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第十一話 赤首の死神

薄暗い倉庫だった。


鉄骨むき出しの天井。錆びたコンテナ。湿ったコンクリートの床。


そこには、ガラの悪い男たちが集まっていた。


「で、ブツは本当に“例のルート”で回せるんだろうな?」


「当たり前だろ。こっちは命張ってんだ。報酬も倍だ」


「ふざけんな。前金はもう払ってる」


怒声と煙草の煙が入り混じる。


机の上には、小さなケースが置かれていた。


中身は開かれていないが、それを巡って取引が進んでいるのは明らかだった。


金。


違法な流通物。


そして、裏社会の均衡を揺らす何か。


「早く終わらせようぜ。ここ、長居する場所じゃねぇ」


男の一人がそう言った瞬間だった。


――コツ。


足音。


誰かが倉庫の入口に立っていた。


全員の視線がそちらへ向く。


そこにいたのは、一人の男だった。


黒い帽子。


そして、異様に目を引く長い赤いマフラー。


風もないのに、それだけがゆらりと揺れている。


「……誰だ?」


男たちの声に緊張が混じる。


侵入者は答えない。


ただ、静かにそこに立っていた。


まるで最初からそこに“居た”かのように。


「おい、勝手に入ってくるなよ。ここがどこか分かってんのか?」


一人が前へ出た。


その瞬間だった。


――スッ。


何かが通った。


誰も動いていない。


誰も触れていない。


だが、男の身体はそのまま“形を失った”。


膝から崩れ落ちるように、静かに。


「……は?」


誰かが声を漏らす。


理解が追いつかない。


しかし次の瞬間、倉庫の空気が変わった。


「っ、や、やれ!!」


銃が抜かれる。


ナイフが構えられる。


一斉に侵入者へ殺到する。


「殺せ!!」


だが――。


また、何も起きていないように見えた。


見えない何かが、ただ“通った”だけ。


金属の音が一瞬遅れて床に落ちる。


武器が手から離れ、男たちの動きが止まる。


「……え?」


誰かが自分の腕を見る。


そこに、感覚がない。


その直後だった。


ばらり、と崩れるように、身体が崩壊した。


「な、なんだこれ……!」


残った者たちが後退する。


銃を乱射する。


しかし弾丸は空を切る。


いや、切ったのは空ではない。


弾丸は途中で何かにぶつかったように弾かれ、甲高い音を立ててあらぬ方向へ逸れていく。


侵入者は一歩も動かない。


ただ立っているだけだった。


やがて倉庫には静寂が戻る。


残っているのは数人だけ。


そしてその全員が、恐怖で動けなくなっていた。


「……いいねぇ」


初めて声が響いた。


柔らかい。


楽しそうな声だった。


「今の、すごくいい」


男はゆっくりと顔を上げる。


その口元は、どこか嬉しそうに歪んでいる。


頬がわずかに赤い。


まるで舞台を楽しむ観客のように。


「もっと、生きようとしてみろよ」


誰かが震える声で言った。


「お前……何なんだ……!」


侵入者は、少し首を傾げる。


そして、楽しそうに笑った。


「さぁね」


「でもさ」


一歩、踏み出す。


その瞬間、空気がまた“切り替わった”。


「もう少しだけ続けようか」


倉庫の中にいた者たちは、その意味を理解する前に――恐怖すら言葉にできず、静かに崩れていった。


赤いマフラーだけが、ゆっくりと揺れていた。




朝。


レイガは目を覚ました。


ふかふかのベッド。


白い天井。


見慣れない部屋。


数秒ほどぼんやりしてから思い出す。


「あ、ホテルだった」


昨日。


初めて都会へ来て。


初めてホテルへ泊まった。


そして初めて大量の料理を食べた。


思い出した瞬間。


「腹減ったな」


起床一発目の感想だった。



ホテル一階。


朝食会場。


レイガは目を輝かせていた。


「なんだこれ」


机の上には料理が並んでいる。


焼き魚。


スクランブルエッグ。


ソーセージ。


サラダ。


パン。


ご飯。


味噌汁。


デザート。


飲み物。


全部自由。


全部食べ放題。


「夢か?」


「違う」


向かいに座るゼクトが即答した。


「バイキングだ」


「ばいきんぐ!」


レイガは新しい言葉を覚えた。


そして――


大量に食べた。


とにかく食べた。


山盛りのご飯。


ソーセージ十数本。


焼き魚三匹。


パン数個。


サラダ。


卵料理。


味噌汁。


さらにおかわり。


ゼクトは途中から数えるのをやめた。


「お前……本当に人間か?」


「うまい!」


会話にならなかった。



しばらく後。


朝食を終えた二人はホテルを出る。


空は快晴。


街は朝から人で賑わっていた。


「今日はどうするんだ?」


レイガが聞く。


「まず試験会場の場所を確認する」


ゼクトが答える。


「迷うのは面倒だからな」


「なるほど」


レイガは頷いた。


その時だった。


ウゥゥゥゥゥゥン――――


遠くからサイレンが聞こえる。


次の瞬間。


交差点を数台の車両が走り抜けていった。


白黒の車。


赤色灯。


速度も速い。


さらに一台だけではない。


二台。


三台。


四台。


次々と同じ方向へ向かっていく。


「おお!」


レイガの目が輝いた。


「あれなんだ!?」


指を差す。


ゼクトはそちらを見る。


「あれか」


特に驚く様子もない。


「あれは警察車両だ」


「警察車両?」


「警察が使う車だな」


レイガは感心したように頷く。


「へぇー……」


その目は完全に子供だった。


「ロウガンから話は聞いてたんだよ」


「警察っていう悪いやつ捕まえる人達だろ?」


「大体合ってる」


「初めて見た!」


「そうか」


「本当に走ってるんだな!」


「当たり前だ」


「なんか感動した!」


「どこに感動する要素がある」


ゼクトは呆れた。


だがレイガは気にしない。


走り去る警察車両を見ながら感心している。


「外ってすげぇな」


「昨日からずっとそれ言ってるな」


「だってすげぇんだから仕方ないだろ」


ゼクトはため息を吐いた。


だがその時。


ふと違和感を覚える。


警察車両の台数。


速度。


向かう方向。


ただ事ではない。


何か大きな事件でもあったのだろうか。


ゼクトは少しだけ眉をひそめた。


「レイガ」


「ん?」


「普通、これだけ大量の警察車両が動くことはない」


ゼクトは走り去った車列を見ながら言う。


「動くとしたら何か事件が起きた時だ」


「事件?」


「ああ。どうやら何か起きたみたいだな」


レイガは警察車両が消えた先を見る。


少し考えてから口を開いた。


「じゃあ行ってみるか」


「は?」


「何があったか気になるしな」


レイガは当然のように言った。


「追いかけるぞ」


そう言うや否や走り出す。


「おい待て!」


ゼクトも慌てて後を追った。


二人は警察車両が向かった方向へ駆け出した。


警察車両を追いかけること数十分。


二人が辿り着いたのは都市の外れだった。


海が見える。


巨大な貨物船が停泊する港湾地区。


その一角に古びた倉庫群が並んでいた。


だが様子がおかしい。


「うわ……」


レイガが思わず声を漏らす。


倉庫の周囲には大量の警察車両。


規制線。


警察官。


制服姿の人間が慌ただしく動き回っている。


さらに周囲には野次馬まで集まっていた。


スマホを向ける者。


噂話をする者。


皆が倉庫の方を気にしている。


「完全に事件現場だな」


ゼクトは小さく呟いた。


レイガは興味津々で前へ進もうとする。


「近くで見ようぜ」


「やめろ」


即座に首根っこを掴まれた。


「警察に捕まる」


「なるほど」


「なるほどじゃない」


ゼクトはため息を吐く。


そして近くにいた中年の男性へ声を掛けた。


「すみません」


「何があったんですか?」


男性は少し驚いた顔をした後、声を潜める。


「あんたら知らないのか?」


「今朝、この倉庫で大量殺人だよ」


「大量殺人?」


レイガが反応する。


男性は神妙な顔で頷いた。


「ああ」


「ここを根城にしてた犯罪組織がいたらしいんだ」


「犯罪組織?」


レイガは首を傾げる。


聞き慣れない言葉だった。


そこでゼクトが説明する。


「犯罪組織っていうのは、法律を無視して利益を得る集団のことだ」


「違法な薬物の売買や武器の密売、恐喝や裏取引なんかをしている連中だな」


「表では普通の会社や店を装っている場合もある」


レイガは少し驚く。


「そんな奴ら本当にいるのか」


「いるんだよ」


そこでゼクトが口を開く。


「その犯罪組織が殺されたんですか?」


男性は重々しく頷いた。


「そうだ」


「で、その連中が全員やられた」


「全員?」


「そう聞いてる」


レイガとゼクトは顔を見合わせた。


全員。


その言葉が妙に引っ掛かる。


「抗争ですか?」


ゼクトが聞く。


男性は首を振った。


「それが違うらしい」


「現場にいた奴ら全員が死んでる」


「逃げた形跡もない」


「しかも……」


男性の顔が少し青くなる。


「遺体の状態が異常だったって」


「異常?」


「バラバラだったらしい」


その言葉に周囲の空気が少し重くなった。


野次馬たちも似たような話をしている。


「化け物だろ……」


「界徒じゃないのか?」


「いや、そんなレベルじゃ……」


不安げな声が飛び交う。


レイガは何となく倉庫の方を見る。


ただの事件。


そう思うには違和感があった。


一方。


ゼクトは静かに目を細めていた。


(全員死亡)


(しかもバラバラ……)


普通の犯罪者同士の抗争ではない。


界徒が関わっている可能性が高い。


それも相当危険な。


そんな予感がしていた。


その時だった。


倉庫の近くで話していた刑事たちの声が風に乗って届く。


「おい……」


一人の刑事が周囲を気にしながら小声で言った。


「あの殺し方……赤首の死神の仕業みたいだな」


別の刑事が顔をしかめる。


「あぁ……」


「酷い殺し方だったしな」


「間違いない気もする」


その会話を、レイガだけははっきりと聞き取っていた。


普通の人間より遥かに優れた聴覚のおかげだ。


「赤首の死神……?」


レイガは誰にも聞こえないほど小さく呟いた。


結局。


それ以上の情報は得られなかった。


警察は現場を封鎖している。


当然、中へ入ることもできない。


野次馬たちも好き勝手な噂を話しているだけだった。


「行くぞ」


ゼクトが言う。


「もう十分だろ」


「んー……」


レイガは倉庫の方を見ながら歩き出した。


だが様子がおかしい。


やけに静かだった。


先ほどまであれだけ騒いでいたのに。


「どうした?」


ゼクトが聞く。


「なんか考え事か?」


レイガは数秒迷ってから口を開いた。


「なぁ」


「赤首の死神って何だ?」


ゼクトが足を止める。


「赤首の死神?」


「さっき刑事が言ってたんだよ」


レイガは振り返った。


「なんか気になるんだよな」


「すんごく」


「調べたい」


ゼクトは眉をひそめる。


嫌な予感しかしない。


「試験会場を確認したいんだが」


「気になる」


「お前な……」


「めちゃくちゃ気になる」


真顔だった。


こうなると動かない。


数日付き合っただけでも分かる。


ゼクトは大きくため息を吐いた。


「……仕方ない」


「おっ!」


レイガの顔が明るくなる。


「調べるぞ」


「マジか!」


「ただし短時間だ」


「分かった!」


たぶん分かっていない。



数十分後。


二人がやって来たのは繁華街の一角だった。


ネオン看板。


ゲームセンター。


飲食店。


様々な店が並ぶ中。


その建物はあった。


「ネットカフェだ」


ゼクトが看板を指差す。


レイガは首を傾げる。


「ねっとかふぇ?」


「簡単に言えば」


「パソコンを使ったり休憩したりできる場所だ」


「ぱそこん?」


「情報を調べる機械だ」


「機械?」


「お前、本当に森から出てきたんだな……」


ゼクトは頭が痛くなった。



受付を済ませる。


個室へ入る。


レイガは椅子へ座ったまま周囲を見回していた。


「秘密基地みたいだな!」


「静かにしろ」


ゼクトはパソコンの電源を入れる。


画面が光る。


レイガの目も光る。


「おおおおっ!」


「いちいち驚くな」


「光った!」


「当たり前だ」


「すげぇ!」


「だから静かにしろ」



ゼクトは検索を始めた。


『赤首の死神』


そう入力する。


すると。


大量の記事が表示された。


「……本当に有名なのか」


ゼクトが呟く。


レイガも画面を覗き込む。


そこには。


過去数年に渡る事件記録が並んでいた。


港湾地区。


繁華街の裏路地。


廃工場。


違法カジノ。


密輸拠点。


被害場所には共通点があった。


「全部……」


ゼクトが目を細める。


「犯罪組織絡みだな」


レイガも画面を見る。


記事によれば。


赤首の死神は都市で活動する謎の通り魔。


だが普通の通り魔ではない。


襲う相手が限定されていた。


犯罪組織。


密売人。


違法薬物の売人。


闇金融。


裏社会の人間。


そういった者ばかりが狙われている。


「悪いやつ専門か?」


レイガが聞く。


「そう見えるな」


ゼクトは答えた。


だが表情は険しい。


被害者の数が異常だった。


数十人単位。


場合によっては百人近い組織が壊滅している記録まである。


普通の人間にできることではない。


そして。


ある記事が目に入る。


『生存者証言』


ゼクトはそれを開いた。


内容は短い。


唯一生き残った構成員の証言だった。


『赤いマフラーを巻いた男だった』


『笑っていた』


『まるで死神みたいだった』


『仲間が次々消えた』


『何が起きたか分からなかった』


『気付いたら身体が切れていた』


レイガは思わず息を呑む。


「怖ぇな……」


ゼクトも同意だった。


笑いながら人を殺す。


しかも大量に。


普通ではない。


記事の最後には。


こう書かれていた。


『正体不明』


『年齢不明』


『能力不明』


『界徒である可能性が高い』


『現在も未逮捕』


部屋の空気が少し重くなる。


レイガは画面を見つめていた。


「赤いマフラーの男か……」


興味を持ったような顔だった。


ゼクトはそんなレイガを見て嫌な予感を覚える。


そして次の瞬間。


レイガは案の定言った。


「会ってみたいな」


「やめろ」


即答だった。


「絶対にやめろ」


「まだ何もしてないぞ」


「考えただろ」


「ちょっとだけ」


「顔に書いてある」


ゼクトは頭を抱えた。


赤首の死神。


都市で最も危険な未確認界徒。


そんな相手に興味を持つな。


そう言いたかった。


だが。


レイガの好奇心は既に動き始めていた。


本人すら気付かないままに。

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