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第34話 ゴブリンのジレンマ

 迷宮の中に入ると、空気が違う、と感じる。

 魔力感知を覚えたからだろうか。大樹の迷宮に潜っていた頃はなにも変わらないと思えたし、深森の迷宮は見た目からしてまるで違っていたから気にならなかったが。

 洞窟へ降りていく途中から、空気が違っているのを感じる。

 ちなみに迷宮が現れる前は、ここはすぐに行き止まりの天然洞窟だったそうだ。


 今は、壁に取り付けられた篝火(かがりび)が赤く照らし出す迷宮が広がっている。

 篝火の明かりは意外に心許なく、点在する篝火の合間にはかなり暗くなっている区間も存在した。


「思った以上に暗いね…… 明かりを出しておくよ。

 ……励起する光の公式より、我は光素をくべる。偽りの陽のごとく、我らを照らせ。立証、ライトボール」


 ふわり、とクロードの手に生まれた白い光の玉が頭上に浮かぶ。

 巣穴の迷宮に挑むから、とクロードが練習していた明かりの魔法だ。白々とした光が、懐かしい蛍光灯の色に似ている。

 この光はクロードの頭上に追従して移動し、クロードが魔力を打ち切らない限りは同じ明るさで光り続ける。

 こういう、魔力操作をずっと維持するような器用な魔法がクロードは上手いんだよな。


「さて、それじゃぼくは先行するね。周囲の魔物と罠を確認して――」

「いや、ちょっと待ってくれ。魔法で探ってみる」


 ふっ、と暗がりに姿を消そうとしたユズを止める。

 というか、今一瞬ほんとに消えたように見えたぞ…… 黒ずくめとはいえ、あんなに目立つ髪色なのに。隠密Lv6ってすごい。


「アクティブソナー、響け」

「きゃわっ!?」


 左手で十字を切って、コォン、と魔力を響かせた途端、ユズが耳に手を当ててびくんと身体をすくませた。

 ……そういえば、エルフの耳は魔力を感知する感覚器官なんだっけ。


「な、何今の? すっごく耳がビリってきたよ!?」

「魔力の波を放って周囲を探る魔法、なんだけど…… やめた方がいいか?」


 さすさす、と耳をさするユズを見ていると、魔法訓練の時のミーシャを思い出す。

 残念ながら、ここは迷宮の中だし、あの時のように悪ふざけをするつもりはないが。


「ああ、やっぱりアズマも魔法使えるんだ……

 珍しい魔法だね。初めてだからびっくりしたけど、わかってたら平気かな?

 でも、魔法が使えるゴブリンは刺激しちゃうかも」

「そうか、場所を選んで使う必要がありそうだな……」


 別に第一層で第五層にいるゴブリンに気付かれても問題はないが、そうでなくてもあえて自分の居場所を相手に教えるメリットはあまりないだろう。

 奇襲される原因になるかもしれないしな。


 詠唱なしのソナーなら平気かな。えいっ。


「んっ! ……ちょっと待ってそれ無詠唱でもできるの?」

「基本は魔力感知だからな。他の魔法はまだ使えないけど。

 ……このくらいの強さならどうだろう?」

「あー、うん…… 十分離れてれば、ちょっとむずっとする、くらいかな。でも近距離だと結構ぴりってするから、ぼくが近くにいる時はやめてくれると嬉しい、かも。

 せめて一言言ってね?」


 まさか仲間が増えてアクティブソナーを封じられるとは思わなかった……

 使うときは一言言ってから。普段はパッシブソナーを使うか。


「アヅマのソナーは便利だったんだけどね。やっぱりユズに先行してもらうかい?」

「……いや、パッシブソナーでも十分周囲の探知はできるし、一緒にいた方が進行がスムーズだろう。ユズは近くに罠があった時に教えて欲しい」


 と言うのは建前で、実際はユズを単独行動させるのが不安だったからだ。

 少々過保護だろうか? いやいや、せめて精神へのペナルティが-5くらいまで軽減されてからでないと心配だよな……


「それじゃ、せめて先頭に立って罠を警戒するね」

「ああ。真っ直ぐ行ったところに魔物の反応が四つあったから、まずはそこに行ってみよう」


 改めて、ユズを先頭に洞窟内を進む。

 迷宮の中はいかにも迷宮らしく細かく分岐し、曲がりくねっているが、2~3人並んで戦えるくらいの幅はある。

 天然の洞窟だが、ところどころ人の手が……ゴブリンの手かもしれないが……入れられて拡張されているようにも思えた。

 ……崩落とかしないよな?


『あえて攻撃を放って壊すか、あるいはそういう罠でもなければ迷宮の構造が崩れることはない。

 迷宮を壊すような強力な魔法使いもここにはいないし、罠があっても私の眼にかかれば筒抜けだ。安心して進め』


 天龍の太鼓判であるが、罠に気付かなかった、なんてことがないように注意……もユズがしてくれてるのか。

 ま、一応俺も注意しておこう。


「止まって」


 そのまま先に進むと、ユズが低い声で言って足を止めた。

 そっと慎重に、角の先をのぞきこむ。


「……いるね。本当に四体。どれも最下級のゴブリンだよ」

「俺も見てもいいか?」

「あ、僕も」


 こくん、とうなずいて、ユズが場所をあけてくれた。

 どれどれ、とクロードと二人してこっそりと顔を出す。


 そこには、4体のゴブリンが何をするでもなくたむろしていた。

 ぎゃうぎゃうと身振り手振りを交えながら何か話していたり、手に持った粗末な棍棒を無意味に振り回していたりする。

 ……そういえば魔物って、探索士と戦っていないときは普段何して過ごしてるんだろうな。見ていてもよくわからない。


ゴブリン 魔物 男性 Lv8

亜人系 無属性


 ゴブリンは、暗い緑色の肌をした子供くらいの身長の魔物だ。

 髪はなく、頭は大きめだが身体は筋肉もあまりついてなくて貧相。

 目には白目がなく、赤黒い色で均一に染まっている。

 身に付けているものは棍棒と、あとは腰にぼろ切れを巻いているだけだが、ランクの高いものほど良い武具を身に付けるらしい。


 ちなみに、実は四体のうち一体だけ女性だった。

 が、見た目から全く違いがわからない…… 腰布をめくればともかくだが、そこまでして確認したくもないな。


「どうしよっか? 今なら奇襲できるね。ぼく一人でも二体くらいは片付けられるよ?」

「なら、ユズのお手並みを拝見しようか。

 残りの二体は、俺とクロードで」

「わかった、それじゃちょっと行ってくるから、二人はゴブリンが気付いたら攻撃してね」


 そう言って、ユズはふらりと角から出ていった。

 あまりに自然に、まるで歩いているかのようだが、全く足音がしないし、折よくゴブリンたちがユズの方に目を向けていないので近付いているのに気付かれていない。


 いや、違う。ゴブリンたちの意識が向けられている先を把握して、巧みに気付かれないように動いているんだ。

 流石にそれが難しい距離になると、おもむろに小石を拾い上げて――


 ――カランッ


 ゴブリンの頭を飛び越えて放り投げられた小石が立てた小さな音に、ゴブリンたちは一斉にそちらの方を向く。

 全員が背中を晒した絶好のチャンス。

 一気に、しかし足音もたてず駆け寄ったユズは軽く跳躍し、一体のゴブリンの首の後ろに体重の乗ったナイフの一撃を突き刺した。


「ガアアァァッ!」

「グギャッ!?」

「ギャウウッ!?」


 喉から刃を生やして仲間が断末魔の声をあげて、ようやく他の三体がユズに気付く。

 それと同時に、俺達も角から飛び出した!


「――立証、フレイムピラー!」


 俺が接近するよりも先にクロードの魔法が完成する。

 ユズの一番近くにいた一体が炎に包まれて、残ったゴブリンたちは混乱の声をあげ、近付いてくる俺に気付いた。

 俺はこちらに向かってくるであろうゴブリンを迎え撃つため、剣を引き抜いて――


「ギギェェッ!」

「ギィーッ!!」

「……あれっ!?」


 なんと、残った二体は炎に包まれてのたうつ仲間を見捨てて、一目散に逃げ出したのだ。


「ていっ!」


 その背中に向けて、ユズが二本のナイフを投げる。

 空を裂いて飛んだナイフは二本ともそのうちの一体に刺さり、当り処が悪かったのかユズが狙ってのことか、一気に体力ゲージがなくなって倒れ伏した。

 だが、その隙にもう一体は迷宮の闇の奥に消えてしまっていた。


「いやぁ、見事な逃げっぷりだったね。仲間を見捨てる判断の早さは驚嘆に値するよ」

「うーん、あれがなければ全部倒せたかなぁ?」


 燃えていたゴブリンに手早くトドメを刺したクロードと、投げたナイフを回収して再び太股のホルダーに差したユズが呑気に言う。

 まさか逃げるとは思っていなかった俺は、釈然としないながらも剣を鞘に納めた。


「ところで、ユズ。その……結構血が出たけど、大丈夫か?」

「うん? ……あー…… うん、そうだね。魔物の血は、大丈夫みたい」


 ゴブリンを刺したときに結構大量の血が噴き出していたのだが、ユズはけろっとしたものだった。

 魔物の返り血などの汚れは、基本的にすぐに魔力に分解されて消えてくれるので、今は血の汚れや血だまりなどは残っていない。


 そのわりに大樹の迷宮のアリを斬ったときの体液は消えてくれないが、あれはそういう攻撃の扱いなのだとか。

 酸などを噴き出す攻撃や、蜘蛛の魔物の糸などは、すぐに消えてしまうと効果が薄いので、魔力を込めて限定的に実体化させているらしい。


 ともあれ、魔物と戦うのに問題はなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「それよりもドロップアイテム、拾っておいたよ。

 ゴブリンのドロップアイテムは見落としやすいから気を付けてね」


 はい、とユズが差し出した手のひらの上には赤黒い小石が三つ乗せられていた。

 手の中に握り込める程度の大きさだが、つまんでみると大きさの割には重い。

 これは……


「……鉄鉱石か!」

「ゴブリンは鉱石をドロップするとは聞いていたけど、これがそうか…… 暗がりに落ちてると気づかなさそうだね」

「そうなの。見付けるの大変なんだよー」


 まあ、天龍眼があれば見落とす心配はないけどな。

 ……なかったら、これが鉄鉱石だってことすらわからなかったけど。


『くはは、もっと私を敬うが良い』


 はいはい、天龍と天龍眼にはいつも感謝してるよ。


「今回は、三体ともドロップしてくれてラッキーだったね!

 ……あれ? なんで二人ともそこで苦笑いなの?」


 クロードが仲間になったばかりのことを思い出して、俺達は思わず顔を見合わせて苦笑するのだった。




 さて、その後もゴブリン狩りは順調……

 ……とは、いかなかった。


 ゴブリンが逃げたり、暗がりから襲ってきたり(これはソナーで察知して簡単に返り討ちにした)というのもあるが、俺がゴブリンを倒せなかったのだ。


 たまたま運が悪くて、ではない。

 どうも、ゴブリンを斬るのにためらうというか……斬れない。

 脳天から真っ二つにする絶好のチャンスでも、刃先がゆらいでためらってしまったり、腕を切りつけてしまったり、わざと届かないように振ってしまったりする。


 人間の子供に似たような姿をしているのがいけないのだろうか。

 魔物だとわかっているのだが、なかなか割り切れない。

 ゴブリン自体は弱いので、多少のことで隙を突かれてピンチになるようなことはないのだが……


「せいっ……!」

「ギギッ!」


 俺の剣が大きく風切り音を鳴らして、ゴブリンを牽制する。

 ろくに斬り付けることができていないが、それでもゴブリンを壁際に追い詰めていた。

 クロードとユズは後ろで別のゴブリンを相手している。二人はなんの問題もなくゴブリンを倒せているのだが……


「ギィィ……」


 後ろに下がったゴブリンは、背中にある壁を見る。

 そして左右を見ると、逃げ場がないことに気付いたのか、腰を落として身構えた。

 覚悟を決めて来るか、と俺が身構えたその時。


「ギャアッ、ギギャアーッ!」


 そのゴブリンは、なんと手に持った棍棒を地面に置き、(ひざまず)いて何度も頭を下げ始めたのだ!

 ど…… 土下座、だと……!?

 い、命乞いをしているのか? え、何なのだこれは、どうすればよいのだ。


「アヅマ、後ろだ!」


 戸惑う俺に、クロードの鋭い声が飛ぶ。

 はっと振り向くと、別のゴブリンが背後から飛び掛かってきていた。


「ギィーッ!」

「くっ!」


 棍棒を剣で受け止めて攻撃を防ぎ、返す刀で横一線。

 しかしためらいのある一撃は速度が出ず、ゴブリンにかわされてしまう。


「せぇいっ!」

「グゲエェッ!!」


 そこへ、横合いから突撃したクロードがゴブリンの脇腹に深々とショートソードを突き刺す。

 ゴブリンは血を吐いて絶命し、崩壊して魔力に還っていく。


「アズマっ、動かないで!」

「えっ」


 今度はユズの声が飛ぶ。

 その直後、ユズの投げたナイフが俺の頬をかすめるようなコースで飛んでくる。


「ゲアァーッ!!」


 そのナイフは、先程まで土下座して命乞いしていた、しかし俺が背中を向けると途端に武器を手にして飛びかかろうとしていたゴブリンの額に、見事に命中した。


 ……お、お見事。


「アズマ、大丈夫? ごめんね、咄嗟のことだったから」

「あ、ああ…… いや、助かった。何ともないよ」


 どうやら、他のゴブリンはクロードとユズが片付けていて、今の土下座ゴブリンで最後だったようだ。

 しかし……命乞いも奇襲のための作戦だったのだろうか。あるいは生き延びるために……?


「うーん。アズマは見事にゴブリンの壁にひっかかっちゃってるね」

「ゴブリンの壁?」

「そ。人の形をした魔物が攻撃しにくいっていう心の壁。

 特に、最初に戦う人型の魔物はほとんどがゴブリンだから、ゴブリンの壁って言われるの。ゴブリンは最初の壁、って聞いたことないかな?」


 そういう意味なのか、あれ。


「クロードは全然大丈夫みたいだな」

「僕には、アヅマの方が不思議だよ。

 形がどうあれ、魔物は魔物だろう?」

「頭ではわかってるんだけどな……」

「全然攻撃できない、っていうのは確かに珍しいね。

 ……そうだね、アズマ。じゃあ、ちょっと考えてみる?

 逃げ出して、一人で生き残ったゴブリンがどうなるか」


 ……あっ。トラウマスイッチを踏んだ気がする。


「自分は生き残っても、仲間を皆殺しにした人間が憎くないわけないよね。仲間をなんとも思ってなくても、自分がした屈辱的な想いは忘れない。

 それに、探索士(迷宮の魔物)をやめられるわけもないし、(人間)が憎いならやめるわけもない。

 相手を殺すことを考える。そのための手を考える。

 仲間を増やして、自分を鍛えて。

 強くなって、

 強くなって、

 どんな相手でも逃げなくて済むように、

 強くなって、

 絶対に……人間を殺す」


 にこにことした、ユズのいつもの笑顔は変わらない。

 ただ…… 変わらない笑顔と口調で話す内容が、どろどろとした情念を混ぜ込んでいる、ような。

 変わらない笑顔だからこそ、ぞっとする。


「………………ゴブリンの話……だよな?」

「そうだよ? だから、ちゃんと倒さなきゃ。

 ま、基本は慣れだよ。ぼくも最初は少し抵抗があったけど、戦ってるうちにいつの間にか平気になっちゃった」

「迷宮の魔物が人とわかりあえた、なんて事例もないからね。

 人間と魔物は別物だよ。自分のためにも、他の誰かのためにも、倒さない理由はない。

 正義のために倒さなければならない、とまでは言わないけどさ」


 ユズとクロードは、ゴブリンのような人型の魔物を倒すのにも疑問や抵抗は全く無いようだ。

 俺も頭ではわかっているから、ユズの言う通り、あとはゴブリンと戦うことに慣れていけば大丈夫だとは思う。


 しかし、もし相手がゴブリンだからと侮って一人の時にここに来ていたら、間違いなく死んでいただろうな……

 いやいや、ルティア達がいなければ大樹の迷宮でも死んでいたのだった。

 まったく、ルティア達にも、シャリア先生にも、クロードやユズにも、頭が上がらないものだ。


「別に、無理してゴブリンを相手することもない。

 巣穴の迷宮はスルーして、牙狼を試してみるのもいいんじゃないかな?」

「……いや、いつまでも人型の魔物を避けていくわけにもいかないだろう。

 二人には負担をかけて悪いけど、しばらくは巣穴の迷宮で行こうと思う。進展がないようなら、牙狼にしてみよう」

「……ふむ。わかった、僕はそれでいい」

「ぼくもいいよ。人型の魔物くらい……倒せなきゃ。ね?」


 何故かユズが言うと笑顔が怖く感じるんだが……


 ともあれ、そういう方針で探索を再開する。

 ゴブリンは数が多いので逃げる相手は無理に追わず、クロードとユズが主に戦い、俺はゴブリンのうち一体と渡り合う。

 そういう方針で、やることになった。




 今日は元々ユズをパーティに入れての試しのようなものだったのだが、当然のごとく実力は十分どころか俺やクロードより強いくらいなので、早々に俺のゴブリン克服が目的に切り替わっていた。


 おかげで、少しはまともに戦えるようにはなったが……

 ドロップアイテムの鉄鉱石も溜まってきてずしりと重くなってきたので、その日の探索は切り上げることに。


 この世界でもご多聞に洩れず弱くて卑怯でずる賢いと言われる、ファンタジー界のスタンダード最弱モンスター、ゴブリン。

 この意外な強敵の克服には、少しばかり時間がかかりそうだった。

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