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第4話 星花草と恋慕之情

 馬車を降りた二人を迎えたのは、石畳の広がる街並みだった。

 帝都のような華やかさはないが、どこか温もりを感じさせる田舎の風情が漂っている。屋台の呼び声、窓辺に吊るされた洗濯物、焼きたてのパンの香り。賑やかでありながら素朴な活気に満ちていた。


 リュリアの姿を見つけた人々は、次々に声をかけてくる。


「姫様、おはようございます!」

「ほら、新鮮な果物を少し持っていってくださいな」

「姫様、この間の件本当に助かりました。ありがとうございます!」


 差し出されるパンや果物、そして民の声にリュリアは笑顔で礼を返す。

 その一挙手一投足に、民の表情が明るくなる。リュリアがこの街でどれほど慕われているか、カリオンは言葉にせずとも理解できた。


 やがて店先で荷物を並べていた店主が、ひょいと顔を上げ、にやりと笑う。


「おやまぁ、姫様。デートかい?」

「デ……っ!な、何を仰いますの!」


 真っ赤になって慌てるリュリアに、今度は奥から店主の妻が出てきて、手を叩いて笑う。


「あの姫様にも、ようやく春が来たんだねぇ」

「もー!うるさいですわ!!」


 顔を覆いたくなるほど赤くなりながらも、リュリアは必死に反論した。


 その姿を横で見ていたカリオンは、思わずくすっと笑みを漏らす。

 彼の瞳は、どこまでも穏やかで楽しげだった。


「……ええ、今まさに口説いている最中でして。おかげさまで、なかなか骨が折れます」


 さらりと口にされたその言葉に、リュリアは「なっ……!」と声にならない悲鳴を上げ、顔を真っ赤にして固まった。

 夫婦は顔を見合わせて大笑いし、リュリアはもう穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。


 二人はしばらく屋台の並ぶ通りを歩いた。

 焼きたてのパンを半分こし、甘い果実を分け合って口にすれば、どちらからともなく笑みがこぼれる。

 広場では大道芸人が火を操り、楽師が笛を奏でていた。二人は並んでベンチに腰かけ、子どもたちの歓声に混ざってそのひとときを楽しむ。


 やがて陽が傾き、空を朱が染め始める頃。二人は丘へと足を運んだ。

 そこはアルヴァニアの街並みが一望できる場所。屋根の赤瓦が連なり、行き交う人々の姿まで小さく見渡せる。


 リュリアは風に髪をなびかせながら、ふわりと微笑んだ。


「ここは、わたくしのお気に入りの場所ですの」


 淡い光に照らされた横顔は、幼子のように無垢でありながら、不思議な力強さを帯びていた。


「ここにいると、この国に生きる人たちの顔が見渡せます。……だから、どんなに辛いことがあろうとも、頑張ろうと思えるのですわ」


 その言葉に、カリオンの胸の奥で静かな熱が広がっていく。

 彼女の瞳に映るのは、決して贅沢でも力でもない――ただ「人」を愛する心。


 その純粋さに触れるたび、カリオンの胸が不思議とざわめく。

 惹かれているのだと分かってはいても、それが単なる好意なのか、それとも恋というものなのか――。

 ただ確かなのは、彼女を見ていると目を離せなくなるということだった。


 ふと、カリオンの目に足元で小さく光る草花が映った。

 夕闇の迫る中、淡い光をまとうように揺れている。


「……これは?」


 膝をかがめ、そっと指先を近づける。


「あら、まあ珍しい!」


 リュリアも身を寄せ、嬉しそうに目を輝かせた。


「それは 星花草 と申しますの。夜になるとこんなふうに光を帯びるのですわ。薬にもなりますし、帝都ではなかなかお目にかかれませんのよ」


 カリオンは星のように瞬く花に目を細める。


 オルディス帝国では薬は貴重なものとされていた。製造に必要な材料は限られており、庶民に行き渡ることはほとんどない。ゆえに病に倒れれば運を天に任せるほかなく、薬草師の周りにはいつも行列が絶えなかった。


 星花草を見つめながら、ふと口にする。


「これを帝都に売り込めば、かなりの収益が見込めると思いますが」


 けれど、リュリアは弱々しく首を振った。


「……ここは辺境の国ですもの。いくらオルディス帝国と隣接しているとはいえ、運ぶルートは山道で険しく、運ぶための管理も厳しくて……若い働き手も不足しておりますし、運び手を探すだけで精一杯。なにより――」


 小さな吐息が漏れる。


「関税が厳しく、上手くいかないのですわ」


 淡い光を放つ星花草の前で、リュリアの声はほんの少し震えていた。

 誇りと悔しさと、そして国を思う心がないまぜになって。


「わたくしの家の裏手に、星花草を栽培している場所がありますの。……ぜひ、見に来ませんか?」


 リュリアは少し恥ずかしそうに、けれど誇らしげに提案した。

 カリオンはその瞳を見て、穏やかに微笑む。


「光栄です。ぜひ拝見させていただければ」


 二人は屋敷へと戻り、門先ではエリーとマリアナが待っていた。

 リュリアがカリオンに星花草の栽培所を見せたいと告げると、エリーがすぐに笑顔で頷いた。

 案内されたのは屋敷の裏手。古びたビニールで覆われた、小さな温室のような小屋だった。

 扉を開けると、草花の匂いがすうっと漂い、湿った空気が肌にまとわりつく。薄暗い光に煽られ淡い光を宿した星花草が並ぶ光景は、まるで小さな夜空の切れ端のようだった。


 その奥から、一人の青年が姿を現した。

 短く切りそろえた栗色の髪に、薄い青の瞳。リュリアとどこか似た面差しを持ちながら、彼はずっと寡黙そうで、険のある表情をしていた。


「親戚のラシムです。ここの栽培所を任せておりますの。星花草のことならこの国一の知識を持っておりますわ」

「初めまして。私はカリオン・バレリオと申します」


そう言ってカリオンはラシムに握手のための手を差し出す。

 だがラシムはカリオンに近づき、差し出された手を乱暴に叩き落とした。


「あんたみたいな立派なお貴族様が、こんなとこに何の用だ?」

「ちょ、ちょっと!ラシム兄様!」


 リュリアが慌てて声を上げる。


 カリオンは咄嗟に返す言葉を失い、穏やかな笑みを崩さぬまま、宙に残った手をそっと引っ込めた。


「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。私のわがままでリュリーにここへ連れてきてもらったのです。オルディス帝国では見慣れない植物だったもので」


 頭を軽く下げるその仕草は、敵意に満ちた空気を少し和らげるように見えた。

 けれどラシムはふんっと鼻を鳴らし、冷たい視線を投げかける。


「どうせ荒稼ぎ目的だろ。種でも貰って売り捌こうとでも考えてるならやめときな。どうせろくな育て方も知らねぇ癖に」


 吐き捨てるように言うと、彼は肩をすくめて温室の奥へと引っ込んでしまった。


「も、申し訳ございません!」


 リュリアが慌てて頭を下げる。


「普段はあんな感じじゃないんですの。ただ……外の人に厳しくて……」


 そこまで言うと、リュリアは俯き、ぎゅっとスカートの布を握りしめた。

 自分の大切な親戚が無礼を働いたことへの気まずさと、カルにまで嫌な思いをさせてしまったのではという不安が、胸の中で渦を巻く。


「昔、この国へやってきた貴族の子に星花草の苗を譲ったところ、育てきれずに逆恨みを買って悪評を広められたことがあるのです。きっとラシム兄様は今だそれに怒って貴族の方をひとくくりで見ているんだと思います。ラシム兄様は誰よりも星花草を愛しておいでなので」


 顔を上げることもできず、ただ小さく「本当に……申し訳ありません」と繰り返す。

 そんなリュリアを見て、カリオンは首を振り柔らかく微笑んだ。


「どうかお気になさらず。そんな事情を抱えているのであれば、先程の態度は当然のことですから」


 その落ち着いた声に、リュリアはほっと息をつきつつも、どこか居たたまれない様子で視線を落とした。


 リュリアはカリオンに「少しお待ちください」と言い、奥の部屋へ入っていく。そして少し経って戻ってきたリュリアは胸の前で両手をそろえ、小瓶を差し出した。


「カル様……ささやかですが、謝罪の代わりにこれをお受け取りくださいませ」


 小瓶の中には、粉末状になった星花草の薬が収められていた。

 医薬品らしい清らかな香りが漂いながらも、よく見れば細かな粒が星明かりのように淡く輝いている。


「切り傷などに数回、日を分けて塗れば、跡が残らぬほどに回復いたしますの」


 カリオンはそれを両手で受け取り、真剣な眼差しで頷いた。


「ありがたく頂戴いたします」


 その日の訪問はそれでお開きとなった。

 門前まで歩き、リュリアは深く一礼する。


「今日は本当にありがとうございました。そして……最後があんな感じになってしまい、申し訳ありません」


 カリオンは静かに首を振り、柔らかな笑みを浮かべる。


「どうかお気になさらず。本当に楽しい時間でした。この国を知れたことも、そして――何より、リュリーと近づけたことも」

「っ……!」


 リュリアの頬が一瞬で真っ赤に染まる。それでも必死に取り繕い、ふふ、と柔らかい笑みを返した。


 門の前には、すでにカリオンのための馬車が待っていた。

 その前で彼は立ち止まり、リュリアに向き直ると、その手をそっと取って――唇を触れさせた。


 リュリアの瞳が驚きに大きく見開かれる。

 カリオンはふっと微笑み、低い声で囁いた。


「リュリー。ーーまたあなたに会いに来ます。その時にどうかお返事を頂けませんか?」


 その瞳には真剣な色しかなかった。


「答えがどちらに転がったとしても、私は受け入れます。だから、どうか今一度真剣に考えて見てください。」


 リュリアの心臓は胸を破りそうなほど打ち震える。

返事もできぬまま、彼の背は馬車に消えていった。


 リュリアが屋敷へ戻ると、温室の前にラシムが立っていた。

 腕を組み、月明かりに照らされた横顔は険しい。


「……あまり、人を信用するな、リュリア」


 低く吐き捨てるような声。


「カル様は、そんな方ではありませんわ!」


 リュリアは思わず語気を強めた。

 だがラシムは眉一つ動かさず、冷ややかに鼻を鳴らす。


「は、どうだか。甘い顔して近づいてくる奴が、一番厄介なんだ。……お前は人を簡単に信じすぎだ」

「そんなこと……」


 リュリアは視線をそらし、黙り込んだ。


 ――カル様はそんな人ではありませんわ。


 今日だって、リュリアの話を真剣に聞いてた。この国のことに心から興味を抱いていた。その瞳には、一切の下心など見えなかった。

 けれど……どう伝えればラシムに分かってもらえるのだろう。言葉が喉に詰まり、胸の奥で渦を巻いた。

 ラシムは言葉を継ぐ。


「ここ最近、アルヴァニアには帝都の連中が目をつけてるって噂がある。目的は知らねぇが……。お人好しのリュリアにつけ込もうとする奴がいても、おかしくねえ」


 リュリアは唇を噛み、反論しようとしたが、その言葉の奥に滲む「心配」を感じ取り、息を飲んだ。

 ラシムはぶっきらぼうなまま、扉に手をかける。


「……せいぜい気をつけるこったな」


 言い残すと、彼は振り返りもせず奥へ消えていった。


 残されたリュリアは、胸に手を当てて立ち尽くす。

 その言葉が、警告であると同時に、不器用な優しさでもあることを感じ取り、複雑な思いを抱えていた。


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