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アフェクト・ブレイカー ―感情が力になる世界で、たった一秒の能力を持つ少年の物語―  作者: paguzon
未来救出編

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第41話 1秒の制御

第41話をお読みいただきありがとうございます。


分岐した戦場の中で、それぞれが戦う序列上位。


前話では水無瀬カエデの戦いが描かれましたが、今回は――黒崎怜の戦闘回となります。


ゼノン戦で初めて到達した力。

その“未完成”をどう扱うのか。


そして、黒崎というキャラクターがどこまで“削ぎ落とされるのか”。


静かな戦闘の中での変化に注目していただけたら嬉しいです。

第七隔離坑道の奥は、奇妙なほど静かだった。


 静かすぎると思えるほどだが、その静けさは安堵を誘うものではない。

 

むしろ逆だ。


 何かが潜んでいると分かる静けさ。

 音も、気配も、殺気さえも、意図して削ぎ落とされたような無音だった


黒崎怜は、その通路の中央に立っていた。


 壁に背を預けているわけでもない。

 構えているようにも見えない。

 ただ前を見ているだけだ。それなのに、その場の均衡が彼を中心に保たれていると分かる。

 崩れた岩片の落ちる位置も、足元に伸びる影の形も、そこだけ別の法則で静止しているみたいだった。


 黒崎の右手が、わずかに首元へ触れる。


 制服の襟元。その内側に、ごく薄い黒が沿っていた。


 装飾には見えない。

学園の戦闘制服の一部だと言われれば、それで納得してしまう程度の存在感しかない。だが実際にはそれは別物だった。

 喉元から鎖骨へかけてぴたりと沿う、極薄の制御装置。つや消しの黒で統一されたそのモジュールは、正面から見れば何も付けていないようにさえ見える。

 近くでよく見て初めて、表面に極細のラインが何本も走り、呼吸に合わせてかすかに脈打っているのが分かる程度だ。


 アフェクト・モジュール。


 黒崎の影を扱うためだけに、佐伯が調整を重ねた専用制御型。


 影の出力を上げるためではなく、必要な一点だけを正確に成立させるための装置だった。


 暗がりの向こうで、わずかに音がした。


 コツ、と、硬い靴の底が岩を打つ軽い音。

 次いで、爪先で地面をなぞるような小さな擦れ。

 通路の奥の闇が、ゆっくりと形を持ち始める。


 人影だった。


 細身の体。

肩を流れる長い髪。

整いすぎた輪郭。

女にも見えるし、男にも見える。

だが、そのどちらかに分類した瞬間に、かえって本質を見失うような違和感が先に立つ。


 その人物は、まるで舞台へ上がる役者みたいな自然さで暗がりから抜け出した。


 ひどく綺麗だった。


 ただし、その美しさには温度がない。

 花のような華やかさではなく、刃物の断面を見た時に感じる、冷たい整い方に近い。


 相手の視線が、黒崎の顔をゆっくりとなぞる。


 目元。鼻筋。口元。顎の線。首筋。


 露骨だった。隠す気もない。


 数秒の沈黙のあと、薄い唇がようやく笑みの形を取る。


「はじめまして、かしら」


 柔らかい声だった。


 どこか甘さすらある。

けれど、その音の奥には、人の肌をなぞる時と同じ温度で肉を裂ける者だけが持つ冷静さがあった。


「私は、斬宮レイ」


 名乗りはそれだけだった。


 黒崎は答えない。


 斬宮は気にした様子もなく、なおも黒崎の顔を見つめたまま、小さく息を吐く。


「……綺麗ね」


 その言葉は賞賛に聞こえるのに、響きは不気味だった。


「そういう顔、好きよ」


 黒崎の表情は変わらない。


 ただ、影だけが足元でわずかに揺れた。


 斬宮はその変化を見て、ますます楽しそうに目を細める。


「怒らないのね」


「興味ないな」


 黒崎の返答は短かった。


 それ以上の会話をする気はない。そう告げるような声だった。


 だが斬宮は笑う。


「いいわ。そういうの、嫌いじゃない」


 一歩、前へ出る。

その動きには隙がない。

腰も肩も開いているように見えるのに、踏み込みの起点だけが曖昧に消えている。

見た目よりずっと戦闘に最適化された歩き方だった。


「でも、崩れたらどうなるのかしら」


 首をほんの少しだけ傾ける。


「その顔」


 一拍置いて、囁くように続ける。


「どこまで保てるのか、見てみたいわ」


 次の瞬間だった。


 音もなく、空気が切れた。


 黒崎の身体がわずかに横へ流れる。

 遅れて、彼の背後の岩壁がすっとずれた。

 斜めに刻まれた断面が、一瞬遅れて重みに耐えきれず崩れ落ちる。


 粉塵が舞う。

だが、斬った瞬間そのものは見えない。


 黒崎は崩れた壁を見ない。


 足元の影にだけ視線を落とす。


 そこには、ほんのわずかな不自然さが残っていた。

 本来なら連続しているはずの影の端が、途中で断たれている。線ではない。

刃の形も見えない。

 ただ“そこから先が存在できない”ように切り捨てられている。


「……切断か」


 黒崎が短く言う。


 斬宮は笑みを深くした。


「ええ。綺麗でしょう?」


 指先がわずかに揺れる。


 それだけで、通路の床を這っていた黒崎の影が、また途中で消えた。


「見えるものだけを斬るわけじゃないの。形があるなら、空気でも、壁でも、たとえ影であっても...ね」


 ひどく穏やかな声だった。


「全部、切れる」


 足元の影が動く。


黒崎が試すように影を広げる。

 床を這い、岩肌へ登り、天井へ薄く伸びる黒。

それは、ゼノンとの戦いで一度だけ届いた広域支配の名残だった。

空間ごと呑み込むように影を広げ、逃げ場ごと制圧する――あの時、恐怖を支配した末に初めて掴んだ力。


だが――


 影は、届かない。


 伸びた先から、途中で断たれる。広げた分だけ、綺麗に削ぎ落とされる。


 斬宮がくすりと笑った。


「無駄が多いわね」


 その一言に、黒崎の目がわずかに細くなる。


 ゼノン戦。


 あの時、自分はたしかに空間そのものを影で塗り潰した。

 恐怖を支配し、そのまま力に変えて放った《アビス・ドミネーション》は、正面から見れば圧倒的だった。

 広大な範囲を一気に覆い、逃げ場ごと飲み込む制圧技としては間違いなく成立していた。


 だが同時に、広すぎた。


 影を広げること自体が目的になり、相手を確実に仕留めるために必要な精度が、最後の最後で薄れていた。


 だから、佐伯は言ったのだ。


『あれは完成じゃない』


 ふいに、その時の光景が脳裏をよぎる。



 作戦開始前の、緊急の会議室。


 無機質な会議室の中で、佐伯は壁にもたれたまま、細長い黒いケースを机の上へ置いた。

 乱雑に見える所作なのに、ケースそのものだけは妙に丁寧に扱っているのが分かる。


「預かってたもんだ」


 佐伯が顎でケースを示す。


「調整は終わってる」


 黒崎は何も言わず、視線だけを落とした。


 ケースの中には、黒い首元用モジュールが収まっていた。

薄い。

軽い。

見た目の主張もほとんどない。

だが、表面に埋め込まれた微細なラインの密度だけが異様だった。

余計な装飾を一切削った結果、逆に精密機械としての不穏さだけが際立っている。


「本来ならもう少し詰めたかったが、今回は時間がない」


 佐伯が言う。


「だから、完成品じゃない。あくまで現時点での最適化だ」


 黒崎がケースを見たまま口を開く。


「必要ない」


「そう言うと思った」


 佐伯はあっさり頷いた。


「戦闘データは見させてもらった」


「けど、ゼノン戦のあれをもう一回そのまま出すつもりなら、やめとけ」


 数秒の沈黙。


 黒崎はようやく視線を上げる。


 佐伯は白衣のポケットへ手を突っ込み、面倒そうに続けた。


「広すぎる。深すぎる。強いのは分かる。だがあれは、相手を潰す前に自分の制御が先に薄くなる。要するに、雑だ」


「しかも、一歩間違えれば暴走の危険性だってある。

お前自身が影に飲み込まれる可能性もな」


 その言葉に怒りは湧かなかった。図星だったからだ。


「お前の影は元々、広げるより絞った方が向いてる」


 佐伯は机の端を指先で軽く叩く。


「一点。対象。起点。そこだけに限定しろ。余計な面積はいらない。どうせお前は、空間全部を喰う必要なんかないだろ」


 黒崎はしばらく答えなかった。


 佐伯がケースを押しやる。


「これは出力を増やす装置じゃない。削るための装置だ。余計な展開、余計な流れ、余計な深度を切り落として、お前が本当に必要なところだけを成立させる」


 一拍。


「だからお前向きだ」


 黒崎はケースを手に取る。


 軽い。

だが、手の中に収まった瞬間に、その軽さがただの軽さではないと分かった。

 出力を上乗せする機構ではない。

 むしろ、暴れようとする影を細部から噛み合わせて制御するための、極端に精密な補助装置だ。


「今回は使用を許可する」


 佐伯が淡々と言う。


「ただし、調子に乗るな。範囲は欲張るな。広げるな。仕留めるために使え」


 黒崎は短く返した。


「分かってる」


 佐伯が肩をすくめる。


「だったらいい」


 そこで少しだけ笑う。


「ま、お前の場合、強くなるっていうより――まともになる、が正しいか」


「ちなみに、名前は...」


「それは必要ない」


 黒崎は佐伯の言葉を遮るように、ケースを閉じた。



 現在。


 坑道の中で、黒崎は斬宮レイを見ている。


 広げれば切られる。


 なら、広げなければいい。


 斬宮が再び指を動かす。


 音はない。

だが、空気が斜めに裂ける気配だけが走る。

 黒崎は半歩だけ身を引き、その直後に通路の床がなめらかに断たれた。

切断面は異様なほど綺麗だ。石を壊したのではない。

存在をそのまま“そこから先だけ消した”ような切れ方だった。


 斬宮はなおも余裕を崩さない。


「どうしたの。もう広げようとしないのね」


 試すように言う。


「その程度?」


 黒崎は答えない。


 ただ、右手が首元へ触れた。


 黒いモジュールの表面を、親指がごく短くなぞる。

 次の瞬間、襟元の下に沈んでいた細線が、一度だけ深い青黒さで脈打った。

強い発光ではない。

 見落としてしまうほど短い変化だった。

 だが、その瞬間を境に、足元の影の質が変わる。


 濃くなったのではない。


 “沈んだ”。


 そう表現するのが一番近い。

 影が平面の染みではなく、底の見えない深さを持つ入口みたいに静かに沈み込む。


 斬宮の表情が、初めてわずかに変わる。


「……今の」


「面倒だな」


 黒崎が小さく言った。


 次の瞬間、消える。


 いや、消えたように見えただけだ。実際には影へ沈んだに過ぎない。


 斬宮が反応し、即座に後退する。

 床、壁、天井へ見えない切断が幾重にも走る。

逃げ道を潰すように。

近づく経路そのものを消すように。

通路の岩肌が一斉に滑らかな断面を晒し、粉塵が遅れて舞う。


 だが、黒崎は来ない。


 前からは。


 斬宮の目が一瞬だけ揺れる。


 その直後、足元に落ちた自分の影が、ほんのわずかに濃くなった。


「……っ!」


 気づくのが早かったのはさすがだった。


 斬宮が横へ跳ぶ。


 その着地先の影が、また沈む。


 次の瞬間、その影の中から細い刃が無音で立ち上がった。

 斬宮の脇腹を浅く裂く。

 

 血が散る。


 斬宮の目が見開かれる。


 黒崎は通路の壁際に立っていた。

 いつ移動したのか分からない。

 動きの痕跡もない。

 ただ、そこにいる。


「広がらない……?」


 斬宮が小さく呟く。


「空間を覆わないのね」


 その言葉に、黒崎はほんのわずかに目を細めた。


「あの時は確かに広げすぎてた」


 短い返答。


 斬宮が薄く笑う。


「どうしたの急に」


「無駄だった」


 次の瞬間、斬宮の指先が連続して動く。

 見えない刃が十字に走り、黒崎の前方をまとめて切断する。

 逃げる隙もない密度。

だが、黒崎は前へ出ない。


 斬宮の影が、床で揺れる。


 その揺れは一度きりだった。


 次の瞬間には、影そのものが斬宮の脚へ沿って這い上がっている。

 地面を埋め尽くすこともない。

 空間を覆うこともない。

ただ、本人の足元に生まれた影だけを起点に、必要な分だけ静かに立ち上がる。


 斬宮が自分の脚を見下ろした、その一瞬の遅れが致命的だった。


 影が膝、腰、肩へと身体の輪郭だけをなぞる。


 無数ではない。


 過剰でもない。


 必要な位置に、必要な刃だけが生まれる。


 斬宮の表情から初めて余裕が消えた。


「……綺麗」


 それでも、口元だけは笑う。


「そういう殺し方、好きよ」


 黒崎は無言だった。


 斬宮が最後の抵抗として腕を振るう。

 空間が裂ける。

だが、その発生より一瞬早く、影の刃が斬宮の手首と肘の間を正確に裂いた。

切断ではない。

動作だけを殺す角度。

放たれかけた切断が逸れ、通路の岩壁を深く抉るだけに終わる。


 斬宮の呼吸が乱れる。


「……ああ、なるほど」


 かすかに笑う。


「そういうこと」


 自分の周囲ではない。

自分の影から直接始まっている。

逃げ場を読む前に、起点そのものが足元へ置かれている。広域制圧ではなく、対象一点を“そこから終わらせる”ための技。


 アビス・ドミネーション・改。


 ゼノンの時とはもう別物だった。


 斬宮の身体を覆う影がさらに深くなる。


 肩、脇腹、太腿、喉元の少し手前。

急所だけを外しながら、動作だけを奪う冷徹な精度。

無駄がない。

広がりもない。

逃がさないためだけに絞り切られた、静かな死の形だった。


「ねえ」


 斬宮が掠れた声で言う。


「その顔のまま、人を始末できるのね」


 黒崎は答えない。


 斬宮が薄く笑う。


「やっぱり、好きよ」


 その瞬間、黒崎の目がわずかに沈んだ。


 次の刹那、斬宮の影から無数の細い刃が一斉に立ち上がる。


 派手さはない。


 叫びもない。


 ただ、静かに終わる。


 斬宮の身体が震え、そのまま膝から崩れ落ちた。

意識は飛んでいる。

致命傷にはなっていない。

だが、もう立てないことだけは明らかだった。


 黒崎は見下ろさない。


 興味がないからだ。


 影が、元に戻る。

深く沈んでいた黒が、何事もなかったようにただの足元の陰へ戻っていく。

首元のモジュールの細線も、もう沈黙していた。

黒い襟元に沿うだけの、何の変哲もない装備にしか見えない。


 通路の奥から、遅れて崩落音が響いた。


 斬宮が走らせた切断の余波で、天井近くの岩が裂けていたのだろう。

ガラガラと壁面が崩れ、小石が足元へ転がってくる。


 黒崎は振り返らない。


 倒れた敵を見ることもない。


 必要がないからだ。


 影が元に戻る。


 それだけで十分だった。


 そのまま、歩き出す。


 通路の奥へ。


次回

第41話 1秒の愛情

ここまでお読みいただきありがとうございました。


今回の黒崎の戦闘は、これまでとは少し違う形になっています。


ゼノン戦での広範囲の力は“強さ”としては成立していましたが、

それをそのまま使い続けるのではなく、より無駄を削ぎ落とした形へと変化させています。


広げるのではなく、絞る。


黒崎というキャラクターの本質が、少し見えた回になっていれば嬉しいです。


そして次回は、同じく分岐した戦場で戦うアオイの回になります。


黒崎とはまったく異なる戦闘スタイルになりますので、ぜひ楽しみにしていてください。

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