↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
191/213

190,全員の同意はいらない

キューバ危機は世界のバランスだけではなくケネディ自身も変化させた事件でした。

彼は、あえて調整を選ばず決断します。

モスクワ時間 一九六二年十月二十七日午後五時

(ハバナ時間 同日午前九時/ワシントン時間 同日午前十時)


土曜日のホワイトハウスに、前夜から続く会議が戻ってきた。


閣議室の机には、フルシチョフから届いた長い手紙の翻訳が置かれている。


互いに縄を引き続ければ、結び目は固くなる。


ソ連がキューバから攻撃兵器を撤去するなら、アメリカは島へ侵攻せず、海上隔離を解除する。


細部は曖昧だった。


撤去の方法も、確認の手続きも、国連がどこまで関与するのかも書かれていない。それでも、前夜までなかった出口が、初めて文章の中に現れていた。


会議は、その出口をどう現実にするかを話し合うために開かれた。


ディーン・ラスクは、撤去確認の仕組みが必要だと主張した。ロバート・マクナマラは、基地建設が止まったことを確認できるまでは軍事的な準備を緩めるべきではないと説明した。マクジョージ・バンディは、ソ連が引き延ばしを図る可能性を警戒している。


ルウェリン・トンプソンは、机に置かれた手紙を何度も読み返していた。


駐ソ大使としてフルシチョフと向き合ってきた男だった。文章の乱れや、感情が先に立つ言い回しの中に、ソ連政府の公式見解よりも、書いた本人の焦りを感じ取っていた。


「これは、議長自身が書かせた文章だと思います。」


トンプソンが言った。


「なぜそう思う。」


ケネディが尋ねた。


「整いすぎていないからです。外務省が最初から作った文書なら、これほど感情を露出させないでしょう。結び目や戦争の恐怖について、何度も同じことを繰り返している。条件を提示するというより、大統領に自分の恐怖を理解させようとしています。」


バンディは慎重だった。


「本人の文章であることと、ソ連政府がそれを実行できることは別です。軍や党幹部が、同じ条件で納得しているとは限りません。」


「だから急ぐ必要がある。」


ロバートが口を挟んだ。


「フルシチョフが自分で出口を出したなら、その出口が閉じられる前に答えるべきだ。」


ラスクは書類を指で押さえた。


「答えることには反対しません。しかし、キューバ政府の同意をどう扱うかが残ります。ソ連が撤去を約束しても、カストロが国連査察を認めるとは限らない。」


ケネディはキューバの地図を見た。


危機が始まってから、会議では島の名前が何度も使われた。


キューバの基地。


キューバのミサイル。


キューバの上空。


しかし実際の交渉は、ワシントンとモスクワの間で進められている。


カストロがどこまで知らされているのか。


どこまで自分の判断で動けるのか。


ソ連軍とキューバ軍の命令系統が、どのようにつながっているのか。


ワシントンは、そのすべてを知っているわけではなかった。


「フルシチョフが引くと言っても、島がそのまま従うとは限らない。」


ケネディが言った。


トンプソンは頷いた。


「はい。ですが、モスクワが引くと決めなければ、島を説得する段階にも進めません。」


ケネディは椅子に深く座らず、机へ腕を置いた。


「それなら、まずモスクワを動かす。」


会議の方向が定まりかけた時、扉が開いた。


ソレンセンが一枚の紙を持って入ってきた。


「大統領、ラジオ・モスクワが新しい声明を放送しています。」


ケネディが手を伸ばした。


紙には、放送を聞き取った者が急いで訳した数行しかなかった。


文章の前後は欠けている。


書簡なのか、政府声明なのかも、まだ分からない。


ケネディは読み進めた。


途中で指が止まった。


「トルコ。」


部屋にいた者たちが顔を上げる。


「何ですか。」


ロバートが聞いた。


「トルコにあるアメリカのミサイルについて話している。」


ソレンセンが説明した。


「全文はまだです。キューバからソ連の兵器を撤去する代わりに、トルコからアメリカの兵器を撤去する、という趣旨のようです。」


部屋の空気が変わった。


前夜の手紙にはなかった条件だった。


ケネディは、紙を最初から読み直した。


「誰の声明だ。」


「ラジオでは、フルシチョフ議長から大統領へのメッセージとして読まれているようです。」


「本人が書いたのか。」


「分かりません。」


「いつ決めた。」


「それもまだ。」


ケネディは紙を机へ置いた。


数分前まで、会議は第一の手紙の曖昧さをどう埋めるか話し合っていた。


いま、その手紙自体が有効なのかどうか分からなくなった。


※※※※※※※※※※


新しい翻訳が、数行ずつ運び込まれた。


ラジオを聞き取った記録だった。


ソ連はキューバから、アメリカが攻撃用と呼ぶ兵器を撤去する。


アメリカもトルコから、自国のミサイルを撤去する。


双方が国連の監視を受ける。


キューバとトルコの領土を侵さないことを約束する。


断片が増えるたびに、会議の中に新しい意見が生まれた。


「フルシチョフは考えを変えたのでしょう。」


バンディが言った。


「第一の手紙への返答が届く前に、条件をつり上げた。」


トンプソンはすぐには同意しなかった。


「あるいは、第一の手紙を出したあとで、モスクワ内部から押し返された可能性があります。」


ダグラス・ディロンが腕を組んだ。


「第一の手紙そのものが、こちらの反応を見るための探りだったのではありませんか。安い条件を私信で出し、こちらが食いついたところで正式な値段を公表した。」


「そうだとすれば、交渉中も基地建設を続けるための時間稼ぎです。」


バンディが応じる。


ラスクは、トルコの政治的意味を考えていた。


「これを公の交換として受け入れれば、NATOに重大な影響が出ます。トルコ政府は、自国の防衛をアメリカとソ連が頭越しに取引したと考えるでしょう。」


マクナマラは書類を揃えてから話した。


「ジュピター・ミサイルそのものの軍事的価値は、すでに低下しています。固定式で、攻撃を受けやすい。ポラリス潜水艦などで代替する方が軍事的には合理的です。」


ラスクが彼を見る。


「軍事的価値が低いことと、ソ連の要求を受けて撤去できることは別です。」


「その通りです。」


マクナマラは丁寧に答えた。


「問題は兵器ではなく、同盟の信頼です。しかし、その信頼を守るためにキューバを攻撃し、ソ連軍を殺すことが合理的かどうかも考えなければなりません。」


会議室の声が重なった。


トルコから外せば、NATOが揺れる。


外さなければ、何のために核戦争の危険を冒すのか。


ソ連の要求に応じれば、脅迫が成功したことになる。


拒めば、世界にはアメリカが自国のミサイルだけを正当化しているように見える。


第一の手紙へ答えれば、第二の手紙を無視したと非難される。


第二の手紙へ答えれば、前夜に見えた出口が消える。


誰も無責任な意見を言っているわけではなかった。


それぞれが、自分の預かるものを守ろうとしている。


ラスクは同盟を見ている。


マクナマラは戦争の連鎖を見ている。


ディロンは交渉の罠を見ている。


バンディは大統領の政治的立場を見ている。


トンプソンはフルシチョフ本人を見ようとしている。


意見が多いから混乱するのではない。


考慮しなければならない現実が多すぎるため、正しい意見同士が互いを否定していた。


ケネディは発言者の顔を順に見た。


ピックス湾の会議でも、部屋には専門家がいた。


中南米を知る者。


秘密作戦を知る者。


航空作戦を知る者。


亡命者部隊を知る者。


彼らの説明は、それぞれ自分の範囲では正しかった。


だからケネディは、知っている者たちの意見を重ねれば、正しい決断になると思った。


結果は違った。


責任は、知識の量に応じて分散されるものではなかった。


最後に決めた者のところへ戻ってきた。


「大統領。」


ソレンセンが、さらに数枚の紙を運んできた。


「全文に近いものです。」


ケネディは受け取った。


第一書簡とは、調子が違った。


前夜の文章には、戦争を恐れる一人の人間の息遣いがあった。


新しい文章は、世界へ向けて条件を提示している。トルコを名指しし、キューバとの対称性を主張し、公開の交換を求めていた。


同じ男が書いたのか。


第一の手紙を書いたあと、誰かに押し戻されたのか。


それとも、二通とも最初から一つの交渉だったのか。


ケネディには分からなかった。


ソ連政府の内部を完全に見通せる者は、会議室のどこにもいなかった。


「われわれは、どちらの手紙に答える。」


ケネディが尋ねた。


すぐに答えは返ってこなかった。


大人数の会議は、あらゆる危険を見つけ出した。


しかし、その危険のうち、どれを引き受けるかまでは決めてくれなかった。


※※※※※※※※※※


モスクワ時間 一九六二年十月二十七日午後六時十九分

(ハバナ時間 同日午前十時十九分/ワシントン時間 同日午前十一時十九分)


キューバ東部上空で、アメリカ空軍のU-2が撃墜された。


操縦士のルドルフ・アンダーソン少佐は死亡した。


だが、その事実がワシントンの会議室へ届くまでには、時間がかかった。


※※※※※※※※※※


モスクワ時間 一九六二年十月二十七日午後十一時

(ハバナ時間 同日午後三時/ワシントン時間 同日午後四時)


午後の会議が始まった時、机の上には第二書簡の全文があった。


午前中の推測が消えたわけではない。


ただ、推測の対象が明確になった。


フルシチョフは、トルコを条件に加えた。


アメリカがどう答えるかを、世界の前で待っている。


会議では、再び意見が分かれた。


ラスクは、キューバとトルコの交換を公に認めることはできないと主張した。


マクナマラは、トルコのジュピターをいずれ撤去する方針を、危機とは切り離して進める可能性を説明した。


統合参謀本部側は、ミサイル基地の建設が続いている以上、外交に使える時間は限られていると警告した。


議論の途中で、軍服の男がマクナマラへ紙を渡した。


国防長官は読み、顔を上げた。


「大統領、キューバ上空のU-2が失われました。」


会議室が静かになった。


「事故か。」


ケネディが尋ねた。


「撃墜された可能性が高いという報告です。」


「操縦士は。」


「帰還していません。」


さらに確認が進み、やがて報告は確定した。


ソ連製の地対空ミサイルによって撃墜された。


操縦士は死亡した。


ルドルフ・アンダーソン少佐。


それまで会議の紙に並んでいたのは、基地、ミサイル、航空機、条約、同盟といった言葉だった。


そこへ、一人の名前が加わった。


軍側から、撃墜したSAM陣地への報復を求める意見が出た。


アメリカ機が攻撃され、操縦士が殺された。事前に検討していた対応に従い、当該陣地を破壊するべきだという主張だった。


マクスウェル・テイラーが地図を示す。


「明日、撃墜に関与した陣地を攻撃できます。偵察飛行を続けるには、防空側へ代償を理解させる必要があります。」


ケネディは地図ではなく、報告書を見ていた。


「誰が発射を命じた。」


テイラーは即答しなかった。


「現時点では確認できません。」


「モスクワか。」


「分かりません。」


「カストロか。」


「その可能性も排除できません。」


「現地のソ連軍司令官か。」


「あり得ます。」


ケネディは報告書を机へ置いた。


第二書簡が公表された日に、ソ連製ミサイルがアメリカ人を殺した。


二つが同じ意志によるものなら、モスクワは外交条件を引き上げながら、軍事的な圧力も一段上げたことになる。


同じ意志でないなら、さらに別の危険がある。


フルシチョフが、キューバにいる自軍や同盟国を完全には制御できていない。


どちらが正しいのか、ワシントンには分からない。


会議室では、議論の速度が上がった。


報復しなければ、ソ連は偵察機を次々に撃つ。


報復すれば、ソ連軍の死者が出る。


一つのSAM陣地を叩けば、キューバにある他の陣地が反撃するかもしれない。


局地的な攻撃では終わらず、大規模空爆が必要になる。


マクナマラは標的計画を前に、静かに説明した。


「SAM陣地だけを攻撃して終えられる保証はありません。こちらが攻撃を始めれば、キューバにある他のソ連軍施設が反応する可能性があります。その場合、初日に五百回規模の出撃を行う準備が必要です。」


「五百回。」


ケネディが繰り返した。


「はい。」


「一人の操縦士が殺されたことに対して、五百回の出撃を準備する。」


マクナマラは視線をそらさなかった。


「報復攻撃を選べば、相手の次の反応も計算しなければなりません。SAM陣地一か所への攻撃だけを選ぶことはできます。しかし、それだけで戦争が終わるとは選べません。」


軍人の一人が言った。


「何もしなければ、敵に偵察を妨害する権利を認めることになります。」


ラスクは別の危険を見ていた。


「攻撃すれば、昨夜の第一書簡に残された出口は閉じます。」


「出口が本物だという保証はありません。」


「偽物だという証拠もない。」


「その間に基地は完成します。」


「だからといって、確認できない命令系統へ爆弾を落とすのか。」


声が重なった。


午前中には、公開された第二書簡をどう解釈するかで意見が割れた。


午後には、その解釈へ一人の死が加わった。


強硬派がフルシチョフを押し切った。


ソ連は交渉を引き延ばしている。


カストロが独自に撃たせた。


現地の司令官が侵攻を恐れて発射した。


どの説明にも可能性があり、どの説明も証明できない。


会議の人数が増えるほど、新しい可能性が生まれた。


そして、それぞれの可能性には、それぞれ異なる軍事行動が必要だった。


ケネディは部屋を見渡した。


全員が、大統領の決断を助けようとしている。


だが、全員の意見を同時に採用することはできない。


報復しながら交渉を続けることはできるかもしれない。


しかし、爆弾が落ちたあとも相手が同じ意味で交渉を続けるとは限らない。


トルコを守りながら戦争を避けることも望める。


だが、その両方を確実に得られる方法は存在しない。


大統領の仕事は、危険のない案を見つけることではなかった。


危険しか残っていない時に、どの危険を引き受けるかを決めることだった。


「今日は攻撃しない。」


ケネディが言った。


軍側の視線が集まった。


「大統領。」


テイラーが口を開く。


「アンダーソン少佐の死を無視するわけではない。」


ケネディは続けた。


「だが、誰が命じたか分からない攻撃に、こちらから戦争を始める返事はしない。」


「明日も偵察飛行は必要です。」


「続ける。」


「再び撃たれた場合は。」


ケネディは、わずかに間を置いた。


「その時に決める。」


満足した者はいなかった。


軍にとっては、報復を一日延ばしただけだった。


外交側にとっては、明日も危機が続くという意味だった。


だが、その一日が必要だった。


報復を止めた時間の中で、返事をモスクワへ届けなければならない。


※※※※※※※※※※


会議が再び動き始めても、結論には近づかなかった。


第二書簡へ正面から答える案。


第一書簡だけへ答える案。


国連を通じて交渉を続ける案。


トルコのジュピター撤去を公に表明する案。


公には切り離し、秘密裏に伝える案。


どの案にも支持者がいた。


どの案にも反対者がいた。


ケネディは、それぞれの説明を最後まで聞いた。


質問をし、軍事的な結果を確認し、NATOへの影響を尋ね、ソ連がどう受け取るかをトンプソンに聞いた。


それから、机の上の鉛筆を置いた。


「いったん終わりにしよう。」


誰も立ち上がらなかった。


会議そのものを終えるという意味なのか、議題を変えるという意味なのか判断できなかった。


ケネディは、部屋にいる者の名をいくつか呼んだ。


「ラスク、マクナマラ、バンディ、トンプソン、ソレンセン。ロバートも残ってくれ。」


それ以外の者たちは、書類を集めて部屋を出た。


椅子が引かれ、扉が閉じられる。


大きな机の周囲に、空席が増えた。


ケネディは、その空席を見た。


ピックス湾の時、彼は会議にいる者の権威を恐れた。


経験の浅い大統領が、長年秘密作戦を扱ってきた者たちへ異議を唱えることにためらいがあった。


計画を止める決断も、完全に実行する決断もできず、その間にある選択で責任を薄めようとした。


だが、責任は薄まらなかった。


失敗のあと、彼は国民の前で自分が責任者だと言った。


いま必要なのは、失敗したあとに責任を引き受けることではない。


決断する前から、それが自分の責任だと理解することだった。


「全員が納得する案はない。」


ケネディが言った。


「ありません。」


ラスクが答えた。


「なら、全員の同意は待たない。」


部屋に残った者たちは黙っていた。


「第一の手紙へ答える。」


ケネディは、フルシチョフの二通の文章を並べた。


「ソ連がキューバから攻撃兵器を撤去する。工事を止め、兵器を使用不能にし、国連の確認を受ける。われわれは海上隔離を解除し、キューバへ侵攻しない。」


バンディが第二書簡へ目を向けた。


「トルコには触れないのですか。」


「公式の返事には入れない。」


「フルシチョフは、要求を無視されたと主張するでしょう。」


トンプソンが第一書簡へ指を置いた。


「それでも、こちらへ答える可能性はあります。」


「なぜだ。」


ケネディが尋ねる。


「第一の手紙に書いた条件なら、議長はソ連の敗北と見せずに受け入れられます。自分が最初に示した提案です。第二の手紙を正面から拒絶するのではなく、第一の手紙をすでに合意された土台として扱うのです。」


「二通目を書いたフルシチョフではなく、一通目を書いたフルシチョフへ答える。」


「はい。」


トンプソンは頷いた。


「どちらも同じ人物です。大統領が、どちらを相手として認めるかを選ぶのです。」


ケネディは第二書簡を見た。


トルコの要求自体に、論理がないわけではない。


アメリカがキューバのソ連ミサイルを脅威と呼ぶなら、ソ連がトルコのアメリカミサイルを脅威と呼ぶのは当然だった。


ジュピターは旧式化している。


もともと、より有効な戦力へ置き換えるべき兵器だった。


「ジュピターのために戦争はできない。」


ケネディが言った。


ラスクが答える。


「しかし、公の交換にもできません。」


「分かっている。」


ケネディはロバートを見た。


「だから、二つに分ける。」


表では、第一書簡に答える。


キューバのミサイル撤去と、不侵攻保証を交換する。


裏では、ジュピターがいずれ撤去されることを伝える。


正式な交換条件ではない。


文書にはしない。


公表もしない。


NATOの決定として、数か月後に実行する。


それは外交文書ではなかった。


議会の承認を得る条約でもない。


一人の大統領が、もう一人の国家指導者へ差し出す、公開できない了解だった。


マクナマラが尋ねた。


「撤去までの期間は、どの程度を想定しますか。」


「四、五か月。」


ケネディは答えた。


「トルコ政府との調整と、代替戦力の配置に必要な時間だ。」


ラスクは慎重に言った。


「大統領、書面にしなければ、ソ連は保証を求めます。」


「保証は出せない。」


「では、何を信じさせますか。」


ケネディは弟を見た。


「私の言葉だ。」


※※※※※※※※※※


モスクワ時間 一九六二年十月二十八日午前二時十五分

(ハバナ時間 一九六二年十月二十七日午後六時十五分/ワシントン時間 同日午後七時十五分)


ロバート・ケネディは、ソ連大使アナトリー・ドブルイニンへ電話をかけた。


午後七時四十五分、二人は司法省で向かい合った。


会談に国務省の大人数は同席していない。


議事録を取る者もいない。


部屋にあるのは、机と椅子と、二つの国家の指導者から言葉を預かった二人だけだった。


ロバートは、兄から託された内容を伝えた。


ソ連がキューバから攻撃兵器を撤去し、国連の確認を受け入れるなら、アメリカは海上隔離を解除し、キューバへ侵攻しない。


ケネディは、フルシチョフの第一書簡へ公式に答える。


ドブルイニンは、第二書簡について尋ねた。


「トルコのミサイルはどうなりますか。」


ロバートは、少し身を乗り出した。


「公開の交換にはできません。キューバとトルコを一つの取引として扱えば、NATOが壊れます。」


「では、議長の提案は拒否するのですか。」


「ジュピターは撤去されます。」


ドブルイニンの表情が変わった。


「いつです。」


「四、五か月以内を目途に進める。」


「それを文書でいただけますか。」


「できません。」


「公式な保証は。」


「出せません。」


ドブルイニンはロバートを見た。


「書面も保証もない約束を、モスクワに信じろと。」


ロバートは視線を外さなかった。


「私が、大統領の了解なしにこの話をしていると思いますか。」


沈黙があった。


ロバートは続けた。


「もう一つ伝えてください。今日、キューバ上空でアメリカ人が殺されました。軍は報復を求めています。大統領が止めました。」


「脅しですか。」


「事実です。」


ロバートの声は低かった。


「誰が撃墜を命じたのか、われわれには分からない。モスクワなのか、カストロなのか、現地部隊なのか。ですが、次に同じことが起きれば、こちらが何もしないとは約束できません。」


ドブルイニンは何も書き留めなかった。


それでも、一語も聞き逃さないようにしていた。


「時間は、ほとんど残っていません。」


ロバートが言った。


「大統領は、フルシチョフ議長の最初の提案を受け入れる用意があります。しかし、明日も同じ状態が続けば、軍事行動を止められる保証はない。」


会談は長くは続かなかった。


正式な条約を作る場所ではない。


互いの国が、公には認められない言葉を交換するための時間だった。


ドブルイニンが部屋を出ると、ソ連大使館へ戻る車が用意された。


彼が運ぶのは、二つの内容だった。


世界へ公表できる取引。


そして、世界へ公表すれば壊れる取引。


※※※※※※※※※※


モスクワ時間 一九六二年十月二十八日午前三時五分

(ハバナ時間 一九六二年十月二十七日午後七時五分/ワシントン時間 同日午後八時五分)


ケネディからフルシチョフへの公式返信が送られた。


キューバにおけるミサイル基地の建設を停止する。


攻撃に使用できる兵器を、国連の適切な手続きの下で使用不能にする。


ソ連はそれらを撤去し、追加搬入を止める。


その実行を前提に、アメリカは海上隔離を解除し、キューバへ侵攻しないとの保証を与える。


トルコという言葉は書かれていなかった。


ジュピターという言葉もない。


公式の書簡は、前夜の第一書簡へ答えていた。


それとほぼ同じ時刻に、ドブルイニンからモスクワへ向けた暗号電報も作られていた。


その中には、公式返信に存在しない言葉が入っている。


四、五か月。


非公開。


文書にはしない。


キューバとの交換とは呼ばない。


一つの都市から、二つの返事がモスクワへ向かった。


一方は国家から国家へ送られる。


もう一方は、大統領から議長へ届けられる。


ケネディは執務室へ戻った。


大きな会議は終わっている。


そこに集まった人間たちは、それぞれ必要な意見を出した。


軍は、攻撃の危険と必要性を示した。


国務省は、同盟の重さを示した。


国防長官は、最初の一発のあとに続く連鎖を示した。


トンプソンは、二通の書簡の向こうにいる一人の男を示した。


そのすべてを聞いたうえで、最後の一手を選んだのはケネディだった。


それが失敗すれば、秘密の了解を提案した者として責任を負う。


ソ連が約束を公表すれば、NATOとの関係が揺れる。


フルシチョフが拒絶すれば、軍事行動の時刻が近づく。


U-2がもう一機撃たれれば、今日止めた報復を、明日も止められるとは限らない。


危険は何一つ消えていなかった。


それでも、会議を続けることは決断ではなかった。


ケネディは壁時計を見た。


ワシントンの夜は、モスクワの朝へ続いている。


返事が届いたあと、フルシチョフが何を選ぶかは分からない。


ソ連政府の中で、誰がどこまで彼を支えているのかも分からない。


キューバで、誰が次の発射を決めるのかも分からない。


ケネディが知っているのは、自分が次の一発を撃たなかったことだけだった。


ピックス湾では、会議の中に正しい答えがあると信じた。


いまは、正しい答えを持つ者などいないと知っている。


それでも、大統領は選ばなければならない。


ケネディは会議を閉じた。


危機を終わらせるために。

刻一刻と変化する状況にケネディはこれまでとちがった決断をしていきます。

世界の危機の物語だけではなく、ケネディ自身の成長譚がはじまります。


更新は、水・金・日の夜です。

次回は日曜日の夜更新予定です。


よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。