
奇襲、奇策、戦術、戦略―― すべてをつぎ込んで、勝利を望む。
次回、第74話「決戦開始」




