その6
瞳やら果実の唇やらシモベやらのくだりは、もう、この際スルー。
問題は、名乗った正式名とやらのグレイロディアス・ドライベル・フローレンス・フロレスタン以降。
『ディ・ディオ・リリエンタール』
『ディ・ディオ』は家名の前について男性貴族であることを示す称号。
『リリエンタール』は…………それって、この国の王家の家名じゃなかった?
王として即位すると、リリエンタールの後に国名を連ねることになる。
と、いうことは。
「えっ室長王族だったんですか!?」
「とるに足らぬ末席の身だ」
「いやいやいやいや末席とか関係ないですしっ」
王族って、外交とか社交とか、いろいろと義務があるんじゃないの? どうして王宮に近いとはいえあくまでも王宮外の王立図書館くんだりまで毎日朝早くから出勤し、夜遅くまで入り浸ってるわけ?
研究好きは本当なんだろうけど、許されることなの?
混乱した勢いのまま、そうまくし立てると室長はわずかに首を振って応えた。
「問題ない。とるに足らぬ身だと言った。現国王陛下の下には一体何人の弟妹がいると思う?」
「え~っと、沢山……」
数年前に崩御された先王様と現王大后様の間には、現国王陛下を筆頭に七人のお子様がいらっしゃった。
女のお子様方四人は既に嫁ぎ、長子は現国王陛下、次男は確か優秀な武官として近衛騎士になって王宮にお仕えしているはず。末子の三男は有能な歴史学者に……って、まさかフロレスタン室長!?
「えっ学者が本業だったんですか? いや本業は王族?」
蔵書管理の傍ら研究をしているのかと思っていたけど、むしろ研究がメインだったの?
それよりなにより、王族にイメージする華々しさというものを全く持ち合わせていないフロレスタン室長…いや、フロレスタン王弟殿下にびっくりなんですが。
「昔からそんなに暗い性格だったんですか?」
「……相変わらず歯に衣着せぬ物言いだな。
確かに書物好きは昔からだったが、暗いと言われたことは無かったので気づかなかったのやもしれぬ」
華やかな兄姉に囲まれているうちに影が薄くなったのか、と想像してしまう。根暗な雰囲気は、持って生まれたものなのか? 後天的なものなのか?
それを指摘してくれる存在はいなかったの?
その疑問にはあとでレスター中将から、教育係に変人が多くてああなっちゃったんだよ、雰囲気はともかく基本的な性格はそれほど変わっていなし、色々な要素を含めてそれがグレイらしさだと認め合っている。家族仲はかなり良い方だと思うよ、と肩をすくめて答えてもらうことになるんだけど、この時のわたしはそんなこと知らない。
わたしの頭に浮かんだのは、煌びやかな王宮の中でみそっかすにされる幼い室長の姿。
身分の差なんて関係ない。仲間はずれが寂しいのは万人共通のはずだ。
失恋して傷つくのが万人共通であるように。
「…………わたし、王弟殿下という身分でなくても、禁書庫に入れなくても、フロレスタン室長のこと尊敬してます」
「………………」
「でも、わたしにとって結婚って、好きあった男女がするものなんです。フロレスタン室長が、あの、何故わたしなんかに結婚を申し込んでくださるのか」
「そなたを好きだからに決まっておる」
「わわわわ、そんなストレートに言われると恥ずかしいですから! あー、ありがとうございます。ご好意は嬉しいです。
でも……なんていうか、わたしの気持ちはそこまで高まっていないというか……人として尊敬はしているんですけど、結婚の申し込みをお受けできるほどではないんです」
だからごめんなさい、と頭を下げる。
やや間があって、室長は口を開いた。
「人として嫌悪感が無い上、根底にあるのが尊敬の念なのであれば、それはいずれ変化する可能性は十分にあるのではないか?」
「へ? はぁ、一般的には、そうかも…?」
この口!考えなしに言葉を乗せてしまうこの舌!
相手が言質をとる名人だと薄々わかっていたくせに、何故うかつにも一般論など口にしたのか。
ふっと笑ったような空気に、反射的に室長の顔を見ると、なんとも忌々しいしたり顔で、口の端を上げていた。微笑んでいる、と言ってもいいが、それにしてはおどろおどろしい雰囲気で。
「では、わたしがそなたを諦める必要性は全く無いわけだな?」
「はい?」
「そなたの気持ちが高まるよう、努力を続けることにする」
はあぁ?何故そうなる!
そうして一般論という大いなる味方を手にしたフロレスタン室長は跪いたまま恭しくわたしの指先に口付け、ようやく立ち上がった。
「これほどの好条件が整っているのに退くわけにはいかぬ」
「は!?」
「待っていろ。惚れさせてみせる」
「はいぃぃぃぃ!!??」
わたしの困惑など無視した決意を高らかに宣言し、フロレスタン室長はきびすを返した。唖然としたわたしを書架脇に置き去りにしたまま。
こうして、わたしとフロレスタン室長の間で不毛な攻防が始まる……はずだった。
……異性として意識しはじめたことによって、特に猛攻を受けるまでもなくあっけなくわたしが陥落してしまうまで、3ヶ月もかからなかったのは、また別の話。
お読みいただきありがとうございました。




