星狩りの時(5)
一番背格好が近いのがサトミなので、サトミのものを借りるしかなかった。トンランは手早く防護服に袖を通して、胸元までファスナーを持ち上げた。ちょっと、というか、だいぶ抵抗がある。星を追う者用の物は、全てが持ち主に合わせたオーダーメイド品だ。サイズ違いは覚悟の上だったのだが。
「えーっと、胸が苦しい、かな?」
「うん、それは聞かなかったことにする」
サトミが力任せに前を閉じてきた。圧迫感がすごい。息苦しくても、残された時間のことを考えれば我慢するしかない。ぱっつんぱっつんに潰された自分の胸を、トンランはしょんぼりと見下ろした。
格納庫に併設された更衣室には、サトミとトンラン以外には誰もいなかった。何しろメインデッキが閉鎖されたままなのだから、外からここに入ってくる経路が他にない。時折、塔の周辺で起きた衝撃の振動がこちらまで伝わってきた。『掃除』が終わるまでは、まだ当分かかりそうだという見込みだった。
「じゃあ、急ぎましょう」
サトミが放って寄越したヘルメットを受け取ると、トンランは「ん」と短く返事をした。メインデッキとは逆方向、中央エレベーターホールの方に急ぐ。メインシャフトの高速エレベーター一基を、二人のために完全に占有させてもらうことになっていた。警備の魔女がドアの横に立っており、サトミとトンランの姿を認めて敬礼した。
こういうのは、どうにも慣れない。トンランの場合、防御士として番兵の側に立つことの方が主業務だ。サトミの後ろに従って、そそくさとエレベーターに乗り込む。目指すは国際高空迎撃センターの最下層、大規模実験空洞施設だった。
イスナ・アシャラの目的は、隕石破砕の触媒ではなかった。
ワルプルギスの魔女たちは、完全に裏をかかれた。当初は星を追う者の最終試験に乱入して、隕石破砕の触媒を奪取。それを交渉材料にして、他のワルキューレの釈放などを要求してくるものだと予測していた。イスナ本人が隕石破砕について言及していたことに、振り回されてしまった格好だ。
そもそも触媒を手に入れたとして、ワルキューレたちが隕石破砕を本当に使えるのかという疑問もあった。隕石破砕はワルプルギスの魔女たちの間でも、秘術とされている究極の破壊魔法だ。最悪の事態を想定して対応を取る必要性はあったが、それだけで即座に脅威となり得るのかどうかは不透明な状況だった。
それがここにきて、拘束したワルキューレの証言からイスナの計画の全貌が知れた。隕石破砕の触媒は、あくまで第二目標にすぎなかった。手に入るのなら、それはそれで後々取引の材料として役に立てることが出来る。しかし国際高空迎撃センターへの襲撃は、それ自体が魔女たちの注意を本当の目的から逸らすために仕組まれた、壮大な囮だった。
イスナ・アシャラが真に企んでいたこと。それは訓練目標として準備されていた岩塊『ブリアレオス』を、隕石として母星に落とすことだった。
「『ブリアレオス』、阻止限界速度を超えています。重力制御によるブレーキ、間に合いません」
元々は輪の一部を形成していた、大きな隕鉄の塊だ。大型隕石の迎撃演習用として、実際の隕石に近い大きさ、質量を持つ『ブリアレオス』は実に最適な目標だった。
もちろんそれを母星に落とせば、十分な被害を生じさせられる。イスナにとっても、最高の獲物であっただろう。
「メインデッキはまだ戦闘中のため、解放不可能です。どこからでも出ることは出来ますが、ワルキューレによる妨害行為は避けられないと予想されます」
空戦部隊も陸戦部隊も、現在は国際高空迎撃センターの周辺にバラバラに散らばって戦闘を繰り広げていた。隕石破砕を装備したサトミを発見すれば、全力で追撃をかけてくるだろう。これが奪われてしまえば、事態は最悪となってしまう。
「それに、『ブリアレオス』はイスナ・アシャラが守っているはずです。高速で母星を挟んで向こう側にある『ブリアレオス』に接近し、イスナを排除して隕石破砕を撃ち込むのは、戦力的にもマナの残量的にも困難です」
ワルキューレの戦力は、思っていた以上に強力だった。星を追う者の一部を下げてB型装備に切り替えるとなれば、一時的に守りが薄くなる。それに現時点では『ブリアレオス』の破壊に必要なマナの補充が追いつかないのは、判り切っていることだった。
だが、迷っている時間がないのもまた事実だ。こうしている間にも、刻一刻と『ブリアレオス』は母星、それもヤポニアの首都ニシミカドに迫っている。
「とにかく、私が出るしかありません」
サトミの決断は早かった。今、マナを完全な状態で温存出来ていて、すぐに隕石破砕込みのB型爆装で出撃可能なのは、サトミだけだ。妨害行為やイスナ・アシャラといった不確定要素のことは、ここで机上の空論をこねくり回していても仕方がない。
星を追う者として、やるべきことは決まっている。
踵を返して駆け出そうとしたサトミを――
「待つんだ、サトミさん」
脂汗でぐっしょりと顔を濡らしたフミオが、真剣な眼差しで引きとめた。
エレベーターを降りると、大勢の作業員たちが走り回っていた。魔女も、魔術師も、普通の人間の技術者も。今まで、国際高空迎撃センターの中でも見たことがないくらいの大所帯だ。ワルプルギスの地下、長いトンネル状にくり抜かれた実験空洞で、彼らは巨大な金属の円筒に様々な処置を施し、その状態を計測していた。
「四番から五番、電源接続。出力安定を確認。続けて六番、優先接続準備開始」
「弾体準備。伝導率再計測。摩擦は撃ち出しまではこちらで魔術制御をおこなう」
「レールA、状態安定。レールB、状態安定。プラズマ制御装置一次接続準備」
かつてヤポニアの科学者がその原理を提唱し、あまりの荒唐無稽さから忘れ去られようとしていた未来の科学技術。魔術による補助によって実現化されたこの装置を用いれば、撃ち出された弾体の速度は星を追う者を超える。
高速大容量実体弾射出装置――マスドライバーだ。
「フミオさんも無茶なことを考えるよ。ヤポニアの人って、みんなこうなの?」
トンランがげんなりとした声を発した。そもそもこれのアイデア自体が、ヤポニア人のものだ。いけると判断したサトミもヤポニア人。だとすれば、『こう』なのはヤポニア人の気質なのかもしれない。
「かもね。トンランは十分思い知らされてきたでしょう?」
もうずっと、一番近くでフミオと接してきたのだ。多分このワルプルギスで、トンラン以上にフミオのことを理解している魔女はいない。トンランは不愉快そうに口を横に広げて前歯を見せた。それでも嫌とは言わない辺りは、ワルプルギスの防御士の意地なのか。
あるいは。
「サトミさん、トンラン!」
噂をすれば、このあまりにも破天荒な作戦の立案者がクゥと共に急ぎ足で近寄ってくるところだった。報道の腕章の上に、特別権限保持者を示す虹色の羽根飾りを付けている。新聞記者にこんなものを渡してしまうのはどうかとも思ったが、今回だけの特例だとのことだ。それはフミオが二人をここで見送るには、どうしても必要なものだからだった。
マスドライバーで、星を追う者を射出する。無理とか無茶とかいった次元を超えた、とんでもないやり方だった。フミオのその考えを聞いて、クゥとノエラは呆れ返って反論した。
「マスドライバーの弾体は高プラズマにさらされる。積荷の安全性の保証はまだ実験段階だ。そこに人を乗せるとか、論外も良いところだぞ」
「速度も星を追う者の制御から離れます。その状態では、星を追う者本人の身体が危険でしょう」
幾つかの懸念点はあるが、最大のものはその二つだった。どちらも同じことを危惧している。仮に星を追う者が超高速で現場に到達出来るとしても、そこまで無事であれるのかどうかが判らない。
マスドライバー本体から発せられるプラズマや、塵。そういった障害物から、弾体に格納される星を追う者が安全に守られている必要がある。それも、星を追う者本人のマナ消費を極限にまで抑えた状態でだ。
「だったら――」
フミオに目線を向けられて、トンランは動揺した。ワルプルギスの防御士、トンラン・マイ・リンは若くして優秀な護衛だ。つい先日も、フミオをイスナの銃弾から守った実績がある。それなら。
「二人とも、どうか無事で」
自分で言い出したことではあるが、フミオも自信があってのことではなかった。ただ、今出来る最善を尽くすにはどうしたら良いのか。その一心で絞り出した、咄嗟の思いつきでしかない。着々と準備が進められるマスドライバーを見ている内に、フミオの中では恐怖感が増してきていた。
ヤポニアの魔女、サトミ・フジサキ。
マチャイオの魔女、トンラン・マイ・リン。
そして故郷であるヤポニア。
この作戦が失敗すれば――フミオは何もかもを失うことになる。
撤回して、他に良い案がないかと思い直そうにも手遅れだった。『ブリアレオス』は既に、ニシミカド目がけて降下を始めている。そこに間に合う星を追う者はサトミだけで、最速の手段はこのマスドライバーだ。
フミオが全てを託すことになるうら若い魔女二人は、ふわり、と花のように微笑んだ。
「行ってきます。安心してください、私はヤポニアの魔女です。必ず守ってみせますよ」
「ちょっと離れるけど、フミオさん一人で出歩かないでくださいよ。サトミは必ず無傷で返しますから」
意識する前に、身体が動いていた。フミオの手が、二人の肩を抱き寄せる。母星のために、それがどんな困難であっても笑顔で立ち向かっていく。
これが、ワルプルギスの魔女。星を追う者の姿だ。
二人で並んで、そろってフミオの腕の中に納まるほどでしかないのに。この小さな魔女たちが、ものの数分で母星を半周して、地上に迫る隕石を破壊する。フミオには、それにすがることしか出来ない。どんなに心細くても、どんなに己の無力さを嘆いたとしても。
母星を守るのは、魔女たちの仕事だった。
「大丈夫ですよ――」
サトミが、そっとフミオの耳元で何ごとかを囁いた。その言葉を反芻する前に、トンランの唇がフミオの頬に触れてきた。二人は同時にフミオの手からすり抜けると。振り返って、くすり、と笑った。
ぼんやりとその場に残されたフミオに向かって、軽く掌を振って。魔女たちは自らの戦いの場へと赴いていった。フミオの背中を、クゥが強めに叩いた。気丈に振る舞う魔女たちに、見送る側が弱気になってどうするのか。
「愛する者のために戦うのは、魔女の本懐だ」
それが出来ることを誇りに思い、自ら望んで隕石を追いかける。力もなく、子も成せない男たちは――その気高い美しさに魅せられるしかなかった。
管制室はかつてない緊張感に包まれていた。ワルキューレの襲撃だけでも、今までになかったことなのに。極大期ではないこの時期に、その上こんな変則的な迎撃オペレーションを実行することになるとは。しかもワルキューレとの戦闘は、未だに継続中だ。そのサポートをしつつも、オペレーターたちの作業は徐々に『ブリアレオス』迎撃に移行していた。
「フラガラハ隊、ワルプルギスに帰還!」
「こちらフラガラハ隊長機ニニィ、マスドライバー発射口の防衛にあたる」
事情は判っているが、途中から『ブリアレオス』に向かうのでは装備も不一致だしマナ残量も不足している。断腸の思いで、ニニィはワルプルギスまで戻ってきた。後は、可能な限りサトミを援護するだけだ。フラガラハ隊はマスドライバー近辺にワルキューレが近寄ってこないように、警戒行動を開始した。
「大丈夫か?」
ヨシハルに手を添えられて、ノエラははっと我に返った。つい先程まで、ヨシハルはここにある通信機器でヤポニア政府と連絡を取っていた。それが知らない間に、司令席に腰かけたノエラのすぐ脇に寄り添っている。ノエラは自分でも気が付かないうちに、ひどく気が張っていたみたいだった。
「ええ」
大丈夫な――訳がない。
隕石が落ちる。また、あのヤポニアに。ノエラの脳裏に、『ブロンテス』の光景が蘇ってきた。
大波に飲まれる街並み。人も建物も、何もかもがゴミのように押し流されて、消えていく。沢山の悲鳴が聞こえて、轟音に打ち消されて。それを夢に見るのが怖くて、眠ることさえ出来なかった。
ここで起きた全てのことは、お前の責任だ。そう言われ続けながら、ヤポニアの地を延々と歩いた。一人でも多くの命を助けて、そして。一人でも多くの被災者から、怒りの言葉を受け取ろうと思った。それが、母星を守れなかった魔女の罪。
「ノエラ、君は一人じゃない」
顔を上げると、すぐ目の前にヨシハルがいた。少し年を取ったか。それでも昔と同じ、力強い瞳でノエラを見つめていた。
「ヤポニア政府は地上での防御態勢を受け入れると宣言した。防御士と重力制御士が展開を始めている。避難誘導も始まった。それに――」
大きな掌だ。ノエラの手が、すっぽりと収まってしまう。あの時も、こうして握ってくれた。逞しくて、温かくて。ノエラがここで生きているということを、弥が上にでも教えてくれる男性。
「我々にはまだ、ヤポニアの魔女サトミ・フジサキがいる。彼女を信じよう」
ヤポニアは、変わった。こんなことくらいで、魔女との絆は失われない。ヨシハルはそう信じている。ワルプルギスがそれに応えるためにも、ノエラがこんなところで打ちひしがれていてはいけない。ノエラはうなずくと、立ち上がって一歩前に踏み出した。
「ワルキューレの掃討を急げ。マスドライバーに近付けさせるな。『ブリアレオス』の母星落着を、なんとしてでも阻止するんだ!」
「了解!」
管制室にいる全員が、ノエラの激に対して腹の底から声を出した。それはこの国際高空迎撃センターが、ここにある理由だ。絶対に隕石を防いでみせる。ノエラはヨシハルの手を握り返した。
――二人の想いは、必ず!
ヘルメットを被ると、内側にいくつもの文字や数字が浮かび上がった。現在時間、目標の座標、現在位置、装備されている触媒の残数、隕石落着までの予想残時間、等々……物凄い情報量だ、トンランはそれを追いかけるのだけで精いっぱいだった。
「これ、スゴいね」
「あー、ちかちかして邪魔なのよね。ほとんど感覚でどうにかなるし、必要ないんだけど」
そっちの方が凄い。星を追う者は同じ魔女の中でも、格段に能力が上だ。これだけの情報を、感覚だけで処理出来るというのはどういう状態なのだろうか。トンランには想像もつかなかった。
トンランとサトミの防護服から伸びた太いチューブは、同じ一本のホウキに繋がっていた。サトミが跨っている後ろに、トンランが座っている。補助要員を同乗させる二人乗りのオプションは、初の実戦投入だった。色々と問題が生じることが予想されたが、サトミが『こんな』なので、いざという時にはホウキのシステムはトンランに任されることになる。トンランは映し出されている計器類を一通り確認した。
マスドライバーは母星に積み荷を届けるために作られたので、射出口の向きは母星に固定されている。二人は制動速度を超えて射出された後、すぐに重力制御士が生成した重力場を使ってスイングバイする必要があった。空中ブランコで、別なブランコに飛び移って方向転換するイメージだ。
その後合計で四回、人工重力衛星を使ってスイングバイする。それで速度をなるべく落とさずに、最短時間で『ブリアレオス』に到達出来る計算だった。途中で塵帯やら輪の中といった、障害物のある宙域を潜りぬけることになる。そこはトンランの防御壁だけが頼りだった。
「トンラン、レールガンから発生するプラズマでホウキとかに仕込んである電装部品がブッ飛んじゃうから、マスドライバー起動前に防御壁は張っておいてね」
「サトミの方は、制御速度を超えたスイングバイとか初めてだよね? 射出前には接続の準備をしておいて。重力制御士はもう配置についてる」
「B型装備だから、ワルキューレと会敵しても極力戦闘は避けるように。優先攻撃目標はイスナ・アシャラではなく『ブリアレオス』です。それを忘れないで」
矢継ぎ早に、管制室や整備担当からあれこれと指示が飛んできた。マスドライバーの内部は真っ暗で、はるか先の出口に母星の光が見えている。これからあそこ目がけて、猛スピードで撃ち出されるのだ。そう考えると、トンランは背筋が寒くなるのを感じた。
「ねえ、サトミ、さっきフミオさんに何て言ったの?」
「んー? 彼女としては気になるかなぁ?」
「か、彼女なんかじゃないよ!」
ただほんの少し、愛しいと感じてしまっただけだ。無事に帰ってくるというおまじない。トンランはフミオの護衛なのだから、警護対象から離れてしまうことには抵抗があった。
『必ず、戻ってくるからね』
マチャイオから旅立つ時に、トンランは島の大地に口付けをしていた。それと同じだ。それ以上の意味なんてない。きっと。多分。そう思う。
「……帰ってきたら、ちょっと話し合いましょうか」
フミオが好きなのはサトミだ。そんなことは判り切っている。サトミとトンランが話したところで、結論なんてとっくに出ているじゃないか。
でも――
「わかった」
どうせなら、トンランは納得していたかった。その方がスッキリする。大体、はっきりとしないフミオが全部悪い。ここ最近は、一度も引っぱたいたりなんだりしていないのに。フミオは、馬鹿だ。
「特務一番機、射出準備完了だ。トリガーはサトミに。そちらのタイミングで発進どうぞ」
サトミが首を回して、トンランと目を合わせた。いつでも良い。トンランは既に防御壁を展開している。さあ、どこにだって行ってやろうじゃないか。
フミオとサトミの故郷、ヤポニアを守るためだ。あのワルキューレに、今度こそ一泡吹かせてやる。
「行きます! トンラン・マイ・リン!」
「サトミ・フジサキ! 星を追う者特務一番機、射出!」
第6章 星狩りの時 -了-




