第20話 1秒の襲撃
第20話を読んでいただきありがとうございます。
前話では、初めての外部任務へ向かう中で、
未来が感じる“違和感”が静かに描かれました。
何も起きていないように見える時間の中で、
確かに存在していた予兆。
そして今回は――
その違和感が、ついに“現実”として姿を現します。
これまでの学園内での訓練とは違い、
逃げ場のない状況、選べない戦いが始まります。
それぞれがどこに立ち、
どう戦うのか。
ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。
バスのエンジン音は、思っていたより低かった。
腹の底に響くような振動が、座席越しにじわじわ伝わってくる。窓の外では、学園の正門がゆっくりと遠ざかっていた。見慣れ始めたばかりの校舎群が、朝の光の中で少しずつ小さくなっていく。
未来は窓際の席に座ったまま、その景色をぼんやりと眺めていた。
胸の奥の違和感は、消えていない。
昨日から続いている、あの言葉にしづらいざわつき。研究棟でリングに触れたときの微かな刺激。学園の門を出る直前、足を止めたくなったあの感覚。
理由は分からない。
でも、勘違いで片づけるには妙に生々しかった。
「ねえ、見て見て」
向かいの席から、ひかりが窓の外を指差す。
「ちょっと山っぽくなってきた」
「山っぽいも何も、普通に山だろ」
未来が返すと、ひかりは不満そうに眉を寄せた。
「そういう言い方する?」
「いや事実だし」
「もっとこう、“いよいよ任務っぽくなってきたな”とかあるでしょ」
「語彙が雑なんだよ」
そのやり取りを、通路側の席からハヤトが聞いている。
膝の上には小型端末。簡易地図と周辺地形のデータを見比べながら、時々視線だけを外へ流していた。
「目的地は旧送電管理施設跡地」
顔を上げないまま言う。
「今は使われてない。周辺一帯で小規模なアフェクト反応が断続的に出てる」
「それを見に行くんだよね?」
「見に行くだけじゃない」
ハヤトは指先で画面を拡大した。
「状況確認。発生源の特定。必要なら初期対応。蒼先生はそう言ってた」
「うわ、急に現実」
ひかりが椅子の背にもたれかかる。
「もっとこう、軽めの校外学習みたいなの想像してた」
「お前だけだよ」
未来が言うと、前方から低い声が返ってきた。
「外は消費が増える」
三人が同時に顔を向ける。
赤城ガイだった。
しかも、その膝には相変わらず巨大な弁当箱が乗っている。足元にも、もうひとつ。いや、よく見ればもうひとつある。どう考えても一人分ではない。
「まだそれ言ってんのかよ」
未来が呆れたように言う。
「言ってるんじゃない。事実だ」
「いや、弁当の量の話だよ!」
ひかりが堪えきれず笑う。
「ほんとに持ってきたんだ!」
「当然だ」
「いや、だからって何で三段なんだよ」
「四段だ」
「増えた!?」
ハヤトが冷静に補足する。
「携行効率は悪い」
「味気ない」
ガイは即答した。
未来は思わず額を押さえる。
「そこに譲れないラインあんのかよ……」
バスのあちこちで小さな笑いが起きる。
それは騒がしさとは違った。
初めての外部任務へ向かう緊張の中で、皆がほんの少しだけ肩の力を抜くための笑いだった。
その空気の中心に、ガイが何の自覚もなく立っているのがなんとも言えなかった。
前方の席では蒼真白が、そんな様子を振り返って見ていた。
「いいけど、はしゃぎすぎないようにね」
注意の言葉のわりに、口調は柔らかい。
「今回は“慣れること”が目的。現場を見ること、指示を聞くこと、勝手に突っ込まないこと。そこ、大事」
「はーい」
ひかりが素直に手を上げる。
蒼は小さく頷いたあと、最後部寄りの壁に背を預けて立っている黒崎へ視線を向けた。
黒崎怜は、席には座っていなかった。
揺れる車内でも微動だにせず、ただ窓の外を見ている。同行監督役という説明は受けている。だが、あの男がそこに立っているだけで、“保険”という言葉の意味が少し変わる気がした。
守るため。
抑えるため。
あるいは――別の何かを警戒しているため。
未来は黒崎の横顔を見る。
表情は薄い。
けれど、意識だけは常に研ぎ澄まされているのが分かる。
(やっぱり、何かある)
その思いが強くなる。
それに呼応するみたいに、右手首のリングがかすかに熱を持った。
未来は反射的に手首へ触れる。
《ブレイク・リミット・リング》。
黒銀の表面は静かだ。だが、内側に巡る銀線だけが、皮膚の下の鼓動とどこか噛み合っていない感じがした。
ほんのわずかに、ズレている。
その違和感が、ひどく嫌だった。
⸻
目的地は、山の中腹に開けた平地だった。
崩れかけたフェンス。
途中で途切れたコンクリートの基礎。
錆びた鉄骨と、使われなくなった設備の残骸。
かつて何かの施設があった場所だと、一目で分かる。だが人の気配はない。使われなくなって長いはずなのに、完全には朽ちきっていない。その半端さが、余計に不気味だった。
ドアが開く。
外の空気は乾いていた。
山の匂い。土の匂い。遠くで鳴く鳥の声。風が吹くたび、背の低い草が擦れ合う音が走る。
「へえ……」
ひかりが最初に降り立ち、周囲を見回した。
「思ってたより広い」
「視界は悪くない」
続いて降りたハヤトがすぐに周辺を観察する。
「斜面、林、残骸。遮蔽物は多いけど、閉じてはいない」
「ほんとにそういう見方しかしないな」
未来が呟きながら地面へ降りると、靴裏の下で小石が鳴った。
最後にガイが降りてくる。片手に弁当箱、もう片手にも弁当箱。どう見てもおかしいのに、本人は少しもおかしいと思っていない顔をしていた。
「……それ置いていけよ」
「置く理由がない」
「あるだろ」
「ない」
真顔だった。
ひかりが肩を震わせながら笑う。
「ほんと、この人だけ別の任務してるみたい」
「補給任務かもしれない」
ハヤトがぼそりと言い、今度は未来まで吹き出しそうになる。
そんな空気を、蒼が軽く手を叩いて整える。
「まずは周囲の確認からね」
端末を広げる。
「この区画一帯に、ここ数日、弱いアフェクト反応が断続的に出てる。暴走規模じゃないし、被害報告もない。でも、だからこそ厄介」
「残留反応か、自然発生か、意図的なものか」
蒼の目が周囲の林へ向く。
「今回はそこを見極める。単独行動は禁止。視界から消えない範囲で動くこと。変化があったらすぐ伝えて」
ひかりが手を上げる。
「組み合わせは?」
「基本自由。ただし、勝手に遠くへ行かないこと」
蒼は柔らかく言ったが、その言葉の芯ははっきりしていた。
未来は頷きかける。
その瞬間――
空気が変わった。
ほんの一瞬、音が遠のく。
草の擦れる音が消えたように感じた。
心臓がひとつ、強く鳴る。
「……待って」
未来が呟いた。
声量は大きくなかった。
それでも、全員が反応した。
「未来くん?」
ひかりが振り向く。
未来は周囲を見る。
何もない。
林、残骸、斜面、錆びた柵。見えるものはさっきと変わらない。だが、何もないことそのものが不自然だった。
「……いる」
蒼の目から柔らかさが消える。
「どこ」
「分からない」
未来は歯を食いしばる。
「でも、いる」
その時だった。
黒崎が、無言のまま前へ出た。
足元の影が、音もなく広がる。
次の瞬間。
林の奥に“いた”。
最初からそこにいたものが、ようやく輪郭を持ったように。
五つの影。
誰も急がない。
誰も隠れようともしない。
ただ、目的地へ辿り着いたみたいな顔でそこに立っていた。
「確認」
低い声。
「対象、一致」
その言葉が落ちた瞬間、未来の背筋が冷えた。
自分だ。
何の説明もないのに分かってしまう。
蒼が一歩前へ出ようとする。
その前に、黒崎の声が落ちた。
「下がれ」
短い。だが、迷う余地のない声だった。
未来たちは反射的に一歩退く。
林の影から、五人がゆっくり姿を現す。
一人は細身の男。笑っているようにも見える軽い口元をしていた。
一人は巨大な体格の男。立っているだけで重さがある。
一人は白に近い薄色の装束をまとった細い影。周囲の空気だけが、そこだけ温度を失っている。
一人は線の細い人物。輪郭ははっきりしているのに、表情だけが妙に見えない。
そして最後の一人。
最も後ろに立ち、ほとんど動かないまま、こちら全体を見ている。無駄がなさすぎて、逆に異様だった。
「監督付きか」
細身の男が、軽い声で言う。
「丁寧な学校だね」
黒崎は答えない。
影だけがさらに深くなる。
「何の用だ」
短い問い。
細身の男は楽しそうに目を細めた。
「回収」
たった二文字。
それで十分だった。
ひかりが息を呑む。
「未来くん……?」
未来は答えられない。
喉がひどく乾いていた。
蒼が声を張る。
「黒崎くん」
「分かってる」
その瞬間、黒崎の影が地を滑った。
最も後ろの静かな影へ向かう。
だが、その前に重い足音が割り込む。
地面が沈み込むような一歩。
巨大な男が、黒崎の影の軌道上に踏み出していた。
「前に出るな」
低い声。
同時に、白い装束の細い影が腕を振る。
空気が変わる。
温度が、一気に下がる。
未来は本能的に身を引いた。
地面へ白い霜が走る。
「散って」
冷たい声が落ちた。
次の瞬間、世界が裂けた。
正面の地面が沈み、斜面の土が崩れ、左右の廃材が横から滑り込むように倒れてくる。偶然じゃない。全部、位置を読んだうえで叩き込まれている。
「下がって!」
蒼が叫ぶ。
ひかりが未来の腕を掴もうとする。
その瞬間、細身の男が笑った。
「遅い」
見えない何かが走る。
空気が歪む。
視界の端で景色がねじれる。
次の瞬間には、さっきまで同じ平地にいたはずの仲間たちの位置が、全部食い違っていた。
足場がずれる。
遮蔽物が割り込む。
距離が、無理やり引き剥がされる。
「未来くん!」
ひかりの声。
未来は反射的に手を伸ばす。
届かない。
足元が崩れる。
体勢が流れる。
視界が一回転する。
地面へ叩きつけられる直前、未来はなんとか受け身を取った。肩に鈍い痛み。口の中に土の味が広がる。
「っ、くそ……!」
すぐに起き上がる。
さっきまでいた平地は、もう見えない。
周囲は林だった。木々が密に立ち並び、視界は狭い。風の通り道まで変わっている気がする。
「ひかり! ハヤト!」
返事はない。
鼓動だけが大きい。
(分断された……)
頭では理解できる。
でも、感情がそこに追いつかない。ほんの数秒前まで隣にいたはずだ。今は気配すら掴めない。
焦るな。
まず位置を取れ。
リングに触れる。
銀線が微かに明滅する。
「一人」
声がした。
未来が振り向く。
木の幹の影から、ゆっくり現れたのは大柄な男だった。先ほどの巨大な男とは違う。こちらは“重い”というより、“変わらない”印象があった。
硬い。
そう思わせる立ち方だった。
「十分」
男は淡々と言う。
未来は構える。
怖い。
もちろん、怖い。
だがそれ以上に、やることははっきりしていた。
見る。
入る。
終わる場所を取る。
黒崎との夜の特訓が、頭の奥で鮮明に蘇る。
一秒は、殴るための時間じゃない。
終わる場所に立つための時間だ。
未来は、わずかに膝を落とした。
「……やるしかねえか」
⸻
別方向の斜面を、ひかりは滑るように転がっていた。
「きゃっ……!」
地面に手をつき、なんとか止まる。掌に土と小石が食い込む。
顔を上げる。
隣にはハヤトがいた。眼鏡はずれていない。だが珍しく、余裕が薄い。
「大丈夫か」
「そっちは?」
「無傷ではないな」
短く答えながら、ハヤトはすでに周囲を見ている。
ここは岩場混じりの斜面だった。足場が悪い。木々は少なく、代わりに大きな岩が死角を作っている。
「未来くんたちは?」
「分からない」
ハヤトの声は速い。
「今は自分たちの位置を――」
「二人一組か」
頭上から、軽い声が降った。
二人が同時に見上げる。
木の枝の上に、細身の男が座っていた。片足をぶらぶらさせながら、面白いものでも見る目でこちらを見下ろしている。
「ちょうどいいね」
声音は軽い。
だが、その軽さの奥にあるものが、ひどく冷たい。
ハヤトが一歩前へ出る。
「雨宮、下がれ」
「え?」
「いいから」
その時、男と目が合った。
それだけで、ひかりの背筋を冷たいものが撫でた。
「君、明るいね」
男が笑う。
「そういう子、好きだよ」
ひかりは顔をしかめる。
「気持ち悪いんだけど」
「そう?」
男は首を傾げる。
「でも、その明るさ……どこまで本物かな」
その一言が落ちた瞬間、空気が変わった。
ひかりの呼吸が、わずかに乱れる。
心の奥を、冷たい指先でなぞられたみたいだった。
「……何」
返した声が、少しだけ掠れる。
ハヤトの表情が変わる。
この敵は、ただ殴ってくる相手じゃない。
嫌な予感が、はっきりとした形を持ち始めていた。
⸻
さらに別方向の開けた斜面へ着地したガイは、片手の弁当箱を地面へ置いた。
目の前には、巨大な男。
同じような体格。
だが纏う空気は違う。もっと重く、もっと静かだ。
「一人か」
相手が言う。
「十分だ」
ガイは拳を握る。
会話は、それだけで足りた。
強いかどうか。
殴れば分かる。
「来い」
ガイが言う。
相手の口元が、わずかに動いた。
⸻
冷たい風が吹く。
岩場の影に立っていたゆいは、静かに顔を上げた。
目の前には、白に近い薄色の装束をまとった細い影。
周囲の空気が明らかに下がっている。
吐く息が、白い。
地面の草の先端に薄く霜が張り始めていた。
「……あなた」
ゆいが小さく言う。
相手は答えない。
ただ、温度だけがさらに落ちる。
「そう」
ゆいの声には、驚きも恐れもなかった。
「そういうのなんだ」
静かな戦いが、すでに始まっていた。
⸻
最初の平地。
蒼が体勢を立て直すより早く、黒崎の影が広がっていた。
目の前には、最も静かなあの影。
後方にいたまま動かなかった人物。
姿勢は変わらない。
気配も薄い。
それでも分かる。
こいつが、この中で一番危険だと。
「お前か」
黒崎が言う。
「そうだね」
返事は静かだった。
無駄がない。
「君が一番、面倒そうだ」
感情のない声。
ただ、観察している。
黒崎は足元の影をさらに深くした。
「お前らの目的は」
「もう分かってるでしょ」
その人物は、わずかに首を傾げた。
「天城未来」
一歩前へ出る。
「だから、邪魔をしないでほしい」
「断る」
即答だった。
「だろうね」
次の瞬間、地面の影と影がぶつかった。
音はない。
だが、空気だけが裂けた。
⸻
山の中に散らばったそれぞれの場所で。
それぞれの相手と向き合ったまま。
誰も、もう戻れない位置まで来ていた。
未来は、目の前の男から視線を外さない。
男が一歩近づく。
「効かない」
ぼそりとした声が風に乗る。
未来の眉が動く。
「何がだよ」
「お前の攻撃」
男は淡々と答える。
「全部」
その言葉に、妙な説得力があった。
だが、それで引く理由にはならない。
未来は拳を握る。
胸の奥で鼓動がひとつ強く打った。
そして、男もまた構えた。
風が吹く。
葉が揺れる。
その瞬間――
戦いが、始まった。
⸻
次回
第21話 1秒の侵心
第20話を読んでいただきありがとうございました。
ついに五影との本格的な衝突が始まり、
物語が一気に動き出しました。
今回のポイントは「分断」です。
仲間と離されることで、
それぞれが“個としてどう戦うのか”が問われる構図になっています。
未来は一対一。
ひかり&ハヤトは二対一。
ガイ、ゆい、黒崎もそれぞれ別の戦場へ。
ここからは、単なる力比べではなく、
“戦い方”そのものが試されるフェーズに入っていきます。
また、ひかりとハヤト側では、
精神面への揺さぶりと、それに対する連携が大きな鍵になります。
そして未来。
「1秒をどう使うのか」
その答えが、いよいよ実戦の中で問われます。
次回
第21話「1秒の侵心」
それぞれの戦いが、本格的に始まります。
もし面白いと感じていただけたら、
ブックマークや評価をいただけるととても励みになります。
引き続きよろしくお願いします。




