第45話 狼との戦い
牙狼の迷宮は、薄暗い森の迷宮だ。
深森の迷宮が鬱蒼と繁った木々に覆われた黒い薄暗さだとしたら、牙狼の迷宮は靄に包まれた白い薄暗さである。
まばらに薄い日の光も差しているが、ごく近い距離はともかく、遠くを見通そうとすると白く煙っていて見えにくい。
迷宮の作りも、木々によって通路のようなものが形作られていた大樹や深森とは違い、膝下ほどの高さの絨毯のような下草が生えた広間にまばらに樹の柱が立っている、とでも言うべき広い構造をしている。
ただし、広いといっても立ち並ぶ木と、背の高い下草、緩やかな地面の起伏、そして薄い靄によって意外なほど見通しは悪い。
特に厄介なのが下草だ。
狼の姿が草に隠れて、はっと気が付くと囲まれていたり、奇襲をかけられたりするらしい。
……というのは一般的な探索士の話であって。
「アクティブソナー、響け」
コォン、と魔力を響かせて周囲の反応を探る。
といっても、あくまでイメージの話で、実際に音は鳴らないしレーダーの反応も俺のイメージの中にしか現れない。
いずれレベルが上がればガンシューティングで銃を実体化させられるのと同様に、こちらもレベルがあがれば実際に音が出たり、レーダーを可視化することができるらしい。
『そうなれば、私もそのレーダーとやらを見ることができるのだがな』
天龍もわりと好奇心が強い。一度見てみたいらしいけど、俺のレベルがあがらないとどうにもできない。
「反応が三つずつ固まってるな…… これが狼か?
一番近いのはあっちの方だけど、別のグループがすぐ近くにいる。合流すると厄介だから、あっちにしよう」
「ほう、魔力感知を探知魔法にまで昇華したか。ここの狼どもならば、精霊の宴にも愚昧なる眠りを覚ますまい」
「少しむずっとしますけど、便利ですわね」
魔力に敏感な魔物なら刺激してしまうというが、幸い今までのゴブリンもここの狼もソナーに気付くものはいなかった。
むしろミーシャやらユズやら、仲間の方が敏感だ。
ルティアも魔力感知はできているので、近くにいるとわずかながらソナーの魔力を感じるようだ。
ざわざわと草をかき分けて歩いていくと、パッシブソナーに反応があった。
これは魔力を放たないぶん範囲と正確さには劣るのだが……
「いるよ、狼が三体」
「気付かれてるっスね」
ソナーが反応する方を見ても姿を確認できないのだが、斥候の二人はしっかりと気付いていた。
エルフと獣人だから感覚が鋭い、とかあるのだろうか?
まあ、姿が見えないだけで、天龍眼には草むらにステータスがポップアップしてるんだけど。
グレイウルフ 魔物 男性 Lv15
動物系 無属性
グレイウルフといえば、クロードのマントの素材だ。
それにしても、第一層の最初の相手がLv15か……
奥に行けばもっとレベルの高い狼もいるのだろう。迷宮としての格が違っていることを感じさせる。
「丁度いいよ、アズマ、クロード。
まずはこの狼を、ぼくたちがやってみよう」
きりり、と弓矢をつがえるディッツを制して、ユズが前に出た。
俺とクロードも、同じように前に出る。
グレイウルフは緩く散開して半包囲の形を取っており、それぞれに一人ずつ、一対一で対応する形になる。
「グルルルルッ!」
こちらが気付いていることに気付いたのか、グレイウルフ達はがさがさと草を鳴らして駆け出し、唸り声を上げながら急速にこちらとの距離を詰めてきた!
「ガンシューティング、開始!」
「物質の容の公式に我は干渉する──」
俺とクロードが同時に魔法を唱える。
クロードの呪文が初めて聞くやつだ。新しい魔法だろうか。
だがそちらを見ることはせず、距離が詰まって草の合間に暗い灰色の毛皮が見え始めたグレイウルフに狙いをつけ、トリガーを引いた。
轟音が連続して鳴り響き、草が千切れ飛ぶ。
「ギャウンッ!?」
「きゃっ!?」
「なんじゃっ!?」
狼の悲鳴と共に、銃声に慣れないルティア達の驚く声が聞こえる。
撃ち尽くした銃を投げ捨てて、怯んだ狼に駆け寄りながら刀を抜いた。
しゃらん、と澄んだ音がする。
体勢を立て直し飛びかかろうとする狼に、刀を一閃!
「ッ──!?」
手応えが軽い。
当たったのは確かだが、小枝でも斬ったかのような感覚。
だが、その一撃で狼の頭部はぱくんと裂けて体力バーが一気に消し飛んだ。
激しい血が飛び散ったが、それに怯む間もなく魔力に分解されて消えていく。
一瞬、脳味噌的なものが見えたような…… いや、気のせい気のせい!
「せいっ!」
ユズとクロードは、と視線を向けてみると、ユズが狼を仕留めたところだった。
飛びかかってくる狼の下にするりと潜り込み、軟らかな顎の下から短剣を突き上げて致命傷を与える。
まるで簡単なことのように、一撃必殺だ。
「大気よ凍てつけ、汝は氷の属性なり! 立証、エアステイシス!」
クロードもまた、新たな魔法を狼に向けて放つ。
腕を突き出すクロードに、狼が飛びかかり──
ごん、と重い音を立てて見えない壁にぶつかった。
何が起こったかわからない、という顔の狼がべちゃりと地面に落ち、クロードは淡々とその狼に剣を突き刺した。
三体の狼がいずれも絶命して魔力に分解され、パッシブソナーにも反応がないのを確認して、刀を鞘に納める。
「……案外、危なげなかったな」
後には当然のようにドロップアイテムが残されていた。
グレイウルフのドロップアイテムは、グレイウルフの毛皮だ。
手頃な革製防具の素材としてポピュラーで、需要も大きく協会の買取り価格も結構高い。
これを狩ってくるようになると、一端の探索士だ。
……でも、結構大きくてかさ張るな、毛皮って。
俺の使ってるバックパックだと、綺麗に丸めて詰め込んでも十枚ちょっとくらいでいっぱいになりそうだ。
重さはそれほどでもないんだけど。
とりあえず毛皮を丸めてバックパックに収めてから見てみると、ルティアが何故か目を丸くして固まっていた。
「……どうしたんだ? 大丈夫か?」
「……い、いえ、その、驚いてしまいまして」
「言いたいことは色々あるけどさ、とりあえず、ま、アレよ。
あの、すげー音する魔法、何? ディッつん、まだ固まってるし。ヤバくね?」
獣人の耳には刺激が強かったのか、ディッツ少年が目を丸くして耳をぴんと立て、尻尾の毛を逆立てた状態で固まってしまっている。
うーむ、撃ってる本人は大した音でもないと思うんだが。
銃声、という概念が無いせいだろうか。
「攻撃魔法……なんだけど、何故か音がしてしまって」
「魔力を無属性のまま放つ…… 凡百のありふれた魔法だが、疾風のごとき連射は驚愕に値する。
発射時の轟音といい、貴様、そのような魔法を如何なる思考の深淵より汲み上げたのだ……?」
魔法使いであるアルバートは何か違和感を感じたようだが、まさか異世界の武器のイメージだとは言えないので、曖昧に誤魔化しておいた。
迷宮に入る前は三日月刀が注目されていたが、いざ実戦となると派手な音のするガンシューティングが話題をかっさらっていったな。
まあ、刀は俺自身もう少し使い込んで確かめたいところだ。
「クロードの魔法も、不思議じゃったのう。
見えん壁で狼ば跳ね返して、まるで神官の奇跡みたいじゃ」
「…………ありえん……」
神官であるガイウスが、ぼそっとつぶやく。
回復魔法や防御魔法は魔法ではなく神官の奇跡だと思われていて、どうやら普通の魔法使いでは使えないらしい。
……実際はそれも魔法らしいので、ただの思い込みによる制限だが。
クロードの新しい魔法については、俺も気になる。
「もちろん、奇跡とは違う。空気を硬くするだけの魔法だよ」
「ほう、風の魔法か……」
「いや、氷属性の魔法だよ?」
「……氷……?」
なんでやねん。
あれ、あの魔法のどこに氷属性の要素が……!?
「数秘学では、風は気体、水は液体、氷は個体の性質を表すとされている。
気体である空気を、一時的に氷の属性である個体にする魔法だから、氷属性の魔法に属するんだよ」
『ほう、そういう解釈か…… なかなかやるではないか』
天龍は何やら感心しているが、俺にはこじつけのようにも聞こえてしまうな。
そもそも、魔力は何にでもなり何でも起こすというのに、それが属性によって細かく分けられているというのはどういうことだろう?
『ふむ、ま、属性についての話はまたの機会にしてやろう。結構長くなるからな』
「ねえねえ、ぼくは? ぼくには何かないの?」
「え? えーと…… す、すごかったっス!」
ようやく復活したディッツに簡単な言葉ひとつしかもらえず、ユズは少しばかり不満げに肩をすくめた。
だが、本当に洗練された技術は簡単そうに見えるものだ。
ユズはレベルも経験も、この場の誰よりも一回り上だからな。
「ともあれ、これで俺達にこの迷宮で戦える実力があるのはわかってもらえたかな?」
「まだ、ほんの入り口の最初ですわ。判断するのは時期尚早というものですわね。
それでは、次の狼はわたくしたちだけで倒してみせましょう。アルマさん、探して頂けますか?」
まあ、一回だけなら偶然かもしれない。
何度でも安定して戦えてこそ、実力というものだ。
今度はルティア達の実力を見せてもらうべく、ソナーを打った。
ルティアのパーティは、ルティアを中心とした布陣で魔物を迎え撃つのが基本戦術だ。
星形をひっくり返したような形で、前方にレジーとゴルドさんの戦士コンビ、右にアルバート、左にディッツ、後ろにガイウスの五人でルティアを守っている。
狼は三体が1チームで襲ってくる。
散開して半包囲したり、三角形の陣形で囲んできたり、一人に波状攻撃を仕掛けたり、なかなか多彩な戦術を仕掛けてくる。
キノコやトレントやゴブリンではお目にかかれなかった知性と戦術性を感じさせる。
しかし、ルティア達のパーティもバランスのとれた構成と陣形で、あらゆる方向から襲ってくる狼に対処していた。
大剣と頑丈そうな金属鎧で武装した見るからに重戦士のゴルドさんは、前方から来る狼を完璧に防いでいる。
レジーも巧みに狼を防ぎつつ、隣にいるゴルドさんや後方の援護を利用して狼を着実に仕留める。
多彩で強力な炎の魔法を操るアルバートは火力担当で、彼に肉薄した狼にもユズに勝るとも劣らないレジーの投げナイフがフォローする。
レジーの投げナイフはユズのものより大型で、狼を十分に仕留める威力があった。
ディッツの弓矢と、近寄る狼を的確に見抜く索敵能力もまた、狼たちの奇襲から幾度となくパーティを守る。
離れては弓矢、近付けば短剣と、隙の無い戦いぶりだ。
最後尾に控えるガイウスも、皆に回復や支援をの魔法を飛ばしつつ、じゃらりと取り出した物騒なモーニングスターで背後から迫る狼と渡り合うことが出来た。
まあ、最後尾から側面にかけては俺たちも控えていたので、俺やクロードの魔法、ユズのナイフも活躍はしていたのだが。
それにしても、やはりルティアのパーティはバランスがいい。
互いにフォローしあって穴がないし、そうでなくとも各々が狼に対処でき、ルティアに爪の先ひとつも通しはしていない。
「……おかしくない?」
「おかしいですわよね?」
ユズがこっそり俺にささやいたのは、奇しくもルティアがつぶやいたのと同じタイミングだった。
といっても、二人が言いたいことはそれぞれ違う。
「あの、今日はなんだかドロップアイテムが多すぎません?
もう荷物がいっぱいになりそうですわ」
ルティアは困ったように小首を傾げる。
今までの迷宮ではドロップアイテムがたっぷり出ても問題なかったが、狼の落とす毛皮は重さはそれほどでもないがかさばってしまい、すぐにバックパックがいっぱいになってしまう。
ソナーを使って効率よく連戦している上に、必ず毛皮をドロップしているので、まだお昼前なのに全員のバックパックに半分以上毛皮が詰まっていた。
もちろん、全員の中にルティアは含まれないわけだが。
そもそもルティアは、最初からちょっとした小物が入るくらいのバッグしか持ってないんだが……そんなの今更か。
「あの子、その、何もしてないように見えるんだけど……」
ところが、今更ではない人物が一人いる。ユズだ。
しきりに小首を傾げつつ、こっそり小声で俺にささやく。
クロードに聞かなかったのはいい判断だ。
「ルティアは、なんというか…… 特殊ユニット、的な?」
「何それ?」
近くの味方を強化する踊り子とか、守るべき城や塔とか、そういう感じなのだが、ゲームのたとえは通じないだろうなあ。
「戦士や魔法使いとは違う、特別な役割なんだよ」
「……よくわかんないけど、ま、いっか」
まあ、何もしていないのは確かなんだけど。
クロードが気にくわないのも、ルティアのそういうところだ。
武器を持つなり魔法を覚えるなり、何か出来た方がいいとは俺も思うんだがな。
「……ともあれ、そろそろいい時間ですし、お昼に致しましょう。アルマさんたちも、少し休憩しましょう?」
「そうだな。……って、迷宮の中で休憩するのか?
大樹とは違って魔物が来るんじゃないのか?」
「迷宮の中でも安全を確保して休むことは必要ですわ。
お昼になってお腹がすいたから外に出たい、なんて言っても魔物は見逃してくれませんもの」
今までの俺は、お昼には外に出てたんだけどな。
まあ、大樹に挑んでいた頃は馬車に乗らずに歩いて昼から挑んでいたし、深森はそれができる程度の深さだったし、巣穴は最短距離を行けばそれほど時間をかけずに戻れたのだが。
今後、途中で休憩が必要な大きな迷宮に挑むかもしれないし、迷宮内での休憩の仕方を覚えておいた方がいいだろう。
「こういう時は、普通はぼくたち斥候が近くに魔物がいないか確認するんだけど……
アズマ、ソナーお願いできる?」
「なんだか、急に便利に使われるようになった気がするな」
「実際便利っス! おかげでオイラも熱い紅茶が飲めるっスよ!」
両手をあげて大歓迎状態だった。
魔物の来ない大樹の根元ではみんなでお茶会できたが、迷宮の中では見張りや見回りが必要で、特に斥候で気配にも敏感なディッツは任されやすいんだとか。
アクティブソナーを使ってみたが、幸いにもいずれの狼の反応も遠く、しばらくは休憩していても問題なさそうだ。
小さな丘のようになった、少し高くて地面の起伏が緩やかな場所を選び、俺達は休憩の準備をすることになった。
次回予告
迷宮の中でもいつものお茶会。
絶品のサンドイッチと紅茶がユートとルティア達の空気をなごませる。
しかし、ただ一人ユズだけは、その空気に馴染めなかった。
次回、第46話「ルティアとお茶会」




