最初の出会いと追駆する過去
2019/04/12/FRI 一部修正、加筆しました。
『おい、おチビ。言葉わかるか』
自分のいた世界がそれはもう幸福で満たされていた。
白い建物、白い服、白い内装に染まった場所。
何もかもが白かった場所は突然の爆発によって脆くも崩れ去った。黒く煤けて形あるものは砂や石ころに変わり、近くにあった街の裏路地に丸まっていた。誰もが忌避するその道に、全身真っ黒な人が足を止めた。
そして話しかけてきたのだ。
廃墟に並ぶ変哲のない路地裏、暗いはずなのに視界が広く感じる。もしかしたら魔法使いなのかもしれない。キラキラ光る石が輝いて私を照らしていた。
『……わかるよ、なに』
ほとんどの見知らぬ大人は私を無視をした。
昔馴染みの人でさえ、自分のことで精一杯で私が声をかけても振り返すことはなかった。知らない振りをすることで身を守ったことは後に知った。
なのに、この人はなんだろう。
煤けひび割れ、あかぎれた手をとても大きな手のひらが小鳥をすくい上げるみたく包んでくれる。
『これは……癒しの言霊だ“ ヒール ”』
白い光が大人の手のひらから浮き始める。
泡のように、ぷかぷかと。指を曲げることさえ顔を歪ませる痛みだったのものが少しずつ取り除かれていく。その不思議な光が視認できなくなった頃には怪我をする前の状態へ戻っていた。
『おチビはかなりマナに好かれている。
それにその身体はマナを生成できる回路もある。
俺もこの道に進んでかなり長いが注いだ魔力はほんの少しだ。なのに完全治癒した、おチビの器がとても大きくて純粋なんだな』
マナ、魔力。器、純粋。
その大人は不思議な言葉を言っている。
『何を言ってるかわからない。けどすごい事なんだね』
『あぁ、おチビはこの道を進めばかなりの大物になれるぞ。そこは俺が保証しよう。
どうだ────俺の弟子にならないか』
弟子、とりあえず身寄りがなくなった私を引き取ってくれるのだろうか。衣食住が保証されるのなら了承した方が良さそうだ。
『なれば捜せるかな、私────はぐれたの。
大切な家族、お父さんとお母さんにはもう会えないけど一緒に助かったのに人攫いから逃げる時にはぐれちゃって……会いたいの、妹に』
『そうか……なら、体得してからすぐに捜そうか。
まじないに人探しをするものがある、それを覚えることを最優先にしよう』
言葉にすることで自分の状況を嫌でも理解せざる得なくなれば涙が止まらなくなる。泣きじゃくっていればヒョイと片腕で抱き上げられる。
さらさらと砂色の髪が流れ、白っぽい無機質な銀の瞳が私を映している。色素が薄いなと不意に思えばその整った顔が破顔する。
『おチビの名前は拠点に着いてから聞く。
だから少し寝てなさい。せっかく別嬪の顔が目の下のクマで台無しだ』
眠りなさい、と言われていた気がする。
でもこの大人は魔法を使ってない。
この大人の周りを飛ぶ光が“ 何かの唄 ”を唄っている。小さな女の子……が何人か。眠気に負けじとなにか言おうとすればその子達は揃って口に指を立てた。何も言わずに知らないことにして、と。
眠りの淵に落ちていく際に思うのは。
何か大切なことを忘れている気がする、ただそれだけだった。
***
「……し、しょう」
視界は暗転して、現実世界。
セシリアの目尻は涙で濡れていた。
師匠との出逢った最初の記憶。
裏路地で孤児となった私を拾ってくれた時のこと。
私はどこか、孤児院に育てられていた。
……危ない宗教団体だったのかもしれない。
後に師匠の口から聞いた神話の一部、邪神の囁き。
信仰する人間の一定数の想いが達された時、邪神に選ばれし人物は器となって融合し邪神が現界する。
その挿絵が自分の居た孤児院に掲げられた絵画の絵そのものだった。邪神と呼ばれるには美し過ぎた。
それこそ、聖なるものでないのかと疑ってしまうほどに。
銀糸の艶やかな髪、緑と紫のオッドアイ。
混色から生まれたその色の双眸はとても美しかった。
卑下せず、だからといって傲慢でもない。
寄り添うことを得意とする、人が好きな神だった。
「主神が創り始めた箱庭で初めに誕生した神。
魔法を司る神として彼女は────魔神、と呼ばれた。
誰にも愛された、それこそ神に真似て作られた人間にも愛された美神。一人の人間と一柱の神によって魔神は邪神へと堕ちることとなった」
人間側は魔神以外は信じるなと言われた。
神側からは魔神はとある人間と恋仲となり、自分こそが絶対神であると豪語しているという噂があると言った。
魔神はどちらにも弁解したが、全権を持つ神に時代に生じた災いを全て魔神に擦り付けた上で楽園から追放したという。
押し付けられた災いは悠久とも言える時間をかけて魔神の精神と肉体を蝕んでいった。そこから邪神へと姿を変えた。その神を恐れ、崇高する団体が生まれた。
自らを封印する形で眠る神を身勝手な人間は復活させようとしている、と。
「……邪神の名前は思い出せない。
だって、それを教えられる前に師匠の弟子になったことだししょうがないよね」
古い記憶なんて必要とも言えない。
支度を済ませて、シリウス様と合流しないといけない。セシリアは大急ぎで身支度を整えることにした。
***
「報告ー!見えてきました、王国の門です!!」
先頭を走る騎士が声を張った。
私はまた殿下の操る馬の背に乗せられ、再び進んでいた。王国と森を結ぶ道が閉ざされたからこそ使者が派遣されたことを恥ずかしながら道中で知った。道理で直接来ないと思った、というのが素直な感想だ。
「じきに到着するので、もう少しの辛抱です」
そう、シリウス様は言った。
テンポよく揺れるこの感覚はとても楽しい。
今回の王命が終わったらペガサスかユニコーンに乗せてもらおうか、と呑気に考えていれば馬の脚が止まった。
「ど、なさいました……?」
思わず喉がヒュッとなってしまう。セシリアの眼に飛び込んできたのは、おびただしい程の“ 鮮血 ”。胸を踊らせていた心臓が嫌な方に大きく跳ねる。
誰が、こんなことを。
「誰か報告しろ、何があった」
背中から伝わる殿下の声に深みと重みが加わる。
顔を見ずとも緊張を張ったのは明白。
これは────決別したはずの過去から届いた伝言、私にしかわからないものだ。
『邪神の器、捜したぞ』
過去はずっと“ 昔の私 ”を捜している。
銀髪、白髪。それこそ邪神の使徒として相応しい。
生まれついた色の関係で私は拾われ、特別な教育を受けていた。想いの操り方から上に立つ者としての身の振る舞いや話し方、いずれ現界する邪神のための器として────
「────リアどの、セシリア殿!!」
「!」
肩を強く揺さぶられ、意識は現実に戻ってきた。
気付いた時にはあの色は姿を消していた。
「何か、知っているのか。あれが何を意味しているのか」
確実に断言が出来ないことを心苦しく思う。
良くない方向へ、時間が動いている。セシリアの目にはそう写ったのだ。
「……確信が、持てません」
そうか、と短く返事した後また馬が動き出す。
何が起きているのかわからない、でも文字を浮かべた後に特別な紋様で消したのは……誰?あれは特殊なもので扱える魔法使いはもうほとんどいないはずだ。
「すぐにとは言わないが君の中にある疑問が確信に変わり次第、報告してくれ。この特殊な任務の責任者はこの私だ」
はい、と返した。
それしか言えなかったというのが真実だろう。
心にまるで霧がかってきている、これは危険だ。
何か、大切なものを見失いそうな気がしてならない。
どうか、どうか。
過ぎる可能性が杞憂となってくれますように。
セシリアは天へ祈るしかなかった。