光に包まれて(2)
筆者が初めて英雄サトミ・フジサキに会った時、恥ずかしながら我を忘れて見惚れてしまった。サトミ女史が魅力的な若い婦人であった、というのは当然のこととして。その立ち居振る舞いの全てが、筆者の想像するところの『ヤポニアの魔女』そのものであったからだ。
ヤポニア人は奥ゆかしく、あまり自己主張が強くない。諸外国からはよく、「思いやりと察しの文化を持つ」と評される。中でもヤポニアの女性は慎ましくて、それでいて心に強い芯を持った、凛と咲く一輪の花に喩えられた。サトミ女史は、正にそんな雰囲気を持つ魔女であった。
サトミ女史が星を追う者を志したのは、彼女自身が『ブロンテス』の被災者だったからだ。当時ヤポニア南東の沿岸部に居住していたサトミ女史の家族は、『ブロンテスB』の落着による津波被害に見舞われた。多くの人命が失われたその有様を目にして、サトミ女史は自らが魔女であることで誰かを助けることが出来るのではないかと思い至った。
「そんなに大それた話ではないんですよ。私はただ、ヤポニアの毎日を守りたかったんです」
当時、サトミ女史が魔女であることは、家族以外の人間には秘密とされていた。『排魔女』の頃のヤポニアでは、珍しくないことだった。魔女であることを知られれば、それだけで大小様々な嫌がらせを受ける。サトミ女史の周囲でも、それは例外なくおこなわれていた。
「家族には、迷惑をかけたと思います。私自身、どうして自分が魔女なんだろうって、悩んだりしました」
魔女でなければ、余計な苦労を背負わせることはなかった。サトミ女史自身も、ごく普通のヤポニアの女性として生きていけただろう。
また、『ブロンテス』の惨劇が起きなかったと仮定すると、サトミ女史は今でも魔女であることを隠して生活していたのに違いなかった。母星が平和であり続けるのならば、そんな未来が訪れたこともあり得たのかもしれない。サトミ女史が現在魔女として、そして星を追う者として生きている背景には、そういった過去の様々な経験が関係していた。
「今は、自分が魔女であって良かったと思います。この手で、あの街を守ることが出来るんですから」
愛する人を守ることが魔女の本懐であると、筆者はワルプルギスで異口同音に聞かされた。サトミ女史は故郷の街と、ヤポニアのことを心から愛している。その気持ちがあるからこそ、星を追う者として大成出来たのだ。
魔女として嫌な思いもしたヤポニアを、どうしてそこまで想うことが出来るのか。失礼を承知で、筆者はサトミ女史に尋ねてみた。サトミ女史は少し悩んで、はにかみながらこう応えてくれた。
「結局、私もヤポニア人だってことなんじゃないですかね」
ワルプルギスにあるヤポニア大使館には、ヤポニア出身の魔女たちが勤めている。ヤポニアでの生活に疲れた数多くの魔女たちが、他の魔女友好国へと帰化してくのはざらな出来事だった。そんな中にあってヤポニア大使館にいる魔女たちは、自身がヤポニア人であることを誇りに思っているのだという。
「私もヤポニアにいた頃は、色々とあることないこと言われたものです。毎日家に帰ると、わんわんと泣いていました」
受付を担当している魔女の婦人は、五年前にワルプルギスに赴任してきた。それまではニシミカドにある、比較的大きな商社にいたそうだ。その時代、世間的には『親魔女』なんて言われ始めていたが、実体はまだ全然伴ってはいなかった。
「『魔女』であるだけで、何か得体の知れない存在というか、『怖さ』を感じてしまうのでしょうね」
最もつらかったのは、当時交際を考えていた職場の男性に、魔女という理由で近付かないでほしいと告げられた時だったそうだ。親しくしてくれていると思っていたのに、一歩踏み込んだだけで強く拒絶されてしまった。そのことは今でも、ヤポニアでの苦い思い出として残されているのだという。
「でも不思議ですね。私はそんな嫌な記憶しかないヤポニアのことが、好きなんですよ」
ヤポニアと少し距離を置いた方が良いかもしれない。そう考えて、ワルプルギスでの仕事に応募した。商社での交渉術の経験を買われて、無事大使館に就職が決まった。そして遠く、母星を離れてワルプルギスの地を踏んだ時。
何故か涙が零れてしまったのだそうだ。
「逃げた――そんなつもりはなかったのに、そう思えてしまって。自分のいる場所がヤポニアではないことが、たまらなく悲しかったんです」
この婦人は今でも、ワルプルギスのヤポニア大使館にいる。ワルプルギスで働いている男性と知り合って、昨年挙式を上げた。彼女の夢は、いつの日か家族を連れてヤポニアを訪れることだと笑って語った。
「どこにいても、私の故郷はヤポニアです。いつか帰る場所があるなら、そこ以外にない。今もこうして、ヤポニアのためにお仕事をさせていただいているのが嬉しいんです」
婦人の目は、希望に輝いていた。冬にはお子さんが生まれるという。帰郷はまた今度、身辺が落ち着いてからになるだろう。良い旅路であることを願ってやまない。
魔女を否定してきたヤポニアは、それでも魔女に愛されている。ヤポニアで生まれた魔女たちは皆、ヤポニアのことを故郷であると想ってくれていた。
言葉だけの『親魔女』から、本当の『親魔女』に。ヤポニアは今、真の魔女友好国として変わっていこうとしているところだ。
我々は星を追う者、サトミ・フジサキを知っている。
我々はマチャイオの魔女、トンラン・マイ・リンを知っている。
そして我々はワルキューレ、イスナ・アシャラを知っている。
彼女たちは、ごく普通の人間と何も変わらない。善意も持っているし、悪意も持っている。苦しんで、悩んで、涙を流す。喜んで、笑って、愛し合うことだって出来る。
決して空の向こうにいる、得体の知れない隣人などではない。今だって我々のすぐ傍にいて、優しく手を差し伸べてくれている。
その手を握って。
彼女たちの流した涙の意味を知って。
我々ヤポニアの民は、彼女たちと共に傷付き、共に同じ道を歩んでいく。
あの日我々は、それがこれからの母星を作っていく人類に求められているものだと教えられた。
ヤポニアの空に浮かんだ――『ブリアレオス』に。
降臨歴一〇二六年、一〇月四日
フミオ・サクラヅカ
速さというのは、自分との相対物があって初めて知ることが出来る。流れてゆく景色や、ぶつかってくる空気の圧だ。真空中で見えているものがあまりにも大きすぎる母星だけでは、トンランには今の二人がどのくらい『ぶっ飛んだ』スピードでいるのか見当も付けられなかった。
唯一スイングバイをする時に、油断すれば一瞬でバラバラになりそうな遠心力を感じたのが全てだ。
トンランが目を回しそうになっているのを見て、サトミはあろうことかうっすらと笑みを浮かべていた。星を追う者恐るべし、だ。トンランのホウキを乱暴とか言うフミオは、一度これに同乗させてもらえば良い。魔女タクなんかカタツムリみたいに思えてくるだろう。
「トンラン、もうすぐ『ブリアレオス』だよ」
「それは嬉しいね。反物質壁がもうもたない」
元々、反物質壁は長時間張っていられるような魔術ではなかった。加えて不慣れな重力制御まで同時にやることになって、トンランは正直もうへとへとだった。マナの残量はなんとかなりそうでも、せめて休憩ぐらいは挟んでもらいたかった。
「管制室、こちら特務一番機。作戦宙域に接近、これより最終スイングバイを敢行し、目標との相対速度を合わせる」
「こちら管制室。状況確認。訓練目標到達、最速記録更新です。素晴らしい!」
サトミとトンランは、母星史上最も速く飛行した魔女となった。通常飛行であれば、まず間違いなく『ブリアレオス』の落着には間に合わなかっただろう。サトミは目前に迫った人工重力衛星を使って、方向転換と減速をおこなった。
今の速度では、隕石破砕どころか一言も発する間もなく『ブリアレオス』の前を通過してしまう。隕石破砕の発動には少々時間がかかるし、射程距離の問題もあった。
サトミはホウキの進路を、『ブリアレオス』と歩調を合わせて後ろから抜き去っていくコースに変更した。
程なくして、トンランの視界に黒々とした岩塊が飛び込んできた。
「あれかな?」
「間違いない、あれだよ」
いかに巨大とはいえ、ここから見る限り母星に比べれば『ブリアレオス』なんて小さな『点』だった。これが落ちると街が一つ蒸発するだなんて、悪い冗談だ。
トンランは最初は拍子抜けしていたが、段々と距離が縮まってくるにつれてそのスケールが実感出来てきた。やがて『ブリアレオス』の全貌がその眼前に繰り広げられた際には、思わずぞっと身震いをした。
「お、大きい!」
塊……なんていうレベルではなかった。小惑星といっても良いのではなかろうか。ワルプルギス程ではないにしろ、それでもその表面には幾つもの大型の建物を並べられそうだった。鋭角な山脈やクレーターといった、複雑怪奇な地形が見て取れる。フミオがいたら、シャッターを切りまくるに違いない。
これだけの質量だと、重力制御で進路を変えるのは不可能だった。母星や、他の衛星にまで影響を及ぼしてしまう。砕いて小さくするというのも、無茶な話だ。爆裂系の魔術でも、全体を砕くのには一体何発撃ち込めば良いというのか。
地上に落ちる際、この隕石は半分以上が空気との摩擦で溶け落ちる。それでも落着の衝撃で地面は大きく抉り取られ、無数の命が瞬時に蒸発して消え失せることになる。
これが星を追う者の相手、母星に迫る脅威だ。トンランはごくり、と唾を飲み込んだ。
「追い抜いて、正面から隕石破砕を撃ち込みます。トンランは不意打ちに注意して」
「りょ、了解」
隕石破砕は、このサイズの隕石であっても瞬時に破壊、蒸発させる威力を持っている。しかし確実に着弾、発動させなければ『ブロンテス』の二の舞だ。サトミがどんなに魔術の才能に恵まれているのだとしても、今のところはまだ不慣れな、星を追う者の候補生でしかなかった。
『ブリアレオス』は、あまりにも静かすぎた。いくら阻止限界速度を超えているとはいえ、星を追う者が迎撃に来る可能性をイスナが考慮していないとは思えなかった。罠が仕掛けられているかもしれない。トンランはどこから攻撃が来ても良いように、二人の周りを強固な防御壁で包み込んだ。
二人が失敗すれば、次はない。これはヤポニアの、母星の命運がかかった重要な一撃だ。緊張した面持ちで、サトミは慎重にホウキを操った。
飛び散った小さな破片が、『ブリアレオス』の周囲を取り巻いていた。サトミの飛行速度は、もう制御可能なところまで落ちている。大きなものは避けて、小さなものはトンランが弾いて。二人は『ブリアレオス』の前に出ようとした。
「っ! 危ない!」
音のない真空中では、攻撃は気配で察するしかない。その点、トンランは優れた防御士だった。高速で迫ってくる小さな飛翔体をいち早く認識すると、防御壁を複数枚展開した。
一枚目が抜かれる。抗魔術加工だ。それを予想しての複数展開だった。二枚目以降で、角度を付けて軌道を逸らす。銃弾は二人のすぐ脇を掠めて、宇宙の暗黒に呑み込まれていった。
「よく来たね、星を追う者」
頭の中に、声が響いた。念話だ。ここにいると、予測はしていた。ただ、べったりと『ブレアリオス』に貼り付いているのは想定外だった。
『ブレアリオス』の進行方向の先端、一際大きな角のように出っ張った突起の上に、一人の魔女が腰かけていた。漆黒の長衣に、大きな三角の魔女帽子。真空の宇宙にあって、魔女は何食わぬ顔で二人を見つめていた。
魔女ではない。
魔女と敵対する者――ワルキューレだ。
「イスナ・アシャラ、これが貴女の企みなの?」
隕石破砕の触媒を盗み出し、母星の上で使ってみせるとワルプルギスの魔女たちを脅して。その陰で星を追う者の最終試験で破壊される予定の岩塊を、隕石として母星に落とす。いずれにしてもこれまでの母星の歴史においては前代未聞の、危険極まりない悪辣な行為だった。
なるほど、隕石破砕と比べれば確かにマシだとはいえるだろう。魔女の禁忌までは犯してはいない。しかしだからといって、これが認められないということには何ら変わりはなかった。
しかもその狙いは、サトミの故郷であるヤポニアに定められている。そんな凶行を、サトミは断じて許すつもりはなかった。
「そこをどきなさい。今からこの『ブリアレオス』は、隕石破砕で破壊します!」
とにかく今は、『ブリアレオス』への対処が最優先だった。イスナの激しい抵抗が予想されるが、まずはトンランに可能な限り防いでもらう。幸いにも隕石破砕を発動するのには、そこまで長時間の集中は要求されなかった。『ブリアレオス』さえなんとしてしまえば、後は一旦逃げるなりなんなり、選択の幅は広く用意出来るだろう。
ヘルメットの向こうで表情を引き締めたサトミを見て――
「ああ、やってみろよ。アタシはここを動かない」
イスナは嗤った。サトミを、ワルプルギスの魔女を、母星を。
自分自身でさえも、嘲笑した。
「やるならアタシごとやれ、星を追う者。お前たちの不都合な真実ごと、何もかもを宇宙の闇の中に葬っちまいな!」
その時、サトミはようやく気が付いた、イスナは岩の上に座っているのではなかった。下半身が、隕石と一体化している。イスナは自らの魔術によって、身体を『ブリアレオス』の中に潜り込ませていた。
「なん……で」
言葉を失ったサトミとトンランに向かって、二つの銃口が構えられた。二人に狙いを定めるイスナの双眸には、狂気の光が宿っている。
『ブリアレオス』の破壊、あるいは落着。例えその結末がどちらに転ぶにせよ、イスナの死だけは揺るぎない未来として確定されていた。




