第四幕
街道を一騎の騎馬が疾駆する。
以前であれば日中に子連れの旅人などが行き交う姿を見かける事が出来た穏やかな治世は遠く昔、昨今のご時世では旅商人たちですら金を出し合い護衛を雇って商隊で街道を渡る現在の王国の情勢下では、日没が迫る逢魔時に好んで進む人影など他にあろう筈も無く、一人無人の野を駆けるが如く騎馬が往く。
元々、平原地帯の少ないルメール地方では南下する程にその特色が顕著に現れ、既に馬上の騎士の視界の遥か先には壮麗な霊峰と連なる山脈群が聳え立ち、赤色の陽光を遮るが如く黒き陰影を街道の先へと伸ばしている。
霊峰の麓の山林を切り開いて整備されたこの辺りの街道は、周囲を深い森に囲まれている為に極端に見晴らしが悪く、そうした立地ゆえに盗賊などの被害が絶えない南部でも有数の危険地帯と化していた。
領都からは遠く、最寄りの都市であるルメリアには騎士団が駐在せず、数少ない都市の警備隊だけでは盗賊の鎮圧どころか、森を捜索して被害状況を確認する事すら困難な現在の現状が無法者たちの専横を許している最大の要因である事は疑い様が無い。
しかし領都の側からしてみれば、最果ての街と領都を結ぶ街道の被害など、同様に多発している他の地方や中央へと繋がる主要な街道での盗賊の被害に比べれば微細なモノでしかなく、どちらを注視せねばならぬかと言えば勿論議論の余地も無い。
ルメリアが領都から無視され続けているのは、決して政治的な思惑や感情論からの悪意に依るモノなどでは無く、純粋に、単純に、軽視されているからに他ならない。ゆえにこそ事態は依り深刻であると言えるのだろう。
これまで快速と言って良いほどの速度で走っていた騎馬が徐々に減速していき……ついには歩みを止める。馬上の騎士の判断と行為は愛馬の異変を察したから……では無くもっと物理的なモノ。初めは遠く点の様にあった黒いシルエットが近づくに増してはっきりとした輪郭と大きさを示し騎馬の道の先を塞いでいたのだ。
障害の正体は横転した馬車。
騎士は横たわる馬車の存在を目視し認識したからこそ馬を止めたのだ。
『悪しき気配がします。エルリック……気をつけて』
警戒を呼び掛ける『声』に注意されるまでも無く、馬を降りて馬車へと近づく騎士……エルリック自身、その異常さを十分に認識していた。
鼻孔に届く濃厚な血臭。
夕日に街道の石畳は赤く染まり……しかし視界に映す液体状のソレは、馬車の周辺に広がるソレは、夕日の照り返しなどでは無く……血溜まりであった。
ピチャ……グシャ……グシャ。
死角となっている馬車の裏側から漏れ聞こえてくる断続的な咀嚼音らしき異音を耳にしたエルリックは、腰の長剣を抜き放ち回り込む様に音の下へと向かう。
その先で映し出された光景にエルリックは眉を潜める。
遺体……いや、既に残骸と化して横たわる三つのモノに、其々覆い被さるが如く喰らっている黒き獣の影もまた三つ。
{商人と護衛たちか……哀れな」
『『名無し』の様ですね……エルリック、使命を果たして下さい』
エルリックの独白か、或いは『声』に反応したのか、三匹の獣が一斉に振り向く。
獰猛な眼差しを向ける眼は錆びた銅の如く。元は狼の類いであったのだろう胴体は均整を失い歪に倍加し、その背に生えた黒き翼を薄汚く地に垂らしている。
「不浄なるモノよ、正しき導きの光に依りて浄化せよ」
距離すら詰めず、剣の間合いの遥か先、エルリックは悪魔たちに向けて刀身を一閃させる。生じた剣閃は瞬時に発光すると、粒子の如く統合し光の刃を具現化すると正面に位置する悪魔へと放たれる。
三体の悪魔は回避の為に文字通り三方へと跳び跳ねる……が、その行為自体が無意味である事を悪魔たちは直ぐに身を以て知る事となる。
断罪の刃は決して咎人を逃さない。
三枚へと分裂した光の刃は悪魔たちの反応速度を遥かに凌駕して、首を断ち、胴を裂き、その存在を両断する。断末魔の雄叫びすら放つ間も無く消滅していく悪魔たち。
不快な音を奏でながら消滅していく撥ね飛ばされた悪魔の頭部が地へと転がり落ち……最後の瞬間、己を滅ぼした騎士の背に白銀の翼を持つ『天使』の姿を垣間見る。
白銀の翼は両翼八枚。
四対羽根の大天使……天界の上位三隊たる『座天使』の姿を。
悪魔が滅び、陰惨とした惨状のみが広がる光景を前にエルリックは歯噛みする。
悪魔の存在証明が難しいのは、滅した魂と共に依り代もまた同時に消滅してしまう事にある。しかも悪魔に襲われた人間は骨まで残さず貪り喰われる為に何一つとして物証が残らない。これでは幾らその被害と存在を訴えたところで信用などされる筈も無い。加えて、後に盗賊どもがこうした現場から金品や物資を略奪して行く事が、依り問題を複雑化させている要因となっている。
「あうっ……たすけ……て」
微かに女性の声が横転した馬車の内部から聞こえ、反射的にエルリックは馬車の扉を押し開く。
がしゃり、と蝶番が弾けて扉が落ち……反動で馬車の内側から女性が石畳へと転がり倒れる。石畳に倒れ、苦悶の呻きを漏らす女性の姿は……余りにも惨たらしいモノであった。
まだ若い女性の肢体には衣服だったモノの残骸が幾つか残るのみで、その姿はほぼ全裸に等しく、乳房や肩口、そして首筋に残る噛み痕からは滲む鮮血が滴り溢れ……その下腹部には悪魔たちに凌辱された無惨な様がまざまざと見受けられた。
『エルリック……哀れな娘に救済を』
エルリックは『声』に促され女性へと手を伸ばす。
救いを求める女性もまたエルリックへと手を伸ばし……。
「かふっ……」
女性は激しく吐血すると息絶える。
エルリックが伸ばした腕の先、握られていた剣が女性の胸を貫いていたのだ。
永遠に閉じる事の無い恨みがましい女性の眼差しが自分を見つめる中、エルリックは敢えてその瞳を閉じる事も無く刀身を引き抜くと一振り血を払い鞘へと納める。
『悔いる事など無いのですよエルリック。貴方は正しき救いを彼女に与えたのです。悪魔に身を汚された人間はその魂すら汚れてしまう……例え此処で生き逃れても必ず後に別の悪魔の生け贄として、依り代とされていたでしょう。ならばその前に聖なる者の手で魂を浄化してあげる事こそが何よりもこの娘にとっての救済となるのです』
「黙れ……」
『本当ならば聖なる炎で生きたまま焼いてしまう方が依り浄化の効果を』
「ウルリカ!! 少し黙っていろ」
『………………』
エルリックの怒気に触れ、『声』は、ウルリカは黙り込む。
暫しの沈黙が流れ……無言のままにエルリックは馬上に戻り、また街道をひた走る。
「夜通し走れば明日の朝にはルメリアに着ける筈だ。この件は都市の警備隊に任せる事にしよう」
『良い判断ですエルリック。私たちの使命はこの様な些末な雑事にはありませんからね……我々は直ぐにでも王女の真偽を見極めねばならないのですから』
「あの手紙の内容と文面を読めば、綴られたのはリディア様本人としか考えられぬ」
『それを判断するのは手紙を受け取られたフィールズ卿であり、だからこそ第三王女の容貌と人となりをよく知る貴方と『真眼』のスキルを保有する私がルメリアへの先駆けとして派遣されたのでしょう』
澄ました『声』で正論を吐くウルリカに、エルリックは黙して語らない。
(今度こそ私がこの手で姫様を御護り致します……リディア様)
王都で軟禁されていた王女が消息を絶ってから早二十日。
その生存を諦めかけていた第三王女派に届いた手紙。
王女の窮地に遠き地で何も出来なかった己の無力さを悔いていたエルリックは誰よりもその希望に縋っていた。
その想いが強さとなって手綱を引き絞り、反応した騎馬の速度が更に増す。
街道の先へと、メルリアへと、その機影を伸ばし駆け抜けていくのであった。
本編でも触れますが、分かり難くなって来るので悪魔の爵位と天使の階位については設定として後日纏めて掲載しようと思います。
ゆっくりとお付き合い頂ければ幸いです。




