第一章 異世界に降り立った「現場の兄ちゃん」が、居場所と仲間を見つけるまで
神のくしゃみと、現場監督の流儀
「……へっ、くしゅっ!」
安っぽい缶ビールと、ピアニッシモ・メンソールの煙の匂いが充満する四畳半。
コタツに入り、ピンク色の芋ジャージに健康サンダルという絶望的にだらしない格好をした自称・永遠の17歳の女神が、盛大なくしゃみをした。
たったそれだけの、あまりにもくだらない理由だった。
神のくしゃみによって生じた空間座標のバグは、地球で自衛隊の工作任務に従事していた一人の青年を、何の前触れもなく次元の彼方へと弾き飛ばした。
『ご、ごめ〜ん! くしゃみしたらあんたを異世界転生させちゃったわ! 慰謝料代わりに適当なスキル渡しとくから、アナステシア世界で強く生きてね!』
薄れゆく意識の中で響いたその無責任な声を聞きながら、赤城鷹人はひどく冷静にこう思った。
(……どこのブラック企業の労災だ、こりゃ)
* * *
目を覚ますと、そこは鬱蒼と生い茂る見知らぬ森の中だった。
鼻を突くのは、日本の山林とは違う、妙に甘ったるくも土臭い異質の空気。遠くで、野生動物ともつかない奇妙な咆哮が聞こえる。
普通ならパニックに陥り、喚き散らす場面だろう。
だが、元・陸上自衛隊工作部隊員の鷹人は、ゆっくりと身を起こすと、まずポケットの中身を確認した。
財布。100円ライター。潰れかけた『ゴールデンバット』の箱。そして、腕に巻かれた分厚い金属製の腕時計。
鷹人は泥だらけの作業服の埃を払い、ゴールデンバットを一本咥え、100円ライターで火をつけた。
カチッ、と安っぽい音が響き、チリチリと葉が燃える。フィルターのない強烈な煙を肺の奥まで吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「……なるほどな。配属先(現場)が変わったってわけだ」
嘆いても始まらない。ここはもう地球ではない。ならば、やるべきことは現状の把握と生存確率の向上だけだ。
鷹人は、脳内に浮かび上がるインターフェース――女神がよこしたという慰謝料代わりのスキルを確認した。
【ユニークスキル:廃品回収】
『地球で不要とされたあらゆる“ゴミ(スクラップ)”を、善行によって得られるスクラップPtを消費して召喚・使役できる』
「ゴミ、ねぇ……」
鷹人は短く鼻で笑った。
ただ機能が壊れた物だけではないらしい。『持ち主が不要としたもの』『押収品』『戦場で放棄された型落ち品』。それらすべてが彼にとっては引き出し可能な手札になる。
「……上等だ。道具ってのはな、使う奴の腕次第なんだよ」
その時だった。
木々の向こうから、悲鳴と怒号が聞こえた。
鷹人が足音を殺して茂みの奥を覗き込むと、獣道で荷馬車を引いた老商人が、三人の小汚い男たちに囲まれていた。
男の一人が掌を前に突き出すと、そこから拳骨大の炎の塊が射出され、荷馬車の車輪を焦がした。魔法だ。
「ヒィッ!」
「さっさと荷物とポポロシガーを置いていきな、クソジジイ! 次の火の玉はアンタの頭にぶち込むぞ!」
鷹人はタバコを咥えたまま、極めて冷静に敵の能力を分析した。
(火の玉の初速は……時速150キロってところか。遅えな。ピッチングマシン以下だ。それに、魔法を撃つ前に無駄なタメがある。足幅もガタガタだ)
魔法という未知の力にビビるどころか、鷹人の目は「欠陥だらけの素人」を評価する現場監督のそれになっていた。
ピコン、と脳内で乾いた音が鳴る。
『目前の弱者を救う善行:初回ボーナス 50スクラップPt 獲得』
「……ちょうどいい。試運転といくか」
鷹人はゴールデンバットを携帯灰皿に突っ込み、茂みから堂々と姿を現した。
「おい。火気厳禁の現場で何やってんだ、お前ら」
低く、よく通る声。
突然現れた異国の作業着姿の男に、野盗たちは一瞬ギョッとしたが、すぐに下卑た笑いを浮かべた。
「あァ? なんだテメェ、死にてえのか!」
魔法使いの野盗が鷹人に向けて掌を向ける。
だが、鷹人は立ち止まらない。歩きながら、脳内のスキルを起動する。
(カテゴリー:ヤクザの押収品。新品同然の『ゴミ』だ)
――【廃品召喚:鉄パイプ】(消費Pt:5)
何もない空間から、鈍い銀色に光る無骨な鉄パイプが鷹人の右手にカチャリと現れた。
「死ねぇ!」
野盗の掌から放たれた時速150キロのストーンバレット(火炎弾)が、鷹人の顔面へ迫る。
鷹人は顔色一つ変えず、野球のバッターのように鉄パイプを一閃した。
ガァンッ!!
「なっ!?」
魔法の火の玉は、ただの物理的な金属の質量とフルスイングの前にあっけなく打ち砕かれ、火の粉となって四散した。
「弾道が直線的すぎる。狙いも甘い」
魔法を弾き飛ばした勢いのまま、鷹人は一気に距離を詰めた。
「ヒッ……剣を抜け!」
残りの二人が慌てて腰の長剣を抜こうとするが、遅すぎる。
鷹人は低く沈み込み、抜きかけの剣を持つ男の膝の関節に、容赦なく鉄パイプを叩き込んだ。
ゴギャッ!
「ぎゃああああっ!?」
人体が発してはならない音と共に、男が膝を抱えて地面に転がる。
返す刀で、鷹人は鉄パイプを放り投げた。空いた両手で、パニックに陥って剣を振り下ろしてきた二番目の男の腕を掴む。
柔道黒帯の崩し。相手の力を利用し、身体を沈み込ませ、背負い投げの要領で男の巨体を宙に浮かせた。
「オラァッ!!」
ドォンッ!!
木の太い根が露出した地面に、背中から男を叩きつける。肺の空気が完全に抜け、男は白目を剥いて気絶した。
戦闘開始から、わずか10秒。
「バ、バケモノ……ッ!」
残された魔法使いの野盗が、恐怖で腰を抜かしながら後ずさる。
鷹人は無表情のまま、左腕の分厚い金属製腕時計を外し、右の拳にグルグルと巻きつけ始めた。即席のメリケンサックだ。
「バケモノじゃねえよ」
一歩踏み込む。野盗が苦し紛れに放った小さな火の玉を首を傾げて避け、金属を巻いた右ストレートを、野盗の顎の先端に正確に打ち抜いた。
ゴウッ、という風切り音の直後、顎の骨が軋む鈍い音が森に響く。
脳震盪を起こした野盗は、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ただの、現場のおっちゃんだ」
一人で無双するつもりはない。だが、理不尽を押し付けてくるなら、あるモノ全部使って実力でねじ伏せる。それが赤城鷹人の流儀だ。
彼は拳の腕時計を外し、再び左腕に巻き直すと、ポカンと口を開けて震えている老商人の方へ振り返った。
「怪我はないか、爺さん。あんた、さっきポポロシガーがどうとか言ってたな」
「あ、はい……! た、助かりました……! 私はポポロ村に向かう行商人でして……」
鷹人は胸ポケットからゴールデンバットを取り出し、再び100円ライターで火をつけた。
タバコの煙を空に吐き出しながら、ニヤリと笑う。
「奇遇だな。俺も今夜の寝床を探してたところだ。その『ポポロ村』ってとこまで、案内してくれねえか?」
魔法も闘気も持たない、ただの元自衛隊員による、知恵とスクラップを使った異世界魔改造の現場仕事が、今ここから始まろうとしていた。
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