第31話 隠れ潜み忍び寄る少女
その日も最悪の目覚めだった。
上り始めた太陽が薄暗い空を青に染めてゆく。
天は高く、空は晴れ渡り、白い雲がゆっくりと流れてゆく。
町は既に目覚め始め、窓を開けると行き交う人や荷馬車の喧騒、そして朝御飯の支度をする美味しそうな香りが漂ってくる。
ぼくは死にたくなるような気分で窓を閉めた。
ほんの数日前までは、この朝の空気が好きだったはずなのに、今はもう何が好きだったのかわからない。まるで生まれ変わったみたいな気分。
でも、まだ大丈夫。死にたくなってもまだ死ねない。
ぼくはまだ、死ぬわけにはいかない。
出掛ける準備を整えて、部屋を出る。
ぼくは誰もいなくなった部屋を出て、誰にも何も言わずに外へと歩きだした。
死んでいないことと生きていることは同じじゃないと思う。
迷宮の門前町で買った屋台の串焼き……味も何もしないそれを作業みたいにひとつ、ふたつ、と食べながら、そんなことを思う。
生きていなくても、死んでいない限り、お腹は減るから困るよね。
朝一番の馬車で来た筈だけれど、門前町にはとっくに探索士たちが行き交っていた。
探索士の活動パターンはいろいろあるけど、この時間にいるのは早朝から迷宮に入って、お昼過ぎくらいまでで切り上げたり、あるいは日中がっつり潜っちゃう人。
その気になるとラディオンに戻らないで、門前町でひたすら迷宮に潜るだけの生活とかできちゃうんだけど、その気になっちゃった人たちだ。
宿や食事が割高なのを差し引いても、儲かることは儲かるらしいんだけどね。
ただ、不思議なことにそういう人たちで優れた探索士っていうのは、少ない。
やっぱり、ちゃんと心にゆとりを持って、きちんとした生活をする人の方が探索士としては長生きして強くなりやすいみたい。
だから、この人たちはぼくにとっては無価値だ。
さっさと迷宮に向かうことにする。
今日、ぼくが目をつけている人たちは、普通の時間に朝御飯を食べて、それから馬車に乗って門前町に来るらしい。
だからこんなに早く来る必要もないんだけど、かといって見逃しちゃっても困るからね。
ラディオンの森には、現在5つの迷宮がある。
ぼくは迷わず深森の迷宮に向かい、けれどその中には入らず、脇の繁みの中に姿を隠した。
ぼくは別に地味な容姿じゃないけれど、深森に来るような探索士くらいの実力じゃ、隠れているぼくには気が付かない。
そうやって一時間くらい待っていると、お目当てのパーティがやってきた。
まだ若い男の子と、それよりも年上の男性のパーティ。
二人とも軽装なんだけど、目を引くのは男の子が腰に差した剣だ。
まるで三日月みたいに、大きくカーブしている。あんな剣で本当に切れるのかな?
二人もぼくには気付かないで、迷宮の中に入っていった。
ぼくも、二人から十分な距離をあけて、こっそりと後をつけていく。
二人とも用があるのは奥の層みたいで、真っ直ぐに奥の方へと向かっていく。
魔物は、二人が片付けて進んでくれるから、ぼくが襲われる心配はほとんどない。見失わないように、そして見付からないようにする方が気を使う。
……それにしても、二人とも強い。
特に、男の子の方の剣の切れ味がすごい。相手がキノコや鳥とはいえ、一撃で真っ二つなのは見ていて気持ちがいいくらいだ。
もう一人の方も、トレントが動き出す前に炎の魔法で片付けている。
彼は確か、ドラゴンの大牙亭の鑑定屋だっていう話だけど、魔法使いにクラス替えでもしたみたい。でも剣も使ってる。
魔法使いで戦士で学士? よくわからないけど、器用だ。
第三層に入ってからも、二人は順調だった。
アサシンスネークにやられそうになったのも最初だけ。それも大きな剣なのに斥候みたいな素早い一撃であっさりと首を落としてしまう。
二匹めからは、まるで最初から隠れている場所がわかるみたいにすぱすぱ斬っていく。
男の子の剣はキノコや蛇だけじゃなくて、マイナートレントの枝もばっさり切り落としていた。切れ味よすぎてびっくりするよ。
それにしても、戦った後で男の子が左手をひらひらと振っているのは何なんだろう?
魔法? でも何も起こったようには見えない。
故郷の風習か何かなのかな?
ところで関係ないんだけど、今日は妙に耳がむずむずする。
やだな、虫にでも刺されちゃったかな…… 迷宮に虫がわくなんて聞いたことないんだけど。
耳の先を指先で撫でながら、二人を追いかける。
二人は順調そのものの様子で魔物を倒していく。
第三層は、駆け出しから足を抜け始めた探索士が4~6人くらいで挑むところなんだけど、彼らは二人で危なげなくこなしている。
この様子だと、ひとつ先の巣穴の迷宮でも十分通用しそうだ。明日にでも迷宮を変えてしまっていたかも。
……うん。この子たちにしよう。
強くて、将来性があって、人数が少なくて、斥候がいなくて、できれば女性がいない、あるいは少ない。
ぼくの求めるパーティの条件にぴったりだ。
この子達に……賭けてみる。
二人や他の探索士、あるいは魔物に見付からないように気配を殺しながら、ぼくは二人のバックパックがいっぱいになって帰途に着くまで、観察を続けた。
二人とは別の馬車で街に戻り、宿の部屋で荷造りをして時間を潰してから、ぼくはドラゴンの大牙亭のスイングドアを開けた。
カランコロン、とドアについたベルが鳴る。
「いらっしゃいませー!」
明るい茶色の髪をポニーテールにした胸の大きい可愛いウェイトレスさんが、元気よく声をあげた。
店の中はほぼ満員、あちこちのテーブルで色んな探索士のパーティが飲んで食べて騒いでいる。
……すごくうるさい。なんだか、イライラする。
軽く呼吸を整えて気持ちを落ち着かせながら、店内を見渡す。
……いた、隅のテーブルだ。鑑定屋は色んな宿にいるけど、何故かああして隅の席を使うことが多い。
壁を背にした席で、ブランデーをちびちび舐めるように飲んでいるのが、ドラゴンの大牙亭の鑑定屋クロード。
鑑定屋を長く続けている人はあまりいないから、ちょっとした有名人だ。いい意味でも悪い意味でも。
同じ席で、美味しそうに料理を食べている男の子は…… 確か、アズールとか、アルムとか、そんな名前だっけ?
最近探索士になったばかりだけど、協会の受付さんと個人授業してたとか、デートしてたとか……あの人、人妻らしいんだけど。
あと、普通は仲間を探してから入る迷宮に一人で入ったり、学士と二人で入ったり、それと先日から大樹の迷宮が立ち入り禁止になったのにも関わってるとか、例の三日月剣が目立つのもあって、最近ちょっと噂になってる。
最近活躍してる探索士とか、腕のいい探索士の噂っていうのは、意外と探せば手に入ったりする。
他人のことなんて噂して、みんな暇だよね。
でも、そのおかげで、ぼくは彼らを見つけられた。
よし、と意を決して、ぼくはそのテーブルに向かう。
大切なのは第一印象。さあ、呼吸を整えて、まずは第一声だ。
「こんばんは! ここ、相席してもいい?」
コロッケとは、すなわち物語――
遥か北海道の大地から果てしない旅をするじゃがいもに想いを馳せていた俺を現実に引き戻したのは、明るい声だった。
いや、大牙亭で出される料理のじゃがいもが、北海道から来た訳はないんだけど、そこはそれ、勢いというやつである。
「僕は構わないよ。アヅマ、いいかな?」
「ん、ああ。いいよ」
うなずきながら振り返ると、そこにいたのは赤毛の少女だった。
身長はやや高め。ミーシャは平均的な身長だけど、この子はそれより頭半分くらいは高い。とはいえ大きいという印象ではなく、手足がすらっと長い。
まるでTVの芸能人を思い出すシルエットだ。
上はゆったりした長袖を着ているが、下は太股もあらわなミニのスカート。肉付きの薄い脚をニーハイのソックスに包んでいる。
胸元のラインは平坦であった。おそらくゆったりした服装にはそこらへんを誤魔化す意味合いもあるのだろう。
赤毛の……赤茶色という意味ではなく、明るくピンクがかった鮮やかな赤色だ。髪はほどけば長いのだろうけれど、今はそれをボリューム多めのツインテールにまとめてある。
幼さが残る、というか幼さが六分は残る顔立ちで、可愛らしい笑顔でにこにこと笑っていた。
だが、そんなものよりも一際俺の目を引くものがある。
耳だ。
細く尖った耳が、斜め後ろの角度に数センチ、ツンと突き出ている。
ユーザニナ・ニンフィア・ルブルムフロウ エルフ Lv25
28歳 女性 無属性
斥候Lv27
エルフだ! 初めて見た……!
年齢28歳は見た目にそぐわないが、やはり御多聞に漏れず長寿なのだろう。むしろ三桁じゃないと若く感じる。
あと、名前が長い。まるで呪文だ。
「……? 何かある? このへん?」
「あ、いや。……なんでもない」
ステータスを見ていると、彼女が不思議そうに小首を傾げて、ステータスが浮かんでいる辺りの虚空をさわさわとしたので、知らんぷりをして誤魔化しておく。
「えーっ、気になるなあ。教えてよ」
ころころと明るい声で笑いながら、彼女は席についた。
「いやいや、本当に何でもないんだって」
「あら、その話は私も気になるわね。アルマさん、たまーに少し横っていうか、ズレた所を見てるでしょ?」
おっと、視線をそらした先には注文を取りに来たミーシャが回り込んでいた。
「いやいやいや、意味なんてないって、癖みたいなものだよ」
「ふぅーん? ……まあいいわ。
ところであなた、注文は何にする?」
実際のところそれほど興味はなかったのか、注文取りに戻るミーシャ。
視線とかバレてたのか…… 今度から気を付けよう。
「それじゃ、とりあえずエールで。料理は…… 何かオススメある?」
「そうねぇ、川魚のムニエルとかどう?」
「うん、じゃあぼくはそれとサラダにするよ」
「待って、魚あるの!? というかミーシャ、それメニューに載ってない!」
「おとうさんがあんまり魚仕入れないからね、いわば裏メニューよ。
アルマさんも食べる?」
「食べる!」
もちろん迷わず即答した。
大牙亭のメニューは、概ね肉だ。飲み物以外で、牛、豚、鳥、キノコでないものといったら、ジャガイモかサラダくらいしかない。
街にも川は流れておらず、水は上水道からなので、魚は流通していないかと思っていた。
肉も美味いけど、日本人だしたまには魚食べたいよね!
「アヅマはよく食べるねぇ…… 僕はいいよ、料理を残すといけない」
「クロードが少食なんじゃないかな?」
俺が素直な感想を言うと、何故か苦笑された。解せぬ。
ミーシャが注文を通すと、すぐによく冷えたエールが運ばれる。飲み物、特にお酒類は最優先で持って行くのが大牙亭のポリシーらしい。
「それで、僕たちに何か用かな? 鑑定の依頼かい?」
彼女がそのジョッキに口をつけ、一息ついたタイミングでクロードが口を開いた。
確かに、店内を見てみれば相席をしなくても空いている席はある。特に、無口で無愛想な店長と差し向かいになるカウンター席はいつもガラガラだ。
まあ、パーティを組んだ探索士が主な客層だから、カウンターに座る客がそもそも少ないのはあるけど。
「鑑定じゃないけど、用があるのは正解。
……うん、単刀直入に言うね。
ぼくは、ユーザニナ・ニンフィア。ユズって呼んでよ。
実は、きみ達のパーティに入れて欲しいんだ」
彼女……ユズは、にこにこと笑みを浮かべながらそう言った。
「ふむ…… アヅマ、どうする?」
「と言われてもなぁ……」
ふむ。どうしたものか。
仲間を増やす、というのは悪いことじゃない。
むしろ、仲間になってくれる人なんているだろうか、と懸念していた頃から考えれば、エルフの女の子が自分からパーティに入りたいとか言ってくるなんて望外の幸運だろう。
戦力としても、高レベルの斥候だ。大樹や深森にはたいした罠はなかったが、迷宮のレベルが上がるにつれて罠も多彩に、そしてえげつなくなっていくという。
優れた斥候がいなければ一流パーティではない、とまで言われるくらいだ、とシャリア先生も言っていた。
俺の天龍眼もあるし、クロードも斥候のクラスは持っているが、ユズのレベルに比べれば素人同然だ。
「うちのリーダーが考え込んでいるから、まずは僕から質問させてもらおうか」
あれ、俺ってリーダーだったのか?
「君のクラスと、レベルを教えてくれるかい?」
「斥候だよ。レベルは……前に測ったときは、オレンジだったかな?」
「迷宮には、どの程度潜ったことが?」
「今あるラディオンの迷宮には全部。……あ、大樹は潜ってなかった。
ちょっと前までは、主に三日月に潜ってたよ」
「クレセントベアとも戦ったことがあるのかい?」
「もちろん! 勝てたのは三回に一回くらいだったけどね、えへへ」
クレセントベアといえば、ラディオン周辺では最強の座に君臨する熊の魔物だ。
クレセントベア自体は噂を聞くばかりだが、あのアンフィスバエナがクレセントベアと同格の魔物だという話は聞いた。
俺にはまだ、アンフィスバエナを倒せる気がしない。
すなわち、同格のクレセントベアも今の俺では太刀打ちできない相手だ。
ユズはそれを倒したことがあるという。
「それは凄い。それじゃあ最後の質問だ」
「いいよ、何でも聞いて?」
「君のパーティはどうした」
「……………………」
ぴたり、とユズの笑顔が固まった。
「まさか、斥候が一人で迷宮に潜って、クレセントベアと戦ったわけじゃないだろう。君にも仲間がいるはずだ」
「……………………」
「三日月の迷宮に潜るパーティは少ないが、それが出来るパーティはラディオンでは一目置かれるし、噂もされる。
聞いたことがあるよ、『風待ち渡り鳥』亭のパーティにエルフの斥候がいるって」
「……………………」
「もう一度聞くよ。……君のパーティはどうした?」
「…………あは」
怒ったふうでもなく、問い詰めるふうでもなく、淡々と問い掛けるクロードに、ユズは笑う。
その笑顔はにこにことしていて、さっきまでとまるで変わらない笑顔だ。
「ぼくも聞いてるよ、『ドラゴンの大牙』亭にクロードっていう腕利きの鑑定屋がいるって。
でも、こんなにひどい人だなんて聞いてなかったよ」
「……………………」
「きみはひどい人だね、クロード。
答えを知らないのかな? それとも知ってて聞いてるのかな?」
「……………………」
「でも、何でも聞いてって言ったのはぼくだしね。
いいよ、じゃあ言うけど――」
変わらぬ笑顔で、変わらぬ声色で。
さらりと、何でもないことのようにユズは言う。
「ぼくのパーティは、全滅したんだ」




