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アフェクト・ブレイカー ―感情が力になる世界で、たった一秒の能力を持つ少年の物語―  作者: paguzon
未来救出編

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第42話 1秒の愛情

第42話をお読みいただきありがとうございます。


分岐した戦場の中で、それぞれが異なる強さを見せていく今回の流れですが、今回はアオイの戦闘回になります。


これまでとはまた違う方向の“気味の悪さ”と強さを意識して書きました。


最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。

 冷たい、というより、静かな空気だった。


 第七隔離坑道のその一角だけ、温度そのものがひとつ下の階層へ沈んでいるようで、瓦礫の擦れる微かな音も、遠くで落ちる小石の反響も、耳に届く前に薄く削られてしまう。

 踏みしめた床の感触は確かにあるのに、その感触に伴うはずの生活音だけが現実から切り離されていて、結果として残るのは、何も起きていないような顔をした異様な無音だった。


 アオイは通路の奥で立ち止まり、白く濁った息をひとつ吐くと、面白いものでも見つけたように目を細めた。


「……へえ」


 足元には、薄く、均一に霜が張っている。

 靴底で軽く踏むだけで、乾いた亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、パキ、と短い音が鳴った。

 だがその音も、やはり長くは続かない。空気の中へ吸われるように消えていく。


 寒い、という感覚はある。けれどそれは冬の外気に晒された時の寒さとは違っていて、もっと意志的な、誰かの気分がそのまま空間へ貼り付いたような冷たさだった。


 通路の先に、ひとりの少年が立っている。


 壁に寄りかかるでもなく、わざとらしく構えるでもなく、ただそこにいるだけなのに、その場の温度も静けさも、すべてが彼を中心に整えられているように見えた。

 まだあどけなさの残る輪郭と、戦場にいるには軽すぎるほど気の抜けた立ち方。その不均衡が、逆に目を引く。


 アオイは首をほんの少しだけ傾けた。


「君、誰?」


 問いかけは軽い。確認というより、感想に近い。


 少年――氷室冬馬は、答える代わりに視線だけを向けた。

 次の瞬間、床の霜が一気に厚みを増し、白い膜となって足元から這い上がる。

 蛇のように細く鋭い氷が、迷いなくアオイの足首を狙って伸びた。


 速い。


 けれどアオイは、驚くでもなく、わずかに半歩ぶんだけ身体を後ろへ流し、その軌道を外した。

 氷は空を切り、そのまま床を凍らせてゆく。


「ちゃんと速いんだね」


 感心したように言うと、冬馬が片眉を上げる。


「ちゃんと、って何だよ」


 不機嫌というより、退屈そうな声だった。

 最初から勝つつもりでいて、だからこそ相手の言葉ひとつに過剰に反応する気もない、そんな余裕が透けている。


「褒めてるつもりなんだけど」


「いらねえよ、そういうの」


 あっさり言い返して、冬馬は肩をすくめた。

 癖のないその仕草が妙に板についているのは、こういう会話をしながら相手をいなすことに慣れているからだろう。


 彼は顎を少ししゃくり、通路の凍った床を示すように言う。


「で、来んの?」


 一拍。


「凍っちゃうけど」


 脅しではない。

単なる事実の提示だ。

そこに力みがないぶん、本当にそうなるのだと分かる。


 アオイはその言葉を否定も肯定もせず、もう一歩踏み込んだ。


 パキ、と音が鳴るより先に、足元から鋭い氷柱が突き上がる。

 だがアオイは、その軌道から最小限だけ身体をずらして外し、何事もなかったように間合いを詰め続けた。

跳ねるような派手さはない。


必要な距離だけ、必要な分だけ動いている。それが逆に不気味だった。


「聞いてなかった?」


 冬馬が言う。


「聞いてたよ」


 アオイは素直に頷いた。


「でも、これぐらいなら大丈夫そうだし」


 その返しに、冬馬の口元がわずかに歪む。腹を立てたのではない。面白がったのだ。


「へえ……いいね」


 声音は軽いままなのに、その瞬間、氷の密度が変わった。


 床だけではなく、壁も天井も、通路そのものが白い膜に侵食されていく。

逃げ場そのものを削るような広がり方だった。

圧倒的な速度というより、確実に相手の居場所を奪っていく制圧の氷。

防ぐより先に、動線が消される。


 それでもアオイは、その中を普通に歩いていた。


 凍らないのではない。

凍る前に、その場所から外れている。

氷の発生する“少し前”に移動しているだけなのだが、そのズレ方があまりにも自然すぎて、避けているようにすら見えない。


「……何それ」


 思わず漏れた冬馬の声に、アオイは返事をしない。


 そのまま距離を詰める。


 冬馬は初めて、アオイの手元へ視線を落とした。

手には小さなナイフが握られている。

戦場で使うには、どこか頼りなく見える短い刃。


氷とナイフ。


普通に考えれば相性が悪い。近づかなければ当てられない武器で、近づけば凍らされるだけだ。


 だから冬馬は、むしろ肩の力を抜いた。


「……ってかさ」


 いかにも退屈しのぎに話しかける調子で言う。


「ずいぶん余裕だよな」


 アオイが目だけで促す。


「使わないの?」


 わずかに顎を上げる。


「能力」


 問いかけは真っ直ぐだった。

感じていた違和感を、そのまま口にしたようなタイミングで。


 アオイは少し考えるように視線を上へ泳がせ、それから曖昧に笑った。


「まあ、そのうちね」


「は?」


 冬馬が笑う。


「そのうち、って何だよ」


 一歩も動かないまま、口だけで突き放すように続ける。


「舐めてんの?」


 アオイはあっさり頷いた。


「うん、ちょっとだけ」


 一瞬だけ、冬馬の笑みが止まる。

 けれどそれも本当に一瞬で、すぐにまた面白そうな表情へ戻った。


「いいね」


 今度は明らかに、相手を壊す側の余裕があった。


「そういうやつ、嫌いじゃない」


 その言葉と同時に、氷の広がり方が変わる。


 さっきまでの制圧が“逃げ場を奪う”氷だったとすれば、今度のそれは“潰す”ための氷だった。

床から突き上がるだけでなく、横からも後ろからも回り込むように氷が伸び、アオイの動線だけを狙い撃ちしてくる。


 だが、その瞬間を待っていたように、アオイが踏み込んだ。


 ナイフが閃く。


 真っ直ぐではない。明らかに急所を狙っていない、浅い角度だった。


 冬馬の頬を掠める。


 皮膚がわずかに裂け、細い赤がにじむ。


「――は?」


 間の抜けた声が漏れたのは、その攻撃があまりにも半端だったからだ。

殺すつもりも、深く斬るつもりも感じられない。


ただ“そこに触れた”だけの一撃。


 しかしアオイは、すでに後ろへ流れている。


 手にしたナイフの刃先に、赤い一筋が残っていた。


 アオイはそれをじっと見つめる。


戦闘の最中とは思えない緩い間が生まれる。

冬馬の苛立ちが、その隙に少しだけ色を帯びた。


「……何やってんだよ、お前」


 理解できないものを見る目だった。


 アオイは答えない。


 刃先の血を指でなぞり、そのまま――舌で舐めた。


 ゆっくりと。


 味を確かめるように。


 冬馬の思考が、そこで初めて止まる。


「……は?」


 今度のそれは、明確な嫌悪と警戒の混ざった声だった。


 アオイは小さく頷く。


「うん」


 それから、ひどく自然に言った。


「やっぱりいいアフェクトだね」


 次の瞬間。


 空気が凍る。


 今度は冬馬の足元からではなく、アオイの足元から。


 白が広がる。速度も、冷たさも、氷の立ち上がり方も、さっきまで冬馬が見せていたものと同じだった。

 似ているとか、真似ているとか、そういうレベルではない。

 完全に同質の現象が、アオイの側から発生している。


「……は?」


 冬馬の目が見開かれる。


「何でお前が――」


 言葉が続かない。頭では理解しているのに、感情が追いつかない。


 アオイは、氷を使ってもなお、いつも通りの軽さを崩さない。そのまま一歩踏み出し、冬馬の張った氷の領域の中へ普通に侵入してくる。


 冬馬が氷で迎え撃つ。


 アオイも氷で応じる。


 同じ力がぶつかり合い、白い破片が散る。


 しかしその衝突の中で、冬馬の視線が一瞬だけ止まった。


 アオイの腕。


 さっきまで確かに裂けていたはずの傷が、消えている。


 制服の布地だけが破れたままで、皮膚の上からは血も傷も跡形もなく消えていた。


「……あれ」


 無意識に漏れた声は、自分でも情けないと思うほど素だった。


 だが驚いたのは仕方がない。

 氷の模倣だけでも異常なのに、今度は回復。


別系統の能力が、当たり前みたいに同居している。


(何だよ、それ)


(ふざけてんのか)


 その一瞬の思考停止を、アオイは見逃さない。


 細い光が走る。


 糸。


 視認しにくいほど細い線が冬馬の手首へ絡みつき、ほんの一瞬だけ動きを鈍らせる。


「っ……!」


 短い声が漏れたその瞬間に、アオイが懐へ入る。


 ナイフが肩を浅く裂く。


 また血が滲む。


 冬馬は反射的に飛び退いた。


 そこでようやく、明確な理解が訪れる。


 氷。


 回復。


 糸。


 三つ。


 まったく異なる能力が、ひとつの体の中に同居している。


 視線が、アオイのナイフへ落ちる。


 血。


 さっきの行動。


 舐めた理由。


 全部が一本に繋がる。


「……奪ってんのか」


 冬馬が低く言う。


 アオイは、それに対してすぐには答えなかった。


 ただ、少しだけ目を細めて、どこか嬉しそうにも見える笑いを浮かべる。


「――ストック・ラブ」


 静かな声だった。


 そして続ける。


「愛情ってさ、ちゃんと残しておかないと意味ないでしょ」


 その言い方は、妙に当たり前だった。


 まるで誰もが同意するべき常識でも語っているみたいに、何の迷いもなく、何の後ろめたさもなく。


 冬馬の背中に、氷とは違う寒さが走る。


 さっきまではただ気持ち悪いだけだった。

その気持ち悪さに、今はっきりとした輪郭が生まれた。


こいつは自分の行動をおかしいと思っていない。

奪うことも、残すことも、好きになることも、全部ひと続きの行為だと本気で信じている。


「……気持ち悪」


 本音だった。


 アオイは肩をすくめる。


「褒めてる?」


「違う」


 即答したが、その声にはさっきまでの軽さが少し欠けていた。


 冬馬は自分でそれに気づく。気づいたことで、余計に苛立つ。


「調子乗んなよ」


 言いながら、氷の量を増やす。


 今度は広さではない。密度だった。

薄く広げるのではなく、分厚い塊として一気に押し潰すための氷。

床が隆起し、壁面から槍のような氷柱が生え、天井から冷気の塊が落ちる。


 アオイはそれを避けきれない。


 腕が裂け、脇腹を掠め、制服にまた新しい破れが増える。


 それでも、止まらない。


 回復しているからだと理解はできる。

だが、それを理解したところで納得はできなかった。


「お前、何なんだよ、マジで」


 冬馬の声に、初めて苛立ちが混じる。


 アオイは氷を踏み砕きながら、ゆっくりと顔を上げた。


「普通だよ」


「どこが」


「自分が好きなもの、残してるだけだし」


 その返答が、あまりにも真顔だった。


 冬馬は一瞬だけ言葉を失う。


 その間に、糸がまた走る。


 今度は一本ではない。複数。氷で足場を固められた床の上に、細い光が網目のように広がり、冬馬の視界の端を乱す。


 冬馬が舌打ちし、氷でまとめて断ち切ろうとしたその瞬間、足元の氷が逆にアオイの側から立ち上がる。


 冬馬の能力を使っているのに、その組み合わせ方が自分のものと違う。


 氷は止めるため、糸は隙を作るため、回復は強引に踏み込むため。


 能力の数が多いのではない。


 多いものを迷いなく繋いでくるから、厄介なのだ。


(めんどくせえ……)


 冬馬は初めて、本気でそう思った。


 冬馬にとって、これまでの戦いは余裕だった。


氷を張って、相手を近づけさせず、凍らせて終わり。そのつもりだった。


 だがアオイは違う。


 凍ってもいい顔で前へ出る。

傷ついても止まらない。

しかも、その理由をまともに説明しようとすらしない。


 戦闘の常識が通じない相手と対峙している。その事実が、少しずつ冬馬の余裕を削っていた。


「……チートだろ、そういうの」


 思わず漏れた言葉だった。


 アオイが、少しだけ目を丸くする。


「ずるい?」


「能力いくつ持ってんだよ」


「いくつだろ」


「そこ曖昧なの、余計ムカつくんだけど」


 冬馬はそう吐き捨てると、今度は自分から前へ出た。


 氷を操るだけではなく、身体能力そのものも高い。

 床を蹴る足の強さと、踏み込みの鋭さが、そのまま年齢不相応な実戦経験を感じさせる。


 拳が来る。


 氷をまとった打撃。


 アオイは受けずに流し、体を半身ずらして外へ逃がす。


 その動きに合わせて、冬馬の足元に張った糸が引かれる。


 冬馬は即座に氷で糸を凍らせ、砕く。


「見えないと思った?」


「見えない方が楽だったのに」


 アオイの返しは軽い。


 冬馬は小さく笑う。


「言うじゃん」


 まだ余裕はある。


 だが、その余裕はもう最初のものとは質が違っていた。


相手を完全に下に見ている余裕ではなく、強敵を前にした上で自分の優位を保とうとする意地のようなものが混ざっている。


 アオイはそれを見て、少しだけ嬉しそうに笑った。


「君、強いね」


「知ってる」


 冬馬は即答する。


 その速さが少年っぽい。強がりではなく、本当にそう思っているからこその自然さだ。


「でもさ」


 冬馬が続ける。


「お前、俺のこと気に入りすぎじゃね?」


 その言い方は、軽口に戻ろうとする試みでもあった。


 アオイは一瞬だけ考えるように視線をずらし、それから素直に答える。


「うん。わりと」


「うわ、きも」


「そう?」


「そうだよ」


 短いやり取り。


 だが、その短さの中に戦闘の間がある。


 冬馬が先に動く。


 床一面を一気に凍らせ、その上へ薄い氷膜を何層も重ねることで、踏み込みの力そのものを奪う。

さらに壁から氷の槍を何本も生やし、空間そのものを狭めていく。


 正面から近づけば凍り、左右へ逃げれば刺さる。


 綺麗な制圧だった。


 アオイはその中心で、初めてほんの少しだけ速度を落とした。


 冬馬の口元が上がる。


「ほら」


 舐めたガキの顔だった。


「さすがに無理だろ」


「氷の力の使い方は俺の方が上だ」


「そうかも」


 アオイはあっさり言う。


「じゃあ、別のでいこ」


「は?」


 その瞬間、衝撃が走る。


 見えない圧が床ごと氷を叩き割り、冬馬の足元をまとめて吹き飛ばした。

凍った床が砕け、白い破片が一斉に舞う。


 冬馬の体勢が一瞬だけ浮く。


 その“一瞬”の遅れを、アオイは逃さない。


 踏み込む。


 速い。


 加速能力ではない。

ただ、衝撃で生まれたズレに全身の動きを噛み合わせて、最短の一歩を通しただけだ。


 ナイフが喉元へ届く。


 止まる。


 刃先が皮膚の手前で静止した、その距離だけが異常に生々しかった。


 冬馬の喉が鳴る。


 この戦いで初めて、はっきりと“死”を想像した。


 アオイは笑っている。


 けれど、その目は冬馬の顔を見ていない。


 もっと奥。


 血や肉の、その向こうにある何かを見ているみたいだった。


「うん」


 小さく頷く。


「十分」


 何が、とは言わない。


 けれど、その一言で冬馬の体から力が抜ける。


 膝が崩れ、意識が落ちる。


 氷が静かに消えていく。


 通路に、元の静けさが戻る。


 アオイはしばらくその場に立っていた。


 倒れた冬馬を見下ろすでもなく、勝利を確かめるでもなく、ただ、興味が薄れていく過程そのものを見せるように。


 やがて、ナイフを軽く振る。


 血はもう、ついていない。


「……まあ、いいや」


 それだけだった。


 理由も、意味も、説明もない。


 ただひとつだけ、確かに残ったものがあるとすれば――


 それは、奪われたという事実だけだった。


次回

第43話 1秒の残響

第42話をお読みいただきありがとうございました。


今回はアオイの戦いでした。


黒崎やカエデとはまた違う、“戦い方そのものが不気味なキャラ”として描いています。

能力の強さだけではなく、どういう感覚で戦っているのか、その異常さが少しでも伝わっていたら嬉しいです。


そして物語は、さらに奥へ進んでいきます。


次回も、また違った空気の戦いになると思うので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。

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