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「話は終わりましたか?」
振り返ると、山内さんがロープとペットボトルを持ってそこに立っていた。
「ええ、終わりました。友利さんはどうする? さっき言った通り僕らはやめないし、友利さんは嫌なら参加しなくてもいいし、なんなら見なかったことにしてもいい。あまり気分のいいものではないと思うし」
八角さんは真剣な表情ではあるが、優しい声音でそう言った。初めて会った時は頼りなさげに見えたが、きっとこの人はとても優しくて、強い人なのだろう。私は決心した。
「いえ、やります。手伝わせてください、ここで逃げ出してもいつか向き合うことになると思いますし」
そう言うと八角さんは優しく微笑んだ。
「そっか。ありがとね」
「じゃあ行きましょうか。お二人の準備はいいですか?」
私と八角さんは頷いて、山内さんがドアノブに手をかけた瞬間、後ろから気の抜けたような女性の声が聞こえた。
「すみません……ちょっと待ってください……」
振り返れば、走ってきたのだろう、知らない女性の人が息を切らしながらカウンターのところに立っていた。誰だろう? そう思ったら八角さんが驚いた表情を見せた。
「尾形教授、どうしたんですか?」
八角さんの発言からして、この人がインクを開発した尾形教授なのだろう。
尾形教授はカウンターの内側に入ってきてこっちに歩きながら話し始めた。
「いやね、山内さんから送られてきた画像を見て思ったんだけど、もしかしたらそいつは本当に生き物として成立してしまったんじゃないかなと思ってね」
「どういうことです?」
「おや、あなたが友利さん? 八角くんがお世話になってます。私が今回の事故の原因を作ってしまった尾形です」
彼女は戸惑う私の手を握って無理矢理握手をした。
「まあ、あいさつはそこそこにして、そいつ、群体だと思ってたんですけど、多分一匹の獣として成立してると仮定します。まずは現物を見てみましょう」
***
僕たち三人は、途中から入ってきた尾形教授の言われるままに書庫に入っていった。黒い獣は入口から少し離れた所にうずくまっていた。そいつは僕らが近付いても大きく動くことはなく、首を上げて一瞬こちらを見てまたうずくまった。こちらに敵意は抱いていないようだ。
「やっぱりねえ……ひとつの生き物として意思を持っている」
尾形教授は呟きに友利さんが問いかける。
「どういうことですか?」
「最初は群体だと思っていたんですよ。文字の集合体。でも今の仕草を見てみて恐らくだけどこれはインクの集合が文字の情報を得てひとつの生き物として成立してしまったといえばいいかな?」
山内さんは首をかしげる。
「つまりインクが情報を食べた、みたいなことですか?」
「まあ、そんなところですかね。インクと文字がひとつの生き物になったって言った方が正確かもしれませんね、とりあえず拘束しましょう、私も手伝います」
「はい、わかりました」
友利さんが山内さんから受け取ったロープで後脚を縛り始める。僕もそれにならって前足を縛る。
「あとはその触手も縛ってしまいましょう。結局何に使うかわかりませんでしたが」
そう言いながら尾形教授は手際よく三対の触手を縛り、束ねていく。
そうして、黒い獣は無抵抗のままに動けなくなってしまった。それを見た山内さんが水の入ったペットボトルを振りかざそうとするのを、尾形教授が止めた。
「少し、調べさせてください。殺すのはそれからでもいいでしょう?」