呼ぶ声
前書き
声には、
力があります。
励ます声。
怒る声。
泣く声。
助けを求める声。
けれど。
すべての声が、
信じていいものとは限りません。
もしその声が、
自分の意思より深い場所へ入り込み。
身体を、
勝手に動かそうとするのなら。
それはもう、
言葉ではなく。
鎖なのかもしれません。
⸻
『……開……け……』
低い声が。
第四浄化塔の内部から響いた。
「バックス!」
ガルドが叫ぶ。
「止まれ!」
だが。
バックスは振り返らない。
ふら。
一歩。
また一歩。
塔中央。
菌糸に半分覆われた円形扉へ。
ゆっくり近づいていく。
「聞くな!」
ケインが叫んだ。
「そいつの声を聞くな!」
バックスの右手が。
扉へ伸びる。
「ベルン!」
「はい!」
槍。
しかし。
「刺すな!」
「分かってます!」
ベルンが走る。
柄。
横から。
バックスの腰へ。
どんっ。
「ぐっ……!」
身体が崩れる。
扉まで。
あと二歩。
「捕まえろ!」
ガルド。
バックスの腕を掴む。
「離せ!」
初めて。
男が叫んだ。
「開けないと!」
「何を!」
「開けないと!」
「みんな死ぬ!」
「誰が言った!」
「……」
バックス。
目。
見開く。
「誰が言った!」
ガルドがもう一度叫ぶ。
「……中」
「何がいる!」
「知らない!」
「じゃあ何で開ける!」
「開けないと」
バックス。
息。
荒い。
「水が」
「止まらない」
「灰が」
「上へ」
「全部」
「飲み込む」
「誰に聞いた」
「だから!」
「誰が言った!」
バックスが。
震える。
そして。
円形扉を見る。
「……あいつ」
⸻
『……開……け……』
声。
また。
聞こえる。
アルフレッドの背中に。
ぞくり。
寒気。
「エーナナ」
『確認』
「今の」
「音?」
『音声波形』
『および』
一瞬。
A―07の青い瞳が乱れた。
『精神干渉波――微弱検出』
「精神……?」
ガルドの顔が変わる。
「操ってんのか」
『可能性あり』
アルフレッド。
セルマの首輪を思い出す。
外から送り込まれた命令。
身体を。
勝手に動かした。
「……同じ?」
『照合』
A―07。
『構造――異なる』
『作用――類似』
「命令」
アルフレッド。
「バックスさんの中に」
「入ってる?」
『可能性――高』
ガルド。
少年を見る。
「アル坊」
「分かってる」
「顔」
「言わなくても分かるよ」
「《清掃》」
「ああ」
「でも」
「さっき使った」
「体調は」
「少し疲れてる」
「なら」
「無理するな」
「でも」
バックス。
ガルドとベルン。
二人がかり。
それでも。
扉へ。
身体を向け続けている。
「開けろ!」
「開けさせろ!」
「離せ!」
普通ではない。
瞳。
焦点が合っていない。
「アル坊」
ガルド。
苦い顔。
「やれるか」
「……やる」
「違う」
「できるか」
アルフレッド。
一度。
深呼吸。
「バックスさん全部じゃなくて」
「命令だけなら」
「たぶん」
「たぶんか」
「でも」
「セルマの時と」
「考え方は同じ」
「分かった」
「一回」
「短く」
「うん」
⸻
「バックスさん!」
アルフレッド。
近づく。
「来るな!」
「開けるんだ!」
「開けたら」
「何が起きるか分からない!」
「分かる!」
「声が言ってる!」
「その声が」
「嘘だったら?」
バックス。
止まる。
一瞬。
「……嘘?」
「中にいる何かが」
「自分を出したいだけだったら?」
「違う」
「どうして分かるの?」
「……」
「バックスさん」
アルフレッド。
手。
胸。
服。
直接ではなく。
肩。
そっと。
「今」
「自分で開けたい?」
男。
目。
揺れる。
「俺は……」
『……開……け……』
声。
バックスの身体。
びく。
「開ける……」
「それ」
「バックスさんの答えじゃない」
アルフレッド。
目。
閉じる。
「《清掃》」
⸻
白い光。
小さい。
広げない。
バックスの身体。
周囲。
そして。
胸。
頭。
外から。
絡みつく。
見えない。
何か。
「……いた」
アルフレッド。
呟く。
「何が!」
ガルド。
「糸」
「菌糸?」
「違う」
目には見えない。
でも。
感覚。
細い。
冷たい。
命令。
「これ」
「汚れじゃない」
「でも」
「バックスさんのものでもない」
光。
少し。
強く。
「出ていけ!」
ぱんっ!
小さな破裂音。
「うっ!」
バックスの身体。
力。
抜ける。
ガルドが支える。
「バックス!」
「……」
「聞こえるか!」
「……ガルド?」
「戻ったか!」
バックス。
額。
汗。
「俺」
「何して」
「扉開けようとしてた」
「……」
「何で?」
ガルドが。
アルフレッドを見る。
「アル坊」
少年。
その場へ。
膝をついた。
「アル坊!」
「大丈夫」
「顔白いぞ!」
「ちょっと」
「使いすぎた」
「ちょっとじゃねぇ!」
「座れ!」
「もう座ってる」
「そうだった!」
⸻
『精神干渉波――低下』
A―07。
「消えた?」
『対象バックスへの作用』
『消失』
「塔からは?」
『継続』
「まだ出てるんだ」
『肯定』
「なら」
ガルド。
円形扉を見る。
「近づくな」
「全員」
「耳塞いでも?」
ベルン。
『音声自体より』
『付随波形が主作用』
「じゃあ聞こえなくても」
「影響ある?」
『可能性あり』
「最悪だな」
⸻
「ケイン」
ガルド。
「動けるか」
「……足」
菌糸。
絡んでいる。
「エーナナ」
『確認』
「切れる?」
『可能』
「菌糸触るな」
『了解』
A―07。
左腕。
金属片。
拾う。
切断。
ぶち。
ぶち。
ケイン。
自由。
「立てる?」
「何とか」
「よし」
「バックス」
「歩けるか」
「……たぶん」
「たぶんが多いな!」
ガルド。
「でも」
「ここに長居するよりマシだ」
⸻
「残り」
アルフレッド。
息。
整えながら。
「オルドさん」
「もう外へ運んだ」
「ケインさん」
「ここ」
「バックスさん」
「ここ」
「三人」
見つけた。
ダリオ。
ラウル。
オルド。
ケイン。
バックス。
五人。
全員。
「……揃った」
アルフレッド。
少し笑う。
ガルド。
その顔。
見て。
「まだ笑うな」
「帰ってから」
「そうだった」
「全員」
「帰るまでが救助だ」
「うん」
⸻
『警告』
A―07。
突然。
赤。
「何!」
『下層水門』
『閉鎖率――35.8%』
「また下がった!」
『自動閉鎖機構』
『継続異常』
「どれくらいで」
「完全に開く?」
『現在速度一定の場合』
『約二十七時間』
全員。
止まる。
「昨日」
「十九日だったよね」
アルフレッド。
『門封鎖機構到達予測とは別項目』
「あ」
「水門の方が」
「先に駄目になる?」
『肯定』
「二十七時間……」
ガルド。
低い声。
「急に」
「期限縮みすぎだろ」
⸻
「閉じる?」
ベルン。
「管理者権限があるなら」
「今閉じた方が」
「待って」
アルフレッド。
「三人」
「この辺にいた」
「今」
「見つけた」
「もう人はいない?」
『当区画既知生命反応――』
一拍。
『五』
「五?」
全員。
固まる。
「僕たち?」
『探索隊』
『アルフレッド』
『ガルド』
『ベルン』
『A―07』
『ケイン』
『バックス』
「それ六じゃない?」
『A―07は生体反応対象外』
「あ」
「じゃあ五人」
「他には?」
『既知範囲――なし』
「なら閉じても?」
『危険性――不明』
「水がどこへ行くか」
「まだ分からない」
ノエル。
いない。
でも。
アルフレッドは。
昨日の話を思い出す。
分からないものを。
勢いで。
操作しない。
「……保留」
「また?」
ベルン。
「うん」
「でも二十七時間」
「分かってる」
「帰る」
「調べる」
「それから」
「決める」
ガルド。
頷く。
「よし」
⸻
「撤収!」
ガルド。
「アル坊」
「歩ける?」
「うん」
「本当?」
「……ちょっとふらつく」
「ベルン!」
「はい!」
「背負え!」
「え!」
「僕歩ける!」
「却下」
「領主命令!」
「護衛命令!」
「またそれ!」
「黙って乗れ!」
「……はい」
ベルン。
しゃがむ。
「どうぞ」
「ごめん」
「軽いから大丈夫ですよ」
「それ」
「褒めてないよね」
「十二歳ですから」
「また!」
⸻
ケイン。
バックス。
支え合う。
A―07。
先頭。
ガルド。
後ろ。
「死体」
さっき。
菌糸に。
動かされていた。
通路。
そこ。
見る。
「来るぞ」
ガルド。
「何が」
ケイン。
「この辺」
「死んだ人」
「動く」
バックス。
顔。
青ざめる。
「……俺」
「見た」
「何人?」
「二人」
「一人は」
「ケインが倒した」
「もう一人」
「どこ」
「塔の反対側」
A―07。
『侵食個体検知』
「数」
『三』
「増えてる!」
「行くぞ!」
⸻
角。
向こう。
人影。
一体。
二体。
三体。
ゆら。
歩く。
灰色。
口。
糸。
「人だったもの」
ケイン。
低く。
「斬っても」
「来る」
「糸を切れ!」
ガルド。
「頭じゃない!」
「背中!」
ベルン。
アルフレッド。
背負ったまま。
「走ります!」
「落とさないで!」
「頑張ります!」
ガルド。
剣。
一体。
胸。
斬る。
倒れる。
でも。
腕。
動く。
「エーナナ!」
『切断』
A―07。
金属爪。
背中。
菌糸。
ぶち。
一体。
止まる。
「もう一体!」
ベルン。
槍。
押す。
「アル坊!」
「使わない!」
「よし!」
A―07。
二体目。
糸。
切る。
三体目。
ガルド。
横。
壁へ。
叩きつける。
「糸!」
A―07。
切断。
止まる。
⸻
「《清掃》なしでも」
アルフレッド。
ベルンの背中。
「倒せる」
「糸切ればな!」
ガルド。
「でも」
「元は残る!」
「今は逃げる!」
「はい!」
⸻
保守連絡路。
戻る。
菌糸。
先ほど。
アルフレッドが。
掃除した場所。
もう。
半分。
再生。
「早すぎる」
『侵食供給量――増加』
「水門のせい?」
『可能性――高』
「急げ!」
⸻
第一浄化施設。
到着。
「閉めろ!」
扉。
管理者認証。
アルフレッド。
ベルンから。
降ろされる。
「僕?」
「手だけ貸せ!」
「うん!」
掌。
扉。
『暫定管理者認証』
『保守連絡路』
『閉鎖』
ごごご。
扉。
閉まる。
最後。
灰色の菌糸。
隙間。
伸びる。
ぴしゃ。
遮断。
「ふぅ……」
全員。
その場。
息。
吐く。
⸻
「オルド!」
入口側。
マルク。
待っている。
「無事です!」
「意識あり!」
「よし!」
「帰るぞ!」
⸻
地上。
夕方。
予定より。
ずっと遅い。
「来た!」
見張り台。
声。
村。
一気に。
動く。
「担架!」
「マルタさん!」
「水!」
「空き家!」
「人数!」
ノエル。
帳面。
「何人です!」
「三人!」
ガルド。
「オルド!」
「ケイン!」
「バックス!」
村人。
どよめく。
ダリオ。
寝台から。
無理やり。
起きようとする。
「馬鹿!」
マルタ。
「寝てろ!」
「でも!」
「生きてる!」
ガルド。
「三人とも!」
ダリオ。
動き。
止まる。
ラウル。
隣。
目。
閉じる。
「……全員」
「ああ」
「五人」
「全員戻った」
⸻
フィン。
父。
ラウル。
横。
「父さん」
「うん」
「皆」
「帰ってきた」
「……そうか」
ラウル。
少し。
笑う。
「よかった」
⸻
アルフレッド。
最後。
点検口。
出る。
セルマ。
待っている。
「アルフレッド様」
「ただいま」
「……」
「何?」
「歩けますか?」
「一応」
「一応?」
「ベルンさんに」
「途中背負ってもらった」
「スキルは?」
「四回」
セルマ。
目。
細くなる。
「ごめんなさい」
「今」
「私まだ何も」
「顔」
「書いてあった?」
「かなり」
「……」
セルマ。
杖。
片手。
でも。
左肩。
アルフレッドへ。
「捕まってください」
「大丈夫」
「捕まってください」
「はい」
少年。
素直に。
肩。
借りる。
⸻
その夜。
三人。
治療。
オルド。
腹。
傷。
ケイン。
足首。
菌糸による擦過傷。
侵食。
体内。
なし。
バックス。
外傷。
軽い。
問題は。
「精神干渉?」
ノエル。
「はい」
アルフレッド。
「声に」
「引っ張られてた」
「《清掃》で」
「消えた?」
「うん」
「一時的?」
『現在』
『バックスへの干渉反応――なし』
A―07。
「塔からの信号は?」
『継続』
「じゃあ」
「近づけば」
「また?」
『可能性あり』
ノエル。
記録。
「重要です」
「今後」
「第四浄化塔へ近づく人間は」
「精神干渉対策が必要」
「どうする?」
ガルド。
「分からない」
「耳栓?」
『音声遮断のみでは不十分』
「魔法?」
誰も。
答えられない。
「アル坊の《清掃》」
ガルド。
「頼り切るのは駄目だな」
「うん」
「距離」
「人数」
「時間」
「全部制限される」
「うん」
アルフレッド。
少し。
悔しい。
でも。
「別の方法」
「探そう」
⸻
「水門」
ノエル。
「現在」
『閉鎖率――34.9%』
「また下がった」
「完全開放まで」
『推定――二十四時間前後』
村。
静か。
「一日」
バルド。
「ほぼ」
ノエル。
「はい」
「つまり」
ガルド。
「明日中に」
「決めなきゃならん」
「閉じるか」
「何もしないか」
「閉じる方法は?」
アルフレッド。
『管理者権限による緊急封鎖』
「それだけ?」
『手動閉鎖機構』
「誰か行く?」
『第四浄化塔内部』
「無理だね」
『危険』
「遠隔」
「一択」
ノエル。
⸻
「閉じたら」
「何が起きるか」
アルフレッド。
「分かる情報」
「全部出せる?」
『照合開始』
A―07。
長い。
沈黙。
『下層水門』
『本来機能』
『第四浄化塔へ流入する』
『地下水量調整』
「流入?」
「排水じゃないの?」
『複合水路』
「閉じると?」
『第四浄化塔への水供給低下』
「じゃあ」
「菌糸も減る?」
『可能性あり』
「他への影響」
『下流水路』
『第一浄化施設』
『第二浄化塔』
『第三浄化塔』
『一部流量変動』
「村の井戸は?」
『影響可能性あり』
「悪くなる?」
『不明』
「良くなる?」
『不明』
「本当に」
「肝心なところ……」
『謝罪』
「エーナナ悪くない」
⸻
「でも」
ノエル。
地図。
「閉じなければ」
「第四浄化塔へ」
「さらに水が流れ」
「侵食因子が」
「非常排水路へ拡散する」
「現に」
「今日」
「灰色の水が増えていました」
ガルド。
「ああ」
「放置も」
「安全じゃない」
「閉じるのも」
「安全か分からない」
アルフレッド。
「どっちも」
「怖い」
「そうだな」
バルド。
静か。
「それが」
「決めるということじゃ」
アルフレッド。
老人。
見る。
「正解が分かってから」
「決められることなど」
「案外少ない」
「……」
「分からぬ中で」
「何を守るか」
「何を失う危険を取るか」
「それを決めるのが」
「上に立つ者なのじゃろう」
⸻
アルフレッド。
地図。
見る。
三十二人。
いや。
今日。
三人。
戻った。
三十五。
灰境の村。
今。
三十五人。
井戸。
食料。
家。
そして。
地下。
「ノエルさん」
「はい」
「今」
「村の水」
「何日分」
「井戸使えなくても」
「持つ?」
ノエル。
止まる。
「貯水?」
「うん」
計算。
「樽」
「水袋」
「煮沸可能な川水」
「最低限なら」
「二日」
「三日までは」
「かなり厳しい」
「じゃあ」
「水門閉じて」
「井戸が悪くなっても」
「二日」
「対応できる」
「理論上」
「うん」
「逆に」
「閉じないと」
「灰色の水」
「もっと増える」
「可能性高い」
「はい」
アルフレッド。
考える。
長い。
沈黙。
⸻
「明日の朝」
「水を」
「できるだけ汲む」
「樽」
「全部」
「満たす」
「川の水も」
「煮沸用」
「溜める」
「それから」
「食事用」
「治療用」
「赤ちゃん用」
「分ける」
ノエル。
筆。
動き始める。
「その後?」
「水門」
アルフレッド。
A―07を見る。
「閉じる」
部屋。
静か。
「本当に?」
ガルド。
「怖い」
「うん」
「でも」
「何もしないで」
「完全に開くのを待つ方が」
「もっと怖い」
「理由」
「菌糸」
「もう広がってる」
「死体まで動かしてる」
「バックスさんも操った」
「ラウルさんの排水路にも」
「灰色の水が来た」
「だから」
「今」
「止められる可能性があるなら」
「やる」
ガルド。
少し。
黙る。
「分かった」
⸻
「ただし」
アルフレッド。
「閉じた後」
「何が起きても」
「すぐ対応できるように」
「皆で」
「準備する」
「それで」
ノエル。
頷く。
「決定として記録します」
⸻
深夜。
第一浄化施設。
『下層水門』
『閉鎖率――34.2%』
『緊急封鎖要求――継続』
そして。
第四浄化塔。
中心。
円形扉。
その向こう。
低い声。
『……開……け……』
誰もいない。
塔。
それでも。
声。
響く。
菌糸。
水。
灰。
絡み合う。
その奥。
何か。
巨大な影。
動く。
そして。
水門。
さらに。
わずかに。
開いた。
⸻
第40話 呼ぶ声 了




