光に包まれて(1)
目の前は、真っ青な母星の光で満たされていた。海洋に、雲海。陸地の上には緑。数多の生命が息づく、ありとあらゆるものの母と称される星。この星を守るために、千年以上もの間星を追う者たちは隕石を退けてきた。
イスナは手を伸ばした。この美しい景観を、サラサは死の間際に見ることが出来ただろうか。星を追う者に憧れた幼い日を、思い返すこともあったのか。
その母星に今、イスナは隕石を落とそうとしていた。
この世界を綺麗なままにしておくためには、どうしても必要なことだった。正しいのはワルキューレであるはずなのに、人間は与しやすい魔女と手を組んで、ワルキューレに逆らった。お人好しな魔女たちはせっせと隕石を撃墜して、その陰で人間は戦争だなんだと殺し合いを続けている。
なんという馬鹿馬鹿しさだ。
母星は、ワルキューレによって統治されているべきだった。この力は、人類を正しく導くために授けられた特別なものだ。父親やあのワルキューレの老婆の言うことは、一部は間違っていて、一部は正しかった。
あの二人も、やっていることはワルプルギスの魔女たちと一緒だった。嘘の中に真実を織り込んで、あたかも全てが本当のことであろうと見せかける。どいつもこいつも、自分にとって居心地の良い現実しか口にしていない。
イスナにとって最も正しい選択肢は常に、誰も信じない、ということだった。
あの時――十三年前の突入作戦の日。
サラサを庇うイスナの前に、一人の戦闘士が歩み寄ってきた。防御壁を展開していない。それどころか、手にした金属の杖を床に置いた。正気かと目を疑ったイスナの前で、戦闘士は膝を折ってしゃがみ込んだ。
「すまなかった。彼女は、君たちのことが怖かったんだ」
心臓が吹き飛ばされた同僚を一瞥して、戦闘士はそう語った。恐怖に駆られて、そこにいる相手が何者なのかすら判っていなかった。ああ、きっとそうだ。スィタを叩きのめした時、そいつの眼はどこも見ていなかった。自分のことも、相手のことも。何一つ判らないまま、そこにいる『敵』を倒すことだけに囚われていた。
「悪いようにはしない。私を信じて、投降してくれないか?」
差し出された掌を、イスナは黙って見つめた。上着の裾を、サラサがぎゅうっと掴むのを感じた。戦闘士の瞳は、真っ直ぐで少しも震えていなかった。
そこで、その手を取っていたとして――何が変わっただろうか?
イスナとサラサは、コキュトスに連れていかれなかっただろうか?
『ブロンテス』は、コキュトスに直撃しなかっただろうか?
イスナとサラサは、何か別な自由を手に入れることが出来ていただろうか?
サラサは、星を追う者になれていただろうか?
……どうせ何一つ、変わりはしない。運命は決まっていた。部屋の中に特殊部隊員がなだれ込んできて、イスナは絶叫して。
戦闘士の頭を、粉々に砕いた。
その眼を見ていることに、耐えられなかった。そこに、強さを感じた。自分では絶対に敵わない、鋼のように硬い信念。その視線を向けられていると、イスナもサラサもその存在を根底から覆されてしまいそうで――
怖かった。
恐らく、イスナは間違えている。いつから何を、と尋ねられても困ってしまう。多分一番最初、産まれた時から、何もかもが間違いだったのだ。
あの戦闘士は、それを知っていた。イスナに、正しい真実を伝えることが出来たのだ。だから怖かった。自分が自分でなくなる予感がした。だから――
殺した。
正しさなんていらない。真実なんて欲しくない。イスナはただ、サラサと一緒にいたかっただけだった。父親も姉妹も、皆間違いだらけだ。イスナ本人も、サラサだって間違いだ。イスナ自身も含めて、その周囲は全部間違っている。
そんなことは、イスナ本人が一番良く判っていた。
でもそれを認めてしまったら、イスナはどうなってしまうのか。
死んでいったサラサは、一体何だったということになるのか。
魔女たちは必死になってイスナたちを否定して、その存在を揉み消してきた。
あの砂漠で何があったのかを、コキュトスで何が起きたのかを。イスナのことを、サラサのことを。まるでそんなものは、初めから存在していなかったとでも言うみたいに。
ワルキューレも、魔女の真祖の歴史も。ワルプルギスの魔女たちは全部なかったことにして、人類に傅いて生きている。この何もない宇宙に散っていった、イスナの姉妹たちのことなんて一切忘れ去ってしまって。
悪意ある人間たちが、母星の上で毒虫のように繁殖する片棒を担いでしまっている。
「大丈夫だよ、サラサ。そんなことはさせないから」
イスナ・アシャラはここにいる。誇り高きワルキューレ。この世界を、かつてあった姿に戻す者。地上で偽りの魔女たちに守られている愚かな人類に、今から正義の鉄槌を下す。
母星の歴史に、『ブリアレオス』と共にイスナの名を刻むが良い。イスナの名前を思い出す度に恐怖して、想起せよ。
お前たちに、この星に生きる資格はない――と。
管制室に飛び込むと、ノエラとヨシハルが顔を向けてきた。フミオは無言で小さくうなずいてみせた。サトミとトンランは『ブリアレオス』迎撃に出動した。後のことは任せるしかない。フミオは――フミオの戦いに備えておく必要があった。
「特務一番機、第二のスイングバイ地点に接近」
抽象化された画像の中で、サトミとトンランを示す三角形が点滅しながら動いていた。この画面では何の実感も得られないが、現実では音速の数十倍どころか、数百倍のスピードで二人は飛行している。それは星を追う者が制御出来ると考えられている速度を、遙かに上回っていた。
「予測士の計算、間に合いません。全タイミングをサトミ候補生に移譲」
以前国際高空迎撃センターの内部を見学した時に、フミオは巨大な電子計算機のサーバールームを覗かさせてもらっていた。本来なら、そこの演算装置を使って星を追う者へのサポート情報の提供をおこなう。だが現時点において、サトミたちの進行速度はその計算能力を完全に上回っていた。
超高速で激突する塵の対処は、同乗しているトンランの担当だった。反物質壁という、触れてきただけで木端微塵になる防御壁を展開中とのことだ。それが今、目にも止まらない速度で母星の上を横切っている。注意が必要なのは、むしろ付近を航行している無関係な魔女たちの方だった。
「進路、クリアです。警報も出してあります。無視する者がいればワルキューレですが、こればかりはどうにも出来ません」
ぶつけられたら、不幸だと思うしかない。思う前に相手が原子レベルで消滅している。何しろ本当なら数時間はかかる最終試験の行程を、数分で走破しようというのだ。降臨歴始まって以来、初めてかつ最速のミッションだった。
「スイングバイ、実行。速度減衰率許容範囲内。進路、誤差許容範囲内!」
「すごいな、あの二人」
クゥが腕を組んでむぅ、と唸った。
『カーブ』が近付いても、サトミは速度は落とさなかった。そのままの状態を保って、人工重力衛星に出力の一時増加を指示する。発生した猛烈な重力場は、空間に開いた大きな穴だ。その斜面に乗っかって、走りながら向きを変えていく。
その間、トンランは二人にかかってくる加重を制御していた。ここで発生する遠心力は、ぺっちゃんことかそういう次元を遙かに超越したものだ。本来なら重力制御士が専門に扱う範疇だが、今はサトミのマナ消費を抑えるために畑違いながらもトンランがこなしていた。
「このままなら、間違いなく『ブリアレオス』の頭を抑えられます」
マスドライバー様様だった。普通に飛んだのであれば、いくら星を追う者であっても間に合うはずがない。イスナ・アシャラも、まさかこんな手段を使ってまでも現場に急行してくるとは思わないだろう。
問題はそこからだった。
「『ブリアレオス』の警備をしていたパトロールからは依然連絡がありません。ワルキューレの戦闘部隊がいると推測されます」
「部隊というか、イスナ・アシャラだな」
ワルプルギスを攻めてきたワルキューレの部隊は、もうほとんどが鎮圧されていた。包囲までは完了していて、後は拘束のために数の少ない星を追う者や戦闘士の到着を待っているところばかりだ。フレゲトンから脱走したワルキューレの一覧との対比がおこなわれて、ここにほぼ全員が揃っていることも確認出来ていた。
これで所在が判っていないのはただ一人、イスナだけだった。
「『ブリアレオス』を一人で守っていると思いますか?」
「何とも言えません。ワルキューレはそこまで人員に余裕がないはずです。いても少数ではないかと」
ノエラがそこまで話したところで、突然酷いノイズが管制室の通信に割り込んできた。物が引っ繰り返るような派手な騒音がして、続けて言い争いの声が聞こえ始めた。
「第二射、さっさと準備しろと言っているんだ!」
「無茶です! ニニィ隊長は全速でワルプルギスまで飛んできたんでしょう? サトミ候補生だって防御士と二人乗りで出たんですよ?」
「つべこべ言ってるんじゃない! いいから早くしろ!」
「管制室! フラガラハ隊長機に何とか言ってやってください!」
怒りに燃えたニニィと、哀れな技術担当者のやり取りが筒抜けになった。どうやらニニィは、単機でマスドライバーに乗り込もうとしている様子だった。いくらフィラニィの英雄とはいえ、出来ることと出来ないことがあるだろう。ノエラが溜め息交じりに指示を出そうとすると――
「『ブリアレオス』より、通信波検知!」
オペレーターの発言に、管制室にいる人間のみならず、取っ組み合いの真っ最中だったニニィも起き上がって耳を傍立てた。
「母星の大地で、今空を見上げている者たちよ。アタシの名前はイスナ・アシャラ。魔女に敵対する者――ワルキューレだ」
念話と、それからワルプルギスの隕石警報用の回線を拝借させてもらっていた。これなら、母星のどこにでも声を届けることが出来る。便利なものだ。使えるものなら、謹んで活用させていただく。
「既に判っていると思うし、ヤポニアの民に至っては喫緊の問題であるだろうが……アタシは今、ヤポニアの首都ニシミカドに向かって隕石を落とそうとしている」
『ブリアレオス』は順調に加速を続けていた。このまま行けば、ほぼ確実にニシミカドを直撃する。万が一コースがずれたとしても、ヤポニア沿岸部の壊滅は免れない。魔女たちは実に素晴らしい仮想標的を用意してくれていた。
「ヤポニアは魔女の怠慢により、『ブロンテス』落着の被害を受けた哀れむべき国だ」
あの時、隕石破砕が『ブロンテス』を打ち砕いていれば、こんなことは起きなかった。ヤポニアは平和な『排魔女』国家であり、イスナとサラサはコキュトスの牢獄で少なくとも生かされ続けてはいた。魔女たちだけは相変わらず、国際同盟に顎で使われながら隕石を迎撃していただろう。
「アタシは知っているぞ。お前たちは『ブロンテス』の破砕に失敗した魔女に罵声を浴びせ、物を投げつけ、化け物呼ばわりした」
星を追う者、ノエラ・ピケットを晒し者として。ヤポニアの民は、怒りと悲しみの全てをそこに叩き付けた。報道は連日のようにその姿を伝えた。疲れ果ててぼろぼろになったノエラは、人知れずヤポニアの地を離れていった。
「それがどうしたことか、舌の根も乾かぬうちに『親魔女』などと馬鹿げたことを言い始めた」
親魔女政権樹立というお祭り騒ぎの中で、ノエラの存在などまるで忘れ去られていた。魔女と共存しよう。『ブロンテス』の復興の中で、ヤポニアにはそんな声が生まれた。献身的な魔女の姿に心を打たれたとか、そんな安っぽい美談がそこかしこで囁かれた。今まで散々守ってもらっておいて、失敗したら石をぶつけて。
いざ目の前で助けてもらったら、今度は感謝するとか言い出す。ヤポニア人の心変わりの早さに、イスナはうんざりとした。
「その上、星を追う者候補生の誕生を喜ぶとは、あまりの愚かさに反吐が出てきそうなくらいだ。最早この民に救いはないと、アタシは判断する」
報道で伝えられたサトミ候補生の誕生を、ヤポニアの民は喜んで受け入れた。この母星を守る、名誉ある星を追う者にヤポニア人の魔女が選ばれた。ヤポニアはもう、魔女後進国ではない。
『ブロンテス』を乗り越えて、新しい時代へと入っていくのだ。
――沢山の痛みと、悲しみを置き去りにしたまま。
「ヤポニア人よ、恐怖せよ! 今からアタシが、お前たちに思い出させてやる! 十年前、お前たちが何を味わったのか、どんな苦しみにもがいたのか! 忘れ去られた者たちの悲しみを知れ! この痛みを、その身に永遠に刻み込むがいい!」
どんなに躍起になって見えないようにしたところで、癒せない疵はいつまでも残る。イスナ・アシャラという存在そのものが、それだ。
イスナの時間は、『ブロンテス』で止まったままだった。それを、ヤポニアの民は勝手に進めていく。サラサの夢視た星を追う者も、何もかもを奪っていってしまう。
ノエラの時と同じだ。歴史の陰のそのまた陰に、見えなくなってしまえば気付かれないだろうとばかりに押し隠して。未来と言う名の、都合の良い微睡みの中に沈んでいこうとする。
だからイスナは、ヤポニアの民をその惰眠から叩き起こしてやらなければならなかった。嫌でも、何度でも。
「さあ、目を覚ませ! そして死んでいけ! それがアタシがお前たちに与える、ワルキューレの裁きだ!」
そうでもしなければ――イスナの中で何よりも大切なサラサが、この世界から無理矢理に跡形もなく消されてしまいそうだった。




