136,War Is Over~戦争は終わった~
引き裂かれる星条旗編ラストです。
一九七一年のクリスマス、メアリーはバージニアの実家に帰っていた。
連邦を去ってから、もう三年が経っていた。新聞社の机にも慣れた。官庁の廊下で待つことにも、記者会見の言葉を疑うことにも、取材相手の沈黙をそのまま記事にしないことにも慣れた。
それでも、この家へ帰ると、自分がまだ娘であることを思い出す。
母は台所で料理を温めていた。父は暖炉のそばの椅子に座り、膝に毛布をかけて新聞を読んでいる。義足の音も、壁の古い写真も、食卓の位置も変わらない。
けれど、その年の家には、少しだけ新しい音が入っていた。
ラジオから、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「Happy Xmas (War Is Over)」が流れていた。
メアリーは、最初それを聞き流していた。ワシントンでも、新聞社でも、街角でも、似たような歌は何度も聞いていた。反戦の歌は、もう特別なものではなくなっていた。若者たちは怒りを叫ぶだけでなく、疲れた顔で平和を歌うようになっていた。
だが父は、新聞から顔を上げた。
「戦争は終わったか……」
声は低かった。
怒っているわけではなかった。若者を馬鹿にする響きもなかった。ただ、その言葉が自分の中にうまく収まらない、という声だった。
メアリーはラジオの方を見た。
「そういう歌が増えたわ。みんな、もう終わってほしいと思っているの。」
「終わってほしいと思うのは、分かる。」
父は新聞を畳んだ。
「徴兵もあった。友人も死んだ。政府の言葉も、何度も疑われた。若い者がそう歌いたくなる気持ちは、分からんでもない。歌わなければ、自分を保てなかった者もいただろう。」
そこで父は、少しだけ間を置いた。
「だが、兵士がまだ向こうにいて、陣地が残っていて、撃たれる者がいるなら、それは終わっていない。戦争は、歌の中で先に終わるものじゃない。」
メアリーはすぐに答えられなかった。
古い軍人の意地なのかもしれないと思った。あるいは、硫黄島で片足を失った男だけが知っている、戦争の終わり方なのかもしれなかった。
「お父さんには、言葉遊びに聞こえる?」
父は少し考えた。
「少しはな。」
それから、ラジオに耳を澄ますようにして続けた。
「だが、言葉遊びだけでもないんだろう。歌も、人を立たせることがある。祈りと同じとは言わんが、似た役目を持つ時もある。だから、あの歌を軽く見るつもりはない。ただ、戦争を知っている人間には、終わっていないものまで終わったとは言えん。」
母が皿を運んできた。
「食事にしましょう。歌の話も、戦争の話も、お腹が空いていては続きません。」
父は小さくうなずいた。
「そうだな。」
メアリーは食卓につきながら、父の横顔を見た。
時代は変わっていた。反戦の歌は、もう街の空気になっている。若者たちは、戦争に終わってほしいと願うだけでなく、もう終わったものとして歌い始めている。
父だけが、まだ戦争の前に立っているように見えた。
取り残されているのだろうか。
そう思った。
だが、その取り残され方には、軽く笑えない重さがあった。
※※※※※※※※※※
一九七二年、ニクソンは中国本土へ行った。
ワシントンは、それを新しい均衡として語った。ソ連を牽制し、北ベトナムへ圧力をかけ、冷戦の地図を組み替える外交だった。
メアリーには、その意味が分かった。
アメリカは、ただ反共の旗を振っているだけでは戦争を終わらせられない。中国とソ連の亀裂を使い、北ベトナムを孤立させ、交渉の条件を作る。外交としては、理にかなっていた。
だが父なら、どう聞くだろうと思った。
父の戦争では、中国は敵ではなかった。ソ連もまた、同じ側にいた。敵は日本であり、ドイツだった。
それが戦後、共産主義という言葉によって新しい敵となった。朝鮮で戦い、ベトナムでドミノ理論の一部となり、若者たちはそのために徴兵された。
そして今度は、その共産中国と握手する。
国際政治の地図は変わる。
けれど、戦場へ送られた若者の時間は巻き戻らない。
ニクソンの外交は、戦争を終わらせるための現実主義だった。だが同時に、ベトナムで語られてきた単純な反共の物語を、静かに揺らしていた。
それでも戦争は続いた。
交渉は進み、止まり、また動いた。南ベトナム軍へ負担を移す政策は続き、アメリカ兵は少しずつ減っていった。だが、爆撃は終わらなかった。
平和のために爆撃する。
撤退のために攻撃する。
名誉ある終戦のために、最後まで力を見せる。
ワシントンの言葉は、そういう矛盾を抱えたまま紙面に並んだ。
一九七二年十二月、北ベトナムへの大規模爆撃が行われた。
クリスマスの季節だった。
メアリーはその記事を読みながら、バージニアの食卓を思い出していた。父は新聞を読むだろう。母は料理を温めるだろう。ラジオからは、また戦争は終わったと歌う声が流れるかもしれない。
父はどう聞くだろう。
戦争はまだ終わっていない。
きっと、そう思う。
その時のメアリーには、父の頑固さが少し重くもあり、少し正しいようにも感じられた。
※※※※※※※※※※
一九七三年一月二十二日、リンドン・ジョンソンが死んだ。
その知らせを受けた時、メアリーは新聞社にいた。
編集室では、誰かが短く声を上げ、すぐに担当が動いた。記事の準備、過去の写真、功績、失敗、追悼の言葉。新聞社では、人の死もすぐに紙面の形へ整えられていく。
ジョンソンは、ベトナムの大統領として憎まれた。だが、それだけではなかった。公民権法、投票権法、貧困との戦い。彼が残したものは大きかった。
それでも、最後にはベトナムが彼を覆った。
メアリーは、ホワイトハウスの厨房を思い出した。
ゼファー・ライトの料理。
辛いテキサス風のメキシコ料理。
「ワシントンの舌に合わせたものは、もう食べ飽きた。」と言った大統領の声。
そして、ユキを撫でていた夜の、疲れた父親の顔。
ジョンソンは、自分の戦争の終わりを見届けられなかった。
その数日後、パリ和平協定が結ばれた。
アメリカ兵は帰ることになった。捕虜も帰ってきた。テレビには、空港で抱き合う家族や、旗を振る人々の映像が流れた。
それは、待ち望まれた光景だった。
アメリカの家庭に、息子たちが帰ってくる。
だが、同じ紙面の別の場所には、南ベトナムの情勢が小さく載っていた。
停戦。
監視。
政治協議。
北ベトナム軍。
南ベトナム政府。
支援継続。
アメリカにとっての終戦は、ベトナムにとっての終戦ではなかった。
メアリーは、かつて想像したサイゴンの役人を思い出した。
村の名簿を作り、道路を直し、米軍との会議に出て、通訳をし、アメリカの言葉を村へ運んだ男。アメリカと共に歩いた記録が紙に残り、顔も名前も知られている男。
アメリカは帰れる。
彼らは帰れない。
その一文が、メアリーの中に残った。
※※※※※※※※※※
一九七四年になると、ベトナムは新聞の一面から少しずつ遠ざかっていった。
忘れられたわけではない。
帰還兵はいた。後遺症に苦しむ者もいた。戦争への怒りも、政府への不信も残っていた。ペンタゴン・ペーパーズの傷も、ミライの記憶も、ケント州立の死者も消えてはいなかった。
だが、日々の中心には別のものが入り込んできた。
ウォーターゲート。
大統領への不信。
物価。
石油危機。
ガソリンの列。
仕事。
家賃。
家庭。
かつてキャンパスで戦争を叫んでいた若者たちも、少しずつ別の生活へ入っていった。就職し、結婚し、子供を持ち、家賃と給料とガソリン代の話をした。
彼らが薄情になったわけではない。
人は生活へ戻る。
怒り続けることだけでは、生きていけない。悲しみ続けることだけでも、生きていけない。どれだけ大きな物語でも、毎朝の仕事と食事と家族の前では、少しずつ形を変えていく。
メアリー自身も同じだった。
記者として、別の事件を追った。公聴会へ行き、裁判所の前に立ち、政権の揺らぎを記事にした。新しい疑惑、新しい証言、新しい沈黙。ワシントンは、次から次へと別の言葉を要求してきた。
気がつけば、ベトナムは「終わった戦争」として扱われ始めていた。
もちろん、終わっていないことは知っていた。南ベトナムには政府が残り、北ベトナム軍も残り、停戦は不安定だった。だが、アメリカの新聞社で働いていると、その遠さは日に日に増していった。
ある夜、母から電話があった。
いつものように、近所の話と、父の足の調子と、教会の話を少しした。電話の向こうで、父の義足の音が聞こえた。
「お父さん、まだ新聞を読んでいる?」
メアリーが聞くと、母は少し笑った。
「ええ。毎朝ね。ベトナムの記事が小さくなっても、そこだけは目を通しているわ。」
「何か言ってる?」
「ほとんど何も。でも、読んでいるわ。」
その時、メアリーは少し奇妙な気持ちになった。
父は、切り抜きをするわけではない。人前で語るわけでもない。誰かを責めるわけでもない。ただ、新聞の小さな記事に目を通している。
戦争を忘れられないのか。
それとも、忘れてはいけないと思っているのか。
その違いが、まだ分からなかった。
時代は、もう別の話題へ移っていた。メアリーも、その流れの中で働いていた。反戦の歌は、かつてよりも少し懐かしいものになり始めていた。
だが父だけは、まだベトナムの前に立っているようだった。
時代に取り残されている。
そう思った。
けれど、もしかすると父は、硫黄島の前からずっと取り残されていたのかもしれない。
父の中では、戦争はまだ、部下の顔と、陣地と、帰れなかった者たちの名前でできている。国際政治の言葉は変わる。敵も味方も組み替わる。ドミノは均衡になり、撤退は平和になり、敗北は名誉という言葉で包まれる。
それでも、死んだ者は帰らない。
その古さが、父を時代から遅らせていた。
そして、その古さだけが、最後まで見ようとするものもあった。
※※※※※※※※※※
一九七五年四月、南ベトナムは急速に崩れた。
北ベトナム軍は南へ進み、都市は次々に落ちた。南ベトナム政府は揺らぎ、避難民の列が伸び、アメリカは最後の退避計画を急いだ。
新聞社では、そのニュースも処理されていた。
大きな出来事だった。
だが、テト攻勢の時とは違っていた。
あの時、映像は政府の言葉を破った。勝っている、前進している、敵は弱っているという説明の外から、サイゴンとフエとアメリカ大使館が画面に飛び込んできた。
一九七五年のサイゴンは違った。
多くの者が、どこかで知っていた。
南ベトナムが危ういこと。
アメリカが戻らないこと。
戦争が、勝利ではなく撤退で終わること。
そして、誰かが置いていかれること。
だからサイゴンの映像は、世界をひっくり返したのではなかった。
すでに変わっていた世界に、最後の形を与えた。
四月三十日。
編集室のテレビに、サイゴンの映像が流れていた。
アメリカ大使館の屋上へ降りるヘリコプター。建物の外へ押し寄せる人々。門の向こうから伸びる手。抱えられた子供。叫ぶ男。泣いているのか、怒っているのか分からない顔。焼かれる書類の煙。
それは、撤退という言葉で整理されていた。
避難。
退去。
サイゴン陥落。
南ベトナム政府の崩壊。
最後の米国人退避。
新聞の言葉はいくつもあった。
だが、画面の中にあったものは、もっと単純だった。
敗走だった。
十年前なら、誰も信じなかっただろう。
アメリカ大使館の屋上から、ヘリコプターで人々が逃げる。門の外には、アメリカを信じた人々が残される。自由世界の中心を名乗った国が、助けを求める手をすべては拾えないまま、空へ逃げていく。
そんな光景を、十年前のアメリカ人が想像できただろうか。
ケネディの時代なら。
ジョンソンが大勝した一九六四年なら。
勝利と豊かさと自由世界の指導者という物語を、まだ多くの人が疑わずにいた時代なら。
この映像は、国家の神話を砕くはずだった。
少なくとも、メアリーはそう思った。
だが、編集室は止まらなかった。
誰かが電話で確認を取っている。誰かが見出しを考えている。誰かが時刻を聞いている。誰かが写真の差し替えを指示している。
驚きはあった。
緊張もあった。
大きなニュースを扱う熱もあった。
けれど、怒号はなかった。
誰も、世界が終わったような顔はしていなかった。誰も、アメリカが敗れたという事実に叫び出したりはしなかった。涙を流している者もいなかった。
もちろん、それが冷たいということではない。
新聞社は、出来事を紙にする場所だった。悲しみがあっても、見出しを組まなければならない。怒りがあっても、事実を確認しなければならない。誰かが泣いている間にも、次の版は出る。
それでも、メアリーは自分の胸の中にある奇妙な静けさに気づいていた。
衝撃はある。
だが、驚きではない。
アメリカが勝っていないことも、南ベトナムが持たないことも、政府の言葉が薄くなっていたことも、もう何年も前から知っていた。ペンタゴン・ペーパーズがあり、ミライがあり、カンボジアがあり、ケント州立があり、パリ和平があった。
そのすべてのあとで、この映像は来た。
だから、心のどこかで思ってしまう。
やはり、こうなったのだ、と。
そのことが、いちばん残酷だった。
あれほど夢中で追いかけた戦争だった。国を割り、若者を怒らせ、大統領を退かせ、新聞を揺らし、法廷を動かし、家族の食卓にまで入り込んだ戦争だった。
それが今、あまりにもあっけなく、あまりにも無様に終わっている。
しかも自分は、それを世界の終わりとしてではなく、今日処理すべき大きなニュースとして見ている。
世間もそうだった。
人々はもう、別の不安を抱えていた。ウォーターゲートの後の政治不信、物価、石油、仕事、家賃、生活。ベトナムは忘れられたわけではない。だが、もう毎日の中心ではなくなっていた。
サイゴンの映像は、テト攻勢の時のように、国民の目を突然開かせたわけではなかった。
テトは、政府の言葉を破った。
サイゴンは、誰もが薄々知っていた敗北に、最後の形を与えた。
だから人々は、怒り狂うのではなく、受け入れた。
痛みとしてではなく、ニュースとして。
悲劇としてではなく、歴史の結果として。
メアリーは、そのことに寒気を覚えた。
戦争は、終わる前に人々の心から少しずつ遠ざかることがある。そして本当に終わった時には、もう多くの人が別の場所を見ている。
その惨めさを、画面ではなく、自分自身の中に見た気がした。
※※※※※※※※※※
その夜、メアリーはアパートへ戻った。
机の上には、書きかけの記事があった。
本文はほとんど固まっている。サイゴン陥落、米大使館からの退避、南ベトナム政府の崩壊、北ベトナム軍の進入、残された人々。事実は並んでいる。時系列も整理した。どの言葉も間違ってはいない。
けれど、タイトルが決まらなかった。
敗走。
陥落。
最後の撤退。
サイゴンの終わり。
アメリカの終戦。
どれも正しい。
だが、どれも足りない。
十年前なら信じられなかった光景を、いま自分は落ち着いて記事にしている。そのことまで含めなければ、この戦争の終わりを書いたことにはならない気がした。
その時、電話が鳴った。
メアリーは受話器を取った。
「はい。」
「遅くまで仕事なんだな。」
父だった。
母ではない。
父から夜に電話が来ることは、ほとんどなかった。メアリーはそれだけで、少し姿勢を正した。
「ええ。サイゴンの記事を書いているの。」
「映像は見たか。」
「見たわ。」
「そうか。」
それきり、父は黙った。
電話の向こうで、どこかの部屋の時計が鳴っているような気がした。実家の居間だろうか。暖炉のそばの椅子に座り、テレビの音を消したあとで、父はこの電話をかけてきたのかもしれない。
「お父さんも、見たのね。」
「ああ。見た。」
「どう思った?」
父はすぐには答えなかった。
「アメリカの戦争は、今日終わったんだと思う。」
その声は、怒りではなかった。
驚きでもなかった。
長いあいだ新聞を読み続けてきた人間が、ようやく最後の頁へたどり着いたような声だった。
「条約の上では、七三年に終わっていたのかもしれん。戦闘部隊も帰った。捕虜も帰った。そう言われれば、その通りなんだろう。」
父はそこで少し黙った。
「だが、私にはそうは思えなかった。大使館があり、こちらを信じた者がいて、置いていかれる者がいるなら、まだ終わっていない。」
メアリーは、受話器を握る手に力を込めた。
「一九七一年のクリスマスに、お前と話しただろう。戦争は歌で終わるものじゃない、と。」
「覚えてるわ。」
「あの時、私は意地を張っていたのかもしれん。古い軍人のつまらんこだわりだったのかもしれん。だがな、メアリー。戦争は、こちらが気持ちの上で飽きたから終わるものではない。若い者が別の生活へ戻ったから終わるものでもない。最後に誰が残されるのか、そこまで見ないと終わったとは言えん。」
父の声は静かだった。
「今日、ようやく終わった気がした。」
「負けた、ということ?」
父はすぐには答えなかった。
「そうだな。負けたんだろう。」
その言葉は、思ったより穏やかだった。
「だが、負けたことより、置いてきたことの方が残る。勝った戦争なら、帰ってくる兵士に言葉をかけられる。よくやった。帰ってきてくれてよかった。お前たちのおかげだ。そう言える。」
父は一度、息を吸った。
「だが、あの映像のあとで帰ってくる者に、私は何と言えばいいのか分からん。置いてきた者がいて、助けられなかった者がいて、信じさせたまま残した者がいる。戦争は、負けた時より、置いてきた時の方が残るのかもしれん。」
電話越しの父は見えなかった。
けれど、息の置き方がいつもと違った。言葉の前に、何度も短い沈黙が入った。
メアリーは、その沈黙の向こうで、父が目を伏せているような気がした。
もしかしたら、少し泣いているのかもしれない。
そう思ったが、聞かなかった。
父も、それを聞かれたくはないだろう。
「お父さん。」
「何だ。」
「ずっと、読んでいたのね。ベトナムの記事を。」
「ああ。」
「どうして。」
父は少し黙った。
「終わっていなかったからだ。」
それだけだった。
その一言だけで、十分だった。
メアリーは、一九七一年のクリスマスを思い出した。戦争は終わった、と歌う声。暖炉のそばの父。兵士がまだいるなら終わっていない、と言った声。
あの時、メアリーには分からなかった。
古い軍人の意地なのか、時代に取り残された者の頑固さなのか、それとも自分の知らない何かを父だけが知っているのか。
今なら分かった。
父は、終わりを待っていたのだ。
新聞の小さな記事を読み、帰還兵の記事を読み、南ベトナムの崩れ方を読みながら、戦争が本当に終わる場所を待っていた。
若者たちは、もう別の生活へ歩き出していた。
新聞社も、別の事件を追っていた。
メアリー自身も、ベトナムをもう終わった戦争として扱い始めていた。
だが父の中では、まだ終わっていなかった。
「メアリー。」
「うん。」
「書くんだろう。」
父の声は、少しだけいつもの硬さを取り戻していた。
「書くわ。」
「なら、置いていかれた者の顔を書きなさい。勝った者でも、負けた者でもない。置いていかれた者の顔だ。」
メアリーは目を閉じた。
「分かったわ。」
「分かったと言うには、難しいことだ。」
「うん。そう思う。」
父は、ほんの少しだけ息を吐いた。
「ならいい。」
それ以上、父は多くを語らなかった。
最後に、母に代わることもなく、ただ短く言った。
「体に気をつけなさい。」
「お父さんも。」
「ああ。」
電話は切れた。
※※※※※※※※※※
メアリーは、しばらく受話器を見ていた。
アパートの部屋は静かだった。
新聞社のテレビでは、まだサイゴンの映像が流れているだろう。ヘリコプター、屋上、人の列、門の外に残された手。編集室では、誰かが見出しを直し、誰かが写真を選び、誰かが次の版のために走っている。
その流れの中で、メアリー自身もサイゴンを処理しようとしていた。
父だけが違った。
父は時代に取り残されていたのかもしれない。
硫黄島の前から、そうだったのかもしれない。国が兵士を呼び、兵士が応え、部下を守り、犠牲に意味が与えられる。父は、そういう古い物語の中に生きていた。
ベトナムは、その物語を壊した。
だが父は、壊れたあともその場を離れなかった。新聞の小さな記事を読み続け、誰に語ることもなく、戦争が本当に終わる場所を待っていた。
古いからこそ、最後まで見ていた。
メアリーは机に戻った。
タイトル欄は、まだ空白だった。
彼女はペンを持ったまま、しばらく考えた。
物語には、根を持つものと、風に乗るものがある。
一九六〇年代の終わり、反戦の歌や若者たちの怒りは暴風のように吹いた。あの熱がなければ、ジョンソンは降りなかったかもしれない。ニクソンも、名誉ある平和を語らなかったかもしれない。ペンタゴン・ペーパーズを受け止める社会も、生まれなかったかもしれない。
風は、歴史を動かすことがある。
だが、風はいつか過ぎる。
人は仕事へ戻り、家庭を持ち、物価を気にし、次のニュースを見る。それは薄情だからではない。生きていくとは、そういうことでもある。
一方で、父の物語は風ではなかった。バージニアの土地に、教会に、硫黄島の黒い砂に、失った足に、助けに行った部下の声に、そして家族の食卓に根を張っていた。
父の物語は、歴史を大きく動かさない。
けれど、最後まで消えなかった。
記者は、その両方を見なければならない。
時代の風に乗っただけに見える物語が、歴史を動かすことがある。背景に根を持つ物語が、時代に置き去りにされることもある。どちらか一方だけを本物と決めつけた瞬間、人間の姿はまた紙の上で小さくなる。
メアリーは、タイトル欄に短く書いた。
「War Is Over」
その言葉は、一九七一年のクリスマスに聞いた歌と同じ言葉だった。
けれど、もう同じ意味ではなかった。
願いではない。
合言葉でもない。
若者たちの熱の中で先に鳴った鐘でもない。
サイゴンの屋上からヘリコプターが飛び立ち、門の外に人々が残されたあとで、ようやく打たれた句読点だった。
アメリカの戦争は終わった。
少なくとも、アメリカにとっては。
メアリーはそのタイトルを見つめた。
「War Is Over.」
多くの人がベトナムを忘れていた1975年、サイゴン陥落で逃げまどうアメリカと南ベトナムの人々の映像はイメージとしてアメリカの負けを世界に印象を植え付け、アメリカのベトナム戦争は終わります。
ベトナム国内はは1976年7月に北の勝利で統一されます。
次回アメリカ編のグランドフィナーレです。伏線回収です。
※更新は、月・木・土曜日(朝・夜)二回の週4話です。
次回は、月曜日夜、投稿予定です。
【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。
改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)
改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿よていです!)
ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。
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