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第五幕

「お久しぶりですな、エルリック殿」


「ブラウ殿も御壮健そうで何よりです」


 公邸の一角にあるブラウの私室へと招かれたのは、エルリックが鉱山都市ルメリアへ到着してから丁度二日目の午前……まだ日が中天へと昇り切る前の出来事であった。


 昨日の早朝にはルメリアへと到着していたエルリックであったが、如何に鍛練を積んだ騎士であるエルリックでも連日、夜通しで馬を走らせてきた代償は身体的な疲労として跳ね返り、安心感からの気の緩みも重なったのだろう、客人として滞在する事となった公邸の客室でほぼ終日寝込む羽目に陥っていたのだ。


 従って初日の挨拶もそこそこに客室に籠っていたエルリックにとっては、これがルメリアの都市執政官であるブラウ・ステラウスとの初対面となる公式な面会の場であった。


 客人の体調を考慮して無用な訪問や、儀礼的な形式を省略してくれたのであろうブラウの対応は、年長者としての貫禄と気遣いを十分に感じさせ、今に至るまでエルリックは恐縮しきりである。だからこそ社交辞令であるゆえに、やや不自然な冒頭でのやり取りもエルリックにして見ればさほど気になるものでは無かった。


 ブラウがルメリアの都市執政官として任官され領都を離れたのが今から十年も昔の話……当時、十五の歳であったエルリックには正直ブラウに対して特別な感慨が湧くような関係性は無い。しかし息子に家督を譲ったブラウが『最果ての流刑場』として揶揄され、政争に破れた敗残者たちの放逐地と言う悪しき慣習と成りつつあったこのルメリアへの赴任を自ら申し出た事は、領都の貴族たちの間で大きな話題と成っていた事は今でもはっきりと覚えている。


「歳を取ると長旅も厳しくなりましてな……孫の……いやいや、当代ステラウス卿の爵位継承の式典にも参列出来ぬ始末……まったく老いると言うのは酷なものですな」


 好好爺然とした白髪の老人は笑う。


「ブラウ殿のお孫殿は……その……いえ、有能な方ゆえ、辺境伯であるフィールズ公も随分と御期待なされている御様子でした」


『社交辞令くらいもっと感情を隠しなさい……まったく貴方は交渉事には不向きな性格ですわね』


 と、脳内に響くウルリカの声を完全に無視するエルリックであったが、知らず強ばっていた頬の筋肉を弛緩させようと努力はしてみる。


 そんなエルリックの心情を知って知らずか、穏やかな様子を崩さない泰然としたブラウ老の姿は若輩者の未熟さすら包み込む様な大きさすら感じさせ、ますますエルリックは恥じ入ってしまう。


 本来、自身に爵位があらずとも、辺境伯であるフィールズ家の次男であるエルリックは慣例として一冠位下の権威と資格を有する身分である。従ってこの場に置いては子爵家であるブラウは男爵相応の、伯爵家であるエルリックは子爵相応の立場と言う事になり、爵位の上ではエルリックの方が立場が上の人間である事実が依り羞恥を倍増させている原因となっていた。


 未熟な若輩者と成熟した年長者……人間としての器の差を爵位で埋められると思える程にエルリックは傲慢には成れなかったゆえに。


「しかし驚きましたぞ、早朝に侍従の者に起こされたと思えばフィールズ家の若君がお越しとの事……領都からは事前に何の知らせも有りませんでしたからな、困惑したのは確かですな」


「申し訳ない……少し急ぎすぎたゆえに先触れの者を追い抜いてしまったと見えます、まったくお恥ずかしい話です」


 若さゆえですな、と相好を崩すブラウの様子をエルリックは注意深く窺う。


 普通に考えれば幾ら騎士の身分であるとは言え、伯爵家の者が供回りも連れず単騎で危険な街道を渡るなど余りにも不自然な話。其処に政治的な思惑や意図を疑わぬ方が寧ろおかしい。


「さて……まだエルリック殿の体調も万全ではないでしょうし」


 と、それには触れず敢えて面会の席を閉めようとするブラウに、エルリックは真意を図るべく一歩踏み込んで見る事にする。


「無礼を承知でブラウ殿にお聞きしたき義があるのですが」


「これは……緊張しますな、はて、どの様な事柄でしょう?」


「ご子息殿に家督を譲られた後、どうしてブラウ殿はルメリアに赴く気になられたのですか?」


 エルリックの直球な質問に、初めは驚いた表情を見せたブラウであったが直ぐに、ほっほっほ、と得心がいった様に声を出して笑った。


「エルリック殿の御懸念はごもっとも……なれど心配なされずとも儂はもう政治向きの話に首を挟む気はないのですよ」


 と、諦めと安堵の入り混じった複雑な表情でブラウは語る。


「生気に溢れ、未来を渇望する若者たちには老いた爺の世迷い言と嘲られるかも知れませぬが……歳を取るにつれ恐ろしく成ってくるのです。自分がしてきた事の結果が……政争に明け暮れ、これまで蹴落として来た者たちの末路が、恨みが、報いとなって己に返ってくるのではないのかと……」


「ブラウ殿……」


「息子に家督を譲った後は依りそれを顕著に感じる様になったのですよ、爵位を失い無力な自分に……得体の知れぬ何かが迫ってくる様な強迫観念に日々悩まされ続け、儂は逃げたのです……最果てと呼ばれていたこの地に」


 だからこそ執政官でありながら都市の者たちに組合を作らせ自治を任せているのだと。自分は只の臆病者であるのだと。


「ゆえに疑念は晴れぬでしょうが心配はご無用……エルリック殿の御味方は出来ぬが邪魔もせぬ、それは誓って約束しよう」


 ブラウ・ステラウスと言うこの老人が、嘗て有能な人物であっただろう残幟を確かに感じるだけに、エルリックは残念でならなかった。有能であったがゆえに、その人生の大半を怨嗟渦巻く政争の内に身を置き、最後に得たものが後悔だけであったなどと……余りにも報われぬ。


 その言葉には真実の重みがあり、無情さあり、ゆえにブラウの独白にエルリックは掛けるべき言葉を見失うのであった。




               ★★★



『ロイド・ステラウス子爵のお祖父様ですか……なるほど性格は兎も角、才覚は確かに血筋を感じさせますね』


「アイツの話はやめろ……気分が悪くなる」


『まあ……随分と大人げない……良い歳をしてお子様ですこと』


 エルリックは渋い表情を浮かべてウルリカの声を無視する。


 当代のステラウス子爵家当主となったロイドとエルリックは犬猿の仲であった。元々同年代の両者は幼少の頃よりの知人関係である……だからこそ依り反りが合わない、と言うべき性格的な溝は埋まる事無く寧ろ広がり、現在にまで至っているとも言える。


 ステラウス子爵として領地経営を差配する立場となったロイドと、領主の子息ではあるが次男であるがゆえに決して家督を継ぐ事の無い部屋住みの騎士である自分……ウルリカは妬みと嫉妬、両者の確執は双方が抱く人間特有の本質的な業にある、と忠告するが、エルリック自身その通りだと思っている。


 しかしそれに気づいたとて、譲れず曲げられぬ意地があるのもまた事実であるのだ。


「人様の人間関係に随分と煩い天使だな」


 と、無遠慮に声を響かせるウルリカに嫌みの一つも言ってやる。


『当然です。私は貴方に加護を与えた『守護天使《フォーリナー》』ですよ、その人生を導く者として干渉するのは自然な事』


「干渉か……何度も言うが俺はフレイア様に従うつもりは無いぞ、我が剣はリディア様に捧げると誓った身ゆえな」


『その話は何度も説明した筈ですよ、確かに第二王女の下に多くの同族たちが集っている事は確かでしょう……しかし地上界に呼ばれた我々天使は各々の意思で加護を与えるべき人間を選定するのです。其処に人間の思惑など介在しないのですよ』


「つまり俺がリディア様に従うと言う選択の先で、もしフレイア様と争う事になってもお前はリディア様に御味方するのだな?」


『第三王女にではありません、エルリック……貴方にです』


 天使としての大命である悪魔の討滅以外の事柄で、加護を与えた人間の自主性を阻む様な真似はしない、とウルリカは断言してみせる。


「ならば良い」


 と、端から見れば一人芝居の如き光景が繰り広げられていた客室の扉を叩く音が響き、エルリックは疑問も抱かず扉へと向かう。訪ねてきた者の用件に心当たりがあったからだ。


 エルリックは面会の席でブラウに二つの頼み事をしていた。

 一つは先触れの使者が到着するまで自分の存在を公にしないで貰いたいという事。

 そしてもう一つは『水曜亭』と言う名の宿屋の場所を調べて欲しいと言う事。


 エルリックは客室の扉を開く。

 捧げるべき剣の主……リディア・メレク・アリステイアの下へと参じる為に。





 

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