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第一幕

「お嬢ちゃ……クロムだっけね どうだいお腹も膨れて一息付けたなら、あたしと少しお話をしないかい? もしかしたら何かしら力に為れる事があるかも知れないしね」


 母屋で用意した数枚の料理の皿を空にした少女の食べっぷりを暫しの間呆れた様子で眺めていた女将であったが、少女が満足気な吐息を吐いて手を止めた頃合いを見計らって本題を切り出す事にした。


 面倒事は避けたいと言う当初の思いは変わってはいない。だからこそ、もしも自分の手に余る様なら少女を組合の寄り合い所に預けようと女将は考えていたのだ。

 あそこなら都市内の問題に関してならばある程度の融通が利く上に何よりも安全である。善意と呼べる程に高尚な行為では無いが例えそれが利己的な理由だとしても、少女にとっても安全が担保されるという面で悪い話では無い筈だ。少なくとも飯だけ食わせて、はい、さようなら、と追い出すよりは百倍はましだと女将は思っている。


「これは失礼したな女将。金ならほらこの通り……」


 クロムウェルは右手で口元を拭いながら残りの手で器用に自らの胸元へと手を差し込み。

 その行為が女将の逆鱗に触れる。


「何だい何だい、あたしがいつ金の心配なんざしたって言うんだい!! 困ってる子供を相手に飯代を気にしてる小さい女だとでも言うのかい……余り大人を舐めるんじゃないよ餓鬼!!」


「むぐうっ」


 予期せぬ女将の怒気と怒声に返す言葉を失ってしまったクロムウェルは黙ったまま肩を縮こませる。それはさながら叱られた子猫の如き様であり、少女の見た目ゆえにともすれば愛らしさすら感じさせるその姿を前にして毒気を抜かれた女将は、はあっ、と短く嘆息する。


 大仰な言葉遣いで妙に大人ぶっている割には素直な反応を示す少女に対して、女将の怒りは収まるが今度は逆に心配になってきてしまう。

 

「言いかいクロム、あんたが例えどんな良家の嬢ちゃんであったとしても、何でも金で解決しようとする遣り方は女としての価値を下げちまうから注意なさいな……いいね?」


「しょ……承知した」


 女将の剣幕に圧されクロムウェルは頷く。


 我が主の記憶では大概の事柄は金と物理的な力で解決出来ていたのだが、と生じた戸惑いと共に、もしや主が異常者……こほんっ、であった可能性を考慮して今後は言動に注意しようと心に決めるクロムウェルであった。

 正直まだ事例サンプルが少なすぎて女将の反応だけでは判断材料としては足りない、という合理的観点からの保留案とも言える。


「それで話す気にはなったのかい? ならないのかい?」


「うむっ、誤解させていたなら済まぬな女将よ……だが本当に我が身に然したる事情などないのだ……が、その親切心に甘えさせて貰えるならば、出来ればこの領内の地図を所望したいのだが」


「地図? あんたどっかに行きたいのかい?」


 事情がない筈がないだろう、としらを切る少女に対して女将はまた僅かな苛立ちを覚えたが、自分の方から話したくなければ構わない、と言い切った手前、流石に揚げ足を取るような真似は大人としての意地が自制させる。


「うむっ、メイルリーフに知人がおって……な」


「メイルリーフ? ああ……領都のことかい、そりゃ……」


 長旅になるねえ……と続く言葉を女将は飲み込む。

 このルメリアから領都メイルリーフまで馬車を走らせても五日~七日は掛かる……とてもじゃないがこんな世間知らずの少女が一人で辿り着ける行程とはとても思えない。


「悪い事は言わないから知人が領都にいるのなら手紙を出して迎えを寄越して貰いなさいな、最近は街道沿いも物騒で野盗やら盗賊だのが頻繁に荒らしまわってるそうだよ、それに妙な化け物がでるって噂もあるくらいだしね」


「化け物とな?」


「ああ……大方はただの野犬か野生の獣の類だろうけどさ、その……人を喰うって話すらあるくらいでね……まあ、そんな与太話が出回っちまう程、今は物騒な世の中ってこったね、だからクロム、あんたも自重しな、女が一人で長旅なんて絶対碌な目に合わないんだからね」


 少女を怯えさせるつもりは無かったが、少しは脅しつけておかないと無茶をしかねないと感じていた女将は敢えてそんな話を口にする。女将自身、化け物云々と言う非常識な下りは信じてなどいなかったが、年頃の娘にはこの手の迷信染みた話の方が注意喚起には効果的な事を知っていたからだ。


「なるほど……『下位の悪魔(レッサー)』辺りが見境なく獣などに受肉しておるのか……本格的に世界の境界が歪み出しておるようだの」


「……クロム? あんた何を言ってるんだい?」


「むむっ、これは済まぬ、只の独り言ゆえ案ずるな」


「全く……不思議な子だよ、あんたは」


「うむっ、女将よ真摯な助言感謝するぞ、それでは進言通り知人には手紙を出す事としよう」


「そうかい……それが賢明だよ」


 女将は少女の言葉に、ほっ、と胸を撫で下ろす。

 意外と聞き分けの良い子で助かった、と素直に安堵している自分に対して同時に戸惑いの感情が湧く。赤の他人……それも相当に訳有りであろうこの少女にどうして自分はこうも感情的になってしまうのだろうか、と。


「クロム、あんたお金に余裕があるんなら寄り合い所で早馬を頼みなさいな、それなら四日もあれば手紙は領都に着くだろうからね」


「了解した、ありがとう女将」


 と、自分の言葉を疑う様子もなく純粋で無垢な笑顔を向けて来る少女に女将は、ああっ、もう、と纏めていた髪を掻き……深く息を吐く。


「あんた……どうせ今日泊まる宿も決めちゃいないんだろう? なら此処に泊まってきなさいな……それと、あんたさえ良ければだけどさ……何なら迎えが来るまで此処に居ても……いいよ」


「本当か女将!! それは助かるぞ」


「その代わり大人しくしてるんだよ、あたしは面倒事は御免だからね、何か問題が起きたら直ぐに叩き出すからね? 良いね?」


「了承した、ちゃんと金……ごほんっ、此方も誠意を以て対処しよう」


 妙な情が移っちまったのかねえ、と喜色を隠さぬ素直な少女の反応を溜息交じりに見やりながら女将は思う。三十も半ばになって夫も子供も無く天涯孤独の身。もしかしたら知らず人恋しい時期だったのかもしれないね、と自分の心境を分析してみる。


「それとあたしの名前はリサ・ミケット。おばさんなんて呼んだらぶっ殺すからね」


「むぐっ……相承知……」


 まあどうせ長くても十日程度の付き合い。

 なら仮初の家族ごっこも悪くはないかもね、と。

 

 この時のリサの心情を吐露するならば、この程度の軽い気持ちであった事は否めない。だが自分の店を持ち、懐にも余裕のある大人の女性であるリサにとっては己を納得させる理由としてはそれだけで十分であったのも確かではあった。




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