第44話 1秒の亀裂
第44話をお読みいただきありがとうございます。
救出作戦は終わりに近づきますが、未来の中には新たな異変が残り始めます。
今回は、救出後の会話、管理局との合流、そして物語の裏側で動くものを描きました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
亀裂は、音もなく閉じた。
そこにあったはずの裂け目は、最初から存在しなかったみたいに消えている。けれど、未来の肌にはまだ残っていた。
見られていた。
あの向こう側から。
誰かに。
「……なんだよ」
吐き出した声は、自分でも驚くほど低かった。
レグルスはもういない。
足音も、気配も、あの静かな圧も消えている。ただ、最後に残した言葉だけが、耳の奥にしつこく残っていた。
――お前は、まだ間に合う。
敵の言葉だ。
信じる理由なんてない。
それなのに、どうしてか引っかかる。
未来は右手を見た。
あの男の肩に触れた感触が、まだ指先に残っている。ほんの一瞬、掠めただけだった。勝ったわけではない。届いたと胸を張れるほどでもない。
けれど、確かに触れた。
その事実だけが、今の未来を立たせていた。
遠くで、空気が裂けるような音がした。
続いて、足音。
複数。
未来は反射的に構える。
だが、通路の奥から現れた影を見て、肩の力が抜けた。
「……黒崎」
黒崎怜は、いつも通りの無駄のない足取りで近づいてきた。
「動けるか」
第一声がそれだった。
「いきなりそこかよ」
「今必要なのはそこだ」
「もうちょっと、他にあるだろ」
「ある。だが後でいい」
黒崎は未来の顔色、足元、右手を順に見た。
心配していないわけじゃない。
ただ、表に出す順番が違うだけだ。
未来はそれに気づいて、息を吐く。
「……動ける」
「ならいい」
黒崎の後ろから、レンが顔を出す。
手の中で、青白いエネルギーが形を変えていた。
槍、剣、短剣、また槍。握っているというより、思考に合わせて武器が生まれているように見える。
「こいつが未来?」
「そうだけど、なんだよその言い方」
「いや、もっと目つき悪いと思ってた」
「俺、今かなり悪いと思うけど」
「まだ会話できるレベルだな。安心した」
「安心の基準がおかしい」
レンは軽く笑った。
軽口のわりに、視線は鋭い。周囲の警戒を緩めていない。
カエデが一歩前へ出る。
未来の呼吸と姿勢を見ただけで、淡々と言った。
「立ててるなら、大きな骨折はなさそうね」
「初対面で骨の話??」
「倒れたら運ぶ手間が増えるもの」
「合理的すぎる」
「褒めてないわよね」
「まったく褒めてない」
アオイは少し離れた位置から、じっと未来を見ていた。
「……思ったより、残ってる」
「何が」
「形?」
「言い方が怖いんですけど」
「壊れてるかと思ったから」
「なんか失礼だな」
その時、後ろから荒い声が飛ぶ。
「無事ならさっさと動け」
ゆうがだった。
目つきが鋭い。声にも苛立ちが混じっている。けれどそれは、未来に怒っているというより、この状況そのものに腹を立てているようだった。
「立ってるだろ」
「見りゃ分かる。でも遅え」
「えぇ...」
「てゆうか、この人たち誰だよ」
未来は黒崎を見て言った。
「学園の序列上位の連中だ。」
「全員、お前を助けに来た。」
黒崎が答えると、ゆうがが急かすように言った。
「助けに来てやったんだから急げよ。ここでぼさっとしてたら、また飲まれるぞ」
乱暴だが、正しい。
未来は言い返しかけて、やめた。
「……分かった」
「分かればいい。足止めんな」
「ほんとゆうがは口悪いな」
レンが呆れたように言った。
「丁寧に言ったら早く走んのか?」
「いや、たぶん走らない」
「じゃあこれでいいだろ」
レンが横で肩をすくめる。
「まあ、言い方はアレだけど、急いだ方がいいのは確かだな」
「アレって何だよ」
「アレはアレだよ。なんつうか、聞いた人間の血圧が上がる感じ?みたいな」
「上がった方が走れるだろ」
「理屈が怒りアフェクトすぎる」
未来は思わず少しだけ笑った。
こんな状況で笑う余裕があることに、自分で驚く。
黒崎が空気を切るように言う。
「移動する。ここはまだ安定していない」
「安定してないって、何が起きてるんだよ」
未来が問うと、レンが手元の槍を肩に担ぐように構えた。
「通路が輪みたいになってたんだ。進んでも進んでも同じ場所に戻る」
「まったく厄介なアフェクトだよ」
「……は?」
「俺も最初そう言った」
「どうやって抜けたんだよ」
「綻びを見つけて、そこを叩いた」
ゆうがが吐き捨てる。
「要するにぶっ壊した」
「言い方は雑だが、だいたい合ってる」
黒崎が否定しない。
未来は少しだけ顔を引きつらせた。
「壊す時は壊す。走る時は走る。細かいことは生きて出てから考える」
レンは軽い口調で言った。
「妙に説得力があるな...」
「いいこと言っただろ」
「自分で言うな」
前方の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
水面に石を落としたような波紋が、空中に広がる。
黒崎の目が細くなる。
「来る」
レンが前に出た。
手元の槍が、厚みのある斧へ変わる。
「はいはい、二回目の仕事だ」
黒崎の影が床を走り、歪みの周囲へ伸びる。
「一瞬押さえる」
「一瞬あれば十分さ」
レンが踏み込む。
青白い斧が、空間の歪みを叩いた。
音はなかった。
けれど、空気が割れた。
裂け目の向こうに、本来の通路が見える。
「走れ!」
ゆうがが怒鳴る。
「遅えやつから置いてくぞ!」
「救出対象にもそれ言うか普通!」
「走れるならもう対象じゃねえ!」
「理屈が雑なんだよ!」
言いながらも、未来は走った。
背後で空間が閉じていく。
圧が迫る。
肺が痛む。
腹の奥に残った衝撃が、走るたびに響いた。
それでも足は止めない。
横を、黒崎の影が走る。
前方ではレンが武器を切り替えながら道を開く。
カエデは周囲の壁に手を触れ、崩れそうな箇所だけを先に崩壊させて落石を防いでいる。
アオイは何もしていないように見えて、未来のすぐ背後を一定の距離でついてきていた。静かな足取りだったが、妙に安心感があった。
ゆうがは最後尾で、閉じかけた通路を睨みつけている。
「潰れたらぶっ飛ばす」
「やめろ、余計崩れる」
黒崎が即座に言う。
「じゃあどうすんだよ!」
「走れ」
「結局それか!」
全員が裂け目を抜けた瞬間、背後の空間が潰れるように閉じた。
鈍い圧が背中を押す。
未来は膝をつきかけ、どうにか踏みとどまった。
「……抜けた、のか」
「ああ」
黒崎が周囲を確認しながら答える。
「少なくとも、輪の中ではないことだけは確かだ」
冷たい空気が頬に触れた。
坑道の奥にあった重く湿った空気とは違う。
外へ近づいている。
未来は息を吐いた。
その瞬間だった。
世界が、沈んだ。
「……っ」
音が遠ざかる。
自分の呼吸だけが、妙にはっきりと聞こえる。
視界の端で、レンの動きがゆっくりになる。黒崎の影の揺れも、カエデの髪が揺れる速度も、全部が一拍遅く見えた。
だが、未来は何もしていない。
1秒を切っていない。
使おうとしていない。
なのに――入っている。
次の瞬間、世界は元に戻った。
音が戻る。
空気が動く。
未来は右手を見た。
「……今の」
黒崎がすぐに視線を向ける。
「何かしたか」
「してない...と思う」
未来はすぐに答えた。
「使ったつもりはない。でも……一瞬、入った」
レンの表情から軽さが消える。
「暴発か?」
「分からない」
「別に責めてるわけじゃない。言葉を探してるだけだ」
レンは少しだけ声を落とした。
カエデが未来の手元を見つめる。
「もしかして、怖い?」
唐突な問いだった。
未来は答えに詰まる。
怖い。
たぶん、それはある。
でも、それだけでは足りない。
「……気持ち悪い」
未来は拳を握る。
「自分の中にあるのに、自分で触れない感じがする」
カエデは静かに頷いた。
「その感覚、忘れないで」
「忘れた頃に、飲まれるから」
淡々とした言い方だった。
なのに、妙に重い。
アオイが横から覗き込むように言う。
「でも、綺麗だったよ」
「え、何が」
「今の一瞬」
アオイは未来の手を見る。
「壊れる前って、だいたい綺麗なんだよね」
「縁起でもねえこと言うな」
ゆうがが低く吐き捨てる。
アオイは少しだけ首を傾けた。
「怒った?」
「怒るだろ、普通」
「普通かあ」
「そこに引っかかるな」
ゆうがはため息をついた。
黒崎が前を見る。
「管理局と合流する。神城ミサキが待っているはずだ」
「ミサキさんが?」
「ああ」
その名前を聞いた瞬間、未来の胸の奥が少しだけ緩んだ。
戻ったのだと、遅れて実感する。
坑道の出口が見えた。
空気の匂いが変わる。
湿った岩の匂いが薄れ、金属と薬品が混ざったような匂いが鼻に入る。白い仮設照明が坑道の闇を押し返し、管理局の職員たちが出口周辺に展開していた。
端末を持つ者。
担架を準備する者。
周囲を警戒する者。
その中から、一人が歩いてくる。
神城ミサキだった。
「……未来くん」
声を聞いた瞬間、未来は少しだけ立ち止まった。
「……ミサキさん」
自然とそう呼んでいた。
ミサキは一瞬だけ眉を上げたが、何も言わない。
「意識ははっきりしていますか」
「しています」
「めまい、吐き気、手足の痺れは」
「ありません。。……ただ、さっき変な感じみたいなのはありました。」
ミサキの目が細くなる。
「詳しく聞きます」
「この後、検査とかされるんですか俺」
「当然です」
即答だった。
未来は息を吐く。
「わかりました」
ミサキは端末に何かを入力しながら、もう一度未来を見る。
ほんの一瞬だけ、その表情が緩んだ。
「……戻ってこれて、よかったですね」
事務的な声ではなかった。
未来は少しだけ視線を逸らす。
「ありがとうございます」
それ以上、うまい返事は出てこない。
戻ってきた。
助かった。
その実感が、ようやく少しだけ胸に落ちてきた。
レンが横から軽く手を上げる。
「で、俺たちはすぐ移動?」
「その前に簡易検査です。あなたたちも対象です」
「俺たちもか。まあ、だよなあ」
レンは苦笑する。
ゆうがは露骨に舌打ちした。
「面倒くせえ」
「面倒でもやります」
ミサキは即答する。
「文句は」
「……ねえよ」
ゆうがは吐き捨てるように言った。
アオイが小さく笑う。
「珍しいね、引くんだ」
「引いてねえ。今は噛みつく相手じゃねえだけだ」
「そういうところはちゃんとしてるんだ」
「うるせえ」
黒崎がミサキを見る。
「時間はどれくらいかかる」
「最低限で数分。詳細検査は戻ってからです」
「可能な限り短くしろ」
「安全確認を削るつもりはありません」
「……分かった」
黒崎はそれ以上言わなかった。
未来は右手をもう一度見た。
さっきの感覚が、まだ残っている。
自分の中にあるはずなのに、自分のものではないような、不気味な沈み。
「未来くん」
ミサキの声。
「その“変な感じ”について、あとで詳しく話してください」
「……はい」
誤魔化せない。
そして、誤魔化していいことでもない。
未来はそう思った。
自分は救出された。
だが、自分の中ではなにも終わっていない。
むしろ、何かが始まってしまった。
そんな気がしていた。
⸻
同じ頃。
地下深く。
光の届かない部屋に、レグルスは一人立っていた。
壁も床も黒に近く、どこまでが部屋で、どこからが闇なのか分からない。天井の細い照明だけが、レグルスの足元をかろうじて照らしている。
人の姿はない。
だが、声だけがあった。
『どうだった』
低く、静かな声が響いた。
だか、その姿は見えない。
だが、声が響いた瞬間、部屋の空気そのものが沈んだ。
レグルスは顔を上げない。
「反応はあった」
『予定通りか』
「半分はな」
『半分?』
「まだ未完成だ。だが、確実に進行している。」
短い沈黙。
『当初の計画とは違うようだが』
「問題ない」
『情が移ったか』
「違う」
レグルスの返答は早かった。
『ならいい』
その時、扉が静かに開いた。
「失礼します」
柔らかな声だった。
そこに立っていたのは、死んだはずの蒼真白だった。
学園にいた時と同じ穏やかな表情。
けれど、身にまとっているものは違う。白ではなく、深い黒を基調にした装束。その姿だけで、彼女が今どちら側に立っているのかは明らかだった。
「現場の空気は、確認してきました」
蒼は自然に部屋へ入ってくる。
まるで、ここが最初から自分の居場所だったかのように。
『彼は?』
姿なき声が問う。
蒼は少しだけ目を伏せた。
「戻りました。周囲も、彼を守る方向へ動いています」
『それは問題か』
「いいえ」
蒼は微笑む。
「むしろ、必要です。支えがある方が、あの子は伸びます」
その言葉は、教師のように優しかった。
だが、立っている場所は完全に敵側だった。
レグルスが蒼を見る。
「まだ折れていない」
「でしょうね」
蒼は即答した。
「未来くんは、そういう子です」
『詳しいな』
オルフェウスの声が、闇の奥から落ちる。
蒼は笑みを崩さない。
「担任でしたから」
あまりにも自然な一言だった。
その自然さが、かえって不気味だった。
『では、しばらく様子を見る』
オルフェウスが結論を出す。
『無理に引き戻す必要はない。学園に戻った方が、感情は動く』
「ええ」
蒼は頷く。
「大切なものがある場所ほど、亀裂は広がりやすい」
レグルスは何も言わなかった。
ただ、静かに目を伏せる。
蒼は、穏やかに微笑む。
「楽しみですね」
その笑顔は、かつて未来たちに向けていたものと、ほとんど同じだった。
だからこそ、ひどく冷たかった。
そして――
その笑顔の意味を、未来はまだ知らない。
第45話
1秒の再会
第44話をお読みいただきありがとうございました。
未来は無事に戻りましたが、レグルスとの接触によって“1秒”に明らかな変化が生まれ始めています。
そして最後に登場した蒼真白。
彼女がなぜそこにいるのか、何を考えているのかは、今後の物語で大きな意味を持ってきます。
続きが気になる方は、ぜひブックマークして追っていただけると嬉しいです。
次回、第45話「1秒の再会」。
戻ってきた未来を待っているのは、安堵だけではありません。




