最終話
「ほら、あれがオリオン座だ」
隣で座る天宮先輩は星空に指を指す。私は彼が指さす方向を目で追ってみる。星々の中でひときわ輝いている星を見つけた。
「えーと、どこですか? よく光ってる星は見えますけど……」私も指を指してみる。先輩は軽く笑う。
「あれはリゲルだな。その少し上に三つ並んでる星があるだろ? あそこが中心だよ」
「あっ分かりました。すごくキラキラしてて綺麗ですね」見つけられた喜びに口元が緩んだ。
「お、笑った。星座って、分かり始めると楽しくなるんだよな」
そう言う雨宮先輩もどこか楽しげだった。
「それで、並んでる三つ星の斜め上の赤い星がのベテルギウス。ベテルギウスはおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンで冬の大三角形と呼ばれてるな」
「あれが……プロキオンですか?」
「そうだ。ゴメイサって星とで子犬座を形成している」
そんな星座があったなんて。子犬座、可愛らしい響きだ。
「子犬座……どこだろう」
私は探してみるがプロキオンの周りには、どこにも子犬を連想出来る星は無かった。
雨宮先輩は吹き出す。
「ハハハッ! だよな! 子犬座は二つの星を直線に繋いだだけの星座だ。全然子犬に見えないんだぜ」
私も顔がほころぶ。
「本当。全く見えないですね」
「大昔の人も結構適当だろ?」
二人でクスクスと笑い合う。子犬座を名付けた人には悪いけれど、こうして先輩と笑い合える事が嬉しかった。
「――先輩は、あのオリオン座みたいな人ですね」
ふいに、前日練習した言葉がポロッとこぼれ落ちた。「俺がオリオン座? どういう意味?」先輩は眼を丸くする。本当に自然と口に出た言葉に、私自信も驚いている。言葉は涙の様に流れ出していく。
「オリオン座はあんなに沢山、キラキラする星で出来ているからです。この夜空で一番輝いている。とても綺麗。私、ずっと先輩を見ていたい」
「明日見……」
私は真剣な表情になった先輩に微笑みかける。大好きを込めたこの笑みを、ずっと前から見せたかったのだ。
「先輩がオリオン座なら、私は子犬座なんでしょうね。先輩に比べると本当にちっぽけです」
私は鞄からマフラーの入った包みを渡した。雨宮先輩は静かに聞く。「明日見……これ空けて良いか?」
私は頷く。リボンを解いた先輩の手には紫のマフラー。
先輩は眩しい。プロキオンの輝きしか無い私は、煌めく先輩をただ、見つめる事しか出来ないのかもしれない。それでも私は――
「宇宙の色です。先輩、ずっと好きでした」
その言葉を言った途端、急に心に掛かった雲が晴れた様に感じた。今の心境は、私の目の前の澄み渡った景色と似ているんだと思う。
田中さんも、こんな気持ちだったのかな。私は田中さんの宝石のような涙を思いだす。
「明日見」
雨宮先輩の静かな声が響く。
「アッ・シアラー・アッ・シャーミヤ」
「……え?」
「プロキオンはさ。アラビア語でそう呼んでるそうだ」
私は雨宮先輩が突然何の話を始めたのか分からず呆然とする。
「意味は"北のシリウス"。シリウスは、太陽を除けば地球上から見える最も明るい星だ。」
「どういう、意味ですか?」
先輩は私をまっすぐ見つめた。
「俺にとって、お前は一番輝いているって事だよ」。
少しの間、静寂になった気がした。遠くで聞こえていた学生の声も、先輩の息遣いも――。
「っ、あははは!」
私はふいに可笑しくなって吹き出した。
「な、なんだよ。」
先輩は珍しくたじろぐ。私は笑いながら答える。
「だって先輩、私は星の事もアラビア語も分からないし、いくら何でもその台詞は回りくどすぎますよ」
「いや、お前が俺の事オリオン座みたいなんて言うから……」雨宮先輩はきまりが悪そうに言う。その様子はすねた子供のようだった
「じゃあおあいこですね」
「あはは、そうだな。お互いまわりくどいんだ」先輩が冗談風に言ったので、また二人で笑い合った。
「明日見、もっと近くに来いよ」
びっくりする。でも彼はいつもの調子で言うもんだから、なんだか不思議な気分だ。私は先輩に触れそうな距離、さっき羨んだ、恋人の距離。慎重に近づくと、雨宮先輩は紫のマフラーを自分と私の両方に巻いた。
「これで寒くないだろ? それにこのマフラーは宇宙の色。オリオン座と子犬座の俺たちにピッタリだ」
「本当、暖かい……」
気がつくと私は眼を閉じていて、雨宮先輩と口づけを交わしていた。
ふわふわとした頭で考える。多分、私の方が先にキスしたいと思ったんだろうな。
唇を離してから、お互い無言だった。言葉は既に邪魔なのかもしれない。紫のマフラーのせいか、身体が暖炉に当たってる様に暖かかった。
帰り道、高速道路を走るバスの中はとても静かだった。時間は0時を過ぎている。みんな、寝てしまったのだろう。
「先輩はもうすぐ、卒業しちゃうんですね」
私はポツリと隣に座る雨宮先輩に言う。
「……そうだな」
今までの私だったら、行かないで。と駄々をこねたのかもしれない。
「私も東京に行きます」
先輩はキョトンとする。
「俺と同じ大学に行くのか?」
私は笑って首を振る。
「それは……ちょっと考えたけど無理です。先輩は頭が良すぎるので、私、ファッションデザイナーになります」
雨宮先輩は驚いて眼を丸くする。
「そんな事、初めて聞いたぞ」
「今決めました。東京でデザインの勉強しようと思います」
「そんなすぐに決めて大丈夫か?」
星がきらめく夜空を見たとき、なぜか急になりたいと思ったのだ。今まで手芸はただの趣味で、将来の仕事にしようとは少しも考えていなかった。
「明日見って、意外と行動的だよな」
「……やっぱりおかしいでしょうか?」
先輩と離れたくないからって、将来を簡単に決めようとしているのかも知れない。
少し不安になった私の問いに、先輩は笑って答えた。
「いいと思うぜ。俺はお前のそういう所が好きなんだ」
私は嬉しくなる。と、同時になんだか眠くなってきた。まだ起きていようと眼をこする。
「俺は眠くないから気にしないで寝てな」先輩は優しい口調でそう言った。
「そうします……」
「また見に行こうぜ」
「はい……きっと……」
そう言い終わると、瞼は完全に閉じた。
暗くなった視界は徐々に明るくなり、沢山の星々が目の前に広がる。
ふわふわと浮遊感がある。それに不思議と暖かい。下を見るとそこはまた星々で、私は宇宙の中にいた。
ふと、誰かに手を握られる。隣を見ると雨宮先輩がはにかんでいた。私も頬笑み返す。首には紫色のマフラーが二人を繋いでいる。
宇宙の中、二人だけで星が一面に輝く空間を漂う。
そんな、幸せな夢を見たのだった。