第93話 火薬
2月5日
アルメシア王国リコン領の付近には、ここ数日は雪がまったく降っておらず、さらにこの季節にしては気温が高いため、雪が少しずつ溶け始めていた。
例年だと、3月上旬まで今のような状態が続き、雨が降ると一気に雪がなくなるらしい。
そんな冬にしては暖かい中、3人の傭兵たちがリコンの街へ戻ってきた。
トルタロス王国の国境にある城で貸してもらった3頭の馬のおかげで、行きの3分の1の期間で戻ってこられたのだ。
「リーダー、これからどうするんですか?」
左頬に縦の刀傷がある傭兵がそう尋ねた。
3人は馬にまたがったまま、街道を進んでいた。
その視線の先には、大きな森とリコンの街の城壁が見えている。
「街に入るところまでは簡単なんだけどなぁ~」
額に十字の刀傷があるリーダーが、頭をボリボリとかきながらそう言った。
トルタロス王国の城を出発してから、すでに10日が経過していた。その間、ずっとどうやってラムゼン・ピントを誘拐するか考えていたのだが、良い方法がまったく思いつかなかった。
まあ、到着するまでには何か思いつくだろうと気楽に考えていたのだが、結局駄目だった。
「やっぱり、まず街の人間を捕まえて人質にするしかないって」
右頬に火傷の痕がある傭兵が、実に悪党らしいことを言った。
「やっぱり、それしかないか~」
ラムゼン・ピント自身は、強くもなければ怖くもない。
彼一人だけなら、街を歩いているところを襲うか、屋敷に忍び込んでさらうことも可能だろう。
しかし、その側にいるメイド服を着た剣士――ミュームは、本気でヤバい。
傭兵として雇えと言って押しかけ、偶然通りかかった領主をからかったときには、本当に殺されるかと思った。
はっきり言って、3人がかりでも勝てる気がしない。
一応、彼女と戦闘になったときに備え、間合いを取って戦えるように弓と矢を途中で買っておいたが、やはり可能な限り戦闘は避けたかった。
「1カ月以内にあの領主を捕まえて帰らないと、俺たちの命が……」
この任務には期限が定められている。
それを過ぎると呪いが発動し、ひどい苦しみを味わった末に死ぬらしい。
途中で何度か、神殿などに駆け込んで呪いを解いてもらおうかと相談したのだが、彼らに呪いをかけた女魔術師の言葉を信じるなら、かなり高度な魔術らしく、簡単には解呪できないという。
それどころか、迂闊に解呪を試みれば、期限を待たずにその瞬間、呪いが発動するらしい。
いくら怖いもの知らず……というわけでもないが、少なくともそうありたいと思っている傭兵たちであっても、失敗すれば即死となれば、そう簡単に試すことはできない。
まあ、馬の脚なら10日でトルタロス王国の城まで戻れることは分かっている。
つまり、リコンの街で領主誘拐のために使える期間は、10日ということだ。
「とりあえず、情報を集めよう」
リーダーがそう言うと、二人の部下たちは無言で頷いた。
真一たちは、今はほとんど廃業状態にある冒険者ギルドの2階に宿泊していた。
リコン領主のラムゼン・ピントからは、ぜひ自分の屋敷に泊まってほしいと誘われたのだが、さすがにこれだけの人数で長期滞在するのは気が引けた。
ちなみに、エリチンはまだエルフの集落にある実家にいるため、あの日以来、一度も会っていない。
もしかしたら、そのまま残るのではないかと不安になるが、彼がそれを望むなら、それはそれで仕方がない。
ヴァレリアンと阿左美は毎日、ギルドマスターであるトメさんから剣術の稽古をつけてもらっており、シラクサはリコンの街の周辺を偵察していた。
これは、いざというときの脱出経路や、逆に敵が忍び込んでくる可能性のある場所を探るためで、彼女の得意分野だった。
ミントは、この街には神殿がなかったため、毎日、病人や怪我人の治療をして回っていた。
一応、神殿では神の奇跡(治癒魔術)を使って治療した場合、その程度に応じて「お布施」という名の報酬を受け取ることになっていたが、彼女はそれを一切受け取らなかった。
その代わりというわけではないが、怪我や病気を治してもらった人たちが、食料や酒などをくれるので、真一たちはそれを調理して食費を浮かせている。
一応、この街には医者がいたため、その仕事を奪ってしまい、怒られるのではないかと心配していたのだが、当の本人は久しぶりにゆっくりできると言って、少し離れた村に住む娘夫婦の家へ遊びに行ってしまった。
確かに、この規模の街で医者が一人しかいないのでは、そうそう休むことなどできなかっただろう。
そんな中、真一は一人で何やら怪しい実験をしていた。
彼は、今はほとんど使われていないギルドの食堂のテーブルの上に、黒い粉と黄色い粉、そして木炭を並べていた。
黒い粉は硝石(硝酸カリウム)で、黄色い粉は硫黄だ。
木炭はトメ婆さんから、硫黄は街の薬師から分けてもらった。
問題は硝石だった。
この世界では、火薬はすでに知られている。しかし、硝石は手に入りにくく、特に雪の降る地域では入手が難しい。
それでも、古い建物の床下などにわずかに蓄積していることがあるため、真一は各家を回ってかき集めてきたのだった。
そして、この三つが揃うと何ができるのか。
それは、黒色火薬である。
そう、彼は人類にとって有益であると同時に、最悪の発明ともいえる火薬を使い、トルタロス軍を撃退できないかと考えていたのだ。
元の世界で化学教師をしていただけあって、火薬の配合についての知識はある。もっとも、知識として知っていただけで、実際に作ったことはなかったのだが。
真一は魔術を利用して必要な作業を進め、爆弾を試作した。
「できた」
これで簡単な爆弾の完成である。
「これを千個ほど量産できれば、攻めてきたトルタロス軍を撃退できるかもしれないが、材料がまったく足りないな」
今ある材料だけでは、同じ物をあと二つ作るのが精いっぱいだ。
爆弾の容器に小石や小さな鉄球などを入れれば、爆発時にそれらが周囲に飛び散り、殺傷能力を高めることもできる。
これを阿左美に持たせ、敵陣のど真ん中に瞬間移動させて使えば、少ない数でも敵の指揮官を狙えるかもしれない。
もっとも、一歩間違えれば阿左美自身が爆発に巻き込まれる。そんな危険な作戦を実行するつもりはなかった。
それなら、あの派手な鳥、ゴットバードに空から投下させるか?
この世界、アープル史上初の空爆だ。
しかし、少数の爆弾では命中率に難があり、敵を驚かせることはできても、大した損害は与えられないだろう。
大量の爆弾を用意できれば話は別だが、今の材料ではどうにもならない。
「やはり、トルタロス軍を撃退するより、ラムゼン・ピントを脱出させる時に使う方が現実的か」
真一はそう考えた。
火薬は、この世界でもすでに存在している。ただし、その用途は限られていた。
攻城戦で城壁や城門を破壊するために使われたり、強力な魔族が再び進攻してきたときに備えてフラーノ城塞に保管されていたりする程度で、誰もが気軽に使えるものではない。
そもそも、この世界には魔力があり、魔術を使えば攻撃や破壊をある程度代替できる。
また、人界と魔界の大規模な戦争は千年もの間起きておらず、人界内の戦いも比較的小規模だった。そのため、火薬を大量生産し、兵器として普及させる必要性が低かったのだ。
しかし、もし火薬を手軽に使えるようになれば、話は変わってくる。
魔術師を育てるには時間がかかる。だが、火薬を使う兵器は、技術さえ確立されれば大量生産できる可能性がある。
そして、その技術は鉄砲や大砲の開発につながるかもしれない。
そうなれば、人界の軍事力は大きく変化するだろう。
先代の魔王が千年前に人界への侵攻を決意したのは、しつこく魔界へ攻め込んでくる人界軍が、そのたびに学習し、少しずつ強くなっていったからだった。
このままではいずれ、個体としては強力な魔族たちが、数に勝る人間どもに負ける日が来る。
そう考えた彼は、自分たちが圧倒的に優位な今のうちに人界へ逆侵攻し、自分たちの恐ろしさを思い知らせようとしたのだ。
その先代魔王の恐れは、単なる杞憂ではなかったのかもしれない。
もし火薬の技術が人界に広まり、鉄砲や大砲が大量生産されるようになれば、個々の強さに頼ってきた魔族たちは、数と技術で勝る人間たちに圧倒される可能性がある。
真一が作った爆弾は、たった数個にすぎない。
それでも、その存在が火薬兵器の発展を促すきっかけになれば、先代魔王が恐れていた力関係の逆転を早めてしまうかもしれない。
復活した魔王が、先代魔王の苦労を台無しにするなど洒落にならない。
もちろん、今すぐ火薬の存在を隠さなければならないという話ではない。しかし、便利だからといって安易に使い、その技術を広めてしまうことには慎重になるべきだろう。
真一は、改めてそう考えた。
当面の問題は、トルタロス軍を撃退することではない。
ラムゼン・ピントを無事に脱出させ、リコン領を救う方法を考えることだ。
そのためにも、火薬は切り札の一つとして扱い、むやみに使うのは避けた方がよさそうだった。
真一は、少し外の空気を吸おうと思い立ち上がった。
阿左美たちは、いつもの稽古場である領主の館の庭に出かけているため、ギルドの建物には誰もいない。
扉を開けて外に出ると、なんだかんだいって、まだ寒かった。
時間は昼を少し過ぎたあたりで、日はまだ高い。
「あら、冒険者さん、こんにちは」
向かいの雑貨屋の店主が、彼を見て挨拶をしてきた。
もう10日近くこの冒険者ギルドで寝泊まりしているため、かなり顔なじみも増えてきている。
「どうも」
軽く挨拶を返し、大きく背伸びをする。
そのとき、街のメインストリートを3人の男たちが馬を引いて歩いてきた。
一見すると冒険者風だが、人相が悪い。3人とも場所は違うものの顔に傷があり、周囲を警戒している。
リコンの街の門は、日中は常時開かれているため、誰でも出入りできる。
門番も、一目で怪しいと分かる人間以外は素通りさせていた。
「いや、あいつらは怪しいだろう」
確かに、この世界での旅にはそれなりの危険が伴うため、武装している者は少なくない。
しかし、あの3人の男たちは、外見というより雰囲気が十分に不審者だった。
「しかし、逆に怪しすぎて、トルタロス軍のスパイには見えないな」
もし本当にそうなら、旅人や行商人などに変装して、目立たないように行動するはずだからだ。
馬を引いた3人の男たちは、冒険者ギルドの前を通り過ぎると、街の中心にある広場へ向かっていった。
そこには宿屋や食堂があるため、まずはそこへ向かったのだろう。
「あっ、シンイチ様」
男たちが去っていったのとは反対側から、ミントが帰ってきた。
右手には愛用の杖を、左手には野菜や肉の入った手提げ鞄を持っている。
「お帰り、ミントさん。お疲れさま」
「いいえ、全然疲れてなどいません」
久しぶりに神官らしい仕事ができて、嬉しいようだ。
「今日は鴨のお肉をいただきましたので、シチューにしましょう」
「いいね、楽しみだ」
彼女は真一から異世界の調理法を教わり、今ではかなりの腕前になっている。
3人の傭兵たちはリコンの街の宿屋に入ると、さっそく情報収集を始めることにした。
いや、始めようとしたのだが、その前に冷えた身体を温めようぜと言って酒場に向かい、そのまま酒盛りを始めてしまった。
まあ、1カ月かけてトルタロス王国にある国境の城へ徒歩で移動したと思ったら、すぐに追い出され、10日もかけて戻ってきたのだ。
正直言って、身も心も疲れ果てている。
道中も途中の村や町で宿屋に泊まり、酒も飲んでいたが、翌日も長距離移動をすると思うと、思いっきり酔うことはできなかった。
しかし、今日は違う。
「ん? このエルフ酒って何だ?」
テーブルに着き、メニューを開いたリーダーが眉をひそめた。
「ああ、それは隣の森に住むエルフが作った酒ですよ」
隣のテーブルで薄い緑色の飲み物を口にしていた若い男が、そう教えてくれた。
「リーダー、そういえば広場の出店にエルフがいたな」
「本当か? 皆、防寒着を着て耳当てや帽子をかぶっているから気づかなかったぞ」
「あの、やたらと美形な兄ちゃんや姉ちゃんはエルフだったのか?!」
左頬に刀傷のある男の言葉に、十字傷のあるリーダーと右頬に火傷のある男が答えた。
「街の南の森にエルフの集落があるんですよ」
隣のテーブルの男がそう言うと、3人は「そういえば聞いたことがあるな」と納得した。
そもそも、そのエルフの森が原因で、攻め込まれそうになっているのだが。
「だから、気をつけてくださいね。エルフの許可を得ずに森に入ると、怒られますよ」
「フンッ、あんなヒョロッとした連中なんぞ、片手でひねってやるぜ」
リーダーが右腕を上げ、力こぶを作りながらそう言った。
「頼もしいですね。でも、森の中ではエルフを見つけるのはとても難しいですよ。それに、いきなり矢が飛んできたり、魔術をかけられたりします」
「そうだよ、リーダー。傭兵仲間の間じゃ有名じゃないか。森の中ではエルフに喧嘩を売るな、まともな喧嘩にならないからって」
「あれってマジだったんだ」
「ふぅ~ん。とりあえず、せっかくだから、そのエルフ酒を飲んでみるか」
リーダーがそう言うと、隣のテーブルの男がカップを持ち上げて笑った。
「おっ、いいですね。その一杯は僕が奢りますよ」
どうやら、彼が飲んでいたのが、そのエルフ酒だったようだ。
「悪いな、兄ちゃん」
3人は途端にご機嫌になり、その男の方へ顔を向けた。
そして、それぞれの顔にある傷跡が引きつった。
「いいえ。今の時期は旅人さんが滅多に来ませんからね」
そう言って、リコン領領主ラムゼン・ピントは笑った。




